第2話 忌み子とスラム
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〝忌み子〟
ユーリアには広く信じられている一つの伝承がある。
黒目黒髪は冥府の使いの印であり、その者は真の邪悪なのだと。
彼の者らは、人の心を見透かして惑わす。
目を合わせてはならぬ。声を聞いてはならぬ。
黒き者らには、人々は獲物にしか視えていない。人々の言葉は獲物の鳴き声にしか聴こえていない。
やつらは清廉な人々の心を喰らう化け物。
決して近付くことなかれ。関わることなかれ。
そんな伝承を語り継ぎながら、家の中で幼い子供をしつける際にも、親は言うのだ。
『黒い悪魔が来るよ』『頭からボリボリ食べられちゃうよ』と。
ただし、黒き者について語ること自体が忌み言葉であり、公の場でわざわざ語られることもない。
それでも黒目黒髪の者はユーリアの地に生まれて来る。稀に。時折。忘れた頃に。
そのほとんどは、遡った血縁に黒目黒髪の者がいただけの、ごくごく普通の赤子なのだが……残念ながら、残酷ながら、ユーリアでは静かに間引かれてしまうことも多いのだとか。
ただ、運よく生き延びた黒目黒髪の子もいる。
さりとて生き延びた当人にとっては、運がよかったと言えるかはまた別の話だ。
その生まれが王族ともなれば――特に。
◆◆◆
ザウレリアの街は、ユーリア系とバルアス系の住民で、大まかに居住地が分かれている。
もちろん、すべてがきっちりと分割されているわけでもないが……風習や常識の範疇については、当然にユーリア区域にはユーリアの、バルアス区域にはバルアスのものが浸透している。
つまり、〝忌み子〟のニールがユーリア区域を歩けば……ごく当たり前に、周囲から遠巻きに見られるというわけだ。
「(ははは。こういう〝いかにも〟な反応は久しぶり過ぎて、逆に新鮮な感じがするな)」
内心で苦笑を漏らしつつ、周囲からの忌避など意に介さずに、どこ吹く顔で街を行くニール。
ちなみに、バルアス区域であっても、そもそも黒目黒髪の者は珍しいため、多少の耳目を集めたりはする。
だが、仮面姿で〝死神〟などと呼ばれていた彼からすれば、もはやこの程度で気後れすることもない。
また、そもそもの話として、ニールは誰よりも知っている。〝忌み子〟の〝忌み子〟たる所以を。あからさまに排斥されても『まぁ仕方ない』という納得にも似た諦めがある。
「おい。あいつは……」
「止めとけ。下手に関わるな」
「し、しかしだな……本当に知らないだけじゃないのか?」
あまりにも堂々と歩く〝忌み子〟の姿に、周囲の者たちは遠巻きに見やりながら密かに騒めく。
一部の者などは、ニールがユーリアの忌み子伝承など知らぬ、まったく別地域の者じゃないかと疑うほどにだ。
「(……ふむ。どうやら、突然の忌み子に対しての嫌悪や恐怖はあるようだが、剥き出しの敵意や殺意までじゃない――か。ふっ、この辺りはまだ〝普通〟だな)」
もちろん、ニールにはニールの狙いがある。髪や瞳を隠さないままにユーリア系の区域を歩けば、周囲の者から忌避されることなど承知の上。それどころか、暴言を吐かれ、石を投げ付けられることすら想定の内にある。
本来であれば、多くの人々の談笑や売り手と買い手のやり取りで賑わう昼前の大通り。しかし、その日はニールの動きに合わせ、奇妙な沈黙の帳が移動するという有様。
「(やはり、〝澱み〟ってのはこういう表通りじゃないよな……はは)」
周囲の異変も気にした風もなく、ニールは通りを、ただただ歩く。
そして、その足は徐々に大通りを離れて行く。いわゆる裏路地へ……スラムへと向かう。大通りの真っ当な店では買い物ができない貧民や、脛に傷を持つゴロツキ連中がたむろする場所を目指す。
周りの民衆たちは揃って口を噤み、陽の光の下を闊歩する忌み子をただただ見送るだけ。
そうして、忌み子の後ろ姿が小さくなるにつれて、徐々に口を開いていく。疑問を吐き出しに掛かる。
「……なんだったんだ?」
「ここらじゃ見ない顔だったな。もしかしてバルアス系の移住者か?」
「忌み子の伝承を知らないだけ……か?」
「い、いや、流石に周りが普通じゃなかったのは分かるだろ? 通りで物を買う感じでもなかったし……」
それらの疑問に答える者はいない。ニールもわざわざ懇切丁寧に説明して回ってやるつもりなどない。答え合わせは誰にもできない。
そして、隙間なく石畳が敷かれた大通りから、舗装が剥がれ、土の色が剥き出しとなった路地へと差し掛かる頃には……彼はちらほらと捕捉するようになっていた。
「(お、分かり易いな。大通りを外れた途端にこれか。だが……この悪意は忌み子に対してか、それとも見知らぬ不審人物へなのか、はたまた俺を〝獲物〟だと見做しているのか……全部に心当たりがあるから厄介なところだな。はは)」
栄えあるザウレリアの街。新大公領の中心となる華やかなる領都。
しかしながら、光あるところには影も差す。
繁栄を謳歌する者らがいれば、貧困と理不尽に囚われる者らがどうしても出て来る。それもまた、多くの人々が集うことによって顕在化する、現実という名の避けられぬ歪み。
大通りを背に、細い路地をいくニールは気付いた。徐々に濃くなっていくソレに。
影へと一歩を踏み入れてからは、ますます雰囲気が変わっていく。
大通りにいる〝普通〟の人々とは違う。
路地の奥へ進むほど、悪意は一つ、また一つと増えていく。
まるで、獲物が自ら巣穴へ歩いて来るのを待ち構えているかのように。
バルアス側の〝澱み〟に身を潜めつつ、今のニールが目指すのは、ユーリア側の〝澱み〟。
◆◆◆
「なぁ、おふくろが病気で困ってんだ。薬を買うために、いくらか恵んじゃくれねぇか? きひ……きひひひ……ッ……!」
路地の奥へと向かう中、ニールは直接的な悪意の主に出会う。
「(一人……じゃないのか。こいつ自体はただのチンピラだが――)」
目の前の相手は想定の内ではあるが、目当ての相手というわけでもない。
見るからにゴロツキ。目の焦点も怪しく、ナイフを構えた手元もおぼつかない。
薬を買うためにと口にするが……彼が求める薬とやらは、どう考えても、病弱な母親には少々刺激が強いだろうと思わせるもの。
「ふぅ……そりゃバルアス側を見た以上、この街のスラムが酷い有様なのはなんとなく分かっていたが、ユーリア側はさらにか……まさに〝澱み〟だな」
がしがしと頭を掻きながら、想定していたよりも酷い状況にある、ユーリア側のスラムを思うニール。
「きひ……なぁいいだろ? そんな綺麗な身なりをしてるんだ、ちょっとくらい小遣いをくれても困りゃしないだろ?」
男はニールの反応などお構いなしに、手にしたナイフをこれ見よがしに、前へと突き出してくる。
ただし、二人の距離はまだ数歩分の距離があり、単に手を伸ばした程度では、まだまだ間合いの外でしかないが。
「あー……その、なんだ。悪いが、ただのチンピラ連中に用はないんだ。元締めとかがいるんなら、そっちに繋いでもらいたいんだが……どうだろう? 顔繫ぎをしてもらえるなら、お前らにもそれなりの対価を払うぞ?」
ニールは精一杯ナイフを突き付けてくる目の前のゴロツキを無視し、左斜め後方……それも建物の上階へと顔を向けながらそう語る。
「……」
二階の窓は閉じられているが、そこにはあきらかに人の気配が――ニールに向けられた悪意がある。
「二階の窓の向こうに二人。奥の角に一人。あと、後ろの路地にも二人――。元締めなり顔役なりへの繫ぎができないならこのまま引け。脅しだけなら流してもいいが……実際に手を出した後は、交渉の余地はないぞ?」
怒声によって圧を与えるわけでもなく、ニールは淡々と事実を羅列するかのように数えて見せた。彼にはすでに視えている。隠れ潜む者たちが。その悪意が。
その上で、手を出せば交渉の余地なしというのも、警告であると同時にただの事実でしかない。いうなれば、ニールは親切心から約束を口に出しただけ。
「きひ。おいおい、俺っちのことを無視しないでくれよぉ……なぁ……ッ!」
が、ニールの親切心はあっさり踏みにじられる。目の前にいた男が、微妙にふらつく足取りで向かって来た。手にしたナイフを振りかざしながら。
「なるほど。交渉する気はないってわけか」
その動きや殺意の強さを考えても、ナイフの男程度ではニールの脅威にはならない。
それでも――。
「ぁが……ッ……?」
男は認識できなかった。
突き出したナイフは何にも刺さらない。空振りだ。目の前にいたはずの黒髪の男が、急に消えた。少なくとも男はそう感じた。
そして、いつの間にか路地に倒れ伏している。もう息はない。
男は、自身が死んだことすら認識できなかった。
その様子を観察していた者たちにしてもそうだ。
客観的には、突き出されたナイフを躱し、すれ違いざまに、ニールが男の首筋に触れるか触れないか――そんな風にしか見えなかった。
結局のところ、潜んでいた者たちもどこか傍観者のまま。ナイフの男だけでなんとかなるだろうと、高を括っていたわけだ。
「ッ!? ロディ!! そっちへ行ったッ!」
「!?」
ニールは止まらない。チンピラのナイフを躱し、奥の角に向けて滑るように駆ける。
こうなった以上、あとは約束を果たすだけ。
「こ、この野郎ッ!!」
角を曲がり、そのまま迷いなく向かって来るニールに対して、潜んでいた若い男はその場に留まり、迎え撃つ姿勢を見せた。
腰に佩いていた剣を勢いよく引き抜く……ことはできない。それまで。
「ごォ……ッ……!?」
するりと間合いを詰めたニールは、引き抜かれようとする剣の柄を上から押さえ、そのまま逆の手で、胸の中心付近に軽く掌打を入れる。
瞬間、ばちりと魔力が走る。終わり。
走馬灯を観る間もなく、ロディと呼ばれた若い男は、そのまま仰向けに斃れた。
角を曲がったことにより、潜んでいた者らはその先で何が起こったかが見えなかったが……自分たちにとって、碌でもない結果になったのは確信する。ここでようやくに危機感を覚える。
二階の窓を蹴破るほどの勢いで開け放ち、待機していた二人が路地へと飛び降りて来る。
また、後ろの路地に潜んでいた二人も駆けて来ており、すかさずに合流した。
「お、おいッ! 聞いてないぞ!? あんなヤバい奴だと知っていれば手を出さなかった!!」
「そ、そうだ! なにが街を知らない新参の獲物だ!」
「う、うるさいうるさいッ! 今はそれどころじゃないでしょッ!?」
口々に喚く。数の優位が、そのまま自分たちの絶対の優位だと信じていたが……それらは何の保証にもならなかった。襲撃者たちは、自分たちが狩られる側だと気付く。気付いてしまった。
「ミ、ミヤッ! どうするんだ!? お前が言い出したんだろ!?」
その場のまとめ役らしき少女を詰める男。しかしながら、どうすると問いながらも、すでに男たちは抜ける気しかない。
「ち、違う! 私じゃない! 私だってこんな力尽くは嫌だったんだ! で、でも! アッシュさんに様子を見て来いって言われたから!」
「とにかく! お、俺たちは抜けるからな!」
「そ、そうだ! 俺たちはアッシュからの話なんて聞いちゃいない! ミヤが勝手にやったことだッ!」
三人の男は、ミヤと呼ばれた少女が悪いとばかりに擦り付ける。
「ちょ!? 待ちなさいよッ!」
たとえ顔馴染みや仲間であろうと、己の命には代えられない。付き合い切れない。
男たちは、振り返りもせずに走り去っていく。当然に〝狩人〟の反対側へと。
「……」
見放され、路地にただ一人残された少女も分かってはいた。力尽くで相手を留めることができない以上、結局は見送るしかない。それに、これが逆の立場であれば自分だって逃げていた。
が、今は逃げ出すわけにもいかない。スラムの顔役の一人に直々に頼まれてしまった。
もとより彼女の声掛けで人など集まらない。後ろ盾があるからこそ、逃げ出した連中も、すでに命を支払った者たちも、楽な小遣い稼ぎと見越して寄って来ていたのだ。
「うぅ……や、やればいいんでしょ……ッ!」
普段から短剣を持ち歩いてはいるが、決して荒事に慣れているというわけでもない。
そんなミヤは、微かに震える手を叱咤し、短剣を腰から逆手に引き抜く。引けた腰のままに周囲を警戒し、そろりそろりと路地の奥へと向かう。
「(……や、やっぱり死んでる……ッ!)」
危ないお薬を常用していたナイフの男の横を通る際、改めてミヤはその死を認識した。
外傷も特になく、ただ倒れているだけにしか見えない。それでも、確実に死んでいる。
「(……た、たまたま打ち所が悪くて……って話じゃない)」
ミヤには黒髪の男がなにをしたのか具体的には分からないが、この結果が意図されたものであるのは間違いようがない。
刃傷沙汰や暴力そのものは、スラムでは特に珍しくもない。
だが、そのほとんどが酔っ払いの揉め事か金絡みのトラブルに過ぎないのが実状。
死者が出ることもあるにはあるが、それは結果だ。最初から〝殺すためだけ〟に動く者など、そうはいない。
「(せ、せめて、ロディの確認だけでも……)」
角を曲がった先で、黒髪の男とロディが接触したのは確実。角の先に、男が待ち構えている可能性は高いが、それでもミヤは、なにもせずに逃げ出すわけにはいかない。なにかしらの情報を持ち帰らなければ、相手にされない。
静寂に包まれた路地裏。
そこに住んでいる者らも、誰も顔を出したりしない。窓を閉ざし一様に息を潜めている。
ただの暴行やカツアゲならともかく、殺しに発展するような揉め事となれば、巻き添えを恐れて野次馬も出ない。スラム区域に住む者らは、危機管理の線引きがはっきりしている。
「(う、うぅ……こ、怖い……!)」
なんの変哲もない路地裏の角。
そこまでの数歩でしかないのだが、ミヤの足はなかなか前に出ない。
その数歩は、まるで切り立った崖を渡るかのように遠く感じる。
視界が狭まる。鼓動が早くなる。
なにしろ、角の先には躊躇なく人を殺せる男がいる。いるかも知れない。
喉が渇く。肌がひりつく。
進むも戻るも碌でもない。
「(くぅ……ッ! ど、どうにでもなれッ!)」
しばしの停滞の後に、彼女は目を瞑り、半ば自棄になって角へと飛び出す。
勢いそのままに短剣を突き出す。
カッと目を見開く。
「ッ!?」
ミヤの視界に飛び込んできたのは、仰向けに、こちらに足を向けて倒れている男。ぴくりとも動かない。
スラムの顔馴染みである、ロディの変わり果てた姿があるのだが……それだけ。
他には誰もいない。黒髪の男の姿は見えない。角を曲がった先の路地も静まり返ったまま。
「……や、やっぱりロディも……」
顔馴染みが命を落としたのを目の当たりにしても、ミヤの胸の内には、怪物と対峙せずに済んだという安堵が過ぎる。
誰もいないことを、いなかったことをまず喜んでしまう。
「あ、あの男は……そのまま逃げた?」
――甘い。
ミヤの姿は見られている。
ミヤも視線を向けている。
「(お、案内役が残ったか)」
存在そのものが希薄。まるで幽鬼のように、路地の影に潜むのはニール。
その姿は、確かにミヤの視界にも映っていた。
それでも彼女は、そこに〝誰か〟がいるとは認識できなかった。
狩る者から狩られる者へ――そして、より大きな獲物への道標として。当の本人だけがそれを知らない。気付かない。
ニールは気配を消したままに、未だに怯えと警戒を纏うそんなスラムの少女を見やる。
「(さて……その〝アッシュ〟とやらが、ただの腕自慢のゴロツキなんかじゃなく、スラムでそれなりに顔が利く人物ならいいんだが……)」
内心でぼやきながらも、忌み子はユーリア区域の〝澱み〟の奥へと踏み込んでいく。
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