【 三途天女 】高尾
【 三途天女 (さんずてんにょ) 】
た か お (高尾)
『時雨の檻』
降ったかと思えば不意に止み、冷たい飛沫が気まぐれに街を叩く、晩秋の【時雨】。通り雨が過ぎるたび、浅草寺裏の落ち葉は濡れそぼり、江戸八百八町から容赦なく体温が奪われていく。
その不安定な薄闇の底に、凍えるような立ち姿を見せる女がいた。
――花魁・高尾。
傾国の美貌の裏に、他者を寄せ付けない凛烈たる気高さを秘め、男を欺くことなど呼吸より容易い、海千山千の女傑だ。夜鷹たちがたむろする場末の辻で、高尾はただ一人、獲物を引きずり込む蜘蛛のように佇んでいた。
大呉服店の越後屋が羽衣天女を看板に掲げ、白粉の袋に天女の絵が踊るこの江戸の町で、高尾は男たちの現世の欲望を吸い尽くす、もう一つの「天女」であった。
彼女が懐に忍ばせるは、二尺に満たない名門山城伝の古刀。
極めて緻密にきらめく梨子地肌に、氷の一筋にも似た引き締まった直刃が冷たく走る。
――呪わしき漆黒の小太刀である。
ことの始まりは、日本橋の老舗大呉服店『越後屋』から、高尾の元へ持ち込まれた極秘の「裏仕事」だった。 越後屋の若旦那が博盗の罠に嵌まり、店の存続に関わる莫大な身代金――店の権利書と金塊を握られた。表沙汰になれば老舗の看板は地に落ちる。そこで主が頼ったのが、裏の世界で「三途天女」の異名を持つ高尾だった。高尾は花魁としての密会を装って賊の懐に飛び込み、その圧倒的な器量と油断を誘う指先で、見事に身代金を奪い返したのだ。
しかし、身代金を奪われたことに気づいた賊の残党が、吉原へ戻る高尾の退路を血眼で追跡していた。背後から近づく、濡れた草履が泥を噛む不穏な足音。高尾はその数を「四人」と踏んだ。
時雨の切れ間、濡れた長屋の隙間から現れたのは、抜身の打刀を突き出してきた数人の無頼漢どもだった。
「傾城が分不相応な鉄をぶら下げてなぁ、ここがお前の墓場になる寸法だ。身代金は俺たちがありがたく引き取る。ついでにその極上の身体、死なねえ程度にかわいがってやるよ」
男たちの視線には、大金への執着と、最高級の女を蹂躙したいという、浅ましい現世の情欲がぎらぎらと渦巻いていた。
高尾はただ無言で唇の端を吊り上げた。一斉に突っ込んでくる刃の群れに対し、高尾は身を翻すことすらせず、番傘を放り投げると同時に抜刀し、その巨躯の懐へと自ら滑り込む。
鋭い刃線が、時雨の湿った闇を斜めに横切った。山城伝の小太刀は、相手の太刀を根元からすり上げるように受け流し、電光石火の勢いで無頼漢たちを制圧していく。一瞬の交錯の後、男たちは悲鳴を絞り出す暇もなく、濡れた落ち葉の上へと崩れ落ちた。高尾は、逆さに握った刀身を構え、冷然と周囲を睨みつける。
恐怖に腰が抜けて泥にまみれて尻餅をついた最後の男の喉元へ、小太刀の鋭利な切っ先が、冷たく、容赦なく突きつけられた。
男が恐怖に目を見開いた刹那、高尾の手首が冷酷に沈んだ。
ドスッ、という重い肉声とともに、小太刀の刃が男の喉笛を深く、正確に刺し貫く。
高尾が刃を引き抜くと、男は泥を噛むように平伏し、二度と動かなくなった。
血の臭いをかき消すように、袂から漂う上等な白粉の甘い香りが、時雨の夜気に混ざり合う。高尾は冷徹な金属音とともに鞘の奥へと鋼を収めると、ただ一言、冷たく言い放った。
「大店の看板や白粉の包み紙にいるような天女なら、お前さんを天へ連れていってくれたんしょうが……あいにく私は『三途天女』。――冥土へ連れていってやりんしょう」




