邂逅
その日は雲一つない真っ青な空だった。生い茂る木々の隙間から差す木漏れ日に、凪谷は目を細める。
「兄ちゃん、どうしたの?」
数歩先を歩く双子の弟、蛍に視線を移すと、彼の檸檬のような髪色に光が反射してキラキラと輝いていた。
「いや、なんか実感が湧かなくてさ。俺たち、本当に村を出たんだなって」
「あはは。なーんだ、兄ちゃんも同じこと考えてたんだ」
彼らには、幼い頃からの夢があった。
――ロゼオのような大冒険をする。
ロゼオとは、遠い昔、大好きだった母親に読み聞かせてもらった冒険譚の主人公の名前である。
その本は『ロゼオ神話』と言って、その名の通り主人公のロゼオが世界中を旅し、様々な出会いと別れを繰り返し、最終的には神の国に至り彼自身も神になるという壮大な物語だった。
実際は、彼らの母親が持っていた『ロゼオ神話』の第一章である【START。】の中身しか読み聞かしてもらっていなかったが、生まれ育った村が閉鎖的だったのもあり、2人は外の世界にとても強い憧れを抱いていた。
母親と村を出て外の世界へ行くのは、大人になってから。そんな約束をした2人だったが、今日がいよいよ2人の村でいう成人、凪谷と蛍の15歳の誕生日だったのだ。
「でも兄ちゃん、この森を抜ければ、きっと雪の王国や色の街! あたらしい太陽の昇らない国や倭国があるって思ったら、わくわくしない!?」
「はははっ、焦りすぎだろ。この森を出てもまずあるのは小さな集落だって、母さん昔言ってただろ? まずはこの大陸を横断して、でっかい国に行かないと」
スキップ混じりに先を行く弟を呆れた目で見つつ、獣などの外敵が近くにいないかと用心しながら森を進む。蛍の腰のホルダーには二丁銃が、凪谷の腰には一振りの刀が。これが母の形見であり、自分たちを守る唯一の手段だった。
今に至るまでの過酷な鍛錬の日々が、走馬灯のように脳裏を過ぎる。すべてはこの日のために。森の外にはたくさんの危険がある。それらに打ち勝つための力を、2人は鍛え続けてきたのだ。
彼はただ、夢のために生きてきた。
◇
「うひゃーー! 見事になーーんにもないな!」
森を抜けた2人が目にしたのは、広大に広がる草原だった。高い山脈に囲まれたそこには、一面の緑が広がっている。
2人は開放感溢れるその景色に、思わず深く息を吸い込んだ。
「広いな、すっげー広いな!」
胸が高鳴るのを感じる。ただっぴろい大地に高い山脈。その向こうには、更に想像もつかない光景が広がっているのだろう。どちらともなく、2人は駆け出した。目的はないが、ただただ楽しかった。この緑の絨毯がどこまで続いているのかを確かめたかった。
とはいえ、その答えは案外早くに見つかる。
「あれ、兄ちゃん、あそこになんか見えない?」
「ん? 確かに建物……小屋みたいなのが見えるな。もしかしたら人がいるかもしれない!」
「本当だ! あれももしかして人影? 早く行こう!」
狩猟で鍛えた2人の目は、山脈の麓にある集落を捉えた。僅かに動く影も見え、いよいよ冒険が始まったという小さなワクワク感に息が切れるのも忘れ、走り続けた。
「ん? あれは人里じゃねーな」
確かに小さな小屋が集まっている場所ではあったが、人が住んでいる気配がそこにはなかった。2人は走る速度を落とし、のんびりとその場所へ向かう。
「んーでも、おっかしーな。さっき人影みたいなの見たんだけど……あっ!」
突然、蛍が何かを発見した。凪谷はその視線の先を辿る。
――っ!?
「蛍っ、静かにっ。伏せろ!」
ぞわりと、背中に冷たい悪寒が走る。しっかりと影を捉えたわけではないが、凪谷は本能的にそれを「よくないもの」だと判断した。幸い、2人の足元に生える背の高い草のお陰で、身を屈めれば向こうからこちらは見えない。蛍は眉間に皺を寄せる兄に問いかけた。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「分からないけど……あれ、本当に人か?」
凪谷自身、何故その影を危険だと思ったのかは分からなかった。ただなんとなく、身の危険を本能が察知したのだ。
「人じゃないのかな? でも、猿とかにしては大きくない?」
「それはそうだが……少し近づいて様子を見よう」
2人の位置から見える小屋は4つと、一定の間隔を空けてポツポツと建っていた。近づいて分かったのは、そこはもう誰も住んでいなさそうな廃村だということだった。蛍の言う人影を探し周囲を見渡すと、小屋と小屋の間から白い足が伸びているのが見えた。
「ねぇ兄ちゃん、あれ、人の足じゃない?」
「どこだ? ……確かに、足っぽいな」
「倒れてるかもしれない! 行ってみよう!」
「あっ、馬鹿、待てっ!」
◇
「いやーーー! 助かったよ! お腹すいちゃってってもうダメかと思ったよーーー! あはー!」
「なんでこんな所で行き倒れてんだよ……」
朗らかな笑顔で凪谷の差し出した携帯食料を次々と胃に収めていく彼女は、名を優珠と言った。肩まである長い黒髪を結い上げ、その背には彼女の小柄な体躯には少々不釣り合いな二振りの刀を帯びている。見たところ凪谷たちと同じく15歳前後だろう彼女は、ブラックホールのように次から次へと食料を口に頬張っては、もぐもぐと幸せそうに咀嚼を繰り返していた。
「まぁまぁ兄ちゃん。でも確かに、君はどうしてここにいるの? ここ、見た感じ誰も住んでないよね?」
呆れ顔の兄に代わり、蛍はきょろきょろと辺りを見回しながら問いかける。
――ごっくん。
「いやぁ、なんだっけ? 確か『トキノ草』っていう薬草がここら辺にあるって聞いてさ。探しに来たんだけど、3日間くらいずっと探してるんだけど全然見つからなくてさ~」
片方の頬をぷくっと膨らませつつ、不満げに優珠は呟いた。
凪谷と蛍はお互い顔を見合わせると、おもむろにバッグから綺麗に整理された薬入れを取り出す。
「トキノ草って、これのことか? 煎じて飲めば良い痛み止めになるし、俺達も結構確保はしてるけど、これってそんなに探さなきゃ見つからねぇ草か?」
深い森の中で育った双子にとって、森の木々や草花は時に食料や薬に変わる身近なアイテムであった。幼い頃より慣れ親しんだそれらを探し出すことも、見分けることも難しいことではない。
優珠は目の前の草を見て驚きを隠さず、パッと顔を輝かせた。
「わぁ! すごい凄い! ねぇねぇ、その草のある所、案内して欲しいな!」
「もちろん! ね、兄ちゃんもいいよね?」
「あぁ。別にかまわねぇよ」
「やったー!」と声を上げて立ち上がった優珠につられ、2人もそれに続こうと立ち上がった。――その時。
――ヴッ、あ゛、ぁー、ぁああ……!
「なんだっ……!?」
――突如。小屋の向こう側から、気味の悪いうめき声が聞こえた。
「あちゃー、おでましか~」
緊迫感で強張る2人の背後で、優珠はのんびりと呟いた。
そうこうしているうちに、そのうめき声はざりざりと地面を引きずる音を立てながら、確実にこちらへと近づいてくる。
「ひっ、兄ちゃん……あれっ、あれなに?」
「知らねぇよ、くっ……!」
酷い異臭に、思わず凪谷は手で鼻と口を覆った。
暗がりから這い出てきたそれは、正しく異形の怪物だった。
「人じゃねぇよな……?」
おおよそ人に似た形をしているが、顔や見えている部分の皮膚は爛れ、腐り落ちている。手があったであろう場所は鎌のように尖り、どす黒く染まっていた。
逃げなければいけない。恐らくあれは人を襲う類のものだと、彼らの本能が察知する。しかし、咄嗟のことに足がすくみ、2人ともその場から動けずにいた。
――ぅぁ、あ゛あ゛ああああああ!!!




