第102話 彼女のサイズ
「――よしっ、佐藤っちの数値はこんなもんかな! 意外と細マッチョで作り甲斐あるわー」
放課後の被服室。
星名さんがメジャーを巻き取りながら、パンッと景気よく俺の肩を叩いた。
いつの間にか呼び方が佐藤っちになってる……。
俺は、ようやく解放された安堵感で肺の中の空気をすべて吐き出した。隣では凛がノートを閉じ、少しだけ冷ややかな……いや、俺と星名さんの距離の近さに納得がいっていないような瞳でこちらを見ていた。
「お疲れ様、佐藤くん。……星名さん、次は私の番だよね?」
凛がスッと前に出る。
今回、彼女が纏うのは『導きの聖女』の衣装だ。鬼塚こだわりのデザイン画によれば、それは彼女のしなやかな肢体を強調するような、かなりタイトで装飾の多いドレスだった。
「んー、そうなんだけどさぁ……。凛っち、ちょっとこれ見てよ」
星名さんが作業机の上に広げたのは、鬼塚が描き込んだ衣装の三面図だった。そこには、肩のライン、ウエストの絞り、さらにはスカートのドレープに至るまで、素人目にも「これ作るの無理だろ」と思えるほどの緻密な指示が書き込まれていた。
「男子の鎧風ウェイター服は、ぶっちゃけ形さえ決まればなんか詰め物したりで誤魔化せるの。でも、女子のこの聖女ドレス、生地がかなり薄いシルク系だし、ウエストからヒップにかけてのラインが命なのよね。少しでもズレると、途端にコスプレ感出ちゃうっていうか……。だから、アンダーとか……いろいろ、かなり踏み込んだところまで測らないと、このシルエットは出せないよ?」
「……。そんなに難しいの?」
凛が不安そうに眉を寄せる。星名さんは、顎に手を当てて「うーん」とわざとらしく唸ると、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべた。
「マジでムズい。……でも、私としおりんは今からメニュー担当の鬼塚のところに行かなきゃいけないんだよねー。そこで名案! 佐藤っち、凛っちの『騎士』でしょ? パートナーの身体のサイズくらい把握しておくのがファンタジーの鉄則じゃん。……ここで佐藤っちに測ってもらってきてよ!」
「「――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!???」」
俺と凛の声が、被服室に完璧にハモった。
「な、何を……! なんで俺が東雲さんを測らなきゃいけないんだよ! 一ノ瀬さんとかに頼めば――」
「咲希っちは今、力仕事の真っ最中。……凛っちも、佐藤っちなら安心でしょ? ヘンな男に測られるより、気心の知れた佐藤っちの方がさ。……ね?」
星名さんの挑発的な視線が俺たちを射抜く。
静まり返る被服室。夕暮れのオレンジ色の光が、机の上に置かれた白いメジャーを無機質に照らしている。俺の心臓は、さっきから壊れた時計のように激しい鼓動を刻んでいた。
拒否するべきだ。「佐藤くん」として、「そんなの無理だ」と笑って流すべきなんだ。
だが、隣に立つ凛が、俺のシャツの裾をぎゅっと握りしめて。
「………わかった……。……佐藤くん。……。お願いしても……いいかな?」
彼女が、意を決してその言葉を口にした瞬間。俺は、今日この場で自分の理性が完全に焼き切れることを悟った。
「あ、ああ……」
覚悟を決めて、メジャーに手を伸ばそうとした、その時。
「――ぶっ。……。……あはははは! ちょっと、二人ともマジ!? 顔、赤すぎなんですけどー!!」
不意に、星名さんがお腹を抱えて爆笑し始めた。
「…………え?」
「…………星名、さん?」
「ごめんごめん! あまりにも二人が真に受けちゃうから、面白くて! いくらなんでも、男子に女子のアンダーとか測らせるわけないじゃん! ウケるんだけど!」
星名さんは涙を拭いながら、俺の手元からメジャーをひょいと取り上げた。
俺たちが呆然と立ち尽くす中、彼女はカバンから一通のショップカードを取り出して、テーブルに置いた。
「はい、これ。私の知り合いがやってる、駅前のオーダーメイドショップ。今回の聖女ドレス、やっぱりプロの手を借りることにしたからさ。明日、ここに行ってプロに測ってもらってきて。佐藤っちも、付き添いとして凛っちを連れてってあげなよ。……佐藤っちにはプロから直接、数値を教えてもらうように頼んどいてあげよっか?」
「………………余計なことすんな!!」
俺が叫ぶと、星名さんは西園寺さんを連れて「じゃあねー!」と嵐のように去っていった。
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再び訪れた静寂。
けれど、今度はさっきのような重苦しいものではなく、どこか拍子抜けした、けれど一段と意識し合ってしまうような、むず痒い空気が満ちていた。
「……一真」
凛が、俺の隣に座り込み、そっと自分の肩を俺に預けてきた。
「……。なんだよ」
「…………。……悔しい」
「何がだよ」
「…………。……私、一真に測ってもらうの、……。……。……ちょっとだけ。……。……楽しみだったんだもん」
「――――っ!!」
彼女は俺のシャツを指先でいじりながら、消え入りそうな声で白状した。
ハルとしての強気な部分と、凛としての乙女な部分。その境界線が、今の彼女の中ではぐちゃぐちゃに溶け合っている。
「……。……。俺だって。……。……心臓止まるかと思ったけど。……。……嫌じゃなかったわ」
「…………にひひ。……だよね。……知ってる。……一真は、私の相棒なんだもん」
星名さんの冗談は、俺たちの理性を試す「罠」だったのかもしれない。けれど、そのおかげで俺たちは、プロのショップへ行くという「完璧なデートの口実」を手に入れてしまった。
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自室でベッドに横たわりながら、俺は昼間に星名さんから受け取ったショップカードを眺めていた。
週末は二人きりでのフィッティング。
学校の準備という大義名分はあるけれど、そこにあるのは間違いなく、俺と彼女の「恋人としての時間」だ。
ピコン。スマホが震える。
凛:【ねえ、一真】
凛:【寝た?】
一真:【起きてる】
一真:【明日の準備してた】
凛:【星名さんには一本取られたけど】
凛:【明日、プロの人に「お似合いのカップルですね」って言われたら】
凛:【一真、なんて答える?】
俺は、天井を見上げて、小さく笑った。
オフ会でも、お祭りでも。俺たちはいつだって「親友」という言葉を逃げ道にしてきた。
けれど。
一真:【「そうなんです」って】
一真:【即答する】
そう答えると既読はつくものの、30秒ほど返事が止まる。
凛:【ズルい、文字なのに破壊力が……っ】
凛:【待ってるからね私の、最高の騎士サマ】
スマホの裏側に貼られたドラゴンのシールを指先でなぞる。
三年前。画面の向こう側の相棒だった頃。
一年前。学校で遠くから眺めていた「東雲さん」だった頃。
そして今、俺の「特別」になった凛。
文化祭という名のクエストは。また一段と甘くて熱い、新しいステージへと突入する。
俺は、彼女に贈る「答え」を胸に。
秋の気配を含んだ夜風を感じながら、深い眠りへと落ちていった。




