捕食
「……どの人間のことを言ってんだ?」
村人の姿をしたブレイクが、愉快そうに笑った。 その隣では、幼い少女へと姿を変えたアビスが、くすくすと笑い声を漏らしている。
「ねえねえ、もっとちゃんと教えてよ! 僕たち、誰のことか分かんないよぉ!」
「……っ!」
凪谷は刀を握りしめた。 目の前にいる二人。
その姿は、確かに人間だった。 だが、凪谷には見えていた。 二人の背後で蠢く、無数の魂。 苦しみ、嘆き、助けを求めるように伸ばされる手。
その光景が、ヴェルグラードで戦ったギブンの姿と重なった。
――こいつらは。 この村の人たちまで……!
「……ふざけんな」
凪谷が低く呟いた。
「……あ?」
ブレイクが首を傾げる。
「……何だって?」
「ふざけんなって言ってんだよ!!」
凪谷の怒声が、静まり返った村に響き渡った。
「人の命を何だと思ってんだ!!」
ブレイクは一瞬きょとんとした後、口元を歪めた。
「……くはっ! 何だよ、急に怒鳴りやがって」
「……っ!」
「人間なんてただの餌だろ?」
「……てめぇ……!」
凪谷の身体が、怒りで震えた。 目の前で笑っている二人。 自分たちが奪った命を、まるで何でもないことのように扱っている。
――絶対に。
絶対に、こいつらだけは。
「……生かしておけねぇ……!」
その声には、今までにないほど強い殺意が込められていた。
「にいちゃん……!」
蛍が思わず声をかける。 だが、凪谷は一歩前へ踏み出した。
その時だった。
「――凪谷」
低い声が響いた。 ゼルディアスだった。
「……気持ちは分かる」
その口調は、驚くほど落ち着いていた。
「だが、頭に血を上らせるな」
「……っ!」
凪谷が振り返る。 ゼルディアスは、静かにブレイクたちを見据えていた。
「……あいつらを倒すんだろ?」
「……はい!」
「だったら、決めた通りにやるぞ」
ゼルディアスは、ゆっくりと片手を上げた。
「――全隊、配置につけ」
その声に、隊員たちが一斉に動き出した。
◇
村へ向かう道中。 ゼルディアスは、既に一つの作戦を立てていた。
もし、あの二人のデルマが再び現れた場合。 最初に狙うのは、ブレイク。 前回の戦闘で、右脇腹に弱点があることが判明している。
対して、アビスの弱点はまだ分かっていない。 ならば、まずは倒せる可能性の高い方を確実に仕留める。 それが、ゼルディアスの判断だった。
「……俺と凪谷、蛍。それからレグナードでブレイクを叩く」
馬を走らせながら、ゼルディアスはそう告げていた。
その隣には、茶色の髪をした青年がいた。
青い瞳に、明るい笑顔。 黒紫の軍服を身にまとった青年は、軽く手を上げた。
「了解です、軍団長!」
彼の名は、レグナード・アシュクロフト。
ドラフ・レギオーの副団長の一人だった。
「よろしくな、二人とも!」
「……はい!」
凪谷と蛍が頷く。
「それで、もう一人の方は?」
蛍が尋ねると、ゼルディアスは後方へ視線を向けた。
「アビスは優珠とレイヴァルト、それから戦闘班に任せる」
「……承知しました」
静かな声が返ってきた。
青い髪に、灰色の瞳。 黒紫の軍服を隙なく着こなした青年。
レイヴァルト・フォン・アステリオン。
彼もまた、ドラフ・レギオーの副団長であり、部隊の参謀を務めていた。
「アビスの能力は未知数です。無理に討伐を狙わず、足止めに徹するべきでしょう」
「……ああ。それでいい」
ゼルディアスは頷いた。
「ブレイクを倒した後、全員でアビスを仕留める」
「了解です!」
優珠が元気よく答えた。 そして今。
その作戦を実行する時が来たのだった。
◇
「――レイヴァルト! お嬢ちゃん! アビスを任せる!」
「承知しました」
「はーーい!まっかせてー!」
「レグナード! ガキ共! 俺についてこい!」
「了解!」
「「はい!」」
ゼルディアスの号令と共に、隊員たちが散開する。
「……へぇ?」
ブレイクが首を傾げた。
「何だ? また大勢で遊んでくれんのか?」
「くはっ!」と笑いながら、村人の姿を解く。
歪んだ輪郭が元に戻り、灰緑色の髪と金色の瞳が現れた。
「だったら、今度こそあのガキの魂を――」
「――黙れ」
ゼルディアスが地面を蹴った。
――ドゴォッ!!
拳がブレイクの腕に叩き込まれる。
「……ぐっ!?」
衝撃で、ブレイクの身体が後方へ弾かれた。
「くそっ! またてめぇか!」
「おう。今度は逃がさねぇぞ」
ゼルディアスが拳を握る。 その背後から、レグナードが飛び出した。
「じゃあ、僕も行きますか!」
「……あ?」
ブレイクが顔を上げる。
その瞬間。
レグナードの瞳が、鋭く細められた。 指先の爪が伸び、口元から牙が覗く。
「……っ!?」
ブレイクが目を見開いた。
「……何だ、てめぇ……!」
「俺のギフトは『狼』」
レグナードは笑った。
「ちょっとばかり、獣の力を借りられるんだ」
次の瞬間。
――ダンッ!!
レグナードの姿が、一瞬で消えた。
「……なっ!?」
ブレイクが反応するよりも早く、その懐へ潜り込む。
――ザシュッ!!
鋭い爪が、ブレイクの胸元を斬り裂いた。
「……ぐっ!」
ブレイクが後退する。
「……速い!」
凪谷が思わず声を上げた。
「凪谷くん! 今だよ!」
レグナードが叫ぶ。
「……はい!」
凪谷は刀を構え、地面を蹴った。
◇
一方。
「……あはっ!」
アビスは、楽しそうに笑っていた。
「ねえねえ! 僕の相手は君たち?」
その前には、優珠とレイヴァルト。 そして、複数の戦闘班の隊員たちが立ちはだかっていた。
「そうだよ!」
優珠が双剣を構える。
「あんたの相手は、あたしたち!」
「……えー?」
アビスは頬を膨らませた。
「僕、あっちの子と遊びたいんだけどなぁ」
視線の先には、ブレイクと戦う凪谷がいる。
「……残念ですが」
レイヴァルトが静かに口を開いた。
「あなたを通すわけにはいきません」
「……ふーん?」
アビスは首を傾げた。
「じゃあ、無理やり行っちゃおっかな!」
その身体が、地面を蹴る。
――ヒュンッ!!
凄まじい速度で、レイヴァルトへ迫った。
だが。
「――強化」
レイヴァルトが短く呟いた。 その瞬間、彼の身体に淡い光が走る。
――ガキィン!!
細身の剣が、アビスの攻撃を受け止めた。
「……あれ?」
アビスが目を丸くする。
「……止められちゃった」
「……優珠さん」
レイヴァルトが静かに告げる。
「今です」
「了解っ!」
優珠が飛び込む。
――ザシュッ!!
二本の剣が、アビスの腕を斬り裂いた。
「……あはっ!」
アビスは後方へ跳んだ。 その傷は、瞬く間に塞がっていく。
「……痛いなぁ」
笑顔のまま、腕をさする。
「でも、面白いね!」
「……油断しないでください」
レイヴァルトが隊員たちへ告げた。
「相手は再生能力を持っています。深追いは禁物です」
「はっ!」
隊員たちは陣形を崩さず、アビスを囲んだ。
◇
――パンッ! パンッ!!
二発の銃声が響く。 蛍の放った弾丸が、ブレイクの肩と脚を撃ち抜いた。
「……ぐっ!」
ブレイクが体勢を崩す。
「にいちゃん! 今!」
「おう!」
凪谷が踏み込む。
――ガキィン!!
刀と拳がぶつかり合う。
「……くそっ!」
ブレイクが歯を食いしばった。 一対一なら、まだ余裕があった。
だが、今は違う。
凪谷の刀。
蛍の銃撃。
レグナードの素早い攻撃。
そして、ゼルディアスの圧倒的な剛力。
四人の連携が、ブレイクの動きを確実に追い詰めていた。
「……くはっ! やるじゃねぇか!」
ブレイクは笑おうとした。 だが、その顔には焦りが滲んでいる。
「――そこだ!」
レグナードが叫ぶ。 ブレイクが振り向いた瞬間、凪谷の刀が右脇腹へ迫った。
「……っ!!」
ブレイクは慌てて身体を捻る。
――ザシュッ!!
刃が脇腹を掠めた。
「……ぐあっ!」
その瞬間。
「――逃がさねぇ!」
ゼルディアスが拳を振り抜いた。
――ドゴォォン!!
「……がはっ!!」
ブレイクの身体が地面へ叩きつけられた。 石畳が砕け、土煙が舞い上がる。
「……っ、くそ……!」
ブレイクは立ち上がろうとした。 だが、蛍の銃弾が足元を撃ち抜き、その動きを止める。
「……今だ、にいちゃん!」
「……ああ!」
凪谷が刀を振り上げた。 狙うは、右脇腹。
あと一撃。 あと一歩で、あのデルマを倒せる。
「――これで終わりだ!!」
凪谷が踏み込んだ。 その時だった。
「――あーあ」
どこか、退屈そうな声が響いた。
◇
「……ほんっと、つまんない」
アビスが、ぽつりと呟いた。 その前には、優珠とレイヴァルト。 そして、幾人もの戦闘班の隊員たちが立ちはだかっている。
何度突破しようとしても、進路を塞がれる。 傷を負わせても、すぐに別の隊員が前へ出てくる。
「……ねえ」
アビスは、ゆっくりと顔を上げた。 その金色の瞳が、細められる。
「……いつまで、僕の邪魔するつもり?」
「あなたを通すわけにはいきません」
レイヴァルトが答えた。
「……あっそ」
アビスの笑みが、すっと消えた。
次の瞬間。
――ドンッ!!
凄まじい衝撃が、周囲へ広がった。
「……っ!?」
優珠が思わず後退する。
「……何!?」
アビスの身体から、異様な気配が溢れ出していた。 レイヴァルトが剣を構え直す。
「……全員、警戒!」
だが、アビスは彼らを見ていなかった。 その視線は、ただ一人。 地面に倒れ込むブレイクへ向けられていた。
「……あーあ」
アビスは呆れたように溜息を吐いた。
「……何やってんの、ブレイク」
◇
「……っ!?」
凪谷が刀を振り下ろそうとした、その瞬間。
――ガキィン!!
何かが、刃を弾いた。
「……なっ!?」
凪谷が目を見開く。 目の前には、桃色の髪の少女が立っていた。
「……アビス!?」
「……あはっ!」
アビスは楽しそうに笑った。
「危なかったねぇ、ブレイク!」
「……てめぇ……!」
ブレイクが顔を上げる。
「……何しに来やがった!」
「……えー?」
アビスは首を傾げた。 そして、地面に倒れ込むブレイクを見下ろした。
傷だらけの身体。
荒い呼吸。
再生が追いつかず、右脇腹を押さえている姿。
それを見たアビスは――。
「……ぷっ」
小さく吹き出した。
「……あはっ!」
そして、堪えきれないように笑い始めた。
「あははははっ!!」
「……何笑ってんだ、てめぇ!」
ブレイクが怒鳴る。 だが、アビスは笑い続けた。
「だってさぁ!」
指を差しながら、楽しそうに言う。
「こんなボロボロになっちゃってさ!」
そして、にっこりと笑った。
「……ほんと、ださーーーい!」
「……っ!!」
ブレイクの顔が怒りに染まる。
「……ふざけんな!!」
「……あはっ!」
アビスは、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「……ねえ、ブレイク」
「……あ?」
「……もう、いらないよね?」
「…………は?」
その瞬間。
アビスの笑顔が、異様なものへ変わった。
「――僕が、もらっちゃうね」
――グジュッ。
奇妙な音が響いた。
「……っ!?」
ブレイクが目を見開く。 アビスの手が、ブレイクの胸元へ沈み込んでいた。
「……て、てめぇ……!」
ブレイクが腕を掴もうとする。 だが、その身体が、徐々に崩れ始めた。
「……なっ……何しやがる……!!」
「……あはっ!」
アビスは無邪気に笑った。
「だって、弱いんだもん」
ブレイクの身体が、黒く歪んでいく。 まるで、何かに吸い込まれるように。
「……や、やめろ……!」
その声が、震えた。
「……おい、アビス……!」
「……んー?」
「……やめろって……言ってんだろ……!!」
アビスは、にっこりと微笑んだ。
「……やだ!」
――ズズズズッ!! ブレイクの身体が、急速にアビスへと吸い込まれていく。
「……う、うわあああああっ!!」
絶叫が、夜の村に響き渡った。 凪谷たちは、ただ呆然とその光景を見つめていた。
「……な、何が……!」
蛍が声を震わせる。
「……あいつ……仲間を……!?」
ゼルディアスも、険しい表情で拳を握りしめた。
「……おいおい……」
レイヴァルトが駆けつける。 その灰色の瞳が、驚愕に見開かれた。
「……これは……!」
やがて。
――シュウウウ……。
ブレイクの姿が、完全に消えた。 そこには、桃色の髪の少女だけが立っていた。
「……ふぅ!」
アビスは満足そうに息を吐いた。 そして、自分の手を見つめる。
「……あはっ!」
その口元に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「……ごちそうさま!」
凪谷は、刀を握りしめたまま動けなかった。
――デルマが、デルマを取り込んだ。
ヴェルグラードで知った、デルマの融合。 その恐ろしさが、今まさに目の前で現実となっていた。
アビスはゆっくりと顔を上げる。 金色の瞳が、凪谷たちを捉えた。
「……さて」
そして、楽しそうに笑った。
「……次は、誰にしよっかなぁ?」




