裏路地の影
「はぁっ、はぁっ……こっち、急いで!」
カナリアに導かれるまま、凪谷と蛍はアルドールの複雑に入り組んだ路地裏を必死に駆け抜けた。しかし、不慣れな石畳と恐怖心からか、カナリアの足がもつれる。
「っ……!」
「っ! カナリア!」
バタンと派手に転けてしまったカナリアの背後から、荒々しい足音がすぐそこまで迫っていた。
「逃がすかよ、田舎者ども!」
振り返った時にはもう遅い。一番前にいた大柄な手下が、カナリアの腕を乱暴に掴み上げて引きずり起こした。
「きゃっ……離してよ!」
「おい、ガキどもが! 観念して――ぐあっ!?」
仲間を取り押さえようと凪谷と蛍が身構えた瞬間、一番後ろを走っていた手下の男が突然奇声を上げ、何の音もなくバタリと昏倒した。
「……え?」
「な、なんだ……?」
手下たちが足を止め、戸惑いの声を漏らす。だが、その混乱はほんの一瞬だった。
ドンッ、ドンッ、ドンッ――!
残された4人の手下たちが、まるで糸の切れた操り人形のように、次々と原因も分からぬまま意識を失って地面に崩れ落ちていく。
「いっ、一体何が……!」
震える手下たちの背後、薄暗い路地の中央に、一人の少女が立っていた。
手に持った得物を納め、涼しい顔で佇んでいるのは――他でもない、優珠だった。
「……優珠ちゃん!?」
蛍が驚愕の声を上げる。しかし、優珠の瞳には先ほどまでの親しみやすさは微塵もなく、冷ややかに二人を見下ろしていた。
「あーあ……だから、早くこの街を出てって言ったのに。なんで言うこと聞いてくれないのかな~」
呆れたような、それでいてどこか突き放すような口調。
凪谷は胸のつかえが取れないまま、思わず優珠へと詰め寄った。
「待てよ優珠! どういうことか説明してくれよ!?」
優珠はふっと冷たく笑うと、凪谷のまっすぐな視線からスッと目をそらした。
「説明もなにも、あたしはバロンについていけば、毎日美味しいものがお腹いっぱい食べられるからそうしてるだけ。あはー」
「なっ……! お前、そんなことのために……!」
「じゃあね~。二度とあたしに関わらないこと! 早くこの街から出て次の街に行きなよ」
優珠はそれ以上何も聞かせまいと背中を向け、スタスタと歩き出す。
振り返る間もなく、優珠の姿は曲がり角の向こうへと消えていった。
「……はぁ、はぁ……助かったぁ……」
その場にへたり込んでいたカナリアが、大きく息を吐き出しながら顔を上げる。彼女は目の前で起きた出来事にまだ震えながらも、目の前の双子に恐る恐る尋ねた。
「ねえ……あなたたち、あの子と知り合いなの……?」
その問いに、凪谷と蛍は顔を見合わせた。
二人はカナリアに対し、コレトル村へ向かう道中で出会ったこと、デルマを軽々と倒してくれたこと、そして村人を共に救ったこれまでの経緯を包み隠さず話した。
カナリアは信じられないといった様子で目を見開く。
「うそ……あの人が、コレトル村を……? でも、今のあの子は……」
「あんなの、絶対におかしいよ……!」
蛍は悔しそうに拳を握りしめた。
森の中で優しく笑い、共に旅の夢を語り合った昨日までの優珠。そしてアルドールで冷たく突き放し、バロンの言いなりになっていた今の優珠。
どちらが本当の彼女なのか。それとも、あの優珠という少女には何か隠された秘密があるのか――。
謎と不安が渦巻く中、凪谷たちは行き場のない歯痒さに包まれていた。
◆◇◆◇◆◇◆
その頃――。
街の中心にそびえる館の薄暗い一室では、別の空気が流れていた。
豪奢な絨毯が敷かれた部屋のソファに、バロン・ヴォルはふくよかな体を深く沈めていた。
扉が開き、戻ってきた優珠に、バロンは片手で弄遊していた一対のイヤリング――月光のような輝きを放つ古い細工のそれを、ひらひらと見せつける。
「戻ったか、優珠。……おっと、お前のお気に入りの飾りだ。よく似合っていたが、優秀なガーディアンが俺の手元にある方が何かと都合が良くてねぇ」
バロンの狡猾な笑みに、優珠はわずかに眉をひそめ、いつもの調子とは裏腹にどこか投げやりな、気だるげな笑みを浮かべた。
「……ふーん。せっかく美味しいお肉食べてたのに、早く用事を済ませてよ」
「まぁ、そう慌てるな。お前に新しい仕事だ」
バロンはふんぞりかえった姿勢のまま、不敵ににやりと笑った。
「隣町で、俺たちバロン様に反旗を翻している小賢しい徒党がいる。そこのリーダーの首を取ってこい。お前のその得意の刀で、な」
優珠はふーっと小さく息を吐くと、呆れたように両手を広げた。
「……えー、またそれ? あたしはあなたの命令で人形みたいに人を殺すためにここにいるわけじゃないんだけど。めんどくさ~」
きっぱりと拒絶する優珠だったが、バロンは少しも慌てず、むしろ楽しげに鼻を鳴らす。
「おや、断るのか? ……なら、このイヤリングの方はどうかな」
バロンがもう片方の手でひらりと持ち上げたのは、優珠から奪った一対のイヤリングだった。彼女にとって、それは失われた記憶や自分のルーツを繋ぐ、大切な形見だった。
「っ……!」
優珠の表情から、いつものふざけた軽口がスッと消える。その反応を見て満足したように、バロンはイヤリングを自分の懐へとしまった。
「お前が何者なのか、その変な力の本性が何なのか、俺にはよく分からんが……。これを取り上げれば、お前が大人しく俺の言うことを聞くようになるには十分すぎる。命令に従うなら、終わったときにたらふく馳走を用意してやろう。だが、逆らうなら……この大切な思い出の品がどうなるか、分かっているな?」
選択肢など最初から用意されていなかった。
優珠はぐっと拳を握りしめ、唇を噛み締める。込み上げる怒りと悔しさをなんとか飲み込み、彼女はいつもの調子を取り繕うように、少し強がった声で言い放った。
「……もー、ほんと悪趣味。わかったよ、殺せばいいんでしょ、やればいいんでしょ!」
「ははは! 話が早くて助かるわい。さすが俺のお人形さんだ」
下衆な笑い声を上げるバロンを、優珠は冷ややかな目で一瞥する。そして、ふっと表情を真面目に戻すと、低い声で釘を刺した。
「――これを片付けたら、それで最後にしてよね。これ以上変な仕事を押し付けたら、あたしだってどうなるか分からないんだから」
「あぁ、約束しよう。その仕事さえ完遂すれば、お前の自由にしてやるさ」
バロンの適当な返事を背中に受けながら、優珠は重い足取りで部屋をあとにする。
胸の奥を締め付ける冷たい絶望感を隠すように、彼女はふうと大きく息を吐き、自らに課された残酷な任務へと再び足を踏み出すのだった。




