第1話 ニール
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ユーリアの王子とバルアスの姫君。
双方がザウレリアの都へと到着し、心温まる両者の顔合わせが終わって間がない頃。
婚礼とその後の式典に向け、《《お偉い様方》》が慌ただしく動く中、街には真偽不明な噂が駆け巡る。
「ユーリアは即座に戦の続きを望んでいるらしい。大公領を切り崩すために、まずはユーリアが先手を切るんじゃないか?」
「いや、どちらの国でも、今は穏健派の方が多いと聞いたぞ」
「バルアスの姫様には、幼い頃から将来を誓った御相手がいたんだとか」
「ユーリアの王子は王宮内で浮名を流し、お手付きになった婦女子も多く、各方面から恨みと嫉妬を買ってるらしいぞ」
「そういえば、バルアスの姫様は大公領を乗っ取る勢いで手勢を引き連れて来たらしいぞ。下手をすれば、領主館はバルアスの官吏で埋まるんじゃないか?」
「バルアスには姫様の熱烈な信奉者までいるらしく、いかに名目だけであっても、ユーリアの王子が夫となるのが許せず、本気で阻止しようとする輩もいるんだとか」
「はぁ? 政治云々じゃなくて恋慕や嫉妬でか? はは、こりゃモテる御方にも苦労がありそうだな」
「まぁ恋慕や嫉妬はともかくとして……それでも、新大公夫妻の暗殺騒動ってのは、いずれ普通に起きるさ。早速に、婚礼の式典を狙ってどうのこうの……なんて話も漏れ聞こえて来るしな」
安酒を出す酒場での、酔客たちの気ままな噂話。
誰も彼もがユーリアやバルアス、王子様や王女様を話題に上げるが、真剣に討論するような者らはいない。
あくまで無責任な噂話を肴にして酒を飲んでいるだけのこと。
内心に先行きの不安があろうが、皆は分かっている。
『どうせお偉いさん方の都合で振り回されるだけ』
なにしろ、このザウレリアという街の領有権は、これまでもユーリアとバルアスの間で行き来を繰り返していたのだ。
仮に新たな大公夫妻が暗殺されたところで、これまでと同じで頭がすげ替わるだけ。
街の管理者が変わること自体は、街の者らも慣れている。日々の生活が大きく変わらなければそれでよしという具合だ。
なるようにしかならないという図太さと、ある種の諦念が入り交じった空気が、街と住民たちの間に漂っていた。
「しかし、まぁなんだ……どうせまた戦がはじまるにしても……しばらくは勘弁して欲しいもんだぜ」
「……そりゃな。なんなら、いちいち下々の者を巻き込まず、いっそユーリアとバルアスの王様同士が一騎打ちでもして決着を付けて欲しいもんだ」
「はは! 違ぇねぇ!」
それでも、民衆の間には『戦は懲り懲りだ』という厭戦気運も根強い。表面上では強がっていても、心の底では平和を諦められない者も多いのだ。
「……」
そんな話で盛り上がる酔客を背に、酒場のカウンターにひっそりと座る一人の青年がいる。
この地では少々珍しい黒い髪に黒い瞳。ぼんやりとカウンターを眺めながら、背を丸め、グラスに注がれた酒にちびちびと口を付けていた。
安酒を出す雑多な酒場にも慣れている雰囲気ではあるが、それでいて街では見ない顔。カウンターの端に座り、いかにも新参のよそ者という香りも醸し出している。
「よぅ。この辺じゃ見ない顔だが……移住目当てか?」
騒ぐ常連たちを後目に、酒場の店主がカウンターの向こう側から声を掛ける。それ自体は、なにも当の青年が特別でもない。
見たこともない新参の客を警戒するのは、安酒場の店主としてはごく当たり前の自衛だ。
「まぁ……そんなところかな。ちなみに、店主は〝バルアス〟側か?」
「ん? あぁそうだ。元々はバルアスから流れて来た身だ。あえてバルアスを問うってことは、お前さんはユーリアか? わざわざバルアス区域に足を運ぶとはな」
『お前のルーツはバルアスかユーリアか』
それはザウレリアの街では挨拶のような文言。時に差別と排斥に繋がったりもするが、この街では、初対面であえてルーツに踏み込むのは、ある種のマナーのようにもなっている。
その問い掛けで激昂するような者もいたが、今ではすっかり減ってしまったのだとか。
そもそも大まかに居住地まで分けられているのだ。ルーツを明かすというのは、下手に争いに発展しないように、お互いが自制するという意味合いすらある。両国の人々が暮らす、このザウレリアだからこそのマナー。
「ああ、俺は生まれも育ちもユーリアさ。バルアスの店主には分からないかも知れないが……実のところ、この黒髪と黒い瞳は、ユーリアでは不吉の象徴とされていてね。いわゆる〝忌み子〟ってやつさ。迷信なんだろうが、一部地域では特に深く信じられてるから始末が悪い。俺にとってユーリア王国は暮らしにくい場所だったよ」
黒髪の青年はグラスを傾けながら自嘲気味に笑う。差別と排斥は、なにも出身国だけに限らないと漏らす。
「そうか。んー……確かに、以前にもそんな話を聞いた気もするな。ユーリアではそんな迷信が本気で信じられているのか?」
「はは。迷信ってのは、そのまま世迷言だからな。ま、大昔にユーリアで、黒髪を持つ人物なり一族なりが大暴れでもしたんだろうさ。迷信のはじまりなんて、所詮はそんなもんだろ」
青年はあっけらかんと笑うが、グラスを傾ける手が一瞬止まる。その黒い瞳の奥が微かに揺れる。
「ふん。ま、理不尽な言い掛かりなんてのは、世の中には掃いて捨てるほどにあらぁな。あー……これは興味本位で聞いていいのか分からないが……黒髪と黒目が駄目ってんなら、お前さんの親兄弟も苦労したんじゃないのか? ザウレリアへの移住は身一つでか?」
共感を示しつつ、酒場の店主はさり気なく探る。目の前の男が独り者であるか、家族連れであるかを。
「ふっ。俺の厄介なところは、両親のどちらも、なんなら親戚縁者にしても、皆が黒髪でも黒目でもないってところさ。突然、俺みたいなのが生まれたらしくてな――はは。だからこそ、こうして一人で新天地を求めたってわけさ」
黒髪の青年は軽い笑みを交えて語る。決して軽くはないだろう自身の身の上を。来歴を。
彼も承知の上だ。このような場での振る舞い方というものを。安酒場に現れた新参者が、店主や周りから警戒されるのは当然のこと。ある程度の身の上を語るのは、通過儀礼のようなものだ。
また、そんな初回の通過儀礼を無視してしまえば……この酒場付近で馴染むことができない。挽回はさらに難しくなる。
街に溶け込むことを望む青年にとっては、どうであれ、まずはこの酒場の店主に受け入れてもらわねば話にならない。
「――すまんな。立ち入ったことまで聞いちまったようだ」
「構わないさ。この揉め事の起きそうな大公領に、わざわざ独り身で移住を希望するやつが怪しいってのは承知している。しかも、新参のユーリア人がバルアス側に現れたとなればなおのことだ。――ま、というわけで、俺はしばらく宿暮らしになるんだが……長期で泊まれる宿があれば教えてくれないか? あー……もちろんバルアス側でだ」
そう言いながら、ぱちりと硬貨をカウンターに乗せる青年。安酒が数杯は飲めるだけの額だ。それなりに勝手を知ったるもの。情報というモノは決して無料じゃない。
「……ふん。そういうことなら、うちの二階にも宿用の部屋がある。髪が黒かろうが紫だろうが、こっちとしてはどうでもいいしな。見ての通り夕方からは酔客どもで騒がしいんだが……それでもいいってんなら貸してやらんでもない。あぁ、悪いが女の連れ込みは禁止だ」
店主も青年の語りのすべてを信じるわけではないが、ひとまず、〝作法〟を知っているというだけでも、及第点だと判断した。
まずはお前が何者なのかを明かせ。
情報が欲しいなら対価を払え。
それは暗黙の了解。スラムにほど近い、ガラの悪い連中がたむろする安酒場では第一に求められるモノ。
「はは。どうにも娼館のお姉様方は苦手なんだ。それに、俺は小柄で嫋やかな乙女が好みだし、どちらかと言えば、事に至るまでの雰囲気を重視するタイプでね。そういう点からすれば、この宿じゃ色々と台無しになる。ま、女の連れ込み云々は安心してくれ」
「……ふん。ぬかしやがるぜ」
軽口を叩く黒髪の青年。安酒場の宿に泊まるのも、店主のような人物とやり取りするにしても、どこか場慣れした空気を纏う。
「あぁそうだ。長期というなら、宿の代金は半月分を前払いだ。もし半月以内に出て行くにしても、前払い分の返金はない。それでいいか?」
「問題ない。俺の方も宿を空けることがあるだろうけど、次の半月までには戻って来て払うようにするよ。もし戻って来なけれりゃ……どこぞで野垂れ死んだと思ってくれていい。部屋に私物が残ってたら適当に処分してくれ」
「よし。じゃあ契約成立だな。うるさい客どもがはけたら、あとで案内してやる。それまでは酒を飲んで待っててくれや。――ああ、それと名を聞いておこうか」
さくさくと話が進む。まずは宿を確保する、移住希望という黒髪の青年。
「ん? あぁ、そういえばまだ名乗ってなかったか。俺は――〝ニール〟だ。ユーリアでは〝忌み子〟だの〝蛮族〟だのとあれこれと言われていたもんだ」
「ニールか。まぁよろしく頼むぜ。金払いがある内は客として扱ってやるよ」
黒髪黒目。特徴のない顔立ちをした、ニールと名乗った青年。
安酒場の店主は当然に知らない。
その名は、とあるやんごとなき人物が、世を忍ぶために使う仮の名の一つであることを。
◆◆◆
すえた臭いが染みついた部屋。安酒場の二階にある、まさに安宿の一室だ。
子供用かと思えるほどに小さなベッドに、申し訳程度の衣装棚。狭いながらも、小ぶりな机と椅子が置いてあり、これまた申し訳程度の小さなソファも備えられている。
宿の部屋として、一応の体裁が整えられているのだが……そこが快適な空間かと問われれば否だ。
「女の連れ込みはなしだとか言ってたけど……そもそも狭くて連れ込めないだろうにな、はは」
まさにお一人様用という部屋であり、その上でお世辞にも衛生的とは言えない。
それでも〝ニール〟は、その足がはみ出そうなベッドに遠慮なく寝転がりながらぼやいて見せる。特に気もしていない。
雪深い峡谷、鬱蒼とした森林地帯、泥に塗れた枯れかけの湖、切り立った崖の中腹……そんな場所を転々とする、いわゆる戦場暮らしが長い彼からすれば、ベッドの形を成しているだけで必要十分というところ。
むしろ、大公の私邸に用意されるような〝普通〟の寝床では、逆に落ち着いて休めないほどだった。
そんな風に、どこか生き生きとした姿を晒して寝転がる彼を見下ろす人影が一つ。
「……〝モルス〟様。本当にこのような場所でよろしいのですか?」
声の主は、黒いローブコートを身に纏う若い女。店主の言い付けを早速に破っていた。
「ん? むしろ、このような場所だからいいんだ。人々の営みってのは、別に戦場でも街中でも変わらん。長く続けばどうしたって澱む。上澄みの警戒はそっちに任せるが、俺は俺で、しばらくこの澱んだ底辺で動くとするさ。突発的な暴挙ってのは、こういう所から起こるのが常だしな」
薄汚い天井を見やりながら、ニールことモルスは語る。
整然とした計画を立て、大公夫妻の暗殺を実行しようとする連中は、血を求めるその性分や動機はともかくも、そこそこに〝上澄み〟。
無計画に、無秩序に、突発的な暴挙に打って出るのは、決まって〝澱み〟に属する底辺層だ。
その暴挙は杜撰であり、決して成功率は高くはないが、計画と秩序がない分、先行きが読みにくくなる。
だからこそ、モルスはニールとして澱んだ底辺層に身を置くのだと。
「あと、〝澱み〟にいる連中は厄介だが、ある意味では扱い易いからな。目先の小銭で動く者から、適当な夢を見せるだけで乗って来る者まで……はは」
そう続けるモルスから、渇いた笑いが漏れる。実際に彼は見て来た。今日の食事代で人を殺す者たちを。虚飾に彩られた希望に縋るしかない、絶望の淵にいる者たちを。
「……」
フードの女――〝レイリー王子〟直属の護衛である名無しに応じる言葉はない。なにも答えられない。彼女自身が〝上澄み〟に属する者だから。
「ま、俺のことはしばらく放っておいてくれ。適当に情報を探り、必要に応じて暗殺計画に加担してる連中を間引く。婚礼の式典を狙ってるのは、上澄み側としては政治的な牽制程度だろうが、もしかすると実行役たちは、本気で大公領の未来を憂いて動いているかも知れん。〝殿下〟は気にするほどじゃないと言われていたが……金じゃなく、理想に殉じるほどに煮詰まった狂信者というのは――危うい」
モルスの黒い黒い瞳が剣呑な光を帯びる。
政治的な立ち回りについては、ディランに丸投げした上で、その経過や結果について心配などしていない。
なにしろ〝上澄み〟にいる者たちには理屈が通じるから。保身込みで、一定のルールを守ろうとするから。
「……そこまでですか? モルス様が自ら動くほどに?」
ジェーンが問う。彼女としてはレイリー王子と同じ。スラムのごろつき、底辺層の民衆らが寄り集まったところで、そこまでの脅威になるとは考えていなかった。
「ああ。むしろ殿下の陣営の中では、俺しか動ける者がいない。ジェーンたち近衛衆にこういうのは無理だろ?」
「……」
微妙に齟齬がある。ジェーンが問うたのは、危険や脅威度の話なのだが、スラムに潜伏できるか否かの返答にすり替わる。
すでにモルスの中では問答無用。危険や脅威度について議論の余地などない。
彼が危険視するのは、単純な利害や権力欲などでは推し量れない者たちだ。理想に殉じる者たちには、往々にして理屈が通じない。理想に反する言葉は聞き入れない。
その上で、損得勘定や己の命ですら埒外として動く。
そういう連中の動きを、理屈だけで読み解くのは至難の業。モルスは机上の計算ではなく、直接的な接触こそが鍵になると考えている。
「……承知いたしました。私どもは引き続き〝レイリー殿下〟の守護に専念いたします」
流石にジェーンも引く。モルスの考えが変わらないのを理解した。
「あぁ、よろしく頼むよ。あと、念のために俺と体格の似たやつに仮面とローブコートを着せて偽装しといてくれ。ま、婚礼の儀まで、わざわざバルアス側と接触することもないだろうけどな」
「そちらも承知しました。ジョンとキースに、代わる代わる〝モルス〟様を演じるように手配しておきます」
レイリー王子とモルス、そしてニール。三つの名と立場。
本来の王子としての名と役割は影であるディランに託した。
モルスという名の〝死神〟は記号、象徴として活用させてもらう。
スラムに潜伏するニールという青年については、まだ知られていない。
特にバルアス側はその存在を認識すらしていない。ユーリア側においても、近しい関係者しか知らない。
自由なる存在。
誰にも知られぬ名を携え、街の〝澱み〟へ。
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