消えた村人たち
「……さて、どうするか」
警備兵の詰所で、ゼルディアスは壁に掛けられた地図を見つめていた。 その傍らには、凪谷、蛍、優珠、オニキスの四人がいる。 先ほどまで話していたのは、ドラグヴェイン王国を覆う暗雲と、フィアンマの存在についてだった。
しかし、ゼルディアスにはもう一つ、気がかりなことがあった。
「……お前ら、ドラグヴェインに向かうんだったな」
「はい!」
凪谷が頷いた。
「だったら、その前に一つ付き合ってもらいてぇ」
「……何ですか?」
「さっき話した、連絡が途絶えた村の件だ」
ゼルディアスは地図の一点を指差した。 街から少し離れた場所に、小さな村が記されている。
「実はな、既に調査隊を送ってあるんだ」
「……そうだったんですか?」
「ああ。今日中には戻る予定になってる。まずは連中の報告を聞いて、それから出発するつもりだ」
「……なるほど」
蛍が地図を覗き込む。
「何も起きてないといいですね」
「そうだな」
ゼルディアスは腕を組んだ。
「ただ、最近はデルマの出現が増えてる。連絡が途絶えたってのは、どうにも引っかかるんだよな」
凪谷は黙って地図を見つめた。 先ほど目にした、無惨な遺体の光景が頭をよぎる。
――もし、あの村でも同じことが起きていたら。
「……俺たちも、行きます」
凪谷が口を開いた。
「ん?」
「その村の調査、俺たちも手伝わせてください!」
ゼルディアスは凪谷を見つめた。
「……いいのか? ドラグヴェインに行くのが遅れるぞ」
「はい。でも、困ってる人がいるかもしれないなら、放っておけません」
蛍も頷く。
「僕も行きます」
「あたしも!」
優珠が元気よく手を上げた。 オニキスも少し緊張した様子で頷く。
「……僕も、みんなと一緒に行きたいです」
四人の顔を見渡したゼルディアスは、ふっと笑った。
「……ははっ! そうか」
そして、机を軽く叩いた。
「よし。じゃあ、報告が来るまで休んでろ。出発する時は声をかける」
「はい!」
◇
夕暮れが訪れた。 空が赤く染まり、街の建物に長い影が落ちる。 戦いの傷跡が残る街では、ドラフ・レギオーの隊員たちが引き続き復旧作業に当たっていた。 凪谷たちは詰所の一室を借り、身体を休めていた。
「……ふぅ」
凪谷が椅子にもたれかかる。
「今日は、さすがに疲れたな……」
「うん。いっぱい戦ったもんね」
蛍も小さく息を吐いた。
「でも、あの二人……早く倒さないと……」
「……ブレイクとアビスか」
凪谷は呟いた。 人間と変わらない姿。 言葉を話し、笑い、まるで遊びのように人の魂を狙うデルマ。 ヴェルグラードで戦ったギブンを思い出す。
――あいつらの背後にも、無数の魂が見えた。
「……また、誰かを襲うよね」
オニキスが不安そうに尋ねた。
「……あぁ。でも、あいつらは俺の魂を狙ってた。簡単に諦めるとは思えねぇ。次にあったら絶対に倒す」
「……うん。そうだね」
蛍が表情を曇らせた。 優珠が双剣の柄に触れる。
「うん! あんな奴ら、放っておけないよ!」
その時だった。
――バタンッ!!
突然、詰所の扉が勢いよく開いた。
「――軍団長!!」
隊員の一人が、血相を変えて飛び込んできた。
「……どうした?」
奥の部屋から、ゼルディアスが姿を現す。
「調査隊が……! 調査隊の一人が戻りました!」
「……ほう。ようやくか」
ゼルディアスは腕を組んだ。
「で、報告は?」
「そ、それが……!」
隊員の顔が青ざめる。
「……とにかく、来てください!」
その様子に、ゼルディアスの表情が変わった。
「……分かった」
凪谷たちも立ち上がる。
「俺たちも行きます!」
「ああ。ついてこい」
◇
詰所の入口には、数人の隊員が集まっていた。 その中央に、一人の男が座り込んでいる。 軍服は泥と血で汚れ、腕や足には幾つもの傷があった。 呼吸は荒く、全身が小刻みに震えている。
「……おい」
ゼルディアスが男の前にしゃがみ込んだ。
「俺だ。分かるか?」
「…………っ!」
男はびくりと肩を跳ねさせた。
「……ぐ、軍団長……!」
「そうだ。落ち着け」
ゼルディアスは低い声で言った。
「村で何があった?」
「……む、村……」
男の唇が震える。
「……あ、あれは……違う……!」
「……違う?」
「ひ、人が……! 人が……!」
男は頭を抱えた。
「……ち、違うんです……! あれは……あれは人じゃ……!」
「……おい、しっかりしろ!」
ゼルディアスが肩に手を置く。 だが、男は突然、悲鳴を上げた。
「――うわああああっ!!」
その場にいた全員が息を呑む。
「……や、やめろ……! 来るな……! 来るなぁっ!!」
男は何かから逃れるように、必死に後ずさった。
「……み、みんな……みんな……!」
「……みんな?」
「……い、いなく……!」
そこまで言うと、男は両手で顔を覆った。
「……あああ……!」
その後は、何を尋ねてもまともな返事が返ってこなかった。 ただ、怯えた声で何かを繰り返すばかりだった。
「…………」
ゼルディアスは黙って男を見つめていた。 そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……治療班に任せろ」
「はっ!」
隊員たちが男を支え、建物の中へ運んでいった。 凪谷は、その後ろ姿を見つめていた。
「……ゼルディアスさん」
「……ああ」
ゼルディアスは険しい表情で頷いた。
「ただ事じゃねぇな」
◇
「――全隊、出発準備!」
ゼルディアスの声が、詰所に響き渡った。
「……今からですか!?」
隊員の一人が驚く。
「当たり前だ! あの状態を見て、朝まで待てるか!」
「はっ!」
「戦闘班は武装を整えろ! 後方支援班は救護道具を持て! 馬の準備も急げ!東に応援を要請しろ!」
隊員たちは一斉に動き出した。
凪谷もゼルディアスへ歩み寄る。
「……俺たちも行きます!」
「……おう」
ゼルディアスは頷いた。
「だが、さっきみてぇな相手がいる可能性もある。無茶はするなよ」
「はい!」
その時だった。
「……軍団長」
背後から、少し低い少年の声が響いた。 振り返ると、そこには黒と紫を基調とした軍服を身にまとった少年が立っていた。
無造作に伸びた黒髪。 鋭い赤い瞳。 腰には細身の剣を携え、銀色の十字架や鎖の装飾が、わずかな灯りを反射している。
少年は、どこか不機嫌そうな表情をしていた。
「準備、整いました」
「おう、ティア。ちょうどいいところに来たな」
ゼルディアスが笑った。
「紹介する。こいつはティア・ノットゥルノ。俺の部下で、ドラフ・レギオーの副団長だ」
「……副団長!?」
凪谷が驚く。
少年は、ちらりと凪谷たちを見た。
「……ティアだ」
それだけ言うと、すぐに視線を逸らした。
「……よろしくお願いします!」
蛍が頭を下げる。
「……ああ」
短い返事。 その態度に、優珠が小さく首を傾げた。
「……なんか、ムスッとしてるね」
「……聞こえてるぞ」
「えへへ!」
優珠が笑う。 ゼルディアスは気にした様子もなく、オニキスを指差した。
「ティア。こいつを頼む」
「……は?」
ティアが眉をひそめる。
「この子はオニキス。メモリストだ。戦闘には参加させず、後方支援班と一緒に行動させる」
「……俺が面倒を見るんですか?」
「そうだ。お前なら任せられる」
ゼルディアスは笑った。
「頼んだぞ」
「…………」
ティアは不満そうに息を吐いた。
「……分かりました」
オニキスが慌てて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします!」
「……別に、そんな畏まらなくていい」
ティアはそっぽを向いた。
「……俺の近くにいればいい。勝手に離れるなよ」
「……は、はい!」
凪谷はその様子を見て、少し安心した。 口調はぶっきらぼうだが、オニキスを気遣っていることは伝わってきた。
「……オニキス、頼んだぞ!」
「うん! みんなも気をつけてね!」
ゼルディアスが外へ向かう。
「よし、行くぞ!」
◇
夜の街道に、無数の蹄の音が響き渡った。
――ドドドドドッ!!
月明かりの下、ドラフ・レギオーの騎馬隊が駆け抜けていく。 先頭を走るのはゼルディアス。 その後ろには、武装した隊員たち。 凪谷、蛍、優珠も馬に乗り、部隊と共に村を目指していた。 少し後方には、救護道具を積んだ荷馬車が続いている。 その荷馬車には、オニキスとティアの姿があった。
「……あの」
オニキスが、おずおずと口を開いた。
「……何だ?」
ティアが前を向いたまま答える。
「……ティアさんって、副団長なんですよね?」
「……そうだけど」
「……すごいですね。僕とそんなに歳も変わらなさそうなのに……」
「…………」
ティアは少しだけ眉をひそめた。
「……別に、すごくない」
「……え?」
「……俺より、ずっとすごい奴なんている」
そう言うと、ティアは窓の外へ視線を向けた。 オニキスはそれ以上、何も聞かなかった。 ただ、その横顔がどこか寂しそうに見えた。
◇
しばらく馬を走らせた頃。
「――全隊、止まれ!」
ゼルディアスの号令が響いた。 騎馬隊が一斉に速度を落とす。 その先には、小さな村があった。
木造の家々。
畑。
井戸。
村の入口には、古びた木の看板が立っている。
だが――。
「……静かすぎるな」
ゼルディアスが呟いた。 凪谷も周囲を見渡す。
「……人が、いない……?」
村の中には、灯りがほとんど見えなかった。 家の扉は開いたまま。 道端には、倒れた籠や散らばった農具。 まるで、村人たちが突然姿を消してしまったかのようだった。
「……デルマも、いないね」
蛍が小さく呟く。
「……ああ」
凪谷は刀の柄に手を添えた。 不気味なほどの静けさ。 けれど、胸の奥には嫌な予感が渦巻いていた。
――この感じ。
どこかで、覚えがある。
「……ゼルディアスさん」
凪谷が声をかける。
「……ああ」
ゼルディアスも険しい表情をしていた。
「……いるな」
「……はい」
凪谷は頷いた。
「……あいつらが」
ゼルディアスは隊員たちへ視線を向けた。
「全隊、警戒を強めろ。何が出てくるか分からねぇぞ」
「はっ!」
部隊は慎重に村の中へ進んでいった。 家々の間を抜け、細い道を進む。 どこにも人の姿はない。 聞こえるのは、馬の足音と、風に揺れる木々の音だけだった。
やがて――。
村の中央にある、開けた広場へと辿り着いた。 その瞬間。
「――あはっ!」
聞き覚えのある声が響いた。
「……っ!?」
凪谷が顔を上げる。 広場の向こう。 井戸の縁に腰掛けていたのは、桃色の髪の少女だった。 その隣には、灰緑色の髪の青年が立っている。
「……やっぱり……!」
凪谷が刀を抜いた。
「……ブレイク! アビス!」
アビスは楽しそうに笑った。
「やっほー! 随分早く来たんだね!」
ブレイクも口角を吊り上げる。
「くはっ! また会ったなぁ」
その金色の瞳が、凪谷を捉える。
「……今度こそ、絶対に食ってやる」
「……っ!」
凪谷が刀を構えた。 ゼルディアスも馬から降り、拳を握りしめる。
「……てめぇら」
低い声が響いた。
「この村の人間は、どこへやった?」
ブレイクは、きょとんとした顔をした。
「……あ?」
そして、にやりと笑う。
「……村人?」
「いいから応えろ。この村にいた連中をどうしたって聞いてんだ」
ゼルディアスのよく通る声が響く。
「……あはっ!」
アビスが楽しそうに笑った。
「ねえ、ブレイク。どの人のこと言ってるんだろうね?」
「……さあなぁ」
ブレイクは肩をすくめた。
「……こいつか?」
その瞬間。
――グニャリ。
ブレイクの顔が、歪んだ。
髪の色が変わり、身体の輪郭が揺らめく。 次の瞬間、そこに立っていたのは、見知らぬ中年の男だった。 質素な服を着た、どこにでもいそうな村人。
「…………っ!?」
凪谷が息を呑む。
「……それとも、こっち?」
今度は、アビスの姿が変わった。
桃色の髪が消え、小柄な少女の姿へと変わっていく。 素朴な服を着た、幼い村の女の子。
「あはっ!」
少女の姿をしたアビスが、無邪気に笑った。
「ねえねえ、どの人?」
「……っ!!」
蛍が拳銃を握りしめる。 優珠も、険しい表情で双剣を構えた。 ブレイクは、村人の顔のまま笑った。
「……くはっ!」
そして、ゆっくりと首を傾げる。
「……どの人間のことを言ってんだ?」
その笑みは、あまりにも残酷だった。




