偽りの街
朝日が昇り、青々とした街道を歩くこと数時間。
前方を歩いていた優珠が、ふと足を止めて振り返った。
「よーしっ! 案内はここまで! あの大きな建物が見えるでしょ? あれが『アルドール』。あそこまで行けばもう安全だからさ、二人は街の中に長居しないで、さっさとロゼオ・トレイルの先へ向かいなよ。じゃね!」
唐突な別れの言葉に、凪谷と蛍は顔を見合わせた。
「え……! 優珠ちゃん、一緒に行かないの?」
「俺たち、もっと話したいことが――」
「あたしはここで用事があるの! ガーディアンの仕事もあるしね」
優珠はパンッと自分の胸を叩いておどけてみせたが、その一瞬、彼女の瞳がどこか寂しげに揺れたのを凪谷は見逃さなかった。
「……そっか。分かった。ここまで案内してくれて、本当にありがとう、優珠」
「バイバイ、優珠ちゃん! またね!」
蛍が笑顔で手を振ると、優珠は小さく頷き、二人から背を向けてアルドールの街へと走っていった。
残された凪谷は、去っていく後ろ姿を胸のざわつきと共にじっと見つめていた。
(なんでだろうな……、なんか不自然な気がする……)
アルドールの正門をくぐった瞬間、二人を包み込んだのは未だかつて経験したことのない熱気だった。
頭上高く聳え立つ石造りの建物、石畳の道を無数に行き交う人々、どこかの露店から漂う香ばしい焼きたてのパンや香辛料の香り。
村の小川と森しか知らなかった凪谷と蛍は、目を輝かせて大はしゃぎした。
「にいちゃん! 見てくれよこれ、家が何階も積み重なってるぞ!」
「すごいな蛍! 見ろよ、あの果物、真っ赤で美味しそうだ!」
二人は引き寄せられるように露店へ駆け寄り、並べられた瑞々しい果物を手に取った。
「おじさん、これひとつ頂戴! 何と交換できる?」と無邪気に微笑む蛍に、店主は訝しげな顔を向ける。
「おいおい、お嬢ちゃん。冷やかしか? 金を出さねえなら置いていけ」
「いや、俺、男なんだけど……って、え? カネ……? ってなあに?」
首を傾げる蛍。物々交換しか知らない二人は、店主と言い争いになりかけてしまう。
そこへ、「ちょっと、待って待って!」と慌てた声を上げて割って入ってきたのは、エプロン姿の女の子だった。
「ごめんなさいおじさん、この子たち、すっごく田舎から出てきたばかりで何も知らなくて……!」
助けに入ってくれたのは、近くのパン屋で手伝いをしているカナリアという少女だった。
栗色の髪をポニーテールにした、明るくて少しおせっかいな、どこにでもいる普通の女の子だ。
「君たち、どこから来たの? 今どき物々交換なんてびっくりしすぎて、思わず声かけちゃった」
「え、いや~、それが昨日村から出たばっかでさ、はははっ」
「その『カネ』ってやつはどうやって手に入れるんだ?」
「うーん……普通は労働の対価にもらったりするけど、もっと簡単な方法だと、君たち珍しい薬草とか持ってたよね? それを売ったりできるわよ?」
「本当か?! どこに行けばいい?」
凪谷が尋ねると、カナリアははぁとため息をつき、「仕方ないな」と二人を薬屋に連れていくことにした。
「カナリア、ありがとう!」
「ありがとうな!」
カナリアのおかげで無事にピンチを脱した二人は、彼女の後について賑やかな大通りを歩き出した。
だが、その直後――それまで活気に満ちていた街の空気が、一変することになる。
――シュンと、潮が引くように街の喧騒が消えた。
路地の陰や店の隅から、人々が急に怯えた顔で飛び出してきて、一様に石畳の上へ膝をつき、頭を低く下げていく。
「……な、なんだ? どうしたんだ急に」
凪谷が戸惑うと、カナリアは真っ青な顔でその場にしゃがみ込み、小刻みに震えながら凪谷たちの服の裾をギュッと掴んだ。
「っ……! 静かに、声を出さないで……! バロンが来るわ……!」
大通りの向こうから、贅沢な毛皮を身に纏い、太った腹を揺らしながら歩-いてくるふてぶてしい男。
その周囲を、ガラの悪い手下たちが重々しく取り囲んでいた。
「あいつが……バロン?」
「うん……バロン・ヴォル。最近この街を乗っ取った、すごく怖い悪党よ……」
カナリアが震える声で囁く。
もともとはただの街のゴロツキに過ぎなかったバロン。
しかし、彼はある日、どういう訳か前の領主を失脚させ、アルドールの実権を奪い取ったのだ。
「あいつが街を支配してから、『バロンが通りを歩く時は、全員平伏して道を開けろ』なんて理不尽な法律ができたの……。少しでも逆らったりしたら、手下たちにすぐお店を壊されたり、痛い目に遭わされちゃうんだから……」
息を殺して、彼らが通り過ぎるのを待ちわびる三人。
しかし、バロンのすぐ横を歩く人物の影を見た瞬間、蛍が息を飲んだ。
――そこにいたのは、優珠だった。
無表情で、感情の抜け落ちたような瞳のまま、バロンの斜め後ろを静かに歩いている。
「……え? 優珠……ちゃん?」
抑えきれなかった蛍の呟きが、静まり返った大通りに静かに響いてしまった。
ピタリと、バロン・ヴォルの足が止まる。
「……あぁん? 誰だ、俺様の前に頭を下げん無礼者は」
嫌悪感を剥き出しにしたバロンが振り返る。
その視線の先に立っていたのは、あまりの衝撃に立ち尽くしていた凪谷と蛍だった。
「ほう、見慣れんツラだな。この街の法律を知らんとは言わせんぞ。俺様の通行を邪魔した罰だ。有り金を全部置いていけ。無いなら身ぐるみ剥いで売り飛ばしてやる」
下衆な笑みを浮かべるバロンに対し、凪谷の胸の中で激しい怒りが爆発した。
だがそれ以上に、信じられない思いでバロンの隣に立つ優珠へと駆け寄った。
「待てよ優珠! なんで……なんでお前がこんな奴と一緒にいるんだ!? こいつ、街の人たちを苦しめてる悪党だろ!? ……なんで!」
必死に叫ぶ凪谷。
しかし、優珠は凪谷と目を合わせようとせず、冷ややかな横顔のまま、淡々と唇を開いた。
「……あはー! 人違いじゃない? あたし、君たちのことなんて知らなーい」
「――ッ!?」
胸を突き刺すような冷たい一言。
凪谷と蛍は、まるで殴られたかのように絶句した。
「ハハハハ! 聞いたか田舎者ども! この女はお前らなんか知らんそうだ!」
バロンは大声で笑い飛ばすと、不機嫌そうに手を振った。
「おい野郎ども! 金を持たないなら痛めつけて放り出せ! この街のルールの厳しさを教えてやれ!」
「へいっ、バロン様!」
下衆な笑みを浮かえた手下たちが一斉に武器を抜き、二人へ襲いかかってくる。
「っ、危ないっ……! 二人とも、こっち!」
恐怖で震えながらも、カナリアは必死に凪谷と蛍の腕を引っ張り、物陰の路地へと引っ張り込んだ。
背後で響くバロンの高笑い。
そして、一度も振り返ることなくその場に佇んでいた優珠の横顔――。
激しい疑問と胸を締め付けるような切なさを抱えたまま、三人はアルドールの暗い路地裏へと逃げ込んだのだった。




