【 悪 一 文 字 】一ノ瀬颯馬
【 悪 一 文 字 】
一ノ瀬颯馬
『淀屋河岸の血煙』
夜の北浜・淀屋前河岸周辺は、復興に向けてうず高く積まれた木材や米俵の影が、不気味な死角を作る闇の領域と化していた。大坂の陣からわずか十数年。幕府による急速な「町割」が進む一方で、ここは一獲千金を夢見る伏見や天満の開拓町人たちが、泥を啜りながら地盤を築きつつある大坂の心臓部。
四ツの鐘が鳴り、町ごとの木戸門が閉ざされれば、ここは完全に法の届かぬ闇となる。その混沌の只中、襷を固く締め直し、漆黒の荷馬車に寄り添って佇む男がいた。
大坂の復興を脅かす揉め事に腕っぷし一つで立ち向かう、正義感あふれる博徒であり用心棒。その剛腕の噂は、すでに上方中に轟き渡っている。
男の名は、
──一ノ瀬颯馬。
そして、その手にする得物は、自らの正義のためにすべてを斬る苛烈な大太刀。
──名を、【 悪一文字 】。
「ほれ旦那、うちの若いのが握った飯ですわ。まだ温かいさかい、腹に詰め込んどくんなはれ!」
前垂れ姿の職人や淀屋の若い丁稚たちが、颯馬の周りにわっと集まっていた。差し出された竹皮の中には、大ぶりな塩むすびが転がっている。
「おう、ありがたくもらうわ!」
颯馬はワハハと快活に笑い、大きな握り飯をガブッと豪快に頬張った。米粒を口の端につけたまま、美味そうに喉へ鳴らす。
「しかし一ノ瀬の旦那がいてくれるさかい、わてら安心して夜通し荷が運べますわ。ほんま、大坂一の用心棒や!」「なんや、お前ら大げさやな。俺かて博徒のごろつきよ。銭の街の道理を汚す外道をぶちのめすんが、性に合ってるだけやがな」
ニカッと白い歯を見せて笑う颯馬の肩を、町人たちが親しげに小突く。その時だった。
──ザッ、と赤土を踏む重い足音が、夜霧の向こうから響いた。
一つではない。二つ、三つ、四つ。
うず高く積まれた米俵の巨大な影から、ゆらりと、戦の残滓をまとった不気味な人影がにじみ出てくる。異風を好むかぶき者のように派手な羽織を引っかけつつも、その目は飢えた狼のように鋭く、腰の刀はいつでも抜けるよう鯉口が切られていた。
四人の浪人衆は、淀屋前河岸の死角を突いて、颯馬たちを包囲するようにじわじわと間合いを詰めていく。先頭の、一際体躯の大きい首領格の男が下卑た笑みを浮かべて、ようやく刀の柄に手をかけた。
「一ノ瀬だな。余所者の町人どもを色めき立たせる、目障りな用心棒め。淀屋の米市から上がる上前、ここで叩き割ってやる」
颯馬はすっと町人たちを背後に隠すと、持っていた握り飯を躊躇なく口へと放り込み、そのままガッと歯でくわえた。大太刀を真っ直ぐに構え、腹の底から湧き上がるような、熱く、悲壮感を孕んだ声で吠える。
「俺の刃は、泥を掻いて街を興す町人の、意地と汗を守るためのものだ。それが、この世の真理だ」
じり、と間合いが詰まった──刹那。颯馬はニカッと不敵に笑った。
「──なーんてな。堅苦しいお説教はここまでや。死にたくない奴は、今のうちにさっさと逃げなはれ!」
次の瞬間、左右から迫る二振りの刃。颯馬は飯をくわえたまま地べたの赤土をガバッとすくい、浪人たちの顔面へ思い切り投げつけた。「うおっ!? 砂煙か!?」
ひるんだ一人の股間へ、鞘のまま容赦ない蹴り上げをクリーンヒットさせる。「ぎゃあああっ!?」悶絶して白目を剥いた男の襟元を掴んで引きずり回し、背後から迫るもう一人の刃の前に「肉の盾」として投げ飛ばした。二人は激しく正面衝突し、そのまま目を回して泥まみれにひっくり返る。
「な、にっ……!?」仲間とぶつかって硬直した三人目の浪人。その顎下へ、颯馬は大太刀【 悪一文字 】の分厚い柄頭をノーモーションで思い切り突き上げた。ゴチィン!と凄まじい音が響き、男は錐揉み回転しながら真上へ吹っ飛び、そのまま地面にドサッと不格好にのした。
最後の四人目、首領格の男が、大太刀の間合いの内側へ必死の突きを放ってくる。避ければ飯が落ちる。そう判断した颯馬は避けない。あえて分厚い大太刀の平でガキィンと力任せに突きを弾き返すと、そのまま流れるような大振りの横一閃を見舞った。
「ぶふっ!?」峰打ちの凄まじい衝撃が腹にめり込み、首領は濁った声を上げて米俵の山へと弾き飛ばされた。うず高く積まれた俵がガラガラと崩れ落ち、男はその下に完全に埋もれて足をバタつかせる。
辺りは一瞬で静まり返り、浪人たちは全員ピクリとも動かなくなった。
颯馬は着物の袖でぞんざいに刀身の埃を拭い去り、ガチリと刃を鞘に収めた。俵に埋もれた首領を見下ろし、口にくわえたままだった握り飯をすっと左手で掴み直す。そして、不敵に言い放つ。
「……悪いな、お上品な剣術ごっこがしたけりゃ江戸へ行きなはれ。大坂の博徒を怒らせたらな、泥啜ってでも勝つのがこっちの道理やわい!」
颯馬は残っていた握り飯をふたたびガブッと豪快に頬張った。
「もぐ……ん、やっぱり美味いな。おいお前ら、もう大丈夫や! さあ、残りの荷物運んでまお!」
米粒を口の端につけたまま、物陰で震えていた町人たちへ、また何事もなかったかのように快活に笑いかけるのだった。




