↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】私はいつでも大丈夫なので、早く婚約破棄してくださいね  作者: 逆立ちハムスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/8

6

(よし! 周囲の注目は集まった! ここで彼が私の手をとれば、見事なスキャンダルの火種よ!)


シュリーダラ卿は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な表情に戻り、恭しく私の手を取った。


「公爵令嬢閣下からのお誘い、身に余る光栄に存じます。不調法者ゆえ、足を踏まぬよう尽力いたします」


(硬い! セリフが固すぎる! でもまあいいわ、フロアに出ればこっちのものよ!)


私たちはフロアの中央へと進み出た。

楽団が優雅なワルツの曲を奏で始め、私たちはステップを踏み出す。


シュリーダラ卿のリードは、彼が「不調法」と言ったのが嘘のように完璧だった。強靭な体幹と的確な重心移動で、私のステップを一切邪魔することなく、かつ確実に誘導してくる。


(すごい……。背も高いし、腕の筋肉が服の上からでも伝わってくるわ……。やっぱり顔が良い……)


一瞬、普通にときめきそうになったが、私はすぐに首を振って己の目的を思い出した。


(違う! ただ楽しく踊るだけじゃダメ! ここで意味深なことを言って、彼を翻弄するのよ!)


私はシュリーダラ卿の胸元に顔を近づけ、周囲には聞こえないような、吐息混じりの小さな声で囁いた。


「ねえ、シュリーダラ卿……。私、時々この王宮という鳥籠から、無性に抜け出したくなるの……。ねえ、あなたなら……私を遠くへ連れ去ってくれるかしら……?」


(どう!? この『禁断の逃避行を匂わせる危険な誘惑』! さあ、「俺でよければ、地の果てまで」って耳元で囁き返しなさい!)


私は甘い展開を期待して、彼のエメラルドの瞳を見つめ上げた。


シュリーダラ卿は、数秒間、私をじっと見つめ返し――。


「……アーディティ様。もしかして、ご気分が優れませんか?」


「え?」


「確かに、この会場は少し人が多く、熱気がこもっておりますね。アルコール多いですし。息苦しさを感じて『抜け出したい』とおっしゃるのも無理はありません。私の気配りが足りませんでした」


「あ、いや……」


「もし眩暈や吐き気があるようでしたら、すぐに別室へご案内し、医者をお呼びします。無理をして倒れられては大変です。いかがなさいますか?」


シュリーダラ卿の瞳に浮かんでいるのは、恋慕でも情熱でもなく、「要救助者に対する真剣な医療的配慮」であった。


「だ、大丈夫よ! なんともないですわ……」


私は慌てて否定したが、このままではただの「体調不良の人」で終わってしまう。

焦った私は、ワルツのターンの瞬間、わざと彼の方へ体勢を崩して寄りかかろうとした。

(これならどう!? 密着して、どきまぎさせるのよ!)


「きゃっ……」


私がバランスを崩した瞬間、シュリーダラ卿の腕が瞬時に動き、私の腰をガシッと固定した。


「おっと。足元が滑りましたか。ご安心ください、私がしっかりと支えておりますゆえ」


一切の動揺もなく、私の体重を完全にコントロールし、コンマ一秒で元の正しい姿勢へと戻される。

そこにあるのは「女性の柔肌に触れてドキドキする」姿ではなく、「要人の転倒リスクを未然に防ぐプロ」の姿だった。


周囲の貴族たちから、拍手と称賛の声が漏れ聞こえてくる。


「おお、ごらんなさい。アーディティ様とシュリーダラ副団長のあの見事なステップを」

「ええ。体勢が崩れかけた際も、完璧なリカバリーでしたな」

「さすがは公爵令嬢と近衛騎士。実に健康的で、模範的なダンスだ」


(健康的で模範的……!! 一番言われたくない言葉だわ!!)


私は絶望のまま、残りの曲を無表情で踊り切った。



曲が終わり、シュリーダラ卿が私をフロアの端までエスコートしてくれたちょうどその時。


「二人とも、お疲れ様」


ヴィクラマ殿下が、にこやかな笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。


(……!! 殿下!!)


私はハッとして背筋を伸ばした。

そうだ。私自身は失敗しても、婚約者であるヴィクラマ殿下が「他の男と踊るなんて!」と嫉妬してくれれば、まだ修羅場ルートの希望はある!


「あ、殿下……。私ったら、ついシュリーダラ卿と踊ってしまって……」


私はわざと申し訳なさそうな、しかしどこか挑発的な視線を殿下に向けた。

さあ、怒って! 「君の軽薄な行動には呆れた!」と私を責めて!


しかし、ヴィクラマ殿下は怒るどころか、シュリーダラ卿に向かって深々と頷いた。


「素晴らしいダンスだったよ、シュリーダラ。君が彼女を完璧にリードしてくれたおかげで、アーディティもとても楽しめたようだ」


「もったいないお言葉、恐悦至極に存じます、殿下。アーディティ様のステップが軽やかで美しかったゆえでございます」


シュリーダラ卿も真面目に答える。


「いやいや、君のあの体勢の立て直しは見事だった。さすがは近衛騎士団副団長だ。アーディティの安全を君に任せれば、私も安心できるというものだよ」


「はっ。今後とも、王家と公爵家のために粉骨砕身する所存です」


ヴィクラマ殿下とシュリーダラ卿は、互いの能力を認め合うように、ガッチリと熱い握手を交わした。


男同士の、爽やかな信頼関係の構築。

そこには嫉妬の欠片もなく、ただ「有能な婚約者」と「有能な部下」が互いを褒め称え合っている美しい光景が広がっていた。


「…………」


私は、その二人の隣で、完全に「蚊帳の外」の置物と化していた。


(……なんでお前ら、仲良くしてんのよ)


誰も怒らない。誰も嫉妬しない。誰も私を咎めない。

ただひたすらに、平和で、常識的で、模範的な夜会が進行していくだけだ。


新たな曲の演奏が始まり、ふと周囲を見渡せば、チャンドラやパドマも、それぞれ婚約者いるというのに別の男性と楽しく踊っていた。


ダンスカードはないけれど、礼儀として踊るのは共通らしい。

私から誘うというのも、もしかしたらと思ったが、思ったよりこの世界の宗教思想は強いかったようだ。



夜会の帰り道。

ヴァースデヴァ公爵家の豪奢な馬車の中で、私は無言で窓の外を眺めていた。


「アーディティ様。本日の夜会も、大変有意義なものとなりましたね。サンプリティ様との税制に関する有意義な意見交換、そしてシュリーダラ様との模範的なダンス。公爵様も、アーディティ様の完璧な立ち振る舞いを誇りに思われるでしょう」


向かいの席で、カマラが本日のハイライトを満足げにまとめている。


「……そうね。完璧な夜会だったわね……」


私は力なく答えた。

完璧だ。完璧すぎるのだ。

公爵令嬢として、何一つ間違ったことはしていない。周囲からの評価も爆上がりだろう。

だが、私が欲しかったのはそんなものではない。


「はあ……」


私は馬車のシートに深く沈み込み、目を閉じた。


(私、この世界で一生、また前世みたいに普通に真面目に生きていくしかないの……?)


前世の私が夢見た、波乱万丈でロマンチックな展開は、この緻密で堅牢な「現実世界」の壁にことごとく跳ね返されていく。

一人で乙女ゲーム的なシナリオを追っている私は、ただの「ちょっと情緒が不安定だけど、根は真面目で有能な公爵令嬢」として、この狂いのない日常に組み込まれてしまっているのだ。


「……アーディティ様? やはりご気分が優れないのですか? シュリーダラ様も心配しておられましたし……」


「いいのよ、カマラ。……ただ少し、現実に酔っただけだから……」


夜の王都を走る馬車の揺れに身を任せながら、私はまた一つ、乙女ゲームの攻略本ページを破り捨てた。

私の『婚約破棄・ざまあ・スパダリ溺愛』への道は、想像を絶するほど遠く、険しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。