第101話 秘密の文化祭準備
九月の半ば。空の色は少しずつ高くなり、風の中に秋の気配が混じり始めた頃。
青葉高校では、この時期特有の「ルール」が適用される。
「――はいっ、注目ー! 今日から火曜日と木曜日は、文化祭準備のために部活動は全校一斉に休止だよ! みんな、浮かれてないで自分の担当に集中してね!」
ホームルームの時間。実行委員の一ノ瀬さんが、教壇でパチンと手を叩いて宣言した。
この「準備期間」は、約一ヶ月間続く。普段は部活で忙しい凛や海斗を始めとした運動部の面々も、この火曜と木曜だけは放課後がフリーになる。
それはつまり、俺たち2年2組の『ファンタジーRPGカフェ』という名の巨大プロジェクトが、本格的に走り出すことを意味していた。
「諸君! これより我が『旅団』の編成を発表する!」
文化副委員の鬼塚が眼鏡をキラリと光らせて黒板の前に立った。
彼の背後の黒板には、まるでネトゲのギルド編成画面のような緻密な分担図が書き殴られている。
「まず内装および大道具担当! リーダーはパワーと人望の一ノ瀬咲希、そして男子バスケ部の精鋭たちだ! 教室を古びた酒場へと改造せよ!」
「にひひ、任せて! 海斗、まずは後ろのロッカーの目隠しからいくよ!」
「おうよ! 凛の……東雲さんのために、俺は最高の城を建てるぜ!」
クラスの文化委員長を務める一ノ瀬さんと海斗たちが勢いよく立ち上がる。
続いて、鬼塚が最も熱を入れているであろう「心臓部」への指名が始まった。
「次にメニュー開発担当! 私と、スイーツに造詣の深い女子有志数名で行う! 私の父の店『フルール』の味を私たちで再現するための、過酷な試作の始まりだ!」
女子たちが「やったぁ! 試食できる!」と沸き立つ。鬼塚の『パティスリー・フルールの息子』という肩書きは、相変わらず無敵の説得力を放っていた。
「そして――。この企画の命運を握る、衣装制作担当!!」
鬼塚の声が一段と低くなる。
「リーダーには家庭科部から精鋭を招集した! 西園寺さん、星名さん! 前へ!」
指名されて立ち上がったのは、二人の女子だった。
一人は、お下げ髪に眼鏡をかけた、いかにも「しっかり者」というオーラを纏った西園寺栞。
もう一人は、長い髪をゆるく巻いて制服を着崩した、クラスでも有名なオシャレギャル、星名らら。
「西園寺さんは去年の手芸コンクール入賞者! 星名さんは独自のファッションセンスで型紙から服を作る実力者だ! と聞いた!この二人に、看板娘の東雲凛さんを加え、最高の衣装を作り上げてもらう!」
「……よろしくお願いします」
「りょーかい! 凛っちの聖女姿とかマジ楽しみなんだけどー。超可愛くしちゃうから覚悟しなよ?」
西園寺さんの真面目な挨拶と、星名さんの軽快なノリ。
そして。
「……よろしくね、二人とも。私も裁縫は嫌いじゃないから、一生懸命手伝わせてもらうね」
東雲凛が凛とした、けれど親しみやすい「学校の天使」の笑顔で加わる。
ここまでは、完璧な布陣だ。……俺を除けば。
「最後に!! 衣装制作のサポート、および『騎士』としてのモデル担当――佐藤一真!!」
「――――俺か……」
俺が肩を落として呟くと、鬼塚が指をパチンと鳴らした。
「当然だ! 騎士の鎧は、着る者の体格にミリ単位で合わせねばならん! 東雲さんを護る騎士として、君には今日から衣装チームにべったりと張り付いてもらう!」
……。
…………。
一ノ瀬さんが、俺と東雲さんの顔を交互に見て、ニヤリと……今日一番の、すべてを掌握している軍師の笑みを浮かべた。
(――……。にひひ。よかったね、カズッチくん)
そんな口パクでの声が聞こえてくる……そんな気がした。
こうして、俺と東雲凛は、『学校公認の衣装担当ペア』として、放課後の時間を共有する正当な理由を手に入れてしまったのだ。
******
放課後。
内装チームが机を運び出して騒がしくなった教室を離れ、俺たちは被服室へと移動した。
夕方の西日が差し込む静かな実習室。俺、東雲さん、西園寺さん、星名さんの四人が集まる。
「さて、まずは佐藤くんの採寸から始めようかしら。騎士のアーマー風ウェイター服は、肩幅が重要よ」
西園寺さんがメジャーを手に、事務的な、けれど鋭い目付きで俺に近づいてきた。
「あ、佐藤くん。腕、ちょっと上げてくれる?」
東雲さんが横から指示を出す。
彼女はメモ帳を広げ、西園寺さんの読み上げる数字をテキパキと書き込んでいく。その姿は、まるで有能なマネージャーのようで、俺はどこか落ち着かない。
「っていうかさー、佐藤っちって脱いだら意外といい身体してんね! バドミントンやってるから? 筋肉のライン綺麗じゃん!」
星名さんが後ろから俺の背中をポンポンと叩きながら、屈託のない笑顔で言った。
「――――っ!?」
いきなりのギャル特有の距離の近さに、俺がフリーズする。
すると、それまで真面目にメモを取っていた凛のペンが、ピタリと止まった。
「……星名さん?……かず……佐藤くんが困ってるから、あんまり触らないであげて」
東雲さんの声の温度が、一瞬で数度下がった。
彼女は俺と星名さんの間に割って入ると、いつもの「東雲さん」の笑顔で、けれどどこか拒絶を感じさせるオーラを放ちながら続けた。
「……あ。ごめんっ☆ 採寸に集中しないと。ごめんなさいしおりん、続きをお願い」
「……うん、わかった。東雲さん、佐藤くんの腰回り、測ってくれる?」
「……。……えっ? 私が?」
「私は今、デザイン画の修正をしてるから。……。佐藤くんが嫌じゃなければ、だけど」
西園寺さんは、眼鏡を指で直しながら淡々と告げた。
俺は、東雲さんの顔を見た。彼女は顔を真っ赤にしながらも、意を決したようにメジャーを受け取った。
「……。……失礼します、佐藤くん。……。動かないでね」
「…………。……ああ」
凛の手が、俺の腰回りに回される。
……近い。
周囲には西園寺さんと星名さんがいる。けれど、彼女の吐息が俺のシャツを掠めるたびに、世界から音が消え去っていくような気がした。
「(…………。……。バカ。……星名さんに触られて、デレデレしないでよ)」
東雲さんが、誰にも聞こえないほどの小声で、俺の耳元で囁いた。
ビクッと体が跳ねる。
「ん!どした佐藤くん!」
星名さんが俺たちを心配するが、
「いや、別に何も」
と言い制する。
そして、メジャーを持つ彼女の――凛の指先が、俺のベルト付近に触れる。
三年前。ボイチェンの声で語り合っていた頃の俺たちには、こんなに生々しい「距離感」なんて存在しなかった。
けれど今、俺たちは。
文化祭の準備という免罪符を使って、誰にも言えない秘密の熱を分かち合っている。
しかも他人の前で、だ。
「はい! 採寸終わりー! 凛っち、顔真っ赤だよ? 暑い? エアコン温度下げる?」
星名さんの能天気に明るい声に、東雲さんは弾かれたように俺から離れた。
「あ、ううん! 大丈夫! ちょっと……どんなふうにしたら最高の衣装ができるだろって考えてたら、熱が入っちゃって!」
「にひひ、さすが凛っち! 気合入ってるねぇ!」
星名さんは笑いながら、俺たちの「不自然な距離」を微塵も疑う様子なく、次の作業へと移っていった。
……。
西園寺さんは、じーっと俺と東雲さんの背中を見つめてから、小さく、誰にも聞こえない声で「……なるほどね」と呟いたのを、俺は見逃さなかった。
一ノ瀬咲希に続き、この「しっかり者」の西園寺さんまで敵に回すのは、俺の精神衛生上よろしくない気がするが……。
(……ま、いいか)
俺は、机の上の設定資料に目を落とした。
そこには、東雲凛が纏う予定の、神秘的で、けれど彼女の美しさを際立たせる「聖女」の衣装が描かれていた。
学校では、他人のふり。
けれど、この被服室という名の新しい本拠地で。
俺と彼女の、ただの「相棒」という物語は。
二人の新しい仲間の目を盗んで、また一段と甘く、深く、走り出そうとしていた。
西園寺さんと星名さんは材料を買いに行くといい買い出しに言ってしまった。
そして被服室には俺と凛のふたりきり。
「一真! 次は素材選びだよ! こっちのベルベット生地と、どっちがいいかな!?」
「……。俺に聞くなよ。お前が着たい方にしろ」
「にひひ! 私、一真が『これが似合う』って言った方を着たいんだもん!」
「……!」
「それよりさっき、ドキドキしたね」
「……あぁ」
賑やかな準備期間。
俺たちの「秘密の文化祭」が。
真夏の余韻を振り切るような熱量で、今、本格的にスタートした。




