【凶鳥百舌鳥】鳥 居 誠 一 郎
【 凶 鳥 百 舌 鳥 (きょうちょうもず) 】
鳥 居 誠 一 郎 (とりい せいいちろう)
夏の夜気はねっとりと肌にまとわりつき、割下水の濁った水面が、わずかな月光を鈍く跳ね返していた。 風は完全に死に絶え、逃げ場のない緊張感と重苦しい静寂が、漆黒に染まった路地の奥を支配している。
その闇の深淵に、微動だにせず佇む若い剣士がいた。 だらしなく乱れた髪の隙間から覗く頭部には、あるはずの耳が両方とも無惨に削ぎ落とされている。 さらに衣服の隙間から見える首筋や肌は、かつて熱湯を浴びせられたのか、酷く爛れて生々しい痕跡を晒していた。
しかし、その顔貌はどこまでも気高く、凛として美しい。 ただ、その双眸の奥にだけは、現世のあらゆる絶望を見てきたかのような、深い悲しみの色が滲んでいた。 この地獄のような裏社会で執拗に標的を追い詰め、確実に息の根を止める暗殺者。それこそが、鳥居誠一郎であった。
誠一郎が細い五指で、無造作に腰に差し込んでいるのは、一尺六寸の短い波打つ刀。 名を、【 凶鳥百舌鳥 】という。
美術的な優美さの裏に、獲物の息の根を最も確実に「抉り出す」ためだけに鍛え上げられた、無音の殺戮道具だ。
誠一郎の今夜の目的は、お上の重大な秘密が記された「裏帳簿」を奪い去った地回りの悪党どもを消し去り、その在処を突き止めることにあった。
静寂を破り、路地の奥から現れたのは、奪った裏帳簿を懐にしまい込み、血気に逸る地回りの男たちだった。 彼らが誰もいない袋小路へと足を踏み入れ、互いに不穏な分け前について囁き合おうとした、まさにその刹那であった。
影が滑り込むように、息を呑む間もなく男たちの背後へ回り込んだ誠一郎は、無音のまま得物を引き抜いていた。 相手に刃の冷たさを感じさせる暇すら与えず、猫を捕らえるように頭領の髪をひっ掴んで地べたへねじ伏せ、その首筋へ寸分の狂いもなく【 凶鳥百舌鳥 】の鋭利な刃を押し当てる。 突如として反撃の余地すら残さず自由を奪われ、完全に死線を突きつけられた男の頭領は、恐怖のあまり喉を鳴らして顔を歪めた。
「……言え。帳簿はどこへ隠した」
低く、しかし頭蓋に直接響くような、誠一郎の冷徹な声が響く。 刃がじわりと皮膚を裂く痛みに耐えかね、男は涙と泥にまみれながら、懐にある裏帳簿の在処を恐怖のままに吐き散らした。
すべてを聞き終えた誠一郎の悲しい目が、わずかに細められる。 用済みとなった男の喉笛に向けて、一尺六寸の波打つ刃が容赦なく、深く突き立てられた。 ごぼり、と喉の奥で肉声にならない音が漏れ、男は現世の悪夢から覚めるように息絶えた。
誠一郎は暗殺を遂げた男の懐から血に染まった裏帳簿を無造作に引き抜くと、刀身に付着した血脂を懐紙で美しく拭い去り、鋭い金属音を響かせて再び静かに鞘へと収めた。 両の耳を失った彼には、もはや己の放った冷酷な台詞すらも届かない。 それでも若き剣士は、目的の品を握りしめ、地べたに広がった赤黒い血の海を見下ろしがら、ぽつりと闇の底へ言葉を落とした。
「……百舌鳥の早贄のようにな。お前も、ここで干からびるまで静かに眠れ」




