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「アーディティ様。三日後に王宮で開催される『建国記念チャリティー夜会』のドレスですが、そろそろ最終確認をお願いいたします」
昼下がりの私室。
侍女のカマラが、数枚のドレスのデザイン画をテーブルに並べた。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内にファンファーレが鳴り響いた。
(夜会……! ついに来たわ、乙女ゲームにおける最大にして最高の見せ場! 夜会!!)
夜会。それはすなわち、数々のドラマチックな事件が巻き起こる聖地である。
身分違いの恋人たちが人目を忍んでバルコニーで逢瀬を重ね、嫉妬に狂った令嬢がワインをぶちまけ、そして何より――王族からの「婚約破棄宣言」が最も映える最高のステージだ。
(今度こそ、今度こそ間違いない! ここを逃してなるものですか!)
私は鼻息を荒くして、デザイン画をバサッと手で払い除けた。
「カマラ、こんなおとなしいドレスじゃダメよ! 夜会よ!? もっとこう、漆黒のシルクに真紅の薔薇をあしらった、見るからに『毒々しくて高慢な女』って感じのドレスを用意して! 背中も腰のあたりまでガッツリ開けて、周囲の令嬢たちが『はしたないわ!』って眉をひそめるようなやつ!」
さあ、悪役令嬢の誕生だ。
見た目から入るのは基本中の基本。私がその毒々しいドレスで会場に現れれば、ヴィクラマ殿下は「なんという破廉恥な姿だ! 王族の婚約者としての自覚が足りない!」と激怒し、一気に婚約破棄へのカウントダウンが進むはず!
しかし、カマラは微塵も動じず、落ちたデザイン画を淡々と拾い集めた。
「アーディティ様。本日の夜会は『北部水害復興支援のためのチャリティー』が主目的でございます。そのような場で過度に派手な装いや、過激な露出をするのは、品位を疑われる以前に、社会常識を欠いた者として公爵家の名に泥を塗ることになります。……それに、まだ夜は冷えます。背中を冷やして風邪でも召されたらどうするのですか」
「うぐっ……」
「さらに申し上げますと、そのような特殊なデザインのドレスを三日で仕立てることは、物理的に不可能です」
「…………そう」
結局、カマラが選んだのは、上質なラベンダー色のシルクに、控えめだが美しい銀糸の刺繍が施された、非常に上品で清楚なドレスだった。
鏡の前に立つと、そこには「高慢な悪役令嬢」の欠片もない、「知性と品格を兼ね備えた美しい公爵令嬢」が完璧に仕上がっていた。
(……まあいいわ。服が普通でも、行動でフラグを立てればいいのよ!)
私は己を奮い立たせ、決戦の地である王宮の広間へと向かった。
◈
シャンデリアが眩い光を放つ、王宮の大広間。
楽団が奏でる優雅なワルツの調べの中、着飾った貴族たちが談笑している。
私は扇で口元を隠し、鋭い視線で会場をスキャンした。
(さあ、どこだ……。私の獲物たちはどこにいる……?)
ほどなくして、私はバルコニーへ続くガラス戸のそばに、目当ての人物たちを発見した。
私の婚約者であるヴィクラマ殿下。
そして、彼と至近距離で向かい合っているのは、可憐な男爵令嬢サンプリティだ。
(きたあああああッ!! 密会イベント!!)
夜会の喧騒から離れたバルコニー付近で、二人きりで話し込む王子と男爵令嬢。
これは完全に「身分違いの恋情を確かめ合っている」シチュエーションだ。間違いない。
私は深呼吸をして、完璧な「怒りに震える婚約者」の表情を作った。
コツン、コツンとわざとヒールの音を響かせながら二人に近づき、扇をパチンと閉じて声を張り上げた。
「まあ、ヴィクラマ殿下。このような人目につかない場所で、男爵令嬢と二人きりで何をなさっているの? 私という婚約者がおりながら、随分と親しげなご様子ですこと……!」
(よし! 完璧な嫌味! さあ殿下、「君には関係ないだろう!」と私を冷たく突き放しなさい!)
私が胸を張って彼らを見据えると、ヴィクラマ殿下は「おお、アーディティ」とパッと顔を輝かせた。
「探していたんだ。実は今、サンプリティ嬢から今年のチャリティー寄付金に関する素晴らしい提案を受けていてね」
「……はい?」
サンプリティ嬢が、手に持っていたバインダー(なぜ夜会にそんなものを持っているのか)を広げ、目をキラキラさせて私に歩み寄ってきた。
「アーディティ様! ちょうどよかったです! 現在、各貴族からの寄付金は一律で『特別損失』として処理されていますが、これを事業規模に応じた『累進控除枠』に改めることで、中堅貴族層からの寄付金増額が見込めるのではないかという仮説を立てていたのです!」
「えっ……寄付金、控除……?」
「はい! ただ、この制度を導入するには、公爵家をはじめとする大貴族の方々の賛同が不可欠です。アーディティ様、大貴族の税務モデルから見て、この案の実現性はいかがでしょうか!?」
二人は、恋に燃えるような熱い視線ではなく、「有能なブレインを見つけた!」という純粋な仕事の熱意に満ちた目で私を見つめていた。
(違う! 違うのよ! 私は嫉妬に狂って乗り込んできたの! 税制改革の相談に乗りに来たんじゃないの!!)
「あ、あのね、お二人とも。今は夜会よ? 演奏が流れ、みんな踊っているのよ? こんな場所で税金の話なんて……少し非常識ではなくて?」
私は必死に軌道修正を図る。
そうだ、私が言っていることは「嫉妬からくる嫌味」だ。頼むからそう受け取ってくれ。
しかし、ヴィクラマ殿下はハッとして、深く反省したように頷いた。
「……確かに君の言う通りだ、アーディティ。チャリティー夜会とはいえ、皆が歓談を楽しんでいる場で、実務的な話を持ち込むのは野暮だった。君の場を重んじる姿勢、常に襟を正される思いだよ。ただ……君もあまり無理しないで欲しい」
「えっ、はい……」
「申し訳ありません、アーディティ様! 私としたことが、つい仕事の癖で……。せっかくの美しい夜会なのに、無粋な真似をしてしまいました!」
サンプリティ嬢もペコペコと頭を下げてバインダーを背中に隠した。
「い、いや、私はただ……」
「ありがとう、アーディティ。君が止めてくれなければ、このまま朝まで予算案の話をしてしまうところだった。……そうだ、せっかくの夜会だ。後で一曲、私と踊ってくれないか?」
ヴィクラマ殿下は、どこまでも誠実で優しい婚約者としての微笑みを私に向けた。
「……はい、喜んで……」
私は引きつった笑顔で頷き、バルコニーを後にした。
ダメだ。この人たちには「恋愛のドロドロ」という概念が備わっていない。どれだけ私が嫌味っぽく振る舞おうとしても、「公爵令嬢からの適切なご指摘」として処理されてしまう。
◈
(こうなったら、もう一つの作戦を実行するしかないわ!)
私はフロアの壁際でグラスを傾けながら、次なるターゲットを探した。
婚約破棄イベントを引き起こすための、もう一つの定番手段。
それは、「他の魅力的な男性と親しくして、王子の嫉妬を煽る」ことだ。
私の視線の先には、壁際で周囲を鋭く警戒している近衛騎士団副団長、シュリーダラ卿の姿があった。
今夜の彼は、正装の軍服に身を包み、持ち前の赤髪とエメラルドの瞳がシャンデリアの光を浴びて一層際立っている。周りの令嬢たちがチラチラと彼を見ているが、本人が放つ「警備任務中」の堅物オーラが凄まじく、誰も声をかけられないでいた。
(彼だわ。あんな超絶イケメン騎士と私が親しげに踊れば、さすがのヴィクラマ殿下も「私の婚約者に気安く触れるな!」と嫉妬してくれるはず!)
私はグラスを置き、意を決してシュリーダラ卿の元へ歩み寄った。
「シュリーダラ卿。今宵も警備の任、ご苦労様ですわ」
「! これは、アーディティ様。お声がけいただき光栄です。本日は異常もなく、滞りなく夜会は進行しております」
シュリーダラ卿は即座に居住まいを正し、完璧な臣下の礼をとった。
「ふふ、そんなに硬くならないで。ねえ、シュリーダラ卿……。もしよろしければ、私と一曲、踊っていただけないかしら?」
私は上目遣いで彼を見つめ、あえて少し妖艶な笑みを浮かべて手を差し出した。
周囲の令嬢たちが「まあ!」「公爵令嬢からお誘いを……?」と小さくざわめく




