第3話 スラムの事情
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一口にスラムと言っても、そこに住む者らには多種多様な来歴がある。
皆が困窮し、皆が暴力や盗みに手を染めているわけでもない。
もちろん、他の地区に比べると、脛に傷を持つ者やよそから流れて来た無頼者は目立つ。貧困を理由に居ついた家族連れも多く、貧民の巣窟というのも概ね事実だ。
だが、単に水が合うという理由で住み着いた者や、昔から住んでおり、周りが勝手にスラム地区になっていっただけという者さえいる。
様々な人々が、それぞれの事情を抱えながらも、身を寄せ合って暮らしているというのは、他の地区と変わりはしない。
違いがあるとすれば、それは官憲の目が少々遠いところか。
スラム地区での暴行や盗み程度では、警邏隊も動かない。正規の法による統制は弱い。
だからこそ、スラムでは自治と自警が進む。
犯罪組織が他者を寄せ付けないために、ゴロツキどもに自警団の真似事をさせることもあるが、住民たちがお互いに助け合うために組織された自治会もある。
ただし、それらの組織に強固な結束があるかと言えばそうでもない。離合集散な節もある上、構成員が重複しているのもざらだ。
なにはともあれ、スラムでの人の繋がりというのは、思いの外に複雑に絡み合っている。その結果として、よそ者や新参者は特段に目立つわけだ。
「(……人の営みやその構造ってのは、場所が変わってもあんまり変わらないと思うんだが……)」
ニールは経験として知っていた。人が集まり、法の目が届きにくくなれば……おのずとその姿は、どこの街でも似通っていくことを。
だからこそ、彼は堂々と己の姿を晒したのだ。忌み子伝承が浸透している、ユーリアに所縁のある地では効果覿面だとして。
気負いもなく、慣れた様子で彼は仕掛けていた。すでにユーリア北部で実証済みとなったやり口を。
しかしながら、僅かに違和感を覚えている。
息が上がりながらも、足早に、それでいて頻回に後ろを振り返りながら路地を歩く少女――ミヤを、距離を置いて静かに追跡する。
何度となく、ミヤの視界にニールは映り込んでいるのだが、肝心の当人はソレを人だと認識できない。生物としての気配を丸ごと断つ隠形の技。するりするりと網からこぼれ落ちるかのように、彼女の意識はニールの姿を捕らえられない。
「はぁ、はぁ、はぁ……と、とにかく、アッシュさんに報告しないと……」
路地にたむろする者や窓から顔を出す者らの中には、普段のミヤを知る者も多いが、今は誰も触れない。声を掛けたり、呼び止めたりもしない。
彼女の必死の形相を見て、なんらかのトラブルに見舞われているのがあきらかだから。
「(ん-……禁制のお薬が出回っている割には、住民たちはやけに〝お利口さん〟だな。建物や設備は古いが、そこまで街も汚れちゃいないし……むしろあのナイフの薬物中毒者が、ここらじゃ珍しいタイプだったとか?)」
案内役のミヤを追うだけに留まらず、ニールは周囲の様子もつぶさに観察していた。
知り合いを見かけると、深く考えずいきなり声を掛ける者はどこにでもいるが……今のところ、このユーリア区域のスラムにおいては、足早に歩くミヤに声を掛ける者はいない。進行を妨げることもない。
周囲は敢えて目を伏せ口を噤む。そんな素ぶりが見え隠れする。
巻き添えを恐れてか、それとも必死なミヤを慮ってかは分からないが、ニールにはその様子が少々物珍しく映る。
違法な薬物が蔓延するほどに荒れたスラムであれば、人同士の繋がりも渇いていくのだが……この地はまだ繋がりを維持しているように見える。
ただ、先のチンピラの一人が、あきらかに重度の薬物中毒者だったのも事実。
「(この女や先に逃げたチンピラたちも、裏社会の者というにはあまりにも動きが素人臭い……どうにもチグハグな感じだな)」
周囲の人々や街の様子を眺めるほどにニールの違和感は増す。それらは、バルアス側のスラムには感じなかったモノだ。
特にミヤたちの動きは、とてもじゃないが、裏社会を牛耳るような組織の一員には見えない。使い走り以下。
「(ま、どうであれ今は、せいぜい〝大物〟に行き着くのを祈るだけか……この分だと、あまり期待できなさそうだが……)」
内心でぼやくニールに過度の期待はない。そもそも彼は、希望的観測だけで結果を求めたりしない。
現実が辛辣で理不尽なのは……身に沁みて理解している。
◆◆◆
望まないままに、知る由もないままに、道案内役を課せられてた赤毛のミヤ。
彼女が辿り着いたのは、ユーリア居住区のスラムの一画に違いはないのだが……どちらかと言えば、一般居住区にほど近い場所だった。
一つ通りを超えれば、いわゆる〝普通〟のエリアへと通じる場所だ。
そんなエリアにある、なんらかの集会場として使われていそうな建造物。
外に見張りはいないが、ミヤが扉を開けた際、隙間から二人の男が見えた。誰かしらは控えている模様。
ここが彼女にとっての当座の目的地なのは間違いないが、ニールからすれば、建物に入っていくミヤを見送るしかない。
いかに気配を消せても、人の集った室内に踏み込めば流石に見つかる。
今はまだ、力尽くの強襲をする段階でもない。
建物の周囲を見て、室内の様子を窺える場所を探す。必要最低限として、話の内容さえ聞き取れればいいと割り切る。
「……ロディとエイスが殺された上に、例の忌み子には逃げられたと?」
建物の裏手へと回ったニールは、気配を消したまま、そっと壁に手を付く。静かに魔力を掌に集中する。
建物内部の微細な振動を感知し、それらを音として再構築するという……まさに諜報用の魔法を発動し、彼は内部の声を拾う。
「は、はい。エ、エイスが脅しだけなら俺一人で十分だと言っていたんですが、い、いきなり仕掛けて……その、返り討ちに遭いました。し、しかも、隠れていた私たちのことも把握されていたみたいで……ロ、ロディも……その……」
恐る恐るという声。魔法による再構築を経ているため、ニールには多少声色が違って聴こえるが、内容からして、ミヤが上役に経緯を報告している場面であるのはほぼ間違いない。
「(ふむ。人の気配は……六つか。思っていたより少ないな。外に見張りを置いているわけでもないし……魔力持ちもいないな。これは素人臭いんじゃなくて、本当に素人の集まりか? あー……住民たちが小遣い稼ぎでやっている、組織からの下請け仕事とかか?)」
ほんの僅かな接点によって、ニールの違和感は徐々に収束していく。あきらかに隙だらけ。個人の動きも、集団としての気構えも。
裏社会を牛耳る組織が、スラムの住民をコントロールするために、簡単な仕事を斡旋して小銭をばらまくというやり方もニールは耳にしたことがある。今回の件はそれに近しいモノじゃないかと当たりを付ける。
「あのエイスはともかくとして、ロディまでもが……くっ! 連中が幅を利かせるようになってから、人死にが多過ぎる……ッ!」
報告を受けている側と思しき声。その声には苦悩の色が滲む。
「で、でも……あの人たちに従うと決めたのは、ア、アッシュさんじゃないですか……ッ! こ、こんなことになるのが分かってたら……!」
一方、恐れを滲ませながらも、相手を糾弾する構えのミヤ。
「なにを勝手なことを! この件はアッシュだけで決めたことじゃないだろう!? ミヤたち若年組だって、結局は賛成しただろうが!!」
「今さら〝自分は違う〟なんてのは通じんぞ!」
「そもそも連中に逆らったやつらがどうなったか……知らぬわけでもなかろうにッ!」
また別の声たち。どうやら建物の中にいる者たちは、皆が現状に不満を持っているようだが、その中でもさらに意見の相違がある様子。
「で、でも! あ、あの人たちが薬や金をばらまいた所為で……ッ! 最近じゃ禁制の魔道具とかも流れて来てる! 武装した見かけないやつらが皆を見張ってたりもするしッ! あ、あきらかにおかしいでしょッ!?」
必死に訴えるミヤ。すでに、見慣れない忌み子にちょっかいを出し、二人が返り討ちに遭ったという話ではなくなっている。
それでもニールは意に介さず、作業として淡々と声を拾う。
この連中が素人集団なのはほぼ間違いない。また、明確な目的に向けての序列や強固な結束、連帯があるわけでもない。
漏れ聞こえてくる話から察するに、彼らはもともと自警団や自治会のような集まりだったのだろう。
そこへある時からスラムに介入してきた連中が、金と仕事、違法な薬などで住民たちを取り込みはじめた――そんな事情、経緯が浮かんでくる。
「(なるほど。もともとスラムに根付いてた犯罪組織も、その新参の連中に喰われて取り込まれた――ってところか? あの薬物中毒者や逃げたチンピラたちが、かつての組織の名残かもな)」
ユーリア区域のスラムで起きた争いにより、これまでの古い組織が駆逐され、新しい組織が台頭してきた。しかも、その新しい連中はスラムを通じて、街に違法な薬や禁制の魔道具を流通させはじめている模様。
臭い。臭わないはずがない。
「(既存の組織を食い破り、その上で薬と金をばら撒く……か。やり口がユーリアの諜報部隊に似ているな。もしかすると大公領絡みで、本当に連中が出張って来ているのか?)」
ニールはユーリア王国が絶対の正義だと信奉しているわけもない。
後ろ暗い工作、汚い手段、目を覆うような残虐行為――必要とあれば、効率的であれば、ユーリアは平然と仕掛ける。言うまでもなくバルアス側も同じくだ。
戦となれば敵と味方に別れるが、結局は似たり寄ったりでしかない。
それらの事実を前に、思わず心が軋んでしまう段階は……ニールはとうの昔に通り過ぎてしまった。
「(どうであれ今の俺はザウレリア大公の直属。強硬派に与する連中が相手なら、同胞殺しでも大義名分は立つ。それに、最終的な尻拭いは〝殿下〟に任せりゃいいわけだしな)」
宮中政治での暗闘や貴族社会での立ち振る舞いには、どうしても苦手意識が先行してしまうが、物理的に殺し殺される戦場であれば、たとえそこが街中の一画であっても、ニールにとっては庭のようなもの。
すでに建物に集っている連中への興味は失せつつあった。彼の中では、どの程度を間引くかという冷酷な計算が動き出している。
相手が仮にユーリアの諜報部隊――郷里を共にする同胞のユーリア人であろうと、敵であれば排除するというだけ。そこに迷いや忖度はない。
むしろニールは、同胞であるはずのユーリア人にこそ、忌み子であるという理由で迫害されてきたのだ。同胞への期待値はもとより低い。
「(――さて。これ以上は必要なさそうだな)」
未だにわーわーと仲間内で揉めている連中に見切りをつけて切り上げる。
ユーリア区域のスラムでは、外部勢力によって勢力図が塗り替えられつつある――ニールとしては、この情報を得られただけで十分。
必然的に、次の動きも決まってくる。標的も分かり易い。
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