闇の国と二つの影
枯れた桜並木の下を、一台の荷馬車がゆっくりと進んでいた。 車輪が石畳を踏むたびに、ガタゴトと乾いた音が響く。
その傍らを歩くのは、凪谷、蛍、優珠、オニキスの四人。 先ほどデルマの群れから救出した商人と、その護衛を務める二人のガーディアンと共に、南の街を目指していた。
「いやぁ、本当に君たちには助けられたよ!」
御者台に座った商人が、何度目か分からない感謝の言葉を口にした。
「この辺りは最近物騒でねぇ。昔はガーディアンを雇わなくても、通れてたんだけどなぁ」
「そんなにデルマが増えてるんですか?」
蛍が尋ねる。
「ああ。昔はここまで頻繁に出ることなんてなかったんだが……」
商人は困ったように眉を下げた。
「特にここ数年はひどいもんさ。街道を使う商人も減っちまってね」
「……やっぱり」
凪谷は頭上の桜を見上げた。
葉を失い、黒ずんだ枝を伸ばす桜並木。
ヴェルグラードで見た、あの青々とした桜とはまるで違う。
その違いが何を意味しているのか、今の凪谷たちには少しだけ分かるようになっていた。
「……あの、おじさん」
「ん? なんだい?」
「ドラグヴェイン王国について、ちょっと聞いてもいいですか?」
その名前を聞いた途端、商人の表情がわずかに変わった。
「ドラグヴェイン? ああ、もちろん構わないよ」
「俺たち、これからそこに行こうと思ってるんですけど……最近、何か変わったことってありませんか?」
「……変わったこと、か」
商人は少し考え込んだ。 そして、空を見上げる。
「そうだねぇ……一番大きいのは、やっぱり空かな」
「……空?」
オニキスが首を傾げた。
「ああ。今から三年くらい前だったかな。突然、国の空に分厚い雲が広がるようになったんだ。今じゃ周辺諸国にも雲が広がってきてる」
「雲……?」
蛍が聞き返す。
「それが不思議なことに、いつまで経っても晴れないんだよ」
商人は肩をすくめた。
「朝になっても、昼になっても、ずっと曇り空。太陽が昇っているはずなのに、国中が薄暗いままなのさ」
「えーっ!? ずっと!?」
優珠が驚いたように声を上げた。
「じゃあ、お洗濯とか大変そう!」
「……そこなのか?」
凪谷が苦笑する。
「いやいや、実際そうなんだよ」
商人は笑いながら頷いた。
「洗濯物は乾かないし、作物の育ちも悪くなる。おかげで農家の人たちは随分苦労しているらしい」
「……そうなんだ」
オニキスが小さく呟いた。
「それにね、最近じゃドラグヴェインのことを、こんなふうに呼ぶ人もいるんだ」
商人は少し声を落とした。
「――『闇の国』ってね」
「……闇の国?」
凪谷が繰り返す。
「ああ。もちろん、真っ暗で何も見えないってわけじゃないよ。昼間なら外を歩くのに困るほどじゃない」
商人は手綱を握り直した。
「ただ、昔のドラグヴェインを知っている人間からすると、随分と寂しい景色になっちまったなぁ」
「……昔は違ったんですか?」
蛍が尋ねた。
「そりゃあもう。青空が広がって、緑も豊かで、綺麗な国だったよ」
「……三年前から、か」
凪谷は小さく呟いた。
ビオッシャから聞いた話が、頭をよぎる。
ドラグヴェイン王国にいるという、フィアンマの少年。
自分がフィアンマであることに気づいていなかったかもしれない、伯爵家の男の子。
もし、今もその力を使いこなせていないのだとしたら――。
「……にいちゃん」
蛍が小声で呼びかけた。
「……ああ」
凪谷も小さく頷く。
空を覆う雲がフィアンマと関係しているのか。
桜が枯れている原因も、本当に同じなのか。
それを確かめに行こう。
「……教えてくれてありがとうございます!」
凪谷は商人に笑いかけた。
「いやいや! こっちこそ、君たちのおかげで無事に帰れそうだからね!」
商人は朗らかに笑った。
その笑顔を見ながら、凪谷はもう一度、枯れた桜並木の先を見つめた。
――ドラグヴェイン王国。
そこには、一体何が待っているのだろうか。
◇
それから、しばらく歩いた頃だった。
「おっ! 見えてきたぞ! あそこの街はもうドラグヴェインの領地だよ」
御者台の商人が、嬉しそうに声を上げた。
「ほら、あそこだ!」
指差された先には、石造りの城壁に囲まれた街が見えていた。
大きな門と、そこから覗く幾つもの建物。
街道沿いには古い道標が立ち、荷馬車の通行を想定した広い道が続いている。
「わぁ! 結構大きな街だね!」
蛍が目を輝かせた。
「あはー! 美味しいものあるかなぁ!」
「お前、そればっかだな……」
凪谷が笑う。
「……でも、なんだか変じゃない?」
その時、オニキスが小さく呟いた。
「……ん?」
凪谷が顔を上げる。
「何がだ?」
「……街の方、なんだか騒がしい気がする」
言われてみれば、確かにそうだった。
遠くから、何かが聞こえてくる。
人々の叫び声。
金属がぶつかる音。
そして――。
――ドォォン!!
鈍い轟音が響いた。
「……っ!?」
蛍が目を見開く。
街の門の向こうから、土煙が上がった。
「な、なんだ!?」
商人が慌てて手綱を引く。
馬が驚き、甲高くいなないた。
「……まさか」
凪谷は目を凝らした。
門の前を、武装した人影が走っている。
剣を振るう者。
槍を構える者。
その向こうには、見覚えのある異形の姿があった。
「……デルマだ!!」
凪谷が叫んだ。
◇
「門を守れぇぇ!!」
怒号が響き渡った。
街の入口では、十数人の警備兵たちが必死に応戦していた。
その相手は無数のデルマ。
人型に近いものもいれば、四つん這いで地面を這うものもいる。
だが――。
「……おい、嘘だろ……」
護衛の剣士が、呆然と呟いた。
そこには、これまで見たこともないほど巨大なデルマがいた。
全長三メートルを優に超える巨体。
異様に発達した腕。
歪んだ頭部には、人間の顔を無理やり引き伸ばしたようなものが張りついている。
しかも、一体ではない。
「……三体!?」
蛍が叫んだ。
巨大なデルマが、三体。
それぞれが警備兵たちを蹴散らしながら、街の門へ迫っていた。
「ぐああっ!!」
一人の警備兵が、巨大な腕に薙ぎ払われた。
身体が宙を舞い、地面へ転がる。
「くそっ! これ以上は持たんぞ!!」
「増援はまだか!?」
「ドラフ・レギオーへの連絡は!?」
「もう送ってある! だが、まだ到着していない!」
警備兵たちの声には、明らかな焦りが滲んでいた。
「……まずいな」
凪谷は刀の柄に手をかけた。
「蛍! 優珠!行くぞ!オニキス!こと人たちを安全な所へたのむ!」
「うん!」
「あはー! 行こう!」
「分かった!」
オニキスは力強く頷いた。 直後、三人は街の門へ向かって駆け出した。
◇
「うおおおっ!!」
巨大なデルマが、腕を振り上げた。
その真下には、倒れ込んだ警備兵の姿がある。
「……っ!」
警備兵は必死に起き上がろうとした。
ーーだが、間に合わない。
「くそっ……!」
巨大な拳が振り下ろされる。 その瞬間――。
「おおおおっ!!」
黒い刀身が、視界を横切った。
――ザシュッ!!
デルマの腕が、大きく裂けた。
「ギィィィィッ!!」
異形が悲鳴を上げる。
「……なっ!?」
警備兵が目を見開いた。
その前には、一人の少年が立っていた。
「大丈夫ですか!?」
凪谷だった。
「き、君は……!?」
「話は後で!」
凪谷は刀を構え直す。
「今は、こいつを倒しましょう!」
「……っ! あ、ああ!」
警備兵が立ち上がった。
巨大なデルマは、怒り狂ったように咆哮する。
「グオオオオオッ!!」
「……でっけぇな!」
凪谷は思わず笑った。
「でも……!」
地面を蹴る。
デルマの腕が横薙ぎに振るわれた。
凪谷は身を低くしてそれを躱し、巨体の懐へ飛び込む。
「……そこだ!」
刀が、黒ずんだ胸元を斬り裂いた。
「ギィィィッ!!」
デルマの身体が大きく揺らぐ。
しかし、倒れない。
「……っ! 浅いか!」
凪谷はすぐさま距離を取った。
その時。
――パンッ! パンッ!!
乾いた銃声が響いた。
「にいちゃん! 右!」
「おう!」
蛍が放った弾丸が、デルマの右肩へ命中する。
巨体がわずかに傾いた。
その隙を、凪谷は見逃さなかった。
「……今だ!!」
地面を蹴り、跳躍する。
黒い刀身が、デルマのコアを深く貫いた。
「グ……ギィィィ……!!」
巨大な身体が震える。
やがて、その全身に亀裂が走り――。
――ボロボロ……。
灰となって崩れ落ちた。
「……よし!」
凪谷が着地する。
「一体目!」
◇
一方、少し離れた場所では。
「えいっ!!」
優珠が双剣を振るっていた。
迫ってきたデルマの腕を斬り払い、続けざまに胴を裂く。
「ギィィッ!」
異形が灰となって消える。
「あはー! 次はどいつ!?」
「お、お嬢ちゃん! 後ろだ!!」
警備兵が叫ぶ。
振り返ると、そこには二体目の巨大なデルマが迫っていた。
「グオオオオッ!!」
巨体が両腕を振り上げる。
「……わっ!」
優珠は慌てて飛び退いた。
直後、巨大な拳が地面を叩きつける。
――ドゴォン!!
石畳が砕け散った。
「……うわぁ! すっごい力!」
優珠が目を丸くする。
「おい! 逃げろ!!」
警備兵が叫ぶ。
だが、優珠はにっこりと笑った。
「だいじょーぶ!」
双剣を構え直す。
「だって、あたし……ガーディアンだもん!」
再び、巨大な腕が振り下ろされた。
優珠は軽やかに身を翻す。
一撃目を躱し、二撃目を飛び越える。
そして――。
「……えいっ!!」
双剣が交差した。
デルマの脚に深い傷が刻まれる。
「グギィィッ!!」
巨体が膝をついた。
「今だよー!!」
優珠が叫ぶ。
その声に応じ、周囲の警備兵たちが一斉に槍を構えた。
「お、おう!!」
「全員、突けぇぇ!!」
無数の槍が、デルマの身体へ突き立てられる。
その一瞬の隙。
優珠は地面を蹴り、巨体の上へと跳び上がった。
「……そこっ!」
二本の刃が、首元の黒ずんだ部分を斬り裂く。
「ギィィィィッ!!」
デルマは絶叫し、灰となって崩れ落ちた。
「あはー! やったぁ!」
優珠が着地する。
警備兵たちは、呆然と彼女を見つめていた。
「……す、すげぇ……」
「本当に、あんな小さな子が……」
優珠は得意げに胸を張った。
「えへへ! もっと褒めてもいいよ!」
◇
残る巨大なデルマは、一体。
その周囲では、蛍が二丁の拳銃を構えていた。
「……よし!」
蛍は静かに息を吸う。
巨大なデルマの周囲には、まだ小型の個体が何体も残っていた。
このままでは、警備兵たちが危ない。
「……まずは、周りから!」
――パンッ! パンッ! パンッ!!
連続する銃声。
弾丸が正確にデルマのコアを撃ち抜いていく。
「ギィッ!」
「グギャッ!」
次々と灰になる異形。
「……す、すごい命中精度だ!」
近くにいた警備兵が驚いたように声を上げた。
「……ありがとう!」
蛍は笑顔で答えた。 だが、その瞬間。
「グオオオオッ!!」
巨大なデルマが、蛍へ向かって突進してきた。
「……っ!」
蛍は素早く横へ飛ぶ。
しかし、巨体の勢いは止まらない。
その先には、逃げ遅れた警備兵たちがいた。
「……まずい!」
蛍が銃口を向ける。
だが、狙うべきコアは巨体の陰に隠れていた。
「……にいちゃん!!」
その声に、凪谷が振り返る。
「……任せろ!!」
凪谷が駆け出した。
同時に、優珠も反対側から走り込む。
「蛍! 足を狙って!」
「うん!」
――パンッ! パンッ!!
弾丸が、デルマの膝へ命中した。
巨体がわずかによろめく。
「優珠!」
「はーい!」
優珠の双剣が、反対側の脚を斬りつけた。
「グギィィッ!!」
巨大なデルマが、膝をつく。
その瞬間。
「……これで!!」
凪谷が跳躍した。
刀身が、デルマの首元にある黒ずんだ部分を捉える。
「終わりだぁぁ!!」
――ザンッ!!
一閃。 巨体が、大きく揺れた。
そして――。
――ドサァッ!!
地面へ崩れ落ちる。
その身体は、黒い灰となって風に散っていった。
「……はぁっ、はぁっ……」
凪谷が息を整える。
「……やったか?」
辺りを見回す。
残っていたデルマも、警備兵たちによって次々と倒されていた。
やがて、最後の一体が灰となって消える。
静寂が訪れた。
「……お、終わった……?」
一人の警備兵が呟いた。
「……ああ」
別の男が、ゆっくりと剣を下ろす。
「……終わったんだ……!」
その瞬間。
「うおおおおおっ!!」
歓声が上がった。
「助かったぞ!!」
「街を守れた!!」
「ありがとう! 君たちのおかげだ!!」
警備兵たちが、凪谷たちへ駆け寄ってくる。
「いやぁ、そんな!」
凪谷は照れくさそうに頭を掻いた。
「みんなで倒したんですよ!」
「それでもだ! 本当に助かった!」
「ははっ!」
凪谷が笑う。
蛍も、優珠も、ほっとしたように微笑んでいた。
――だが。
その安堵は、長くは続かなかった。




