絶望を断ち切る者
「……次は、誰にしよっかなぁ?」
アビスは楽しそうに笑った。
その足元には、先ほどまでブレイクが倒れていた痕跡すら残っていない。 ブレイクを取り込み、何事もなかったかのように微笑む桃色の髪の少女。 その姿に、凪谷たちは言葉を失っていた。
「……まずい、このままじゃ……!」
凪谷が刀を握りしめる。 だが、その瞬間。
――ドクンッ!!
奇妙な音が響いた。
「……っ!?」
アビスの身体が、大きく脈打った。
「……あれ?」
アビス自身も、少し驚いたように胸元へ手を当てる。
「……あはっ!」
次の瞬間、その表情が歓喜に染まった。
「……すごい……!」
――ドクンッ!!
再び、脈動。 桃色の髪が風もないのに揺れ始める。 足元の石畳に、細かな亀裂が走った。
「……何だ……?」
ゼルディアスが眉をひそめる。 レイヴァルトも剣を構え直した。
「……軍団長。下がってください」
「……ああ」
アビスは、ゆっくりと両腕を広げた。
「……ねえ」
その金色の瞳が、妖しく輝く。
「僕、もっと遊べそう!」
――グジュッ!!
異様な音と共に、アビスの背中が大きく膨れ上がった。
「……っ!?」
凪谷が目を見開く。 肩から、黒い骨のような突起が伸びる。
一本。
二本。
三本。
それは瞬く間に増殖し、無数の触手となって周囲へ広がっていった。
「……なっ……!」
蛍が後ずさる。 アビスの身体が、急激に巨大化していく。 細い手足は異様に伸び、胴体は黒い外殻に覆われていく。 顔の輪郭が歪み、口元が耳元まで裂けた。
やがて――。
そこに立っていたのは、村の家々を見下ろすほど巨大な化け物だった。 骨のような触手が、背中から幾重にも伸びている。 その先端は鋭く尖り、まるで槍のようだった。
「……嘘だろ……」
凪谷が呟いた。
その時。 巨大な怪物の口が、ゆっくりと開いた。
『……あはっ!』
聞き覚えのある声が響く。
『……みんな、小さくなっちゃったねぇ!』
◇
――ドゴォォン!!
一本の触手が、地面へ叩きつけられた。 石畳が砕け、周囲の家屋が大きく揺れる。
「――散開しろ!!」
ゼルディアスの怒声が響いた。 隊員たちが一斉に飛び退く。 だが、触手は一本ではなかった。
――ヒュンッ! ヒュンッ!!
無数の骨のような触手が、四方八方から襲いかかる。
「……ぐあっ!!」
「……うわああっ!!」
隊員たちが次々と吹き飛ばされた。
「……くそっ!」
ゼルディアスが拳を振り抜く。
――バキィン!!
一本の触手が砕け散った。 しかし、その背後から別の触手が迫る。
「……っ!」
ゼルディアスは身を捻り、辛うじて回避した。
「……数が多すぎる……!」
その時だった。
「――うわあああっ!!」
一人の隊員が、触手に足を絡め取られた。
「……た、助けてくれ!!」
身体が宙へ持ち上げられる。 その先には、アビスの巨大な口があった。
『……あはっ!』
アビスが嬉しそうに笑う。
『……いただきまーす!』
「――やめろぉぉ!!」
隊員が叫んだ。 だが、触手は容赦なく彼を引き寄せていく。
その瞬間。
「――させないっ!!」
――ザシュッ!!
二本の刃が、触手を斬り裂いた。
「……っ!?」
隊員の身体が落下する。 その下へ、優珠が飛び込んだ。
「……よいしょっ!」
隊員を抱えるように受け止め、地面を転がる。
「……だ、大丈夫!?」
「……あ、ああ……!」
隊員は震えながら頷いた。
「……ありがとう……!」
「うん! 早く下がって!」
優珠は双剣を構え直した。 その視線の先では、アビスの触手が再び蠢いていた。
◇
「――ギフトを持たねぇ隊員は全員退避しろ!!」
ゼルディアスの声が、村中に響き渡った。
「ここから先は、普通の戦闘じゃねぇ! 負傷者を連れて後方へ下がれ!」
「はっ!!」
隊員たちが一斉に動き出す。
「レイヴァルト! 撤退経路を確保しろ!」
「承知しました!」
レイヴァルトは剣を構え、迫り来る触手を迎え撃つ。
「――強化」
淡い光が剣を包み込んだ。
――ザンッ!!
鋭い一閃。 触手が斬り落とされる。
「……こちらです! 急いでください!」
隊員たちは、レイヴァルトの開いた道を通って後退していった。
◇
村の外れ。
負傷者の手当てが行われている場所では、ティアとオニキスが後方支援班と共に動いていた。
「……包帯、持ってきました!」
オニキスが治療班へ駆け寄る。
「ありがとう! そっちの負傷者もお願い!」
「はい!」
オニキスは頷き、次の負傷者へ向かった。 一方、ティアは周囲の状況を確認していた。
遠くから響く轟音。 地面を伝わる振動。 そして、村の中央から立ち上る土煙。
「…………」
ティアの表情が険しくなる。
――何だ、あれ。
村の家々の向こうに、巨大な黒い影が見えた。 それは、明らかに普通のデルマとは違っていた。
「……まずいな」
ティアが呟く。
「……ティアさん?」
オニキスが顔を上げる。
「……何か、あったんですか?」
「……ここも危険だ」
ティアは即座に判断した。
「全員、さらに後方へ下がるぞ!」
「……えっ!?」
治療班の隊員が振り返る。
「ですが、まだ手当てが――」
「ここで続けてたら、まとめてやられる」
ティアは鋭く言い切った。
「動かせる負傷者から運べ。重傷者は担架を使え!」
「……はっ!」
隊員たちが慌ただしく動き始める。 オニキスも、負傷者の荷物を抱えた。
「……僕も手伝います!」
「……ああ。だが、無理はするなよ」
ティアは短く答えた。 そして、オニキスの前へ立つ。
「……俺から離れるな」
「……はい!」
二人は後方支援班と共に、さらに安全な場所へと移動を始めた。
◇
――パンッ! パンッ!!
蛍の銃声が響いた。 弾丸が、アビスの触手を撃ち抜く。
「……くっ!」
一本を撃ち落としても、次の一本が迫ってくる。
「……にいちゃん! 右!」
「……分かってる!」
凪谷が刀を振り抜いた。
――ザシュッ!!
骨のような触手が切断される。 だが、切り落とした先から、黒い組織が蠢き始めた。
「……再生してる……!」
凪谷が歯を食いしばる。
「……これじゃ、キリがねぇ!」
少し離れた場所では、レグナードが素早く動き回っていた。
「……はぁっ!」
狼の鋭い爪が、触手を引き裂く。 しかし、巨大な本体には届かない。
「……参ったなぁ!」
レグナードが苦笑した。
「大きすぎて、どこを狙えばいいのか分からねぇ!」
「……弱点を探すしかありません!」
レイヴァルトが叫ぶ。
「ですが、この大きさでは……!」
ゼルディアスも、拳で触手を砕きながら周囲を見渡した。
――でかすぎる。
しかも、あの再生速度。 どれだけ攻撃しても、決定打にならない。
「……ちっ!」
ゼルディアスが舌打ちした。 その時。
『……あははっ!』
アビスの笑い声が響いた。
『……みんな、頑張ってるねぇ!』
無数の触手が、一斉に持ち上がる。
『……でもさぁ』
その先端が、凪谷へ向けられた。
『……僕、やっぱりあの子が欲しいなぁ!』
「……っ!?」
凪谷が顔を上げる。
次の瞬間。
――ヒュヒュヒュンッ!!
十数本の触手が、四方八方から襲いかかった。
「……くそっ!!」
凪谷は地面を蹴る。
一本目をかわす。
二本目を斬り落とす。
三本目を身を屈めて避ける。
だが――。
「……っ!?」
背後。
さらに、左右。
逃げ道を塞ぐように、触手が迫っていた。
「……まずい……!」
凪谷が刀を構える。 しかし、全てを防ぐには間に合わない。
――ヒュンッ!!
鋭い触手が、凪谷の胸元へ迫った。 その瞬間。
「――凪谷!!」
聞き慣れた声が響いた。
「……えっ!?」
誰かが、凪谷の身体を突き飛ばした。
――ザシュッ!!
鈍い音が響く。
「……っ!!」
凪谷が地面へ転がる。 顔を上げた、その先には――。
「……ゆ、優珠……?」
優珠が立っていた。 その右肩には、鋭い触手が深く食い込んでいた。
「……っ、あ……!」
優珠の表情が苦痛に歪む。 鮮血が、衣装を赤く染めていく。
「――優珠!!」
凪谷が叫んだ。 優珠は、残った左手で剣を握りしめる。
「……っ、はぁっ!!」
――ザシュッ!!
触手を斬り落とし、身体を引き抜いた。 だが、そのまま膝をつく。
「……っ、くぅ……!」
「……優珠!!」
凪谷が駆け寄る。
「……おい! しっかりしろ!」
「……あはー……」
優珠は、無理に笑おうとした。
「……いてて、やっちゃった……」
「……何言ってんだよ!!」
凪谷は優珠の肩を支えた。
右肩からは、まだ血が流れている。
「……俺を庇って……!」
「……だって……」
優珠は、苦しそうに息を吐いた。
「……あたしガーディアンだから……」
「…………っ!」
凪谷は唇を噛みしめた。
――まただ。
また、自分のせいで。 大切な仲間が傷ついた。
「……にいちゃん!!」
蛍が駆け寄ってくる。
「……優珠!?」
「……蛍! 優珠を頼む!」
「……うん!」
蛍は優珠の身体を支えた。 その間にも、触手は容赦なく迫ってくる。
「――下がれ!!」
ゼルディアスが飛び込んだ。
――ドゴォン!!
拳が触手を砕く。
「……お前らは後退しろ!」
「……でも!」
凪谷が言いかける。
「――いいから行け!!」
ゼルディアスの怒声が響いた。
「ここは俺が食い止める!」
「…………っ!」
凪谷は歯を食いしばった。 そして、優珠を支える蛍と共に後退を始めた。
◇
「……くそっ!」
ゼルディアスは拳を振り抜いた。
――バキィン!!
触手が砕ける。
だが、次の瞬間には別の触手が迫る。
「……ちっ!」
一本。
二本。
三本。
どれだけ砕いても、終わりが見えない。
『……あはっ!』
アビスの笑い声が響く。
『……ねえねえ! もう終わり?』
「……うるせぇ!」
ゼルディアスが怒鳴った。
『……つまんないなぁ!』
巨大な身体が、ゆっくりと前へ進む。 その足元で、家屋が押し潰されていく。
――ドゴォォン!!
「……っ!」
ゼルディアスが顔を上げた。 無数の触手が、空を覆っている。 その全てが、こちらへ向けられていた。
――まずい。
このままじゃ、全員が。
「……レイヴァルト!!」
「……はい!」
「全員を下がらせろ!!」
「……しかし、軍団長は!」
「俺はいい! 早くしろ!」
レイヴァルトは一瞬だけ躊躇した。
だが、すぐに頷く。
「……承知しました!」
「レグナード! 負傷者の護衛を頼む!」
「……了解!」
隊員たちが後退を始める。 ゼルディアスは、一人前へ出た。
「……さて」
ゆっくりと拳を握りしめる。
「……どこまでやれるかねぇ」
その頭上では、無数の触手が蠢いていた。
『……あははっ!』
アビスが笑う。
『……じゃあ、いただきまーす!』
触手が、一斉に振り下ろされた。
その瞬間――。
――ヒュヒュヒュヒュンッ!!
空から、無数の影が降り注いだ。
「……あ?」
ゼルディアスが顔を上げる。
次の瞬間。
――ドドドドドドッ!!
大量の槍が、地面へ突き刺さった。 その一本一本が、迫り来る触手を貫いている。
「……なっ!?」
アビスの動きが止まった。
『……え?』
さらに――。
――ジャラララッ!!
金属の擦れ合う音が響いた。 空中を、一筋の鎖が駆け抜ける。 その先端には、鋭い刃。
鎖鎌だった。
――ザザザザシュッ!!
凄まじい速度で回転する刃が、触手を次々と斬り裂いていく。
一本。
二本。
十本。
瞬く間に、ゼルディアスの頭上を覆っていた触手が薙ぎ払われた。
「…………!」
ゼルディアスは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、口元を緩める。
「……はぁ」
その表情には、安堵が浮かんでいた。
「……やっとお出ましかよ」
◇
「――随分と苦戦したな、ゼルディアス」
静かな声が響いた。
村の入口。 月明かりの下に、二つの人影が立っていた。
一人は、長い鎖鎌を手にした女性。 黒い髪を後ろに束ね、温度のない紫色の瞳でデルマを見つめる。 その立ち姿には一切の隙がない。
もう一人は、堂々とした佇まいで戦場を見据える男。 左目から首にかけての火傷の痕も相まって、歴戦の戦士を思わせる威厳が漂っていた。
そこにいるのは、たった二人。
「……遅くなってすまない。加勢しよう」
その声に、ゼルディアスは苦笑した。
「……はぁ、遅いぜ大将……」
凪谷たちも、驚いたように二人を見つめていた。
「……誰だ……?」
凪谷が呟く。
レイヴァルトが、静かに答えた。
「……東方面を守護する軍団長、ラス・ノットゥルノ様」
そして、もう一人へ視線を向ける。
「……ドラフ・レギオー総大将、ラロリーザ・クラッシャー様です」
「……総大将……!?」
蛍が目を見開いた。
ゼルディアスは、再び巨大なアビスへ視線を戻す。 その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「……さあて」
拳を握りしめる。
「……こっからが本番だ」
夜の村に、再び風が吹き抜けた。
――絶望に包まれた戦場へ、たった二人の強者が降り立った。




