第2話 姫君と王子様
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ユーリア王国とバルアス王国。
隣り合う国同士。一応の国境はあるものの、長らく続く戦の中で、一時的な勝った負けたの講和による休戦にて、その国境は揺れ動いていた。
国境沿いの街などは、ある時はユーリア、またある時はバルアスという具合に、その所有権が行き来するという有様。
故にか、どちらの国からも入植者がおり、戦の加減によって「お、次はバルアスか?」「明日からはユーリアだな」などという風に、そこに住む者らは、どちらの国に対しても帰属意識が薄くなってしまったのだとか。
そして、またしても両国の間で休戦協定が結ばれる。
これまでの情勢としてはユーリアが優勢だったものの、先だっての大きな戦にて、バルアスの勇猛な姫君率いる部隊が、ユーリアの王太子の至近に迫ったことにより、ユーリア側はあっさりと白旗を上げた。いや、ユーリア側というより、王太子が我が身を守るためにか。
当然にユーリア側の将兵からは不満の声が噴出したのだが……民衆の戦疲れもあり、世論は休戦へと傾く。また、先の戦に勝ちはしたものの、バルアス側の国内情勢にしても、これ以上大きな戦を続ける体力が残っていなかった。
諸々の調整の結果、両国の間でふらふらと所有権が移ろう国境線沿いの街などをまとめて大公領とし、両国の緩衝地帯とすることが決まる。
大公領は独立した領土という形ではあるが、実質はユーリアとバルアスの共同統治という形だ。
ユーリアからはレイリー王子が、バルアスからはルーシア王女が、それぞれに選ばれ、二人の婚姻によってザウレリア大公領が新たに発足することに。
ただし、皆が知っていた。
ザウレリア大公領など、ほんの一時の淡く儚い泡沫に過ぎないことは。
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「バルアスのルーシア王女。まさに噂に違わぬ美姫であらせられる。いや、この場合は噂の方こそが過小。貴女の麗しさを前にすれば、夜空を照らす月ですら雲に隠れ、花も恥じらいその蕾を閉じるでしょう」
歯の浮くような美辞麗句を並べるのは青年――やんごとなき貴人。
また、相手を褒め称えながらも、当人も美丈夫と呼ばれるに相応しい立ち姿だ。
「ありきたりで捻りのない世辞ではありますが、今は当たり障りのない言動が求められているのは私も承知しております。まずは素直にその賛美を受け取っておきましょう。ユーリアのレイリー王子」
応じるのは年若い姫君。
陽の光を弾くように煌めく銀色の長い髪。
薄い紫と燃えるような紅という異色の双眸。
まるで女神が人の理想を願って作り上げたかのような顔立ち。
女性の平均を大きく超えた身の丈に、しなやかですらりとした肢体。
閉月羞花。
まさに〝レイリー王子〟が語ったように、絶世の美姫と呼んでなんら問題にならない乙女。どこぞの誰かが語った、オーガのような厳しい女ではなかったわけだ。
ただし、今現在において彼女の、ルーシア王女のその美貌は十全でないのも確か。
随分と下方に修正が入っている。誰あろう彼女の意思で。
まず、その装いは煌びやかなドレスなどではない。
礼服ではあるものの、ルーシアが身に纏うのは紛うことなき軍装。流石に剣や鎧は帯びていないが、それは戦場を征く者の装束であり、レイリー王子と同じく着せられてはいない。身に馴染んだ装いだ。
その上で彼女の異色の眼光は鋭く、表情は硬く険しい。まさに敵を見やる様。
放った言葉にもありありとした棘が含まれている。
どこか作ったようではあるが、柔和な笑顔を浮かべるレイリー王子とはまるで対照的だった。
「ふっ。この婚姻に思うところがおありでしょうが、それは私とてです。ですが、まずは休戦の象徴たる新大公領の発足と、両国の王族同士の婚姻を祝うべきでしょう」
〝レイリー王子〟は丁寧な物言いだったが、その物言いこそがバルアス側を刺激する。
「いけしゃあしゃあとよくも……」
「北部戦線の……〝辺境の死神〟を……ッ!」
「なぜにやつが……王宮に近しいなどという情報はなかったはず」
上位者同士の会談ということもあり、控えている者らの声こそ小さいが、場はにわかに騒めいている。主にルーシア姫に仕える者たちの間で。
「確かに貴殿の言い分はもっともだが、我らの態度が硬いのは、他でもなく貴殿らに原因があると知って欲しいものだ。バルアスとユーリアの両国にとって、この度の婚姻と新大公領の発足はあくまで〝平和的な措置〟だったはず。……何故にその男がここにいるのか?」
一段低くなった声。姫君の視線が動く。彼女の後ろに控える、同じような軍装で身を包んだ者たちの視線も。いや、むしろルーシアに付き従う者たちは、はじめから目の前の王子よりも件の人物への警戒と不審の方が強かった。
「これは異なことをおっしゃる。ルーシア姫とて、警護の人員を引き連れておられるでしょうに……彼は私の身辺警護の責任者にして善き友ですよ?」
貼り付けたような微笑みを崩さず、〝レイリー王子〟は語る。ルーシアたちが目の敵とする者を軽く紹介する。
「……なるほど。つまりユーリアは戦争の続きをしたいと?」
「ふっ。侍従なり文官という体で、自らの近衛隊を丸ごと引き連れて来た姫にそのようなことを言われる筋合いはありませんね。貴殿らバルアスこそ、大公領での戦を望んでいるのでは?」
数の上ではバルアス側が――ルーシア王女が引き連れてきた人員の方が多い。だが、そもそも大公領の領土は両国の国境沿いで設定されたが、領都となるのは、直近ではユーリア王国に属していた街。
つまり、バルアス側が警戒するのは当然の話であり、姫君が戦える人員を引き連れて来るのも想定の内だ。
一方のルーシア王女とて、ユーリアの王子が護衛を連れて来るのは承知していたが……まさか、辺境の地で同胞を殺して回っていた、悪名が知られる憎々しい相手を連れて来るとは思っていなかった。
「……確かに、お互いに護衛を引き連れているという事実は同じ。言葉が過ぎたことは詫びましょう」
一つ深呼吸をして、ルーシアは謝罪を口にする。ただし、その眼光は未だにレイリー王子の後方へと向けられたまま。
「ルーシア姫の謝罪を受け取りました。同時に、こちらも言葉が過ぎたことを謝罪いたします」
さらりと流し、流麗に頭を下げるレイリー王子。彼にとっては、バルアス側の反応は上々なもの。
「(……ディランめ。なにが護衛だ。はじめからコレが狙いだったのか……ッ! くそ、考えれば当たり前の話だ。なにを馬鹿正直に俺は……!)」
王子様と王女様がバチバチにやり合っている間、ユーリア側の仮面を装着したフードの男――本物は、自分の馬鹿馬鹿しさにようやく気付く。
彼はあまりにも仮面での生活が長かったのと、あまりにも貴族的なやり取りから離れてしまっていた。ある意味では好き勝手にできる、辺境の孤独なる戦地暮らしに馴染み過ぎていた。
新天地へと赴くなら仮面など外せばよかったのだ。なにもわざわざ、バルアス側の憎悪を浴びる装いを続ける必要などなかった。
しかしながら、冷静に考えると〝レイリー王子〟としては有用な手ではある。なにしろ、そこに立っているだけで、バルアスの敵意を勝手に集めてくれるのだから。
「(そりゃ確かに、戦に関与していない名しか知られていない王子様なんぞより、実際に戦地で殺し殺された相手の方が憎いわな。くそ……確かバルアスの連中は俺のことを〝辺境の死神〟なんて風に呼んでたな。ふむ……どうせなら、いっそそのままモルスと名乗ってやろうか?)」
あっさりとディランの手の平で踊らされたレイリーだが、彼は彼で、バルアス側の敵意の引き付け役を受け入れた。
なんだかんだと言いながらも、今や政治的なやり取りについてはディランの方が〝本物〟なのだ。少なくとも、目先にあるルーシア王女との婚姻については、ディランの動きなり考えなりを邪魔するわけにもいかない。
レイリーが余計な真似をして、さっそくに新大公領は破談になりました――となれば笑うに笑えない。そうなれば、現地にいる自分たちの命も当然に危うい上、なんとかして国へ帰り着いても、責任を問われて始末されるのがオチだ。
「――どうでしょう? これ以上はお互いに不味い展開になりそうですし、今日のところの顔合わせは、一先ずこれで終わりとするのは?」
空気が読める〝レイリー王子〟が会談の終了を提案する。もとより一言二言挨拶を交わせばそれでいいというだけの顔合わせだ。
普段の生活にしても、ユーリアとバルアスでそれぞれに邸宅が用意されており、必要な執務にしても各自で行い、後に配下の者が領主館にてすり合わせるという段取りだ。
どうしてもお互いに顔を合わせないといけない場面があれば、それぞれが配下を連れ立ち、今のように領主館での会談という手はずになっている。
つまり、大公夫妻たる王子様と姫君は、顔を合わせないのが基本だ。下手に交流する時間が長引けば、こうして不和を生む。あっさりとそれを証明してしまった。
「――そうですね。これ以上の面談は大公領にとっては不利益となるでしょう。ですが……レイリー王子。一点だけよろしいでしょうか?」
軽く目を瞑り、その麗しき唇から言葉を紡ぐルーシア。
「ええ。別に一点だけに限らず、この私が応じられることであれば喜んで伺いますよ、レディ」
洗練された所作にて、王侯貴族という仮面を被った〝レイリー王子〟が応じる。それはあきらかに〝妻〟への態度ではない。丁寧に、丁重に、はっきりと一線を引く。
「――名をお聞かせ願いたい。レイリー王子の善き友である御方の」
ゆっくりと瞳を開いたルーシアは、後ろに投げていた視線を外し、真っ直ぐにレイリー王子を見る。貫く。
「……」
剣の聖女と謳われた美姫の、その色の違う異色の双眸を真っ向から受け止めつつ、しばしの沈黙を挟む〝レイリー王子〟。
流石に、姫君から直々に護衛の名を聞かれるとは思っていなかった。思わず〝ニール〟というレイリー王子の偽名を答えそうになるが……王子としての立場では、ディランは迂闊に答えてはいけない。
「ふむ……彼の名ですか。それは……少々困りましたね。ユーリアでは、近衛の者らは個人を特定できぬようにするのが習わしでして、実のところ、私自身も彼の本名は知らないのです。もちろん仮の名はありますが……ルーシア姫が知りたいのはそうではないでしょう?」
ユーリアの王族は直属の近衛の名と出自を知らない。それは古い慣習で有名無実化しているが、その形だけは残っている。
「なるほど。ユーリアにはそのような風習があるのですか。では、レイリー王子ではなく、直接本人に問うても?」
ルーシアの視線はユーリアの王子から離れない。許可がなければ引き下がると暗に示しているが……〝レイリー王子〟がそれを断れるはずもない。
「ええ構いませんよ。一応、私は聞かないことにしておきましょう」
了承の意を示し、僅かに体を横にずらすディラン。
ルーシアと仮面の男を遮る物がなくなる。
改めて彼女は見やる。仮面を装着し、フードを目深に被る怪しき人物へと視線を合わせる。同時に、彼女の後ろに控える護衛たちの視線の圧も増す。
「(は? え? こ、これ……どうすりゃいいんだ? えっと……普通に〝ニール〟でいいのか? いや、バルアスの悪意を集めるなら〝モルス〟か? だが、今のルーシア王女は礼節を守っているし……あからさま過ぎると、あとでディランに怒られそうだな……)」
ただ突っ立っているだけでいいと言われていたレイリー王子は困惑する。なにせ、政治的な立ち振る舞いは素人に近い。戦地にて敵意を読むことはできても、貴族的な腹の探り合いの意までは読みにくい。彼もそれを自認している。
こつりこつりと足音を立ててルーシアが歩む。諸々の警戒からか、ただ話をするには距離があるものの、仮面の男と真正面で相対している。
上背は若干ルーシアの方が高い。王女は遮られたその仮面の奥の瞳を見下ろすように視線を向ける。
「――私の名はルーシア。ルーシア・アウラディア=バルバトール。北部戦線の地では、我がバルアスの勇兵たちが世話になった――仮面の君よ。改めて、貴殿の名を教えてもらえないだろうか?」
一見すれば、その声色、その瞳は平静に凪いでいる。ただし、彼女の内面に名状しがたい複雑な色があるのは想像に難くない。いかに政治的に〝ど素人〟の者であっても気付くだろう。
「(ぅッ! あ、圧が強いな……あぁくそ!)」
仮面の君として、〝レイリー王子〟の護衛として、一体どうすればよいのか。なにが正解かが分からないながら、逡巡しつつレイリーは応じる。
「……麗しきルーシア姫。その名乗りを受け取りました。しかしながら、古きユーリアのしきたりに従い、俺は名を持ち合わせてはおりませぬ」
内心ではあたふたとしながらも、ゆったりと落ち着いた声を吐き出すレイリー。その程度の外向きな態度くらいは流石にできる。
ただし、仮面とフードによって角度をつけ、ルーシアからの圧の強い視線を遮っている。
直接的に目を合わせない。それは目上の貴人と相対する際の礼儀とも取れるが、この度は違う。彼女のその凪いだ瞳に見つめられると、あっさりと内心を看破されそうだったからだ。
「そうか。つまり、貴殿はレイリー王子の護衛でしかないというわけか? ――戦地で散った者らは、皆が名を持っていたぞ。皆が誰かの子であり、兄であり姉であり、弟であり妹。そして、父であり母だった。私の乳兄弟もまた、北部戦線にて果てた。――さて、仮面の君よ。それでも、貴殿には名がないと?」
あくまで声色は変わらない。淡々としたもの。彼女の態度自体に変わりはない。それまでと違わない。が、そこには薄らと剣呑な色が見え隠れする。隠せていない。
「……(……そういうことか)」
レイリーも悟る。この問答はただの怨み辛みじゃない。
今、目の前にいる姫は、死者たちへの敬意を問うている。戦場で散って逝った者たちに、お前が殺した兵たちに名乗れと。
しかしながら、それでもレイリー王子は馬鹿正直に自らの本名を名乗るわけにはいかない。
さりとて、この場をデイルの社交界用の偽名で誤魔化すのも違うと感じる。
「俺はレイリー王子の護衛ではありますが……ふぅ……いや、そうだな、俺は……名乗れぬ名以外にも、確かに名を持ち合わせている」
深く深く息を吐き出し、レイリーは観念した。
戦場で刃を交えた者らへ名乗るとすれば……残りは一つ。戦場での忌み名こそが――。
「麗しきルーシア姫よ。ここに名乗ろう。貴公らバルアスの民が俺を呼ぶ際には――〝辺境の死神〟と呼ぶがいい。今、この瞬間から、俺はモルスだ」
レイリー改めモルスが僅かに視線を上げる。仮面の奥の瞳が、ルーシア王女の異色の双眸と正面からぶつかる。交差する。
「……〝辺境の死神〟。それが貴殿の名でよいのだな?」
まるで噛んで含めるように確認するルーシア。
「あぁ。戦場で散った者に手向ける名は……これしか持ち合わせていない」
「そうか。しかと――あぁ、しかと聞き届けたよ〝モルス〟卿。私はその名を胸に刻もう」
麗しき姫君の口角が上がる。しかし、それは穏やかな微笑みにはほど遠い。
獰猛。まるで獲物を見つけた獣の舌なめずりの如く。
レイリー王子とルーシア王女。
そして――〝辺境の死神〟。
これがザウレリア大公領という舞台劇における、主要な役者たちの顔合わせ。
幕が上がる。
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