デルマ
のろのろと近づいていたそれが鎌のような手を振り上げて迫る。
――っ! ――死ぬ!!
「兄ちゃんっ!」
凪谷は咄嗟に帯刀していた刀に手をかけ、その異形の攻撃を受け止めた。
――ガンッ!!
鈍い音と共に襲い来る衝撃を、凪谷は全身の力で受け止めた。
不快な悪臭が鼻につき呼吸が一瞬乱れるが、目線だけはその爛れた皮膚の奥にある瞳からそらすことはなかった。
「くっ……! おらぁっ!」
渾身の力でそれを押し返し、心臓があるであろう胸元へ刃を突き立てると、凪谷はすぐさま距離をとった。
ぐちゃりと嫌な音を立てて地面に倒れるそれを一瞥し、激しく上下する胸の上に手を置いて呼吸を整えた。
「はぁ、はぁ……なんだよ、こいつ……」
「うっ、早く逃げよう、兄ちゃんっ――!」
――!?
蛍は、こちらを振り返った凪谷の背後で、再びぐにゃりと立ち上がるそれを見た。
思わず自分も腰にある銃へと手を伸ばし、セーフティを解除する。
それと同時に、視界を黒髪の少女が軽やかに通り過ぎた。
「あはー! こいつは頭が弱点だよー!」
「優珠ちゃん!?」
「っ!?」
一瞬だった。
凪谷が振り返った時、既に異形の化け物の首から上は、それ自身の後方へと転がっていた。
そしてトドメとばかりにその首の眉間に刀を突き立てると同時に、その異形のものは灰となってその場に崩れ落ちた。
「もしかして、だけど君たち、デルマを見るのは初めて?」
「「……デルマ?」」
2人の声が綺麗に重なった。
「うーん。あ、もしかしてデルマって言い方がダメだった? 倭国辺りじゃ確か『妖怪』って言うね。ここら辺じゃ『悪魔』って呼ぶ人も多いよ」
「いや、デルマ……名前は聞いたことあるが……」
「僕達、実際に見たのは初めてで、今のがデルマなんだね」
優珠は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「デルマを見たことないなんて、君たち、一体どこからやって来たの?」
「……向こうに見える森の、奥の方だ」
凪谷はしかめっ面で、今来たばかりの大地を指さした。
「へぇ、あんな所にも、まだ無事な村があったんだねぇ」
「えぇ、それってどういう……?」
「蛍。それより、アイツらいったいなんなんだ?」
大げさに驚いた蛍を制しながら、凪谷は優珠を見た。
見たところどこにでもいそうな少女であるが、先ほどの立ち回りは随分と場慣れした様子だったし、先ほども今も、彼女は化け物を殺したにしては涼しい表情のままだ。
「何って聞かれても、あいつらの目的とかはあたしもよく分かんないよ。ただデルマって呼ばれてて、人間を襲うの。んで、時々食べる」
「うっ、気持ち悪いね……」
先ほどの爛れた身体や頭部を思い出したのか、蛍は大きいに顔をしかめた。
優珠はくるりと彼らに背を向けると、近くにあった大きな石に腰掛ける。
ライターの火を消すように、彼女は続ける。
「今から500年程前に世界中で勃発した大飢饉、その直後にアイツらは現れたんだって。奴らは弱点を潰さないと死なないし、やたら強いデカいヤツとかもいてさ、大きな国は各々《おのおの》『デルマ対策』なんてのが出来たみたいだけど、小さな国や村は大概奴らに食われて無くなったそうだよ」
「ごっ……!? そんなに前からかよ?」
「そうそう。そのせいで国と国の交流が殆どできなくなっちゃったんだよね」
(そういうことか……)
2人が幼い頃に母から聞いた『ロゼオ神話』。
その第1巻で、ロゼオは怪物に襲われる一つの村を救っていた。
そしてそこの村人達に頼まれて立ち入った森の中で、透き通る青い髪を持つ少女と出会い、その少女を仲間に入れるというエピソードがあった。
今思えばあの依頼は、デルマのせいで森の深くまで行くことが出来なかったためにロゼオに頼んだのだろう。
デルマの事を本に詳しく書いていなかったのも、それがいる事がこの世界では当たり前の日常だったからだと、凪谷は納得した。
「それで、デルマの弱点って何なんだ?」
この先旅をする上で必ず出会う敵の情報だけに、凪谷も蛍も真剣な面持ちだ。
一方、優珠はそんな真剣な2人を見て、どこか得意げな表情になった。
「ふふーん。それはね、身体の一部分だよ」
――??
「あははっ、面白い顔!」
「いや! ふざけんなよ!」
「こら、兄ちゃん、落ち着いて。もう、優珠ちゃん、ごめんね?」
「あはー! 2人とも対照的だね~」
マイペースな優珠にまんまと振り回される凪谷に、蛍は若干の呆れ顔になる。
「うーん、でも間違いではないよ? デルマの弱点は黒く染まってる部分だから、個体差があるんだよね~」
「え、そんなに曖昧なの?」
「うん。だから、身体の中に弱点がある場合は直ぐに見つけられないし、もともと赤黒いから殆ど弱点は見分けつかないかな」
「まじかよ……そんな敵相手によく飄々《ひょうひょう》としてたなお前……」
「まぁ、あたし強いからね」とあっけらかんと言い放つ優珠に、2人は妙な説得力を感じた。
「ところでさ、あたしからも質問して、いーい?」
「そりゃ、もちろん」
――答えられるか分かんないけど。蛍は両眉を下げてそう付け足した。
「デルマのこと見たことないのに知ってるって言ってたからさ、何で知ったのかなって」
「あぁ、それなら――」
2人はここに来るまでの経緯を話し始めた。
道すがら、優珠の目的である薬草を探しつつ前方の森へ足を踏み入れつつ、大まかな流れときっかけを優珠に伝えていく。
「ロゼオのようにこの世界を旅する事が、俺達の夢だ」
力強く言い切った凪谷に、蛍もどこか誇らしげな表情を浮かべていた。
優珠はその話を聞き、少し困惑したように目を瞬かせる。
「えっと、2人はロゼオ神話を読み聞かせてもらったの?」
パキリと小枝を踏んで立ち止まった優珠に続き、凪谷と蛍もつられて足を止めた。
2人で顔を見合わせ、蛍が腰のポシェットから一冊の本を取り出す。
その本は蛍の掌よりやや大きめで、表紙は赤紫に金色の装飾が施してあるものだった。そしてその本の表紙には“何も書かれていなかった。”
優珠はわかりやすく表情を変えると、その本を受け取り、パラパラとページをめくる。
「もしかして、これって……」
「あぁ。それね、母さんじゃないと読めないんだ」
蛍は少し寂しげに呟いた。
そしてその一言に、優珠はとある確信を抱く。
「これ、メモリーブックだね」
優珠は真っ白なページを眺めながら、そう静かに告げたのだった。




