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「アーディティ様、本日のお召し替えでございます。午前の近衛騎士団第三庁舎へのご訪問には、動きやすさを考慮したシンプルな訪問着をご用意いたしました。午後のティーパーティには、チャンドラ様とパドマ様をお招きしておりますので、そちらは華やかな薄桃色のドレスにいたしましょう」
朝のやわらかな光が差し込む私室で、侍女のカマラが手際よく服を準備しながら、淡々と本日のスケジュールを告げる。
私は鏡に映る自分の姿を眺めながら、密かに胸の中で拳を握りしめていた。
(よし……今日こそだわ。今日こそ、運命の歯車を狂わせてみせる……!)
私の頭の中には、前世で浴びるほど読んだWeb小説や乙女ゲームの記憶がぎっしりと詰まっている。
昨日の王宮財務局での件は、たまたま相手が真面目すぎただけだ。サンプリティという男爵令嬢も、たまたま仕事中毒な珍しいタイプだったのだろう。
だが、今日のスケジュールには、確実に『王道ラブコメ・イベント』のフラグが眠っているはずなのだ。
まず午前中の近衛騎士団訪問。
そこには、近衛騎士団副団長を務めるシュリーダラ卿がいる。
赤髪に緑の瞳を持つ超絶イケメン騎士だ。まさにテンプレなら『俺様・ワイルド系攻略対象』、あるいは『ヒロインを強引に奪い去るスパダリ騎士』のポジションである。
彼に接触し、わざと世間知らずで我がままな発言をして嫌われるか、あるいは逆に危険な目に遭って抱きとめられ、恋の火花を散らす。
そして午後は、侯爵令嬢のチャンドラ様と伯爵令嬢のパドマ様とのティーパーティだ。
ここで高慢ちきなマウントを取り、彼女たちに「嫌な女!」と思わせて悪評を流させれば、私は完璧な『悪役令嬢』としての地位を確立できる! そしてそこからじわじわと、テンプレへと構築していけばいい。まずは悪役令嬢ポジを手に入れなければ。
「ふふふ……我ながら完璧なシナリオだわ」
「……アーディティ様? 何か恐ろしい顔で独り言を叩いていらっしゃいますが、体調でも悪いのですか?」
カマラが怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「なんでもないわ! さあカマラ、急ぎましょう。騎士団の方々をお待たせしては失礼よ!」
私は公爵令嬢らしい優雅な取り繕いを見せつつ、期待に胸を膨らませて馬車へと乗り込んだ。
◈
王城の敷地内にある近衛騎士団第三庁舎。
訓練場から威勢の良い掛け声が聞こえてくる石造りの建物に入り、応接室へと通されると、そこに彼はいた。
「お久しぶりです、アーディティ様。本日はご足労いただき、ありがとうございます」
私を出迎えたのは、近衛騎士団副団長のシュリーダラ卿だった。
整った顔立ちに、引き締まった体躯。背筋がピンと伸びた軍服姿は、相変わらず一見の価値があるイケメンぶりだ。
(ああ……素晴らしい。この圧倒的スパダリ感! 彼となら、きっとドラマチックな展開が作れるはず……!)
私は内心でウキウキしながら、優雅に一礼した。
「お久しぶりですわ、シュリーダラ卿。本日は、先日公爵家から寄付いたしました騎士団の訓練用資材の確認とお聞きしておりますが」
「ええ。おかげさまで質の良い木剣と防具が揃い、新人たちの訓練も捗っております。ただ……」
シュリーダラ卿は少し困ったように苦笑いを浮かべ、手元の書類をトントンと整えた。
「その件について少々ご相談がございまして。公爵家からいただいた予算の枠組みなのですが、一部、手続き上の書類に不備がありましてね。できればご担当者様に再度、捺印をいただきたいのです」
至って普通で、現実的な事務連絡だった。
だが、私の脳内変換フィルターは一瞬でそれを乙女ゲームのイベントへと書き換える。
(きた……! これは『騎士団の予算不足に文句をつける高慢な公爵令嬢』を演じる絶好のチャンス!)
私は扇をパチンと音を立てて閉じ、あえて見下すような冷たい視線をシュリーダラ卿に向けた。口元には意地悪な微笑を浮かべる。
「まあ……たかが書類の一枚や二枚で、いちいち私を呼び立てるなんて。シュリーダラ卿、あなた方騎士団は少し頭が硬いのではありませんこと? そんな細かい手続きなど省いて、もっと強力で高価な魔法剣でも全員に買い揃えればよろしいのに。予算が足りないなら、私が父に頼んで追加で出させてあげてもよろしくてよ?」
(どう!? この『現場の苦労も知らずにお金で解決しようとする不快な高慢ちき』! 完璧でしょ!? さあ、「貴族の令嬢が現場の何を知る!」って胸ぐらを掴むなり、冷たく見下して嫌悪感を露わにしなさい!)
私は胸を躍らせ、彼の反応を待った。
しかし、シュリーダラ卿は怒るどころか、ただただ困惑したように目を丸くし、それから引きつった苦笑いを浮かべた。
「……ええと、アーディティ様。魔法剣、ですか?」
「ええ、そうですわ!」
「いや……あの、魔法剣というのは維持費も莫大ですし、そもそも普通の兵士が扱えば魔力酔いを起こして危険です。それに、手続きを省くというのは法的に不可能ですので……公爵家からの追加予算も、正規の申請手順を踏んでいただかないと受領できません。……あの、何かお気に障るようなことがありましたでしょうか?」
シュリーダラ卿の瞳に浮かんでいるのは、ドラマチックな怒りでも嫌悪でもなく、「この公爵令嬢、急にどうしたんだ……?」という、至極ごもっともな『ドン引きと戸惑い』だった。
(あれ……? なんか……ただ『変なこと言い出す世間知らずな人』と思われてる……?)
私の背中に冷や汗が流れる。違う、そうじゃない。私は悪役として恐れられたり憎まれたりしたいのであって、痛い人だと思われたいわけではないのだ。
(い、いや! まだだわ! 言動が不発なら、物理的なシチュエーションで攻めるのよ!)
「……ふん、まあよろしいわ。本日のところは失礼いたします」
私はツンと澄ました顔で立ち上がり、部屋の出口に向かって歩き出した。
そして、シュリーダラ卿のすぐ横を通る瞬間――
「きゃっ……!」
わざとらしく、足をもつれさせた。
完璧な計算である。私は彼の方に向かって倒れ込む。
目の前には鍛え上げられた騎士。彼は慌てて私を抱きとめ、至近距離で見つめ合い、「……危ないところでした、姫君」と甘く呟くはず――!
「おっと、危ない!」
ガシッ。
シュリーダラ卿の素早い手が伸び、私の『右上腕部』を力強く、的確に掴んだ。
お姫様抱っこでもなければ、腰を支える抱擁でもない。ただ単に、転倒を防ぐための、極めて実用的で力強いワシ掴みである。
「……あ」
私の身体は斜め四十五度の角度でピタリと止まった。シュリーダラ卿の強靭な腕力によって、完全に空中吊り下げ状態である。
「大丈夫ですか、アーディティ様? お怪我はありませんか?」
シュリーダラ卿は至って真面目な顔で私の身体を起こし、そっと手を離した。
「……あ、ええ。大丈夫、です……」
「それは良かった。こちらの絨毯、少し端がめくれていましたね。足元に気を配らず、申し訳ありませんでした」
シュリーダラ卿は申し訳なさそうに頭を下げると、すぐに近くにいた部下の騎士に声をかけた。
「おい、この絨毯の端を固定しておけ。客人が躓いたら危険だ」
「はっ、ただちに!」
(…………え????)




