赤い薔薇の刺繍 1
ある武官が後宮の中庭で上半身裸の状態で剣を振り上げては振り下げていた。
「ふん!」
空気が切れる音がヒュンとする。彼の周りだけがやけに熱を帯びていた。
そんな彼を熱い視線で見ている赤い髪の女性がいた。
下級妃・蓮香
「どうか、あの方が気づいてくれますように…」
蓮香は脱ぎ捨てられた彼の服のポケットに、赤いバラの刺繍がある手拭いを入れる。そして、そそくさと去っていく。
その人影を視界の端に捉えると彼はその人影が去っていったほうをじっと見つめる。
「……あなたは誰なのですか……」
その声は小さかった。
かき消えそうなほどに。
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「相談です。子安様」
侍女の翠嵐が両手にいっぱいの相談状をもって部屋に入ってくる。足元はふらつき今にも倒れそうだ。
「手伝いますね」
杏華が半分ほど翠嵐から相談状をもって机に置く。
「ありがとうございます。杏華様」
「いいえ、暇なので!」
「……暇なら帰ってくれますか?こちらは暇、ではないのです……」
山ほどの相談状を見てげんなりという。
「みんな、わがままですね」
「出たな」
「はい?何がですか?」
「その台詞です」
先日の猫騒動で彼女は同じことを言っていた。
命を守りたかった侍女。
家族同然の猫を守りたかった花蓮殿。
どちらも譲れない大切なもののために行動した。
それを彼女はわがままだといったのだ。
「今度はどんなわがままなのですかね……」
相談状を一つ手に取り開ける。中には達筆な文字で書かれた文。これは役職持ちだな。一目で分かって子安は気を引き締める。
目で文を追っていく。そして最後まで到達すると一気にため息が出てくる。
「はあ」
「どうしました?」
子安は無言で杏華に相談状を渡す。
「読んでいいのですか?」
「ああ、何もたいしたことではないのですよ……」
彼女はゆっくりと相談状へ目を落とす。
その綺麗な瞳が文字を追うように左右へ動いていく。
「これは……持ち主探しですか?」
「ああ、しかも恐らく女性と思われる者のな」
子安はもう一度大きなため息を吐く。
「これがどうしてそこまで嫌がることになるのですか?」
「大概、男と女が関わる話はろくなものではないのですよ……」
今までもよくあった。
痴話げんかの仲裁。
武官と下女の恋。
旦那の不貞調査。
どれも大抵はろくなものではなかった。
「これは落とし物ということにして、いったい預かって様子だけ見ましょう。もし持ち主が現れなければ処分でいいでしょう」
「調査はしないのですか?」
「ただの落とし物です」
「ですが、文には何者かに服の中に入れられていたと書いてますよ」
「……見なかったことにしませんか?」
「無理ですね」
「……君は案外頑固ですね…」
子安は深く椅子に腰かけ、机に置いてあった甘い豆を一粒食べる。
「甘くないのですか?」
杏華は少し引き気味に尋ねる。
「後宮は苦いですからね。お菓子くらいは甘くても大丈夫ですよ」
子安は口に広がる甘さを少しの活力に変えて重たい腰を上げる。
「行きますか……」
重い足取りで子安は相談状の送り主の武官に会いに行く。
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「やあ!!」
古い円状の訓練場には武官たちの雄たけびが聞こえる。砂煙は舞っており視界は不明瞭で先がよく見えない。地面には彼らの汗がぽたぽたと落ちている。
「そこまでだ!!」
その中一段と大きく声がした。
「休憩だ!」
その声で一斉に彼らは体勢を緩める。それを確認して子安は上官らしき男に尋ねる。
「ここに啓安という武官はいますか?」
「これは子安様。啓安ならあそこにおります」
彼の示す先には屈強な体格をしている武官が一人壁際に座っていた。子安は近づき声をかける。
「君が啓安だね?」
「あなた様は……」
彼は子安を見てここに彼が来た意味を悟り尋ねる。
「相談状を見てくれたのですね?」
「ええ、見ました」
子安の頭の中では自然と彼の文が思い出される。
服の中に見知らぬ女性もののバラの刺繍がある手拭いを見つけた。初めは誰かが間違えて入れたと思った。だが、よく見ればそれは一年ほど前に亡くした自分の手ぬぐいだった。補強され、まったく別物になっており気づかなかった。身に覚えのない事態に恐怖している、どうか持ち主を探してほしい。
「という内容でしたね?」
「ええ」
「いつ入れられていたのですか?」
子安の後ろからひょっこりと顔をのぞかせる杏華。
「あなた、またついてきていたのですか……」
子安は呆れてものも言えず天を仰ぐ。
「今日の朝ですが……あなたは?」
「私は杏華!最近後宮入りした下級妃です!」
手を腰に当て、胸を張り、告げる。
「え?なぜ下級妃様がここに?」
「真相解明のためです!」
「は、はあ」
何のことかわからず啓安は狼狽える。
「す、すみませんね。この方に関しては無視していいですから」
「ちょっとひどいですよ!子安様!」
「ええい!うるさいです!静かにしていなさい!」
まるで母親が子供に叱るかのように言う。
「あの、それで私の相談は解決してくれるのですか?」
「あ、はい。それは心配しないでください」
「そうです。子安様が解決しますから何も心配しなくてもいいですよ!ところでその手拭いは今、持っていますか?」
「は、はい、これです」
彼は胸元から赤い手拭いを出した。
「これがそうですか…」
彼女は手拭いを受け取り興味深そうに観察している。
「休憩終わり!」
上官の声が大きく訓練場に響く。
「それでは、また何か分かりましたら連絡よろしくお願いします」
「ええ、任せてください!」
啓安はその言葉に安心して笑顔になり去っていく。
だが、子安は彼女の言葉に頭痛を感じて懐から紙に包んだ甘い豆を一粒口に放り投げて食す。
「それ持ってきていたのですか?」
「こんなこともあるかと思いましてね……はあ、甘い…」
現実もここまで甘くあってほしいものだな…
「で、どうだ?手拭いは」
「そうですね……相手は女性の可能性はやはり高いでしょうね」
「まあ、その色ですからね」
「それもあるのですが、バラの刺繍です。赤いバラの花言葉は…」
「あなたを愛してます。ですよね?」
「はい」
子安はそれを聞きより一層深くため息を吐く。
「愛ですか…」
後宮に愛は絶えない。
ここでは愛から逃げられない。
そういうことなのだろう。
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