守れなかった命
――ドドドドドッ!!
街道に、無数の蹄の音が響き渡った。 土煙を巻き上げながら現れたのは、黒と紫を基調とした軍装に身を包む騎馬隊。 先頭を走る男は、他の隊員たちよりもひときわ大きな存在感を放っていた。
長く伸ばした髪を後ろへ流し、顎には無精髭。 肩から羽織った黒紫の外套が、風を受けて大きく翻っている。 鋭い眼光が、荒れ果てた街の入口を見渡した。
「……随分と派手にやられたもんだな」
男は低く呟くと、片手を上げた。
「全隊、停止!」
その号令と共に、騎馬隊が一斉に速度を落とす。 馬のいななきが響き、次々と隊員たちが地面へ降り立った。
「負傷者の確保を最優先にしろ! 動ける者は安全な場所へ誘導、重傷者はすぐに治療班へ回せ!」
「はっ!」
「まだデルマが残っている可能性がある。周囲の警戒も怠るな!」
「はっ!」
隊員たちは迷いなく散開した。
倒れた警備兵へ駆け寄る者。 街の門を守る者。 負傷者を担架へ乗せる者。
その動きには、一切の無駄がなかった。 男は馬から降りると、後方の隊員たちへ視線を向けた。
「戦闘班は俺についてこい」
「はっ!」
数人の武装した隊員を引き連れ、男は戦場の中央へと歩き出した。 その先では、三人の少年少女が、二人の人影と対峙していた。
◇
「……おい」
男は近くにいた警備兵へ声をかけた。
「ここの責任者は誰だ?」
「はっ! わ、私です!」
傷だらけの警備兵が、慌てて姿勢を正す。
「ドラフ・レギオー、ゼルディアス・クロイツだ。現状を報告しろ」
「はっ!」
警備兵は額の汗を拭いながら答えた。
「街の入口に、多数のデルマが出現しました! 中には三メートルを超える大型個体が三体確認され、我々だけでは対象する事ができず、旅人の三名の加勢を得て討伐しました」
「……大型が三体、か。 その三名がいま戦闘してる奴らだな」 「はい!」
ゼルディアスは眉を上げた。 まだ年端もいかない少年少女。 一人は黒い刀を構え、一人は二丁の拳銃を握り、もう一人は双剣を携えている。
その姿は、どう見ても歴戦の戦士には見えなかった。
「……ほぉ」
ゼルディアスは感心したように小さく頷いた。
「で、今あいつらが戦っている相手は何者だ?」
「そ、それが……!」
警備兵は言い淀んだ。
「……どうした?」
「後から現れた、あの二人も……デルマだというのです!」
「…………は?」
ゼルディアスの視線が、灰緑色の髪の青年と、桃色の髪の少女へ向けられた。 どちらも人間と変わらない姿をしている。
肌も、髪も、表情も。 何一つ、異形らしい部分は見当たらない。
「……あれがデルマだと?」
「は、はい! 旅人の少年が、そう叫んだ直後に攻撃を受けまして……!」
ゼルディアスは目を細めた。
――人間の姿をしたデルマ。
にわかには信じ難い話だった。 だが、目の前では明らかに人間離れした速度で戦闘が続いている。 そして何より、あの二人は街を守ろうとしている様子など微塵もない。
「……そうか」
ゼルディアスは短く答えた。
「なら、話は早ぇ」
背後の隊員たちへ振り返る。
「目標、前方の二名!」
「はっ!」
「旅人の三人を援護しろ! ただし、相手は正体不明のデルマだ。油断するなよ!」
「了解!!」
隊員たちが一斉に武器を構えた。 ゼルディアスは拳を握りしめる。
「……さて」
その口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
「俺も少し、働くとするか」
◇
――ガキィン!!
凪谷の刀が、ブレイクの拳を受け止めた。
「……くっ!」
「くはっ! どうしたよ! さっきより動きが鈍いぜ!」
「……うるせぇ!」
凪谷は刀を押し返す。 だが、ブレイクの傷はすぐに塞がってしまう。 一方、蛍と優珠もアビスを相手に苦戦していた。
「……はぁっ、はぁっ……!」
「……あはっ! もう疲れちゃった?」
アビスが楽しそうに笑う。
「まだまだ遊べるよねぇ?」
その時だった。
「――伏せろ!!」
突然、背後から野太い声が響いた。
「……っ!?」
凪谷が反射的に身を屈める。
次の瞬間。
――ヒュンッ!!
一本の槍が、凪谷の頭上を通り過ぎた。
「……あ?」
ブレイクが顔を上げる。
――ガキィン!!
槍の穂先が、ブレイクの腕に弾かれた。
「……ちっ!」
ブレイクが後方へ跳ぶ。
その隙に、武装した隊員たちが凪谷の前へ駆け込んできた。
「大丈夫か、少年!」
「……えっ!?」
凪谷が目を丸くする。
「俺たちはドラフ・レギオーだ! ここからは共に戦うぞ!」
「……ドラフ・レギオー……!」
先ほど警備兵たちが叫んでいた名前。 その集団が、ついに戦闘へ加わったのだった。
「……へぇ」
ブレイクが口角を吊り上げる。
「随分と賑やかになってきたじゃねぇか」
「……あはっ!」
アビスも嬉しそうに笑った。
「ねえ、ブレイク! いっぱい増えたね!」
「……ああ。退屈しなくて済みそうだ」
二人は、まるで新しい遊び相手を見つけたかのように笑っていた。
◇
「少年!」
隊員の一人が、凪谷へ声をかけた。
「あの男の弱点は分かるか!?」
「……まだです!」
凪谷は刀を構え直した。
「再生が早すぎて!」
「……なるほど」
隊員はブレイクの動きを観察した。
その時。
「くはっ! 相談してる暇なんかねぇぞ!」
ブレイクが地面を蹴る。 凄まじい速度で、凪谷たちへ迫った。
「……っ!」
凪谷が刀を構えた瞬間。
「――邪魔だ」
低い声が響いた。 そして――。
――ドゴォォン!!
凄まじい衝撃音。
「……がっ!?」
ブレイクの身体が、勢いよく吹き飛んだ。 そのまま石畳を転がり、街の外壁へ激突する。
――ガラガラッ!!
壁の一部が崩れ落ちた。
「…………え?」
凪谷が呆然と目を見開く。 目の前には、一人の大柄な男が立っていた。
黒紫の外套。 長い髪。 無精髭を蓄えた、鋭い顔立ち。
その男は、何事もなかったかのように拳を下ろした。
「……まったく」
ゼルディアスが肩を鳴らす。
「随分と調子に乗ってるじゃねぇか」
「……す、すげぇ……!」
凪谷が思わず呟く。
「……あんた、今……拳で……?」
「ん?」
ゼルディアスが振り返る。
「ああ。俺のギフトは『剛力』だ」
そう言うと、軽く拳を握った。
「力仕事なら、ちっとばかし自信があってな」
「……ちっとばかしって……!」
凪谷は崩れた壁を見つめた。
どう考えても、そんな言葉で済む威力ではなかった。
「……くそっ!」
瓦礫の中から、ブレイクが立ち上がる。 その頬が、怒りに引きつっていた。
「……なんだ、てめぇ……!」
「ドラフ・レギオーのゼルディアス・クロイツだ」
ゼルディアスは悠然と答えた。
「今の攻撃でピンピンしてるたぁ、デルマってのは本当みたいだな」
「……くはっ!」
ブレイクは不敵に笑った。
「面白ぇじゃねぇか……!」
再び、地面を蹴る。
だが――。
「――右だ!!」
ゼルディアスの声が響いた。 その言葉に、隊員たちが一斉に動く。
「はっ!!」
左右から槍が突き出され、ブレイクの動きを封じる。
「……ちっ!」
ブレイクは槍を払い、身を捻った。
その瞬間。
――ザシュッ!!
凪谷の刀が、ブレイクの右脇腹を斬り裂いた。
「……ぐっ!?」
ブレイクの表情が歪む。
「……っ!?」
凪谷が目を見開いた。 今まで斬りつけた場所とは、反応が違う。 ブレイクは反射的に右脇腹を押さえ、距離を取った。
「……そこか!」
ゼルディアスが叫んだ。
「右の脇腹! あそこを庇ってやがる!」
「……っ!」
凪谷は刀を握り直した。
「……コアが、そこに……!」
ブレイクは、ゆっくりと顔を上げた。 先ほどまでの余裕は消えていた。
「……てめぇら……!」
その金色の瞳に、怒りが宿る。
◇
「……ブレイク?」
少し離れた場所で、アビスが首を傾げた。
「……あれ?」
いつも余裕たっぷりのブレイクが、明らかに苛立っている。 それが、少し不思議だった。
「……あはっ! もしかして、危ない?ださーーーい!」
「……うるせぇ!」
ブレイクが怒鳴る。 その視線は、ゼルディアスと凪谷へ向けられていた。
――あの大男。
まともに殴り合えば、厄介な相手だ。 しかも、右脇腹のコアの位置まで見抜かれた。 これ以上、ここで戦い続けるのは得策ではない。
「……ちっ!」
ブレイクは舌打ちした。
「……おい、アビス!」
「……んー?」
「帰るぞ!」
「……えーっ!?」
アビスが不満そうに頬を膨らませた。
「まだ、あの子の魂食べてないよ?」
「……今は無理だ!」
ブレイクは凪谷を睨みつけた。
「……くそっ。せっかくの上物だったのによ」
「……えー……」
アビスは名残惜しそうに凪谷を見つめる。
「……また会えるかなぁ?」
「……知るか。行くぞ!」
そう言い残すと、ブレイクは大きく跳躍した。 その身体が、街の城壁を軽々と飛び越える。
「……あっ! 待ってよー!」
アビスも慌てて後を追った。 その途中で、一度だけ振り返る。
「……あはっ!」
金色の瞳が、凪谷を捉えた。
「またねぇ! 美味しそうなお兄さん!」
そして、桃色の髪が城壁の向こうへ消えた。
◇
「……逃げた……?」
凪谷は呆然と呟いた。
「……ああ」
ゼルディアスが拳を下ろす。
「どうやら、そのようだな」
「……追わなくていいんですか!?」
凪谷が尋ねる。
「追いたいところだがな」
ゼルディアスは街の入口を振り返った。
「……今は、こっちが先だ」
その視線の先では、隊員たちが負傷者を運んでいた。
倒れた警備兵。 傷ついた街の人々。 崩れた建物。
「……っ」
凪谷は、言葉を失った。
「……にいちゃん」
蛍が、ゆっくりと近づいてきた。
「……終わったね」
「……ああ」
凪谷は刀を鞘へ納める。
「……終わったな」
二人は、ほっと息を吐いた。
その時だった。
「……っ!」
蛍の表情が、固まった。
「……にいちゃん……」
「……ん?」
凪谷が振り返る。
そして――。
「…………っ」
息を呑んだ。
◇
街の門の脇。
そこには、幾つもの身体が並べられていた。 ドラフ・レギオーの隊員たちが、負傷者と死者を分けて運んでいる。
地面には、血に染まった布。 折れた武器。 そして、二度と動くことのない人々の姿。
ある者は、腕を失っていた。 ある者は、身体を深く裂かれていた。 顔を判別することさえ難しい者もいた。
「…………っ」
凪谷の喉が、ひくりと震えた。 鼻を突く、濃い血の匂い。 その光景が、あまりにも生々しくて。
「……うっ……!」
思わず、口元を押さえた。 胃の奥から、何かが込み上げてくる。
「……にいちゃん……」
隣では、蛍も青ざめた顔をしていた。 二人は、しばらく何も言えなかった。
つい先ほどまで。
自分たちは、デルマを倒せたことに安堵していた。 街を守れたと、喜んでいた。 警備兵たちも、笑っていた。
けれど――。
「……間に合わなかったんだ……」
凪谷が、小さく呟いた。
「……え?」
蛍が顔を上げる。 凪谷は、並べられた遺体を見つめたまま続けた。
「……俺たちが、もっと早く来てれば……」
拳を握りしめる。
「……もっと早く、デルマを倒せてれば……!」
その声が、震えた。
「……この人たちだって……!」
蛍は何も言えなかった。 ただ、凪谷と同じように、目の前の光景を見つめていた。
「……にいちゃん」
やがて、蛍が小さく口を開く。
「……僕も、そう思う」
凪谷が振り返る。
「……もっと早く助けられたらって……僕も、思うよ」
蛍は唇を噛んだ。
「……でも、僕たちが助けられた人も、ちゃんといる」
「…………」
「……だから、次は……」
蛍は、ぎゅっと拳を握った。
「……もっと、助けられるようになりたい」
その言葉に、凪谷はゆっくりと目を伏せた。
――そうだ。
守れた命もある。 けれど、守れなかった命もある。 その事実から、目を背けるわけにはいかない。
「……ああ」
凪谷は小さく頷いた。 そして、もう一度、並べられた遺体を見つめた。
――デルマ。
人の魂を喰らい、命を奪う化け物。
ギブンも。 さっきの二人も。 あいつらは、人の命を奪うことを何とも思っていない。 むしろ、楽しんでいた。
「……絶対に……」
凪谷が、低く呟いた。
「……絶対に、許さねぇ」
蛍が、その横顔を見つめる。
「……にいちゃん」
「……デルマは、倒さなきゃいけない」
凪谷の瞳に、強い決意が宿った。
「……もう、誰かがこんな目に遭うのは……見たくねぇ」
その声は、小さかった。 けれど、確かな重みを持っていた。 蛍は静かに頷いた。
「……うん」
二人は、しばらくその場に立ち尽くしていた。 遠くでは、まだ救助活動が続いている。
負傷者を呼ぶ声。 隊員たちの足音。 誰かのすすり泣く声。
街を守る戦いは、終わった。
けれど、その戦いが残した傷跡は、あまりにも深かった。
――救えた命と、救えなかった命。
その両方を胸に刻みながら。
凪谷と蛍は、再び前へ進むことを誓った。




