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【 狂 風 木 枯 ら し 】 賽の目の半次郎

【 狂 風 木 枯 ら し 】


賽の目の半次郎(さいのめのはんじろう)


『三文の賽』


深川の場末。這い入らねば辿り着けぬ地下の穴蔵に、その博徒場はあった。


天井は低く、煤(すす)けた梁(はり)が今にも落ちてきそうに撓(たわ)んでいる。床に敷かれた莚(むしろ)の上、半裸の男たちが折り重なるようにして、ぎらついた目を皿にしていた。剥き出しの背から立ち昇る汗の熱気と、吹きこぼれた安酒の酸っぱい匂いが、逃げ場もなく淀(よど)んでいる。


「張った張った、丁か半か!」


壺振りの野太い声が、半裸の男たちの怒号に掻き消される。ここは江戸の欲望が最後に流れ着く、八百八町の奈落の底であった。


賽の目の半次郎は、その吹き溜まりの片隅にいた。莚の端に腰掛け、濁った酒の入った土碗をただ黙って見つめている。骨太な身体を無造作な着物に包み、安酒の匂いを漂わせながらも、その「勘」だけは獣のように研ぎ澄まされていた。


その半次郎の足元へ、ことり、と乾いた音が微かに響いた。


怒号と汗の渦をすり抜け、転がってきたのは三つの木製の賽。見れば、その「一」の目だけが、どす黒い血で赤く塗り潰されていた。


「一」が三つ。ピン、ピン、ピン。命を最初から最後まですべて獲れという、奈落の隠語。


半次郎の濁った視線が、賽の転がってきた闇の奥へと向く。そこに佇んでいたのは、煤けた小袖をまとった、一人の夜鷹であった。白粉(おしろい)の剥げかけた顔は、恐怖と、それ以上の深い怨恨(えんこん)にひび割れている。女は言葉を一切発しなかった。ただ、泥にまみれた数文の銭を、床の賽の横へ音もなく落とした。それが、女が差し出せる精いっぱいの「割り前」であった。


半次郎は、何も訊かない。ただ、大きな手が無造作に伸び、三つの賽と端切れの包みを、無言で懐へと収めた。その漆黒の懐には、一本の暗殺短刀が呑まれている。


【 狂 風 木 枯 ら し 】


飾りを一切削ぎ落とした漆黒の柄。鉄の角棒を極限まで薄く研ぎ澄ました、直線的で無骨な平造りの業物。半次郎がその賽を懐に入れた瞬間、地下の熱気とは無縁の、凍てつくような闇の契約が成立した。


夜、大川沿いの荒野。


昼の活気が嘘のように、この町外れの低湿地には、ただ死んだような闇が平伏していた。遮るもののない広大な空き地に、容赦のない風が吹き荒れている。砂塵を猛烈に巻き上げ、遠くに見える細民長屋の戸をガタガタと酷く鳴らす風。すべてを乾燥させ、出会うものすべてを凍てつかせる。


ここは夜になると人通りが完全に絶え、夜鷹と無頼、そして始末された死体を捨てる者だけが行き交う、不毛の荒野であった。半次郎は一人、その砂塵の中に佇んでいた。


「おい、ばくち打ち。そこで何を突っ立っていやがる」


闇の奥から、乾いた足音がいくつか近づいてくる。松明(たいまつ)の微かな灯火に揺れて現れたのは、岡場所の女たちを使い潰し、この荒野へ犬のように捨てにくる博徒の元締めと、その手下ども四人。見張りの目の隙間など、この吹きさらしの荒野にはいくらでもある。


半次郎は答えず、ただ懐から【 狂 風 木 枯 ら し 】を抜いた。刃紋すら浮かばぬよう黒染めされた漆黒の鉄片は、松明の灯火すら反射せず、夜の闇に完全に同化している。


「何だその鉄切れは。木っ端でも削る気か」


手下の一人が嘲笑いながら、腰の刀を乱暴に引き抜いた。その瞬間、半次郎の身体は、まるで狂風に背を押されたかのように、無音で間合いを詰めていた。


肉の裂ける鈍い音が、狂風木枯らしの咆哮にかき消される。


突き出された漆黒の平造りは、男の胸元を正確に、骨ごと貫いていた。悲鳴をあげる暇すら与えない。暗闇の中、半次郎の勘は完全に冴え渡っていた。


「貴様……何奴だ!」


元締めが顔色を衝撃に変え、抜刀して猛然と斬りかかってくる。しかし、半次郎の引き絞った殺気は、吹き荒れる風よりもさらに冷徹であった。半次郎の口元が、わずかに歪む。


「おめーさんのうしろに死神が透けて見えてらぁ」


ゆらぁ〜、と影が揺れる。


すれ違いざま。四角く、平たく、冷徹な刃が、元締めの喉元を真横に一文字に削ぎ落とした。


溢れ出た血は、一瞬で冷たい泥の中へと吸い込まれていく。後に残ったのは、人間の命など一顧だにせず、長屋の戸を鳴らし続ける風の音だけだった。


半次郎は【 狂 風 木 枯 らし 】を静かに漆黒の鞘へ収めた。吹き荒れる砂塵の中に、その背中はまたたく間に溶け、足音もなく消え去った。

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