枯れゆく桜の道
ヴェルグラードを出発してから、数日が経った。 北の大地を南へと下るにつれ、辺りの景色は少しずつ変わり始めていた。
あれほど降り続いていた雪はいつしか止み、道を覆っていた白銀の絨毯も、ところどころで地面を覗かせている。
遠くに連なる山々にはまだ雪が残っていたが、足元には柔らかな草が芽吹き、冷たい風の中にも微かな温もりが混じるようになっていた。
「うわぁー! 見て見て、にいちゃん!」
蛍が道の脇へ駆け寄り、しゃがみ込んだ。
「花が咲いてる!」
「おっ、本当だ」
凪谷が覗き込むと、雪解け水に濡れた土の間から、小さな黄色い花が顔を出していた。
「ヴェルグラードじゃ、こんなの見なかったもんな」
「うん! なんだか久しぶりに春を見た気がする!」
蛍は嬉しそうに笑い、花を傷つけないよう、そっと指先を近づけた。
「ねえねえ! こっちにもいっぱいあるよ!」
少し先を歩いていた優珠が、両手を大きく振った。
「あはー! 雪がなくなってきたら、歩きやすくなったね!」
「お前、雪の上でもずっと走り回ってただろ」
「えへへ! そうだっけ?」
「そうだよ……」
凪谷が呆れたように笑うと、蛍もつられて笑った。 その後ろを歩くオニキスは、そんな三人の様子を静かに眺めていた。 黒い帽子の下から覗く淡い緑色の瞳は、どこか楽しそうだった。
「……なんだか、不思議だね」
「ん?」
凪谷が振り返る。
「何がだ?」
「ついこの間まで、あんなに寒いところにいたのに……少し歩いただけで、こんなに景色が変わるんだなって」
オニキスは道の向こうへ目を向けた。
「本で読んだことはあったけど、実際に見ると全然違うんだね」
「ははっ、やっぱりみんなそう思うんだな!」
凪谷が笑った。
「これからもっといろんな景色が見られるぞ!」
「……うん!」
オニキスも嬉しそうに頷いた。 自分もこの旅についていく。 そう決めた日から、彼の表情には少しずつ明るさが戻っていた。
「そういえば、にいちゃん」
蛍が何かを思い出したように顔を上げた。
「ドラグヴェイン王国にいるっていうフィアンマの子、どんな子なんだろうね?」
「ああ、ビオッシャさんが前に会ったっていう……」
凪谷は記憶を辿った。
「確か、俺たちと同じくらいの男の子なんだよな?」
「うん。それに、自分がフィアンマだってことも知らなさそうだったって」
ーーだとすれば…… 4人は嫌な予感を胸に秘め、前へ進むのであった。
◇
ーーロゼオ・トレイル。
かつて伝説の冒険者ロゼオが歩いたとされる、世界各地を繋ぐ道。 その両脇には、どこまでも桜並木が続いている。
けれど――。
「……やっぱり、枯れてるね」
蛍がぽつりと呟いた。 見上げた桜の木には、葉も花もほとんど残っていなかった。 黒ずんだ枝が空へと伸び、風が吹くたび、乾いた音を立てて揺れている。 雪の中でも青々と茂っていたヴェルグラード周辺の桜とは、まるで別物だった。
「……ああ」
凪谷も足を止めた。
「と言うことはこの先のフィアンマにも何かあったってことだよな」
オニキスが小さく呟いた。
「うん」 「それに、人もほとんどいないね」
蛍の言葉に凪谷は周囲を見渡した。 道は広く、昔は多くの旅人や商人が行き交っていたのだろう。 ところどころには古い道標や、休憩用と思われる石造りのベンチが残されている。 しかし、ここまで歩いてきて、すれ違った人間は数えるほどしかいなかった。
荷馬車の轍も少なく、道の端には雑草が伸び始めている。
「……こんなに広い道なのにね」
優珠が珍しく静かな声で言った。
「人がいないと、なんか寂しいなぁ」
「……そうだな」
凪谷は枯れた桜並木の先を見つめた。 かつては、この道にも笑い声が溢れていたのだろうか。 旅人たちが行き交い、商人たちが荷物を運び、子供たちが桜の下を走り回る。 そんな景色が、ここにもあったのかもしれない。
「……いつかさ」
凪谷が口を開いた。
「この道にも、また人がいっぱい通るようになるといいな」
「……うん!」
蛍が力強く頷いた。
「あはー! その時は、桜もいっぱい咲いてるといいね!」
「……そうだね」
オニキスも小さく微笑んだ。 四人は再び歩き始めた。 頭上には、花のない桜の枝がどこまでも続いていた。
◇
昼を少し過ぎた頃。 一行は、道沿いに残された小さな休憩所で足を止めた。 石造りの屋根の下には、古びた木製のテーブルと椅子が置かれていた。 長い間使われていなかったのか、隅には落ち葉が積もっている。
「よーし! お昼ご飯だー!」
優珠が真っ先に荷物を下ろした。
「お前、さっきも何か食ってなかったか?」
「え? あれはおやつだよ?」
「……そうかよ」
凪谷が苦笑する。 蛍は荷物から食料を取り出し、テーブルに並べ始めた。 パンに干し肉、それからヴェルグラードで買っておいた保存食。
「はい、オニキス!」
「……あ、ありがとう」
蛍からパンを受け取ったオニキスは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「……こういうのも、冒険って感じがするね」
「ん?」
「みんなで歩いて、途中で休んで、一緒にご飯を食べて……」
オニキスは手元のパンを見つめた。
「僕、こういうことにずっと憧れてたんだ」
「……そっか」
凪谷が微笑む。
「じゃあ、これから毎日できるな!」
「……うん!」
オニキスは大きく頷いた。 その隣では、優珠が早くも二つ目のパンに手を伸ばしていた。
「……優珠、食べるの早すぎない?」
蛍が目を丸くする。
「あはー! だってお腹すいたんだもん!」
「まだ出してからそんなに経ってないよ!?」
「いいじゃんいいじゃん!」
そんなやり取りに、オニキスが思わず吹き出した。
「……ふふっ」
「ん? どうしたの?」
優珠が首を傾げる。
「……ううん。なんでもない」
オニキスは笑顔で首を振った。 そして、ふと思い出したように鞄から小さなメモ帳を取り出した。
「……あれ? 何してるの?」
蛍が覗き込む。
「ちょっと、書いておこうと思って」
「……何を?」
「今日のこと」
オニキスは照れくさそうに笑った。
「雪が少なくなって、花が咲いてて……みんなでご飯を食べたこと」
「えっ、それも書くの?」
「……うん」
オニキスは頷いた。
「大きな戦いとか、すごい出来事じゃなくても……今日の出来事は僕にとっては、大切な思い出だから」
蛍は少し驚いた後、にっこりと笑った。
「……そっか!」
「……うん」
オニキスはメモ帳に短い文章を書き留めた。 いつか、自分だけのメモリーブックを作るために。
◇
食事を終え、再び歩き始めてしばらくした頃だった。
「……ん?」
凪谷が足を止めた。
「どうしたの、にいちゃん?」
「いや……今、何か聞こえなかったか?」
蛍たちも足を止め、耳を澄ませる。 風に揺れる枯れ枝の音に混じって、遠くから何かが聞こえてきた。 金属同士がぶつかるような、甲高い音。
そして――。
「だ、誰かぁぁぁ!! 助けてくれぇぇ!!」
「……悲鳴!?」
オニキスが顔を上げた。
「向こうだ!」
凪谷が駆け出す。
「にいちゃん、待って!」
蛍と優珠がその後を追い、オニキスも慌てて走り始めた。 枯れた桜並木を抜けた先。 そこには、一台の荷馬車が停まっていた。 いや、停まっているというより、進めなくなっていると言った方が正しい。 馬は怯えて暴れ、荷台にはいくつもの傷がついている。 その周囲を、十数体もの異形が取り囲んでいた。
「……デルマ!」
凪谷が叫ぶ。
人の腕のようなものが何本も生えた塊。 顔らしきものを持ちながら、身体の形が定まっていない個体。 地面を這いずるように動く、小さな異形。 どれも完全な人の姿には程遠く、獲物を求めて荷馬車へ群がっていた。
「くそっ! 数が多すぎる!!」
馬車の前では、二人の男が必死に応戦していた。 一人は大柄な剣士。 もう一人は細身の槍使い。 どちらも装備からして、護衛を生業とするガーディアンなのだろう。
だが、二人ともすでに肩で息をしていた。
「右だ! 右から来るぞ!」
「分かってる! だが、こっちも限界だ!」
槍使いが一体を突き飛ばした直後、別のデルマが背後から飛びかかる。
「しまっ――!」
「危ない!!」
凪谷が地面を蹴った。 次の瞬間、抜き放たれた刀がデルマのコアを斬り裂く。
「ギィィィッ!!」
異形は甲高い悲鳴を上げ、灰となって崩れ落ちた。
「……なっ!?」
槍使いが目を見開く。
「おい! 大丈夫か!?」
「お、おう……助かった!」
「話は後だ! こいつらを片付けるぞ!」
凪谷は刀を構え直した。
「蛍! 優珠!」
「うん!」
「あはー! 任せて!」
二人が左右へ散る。
蛍は白い二丁の拳銃を構え、馬車の側面へ回り込もうとしていたデルマに狙いを定めた。
「蛍ー!ど真ん中撃ち抜いちゃえ!!」
優珠の声を合図に乾いた銃声が連続して響く。
「そっちは行かせないよ!」
弾丸を受けたデルマが次々と倒れ、灰になって消えていく。 その様子を見届けた優珠は双剣を抜き、デルマの群れへ飛び込んでいた。
「えいっ! やぁっ!」
軽やかに身を翻し、迫ってきた二体のコアを続けざまに斬り伏せる。
「あはー! 雪がないと動きやすいね!」
「遊んでる場合じゃないぞ!」
凪谷が叫ぶ。
「遊んでないよー!」
そう答えながら、優珠は背後から迫ったデルマを振り向きざまに斬り払った。 その頃、オニキスは荷馬車の傍らへ駆け寄っていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
荷台の陰では、丸々とした中年の男が頭を抱えて震えていた。
「ひぃっ!? ま、また来たぁ!?」
「ち、違います! 僕は人間です!」
「……に、人間?」
男がおそるおそる顔を上げる。
「ぼ、僕たちが助けに来たんです! もう少しだけ待っていてください!」
「た、助けに……?」
その時、馬車の下から小さなデルマが這い出してきた。
「ひぃぃぃ!!」
「うわぁっ!?」
オニキスも思わず飛び退く。
「け、蛍ぃ!!」
「はーい!」
返事と同時に銃声が響いた。 デルマは男に飛びかかる寸前で弾かれ、灰となって散った。
「オニキス! そっちお願いね!」
「う、うん!」
オニキスは胸を撫で下ろし、男を庇うように立った。 その間にも、凪谷たちは残ったデルマを次々と倒していく。
やがて――。
「これで、最後だ!」
凪谷の刀が、最後の一体を斬り伏せた。 異形は音を立てて崩れ、黒い灰となって風に消えていった。 辺りに静寂が戻る。
「……ふぅ」
凪谷は刀を収めた。
「みんな、怪我はないか?」
「僕は大丈夫!」
「あたしもー!」
「ぼ、僕も……!」
オニキスが少し遅れて答える。 ガーディアンの二人は、呆然と四人を見つめていた。
「……おいおい、嘘だろ」
大柄な剣士が呟く。
「俺たちがあれだけ苦戦してた相手を……」
「……あっという間に片付けちまった」
槍使いも信じられないといった顔をしていた。 凪谷は照れくさそうに頭を掻く。
「いやぁ……無事でよかったです!」
◇
「いやぁぁ!! 本当に助かった!!」
荷馬車の持ち主である中年の男は、何度も頭を下げた。
「もう駄目かと思ったよ! 君たちが来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか……!」
「間に合ってよかったです」
凪谷が笑う。
「しかし、驚いたなぁ……。まさか、こんな若い子たちがあれだけ強いとは」
男は四人を見回した。
「君たちもガーディアンなのかい?」
「いえ、俺は冒険者です」
「あたしがガーディアンだよ~!」
男は目を丸くした。
「そうかそうか! それは頼もしい!こんな可愛いお嬢ちゃんが!」
そう言って笑ったものの、すぐに困ったような顔になる。
「それにしても、まいったなぁ……」
「どうしたんですか?」
「いやね、最近この辺りはデルマが増えていると聞いていたから、こうしてガーディアンを二人も雇ったんだが……」
男は疲れ切った護衛たちに目を向けた。
「まさか、あんな数に襲われるとは思わなくてね」
「……俺たちも油断していた」
大柄な剣士が苦々《にがにが》しく言った。
「一体一体はそこまで強くなかったんだが、倒しても倒しても次から次へと現れやがる」
「馬車を守りながらじゃ、逃げることもできなかったしな」
槍使いもため息をついた。
凪谷は枯れた桜並木を見上げた。
「……やっぱり、この辺りも増えてるんだな」
「うん……」
蛍も表情を曇らせる。 ヴェルグラードで聞いた話が、頭をよぎった。 桜の生命力が弱まれば、デルマがロゼオ・トレイルへ入り込む。 そして人を喰らいさらに強くなっていく。
「……ところで、おじさん」
凪谷が尋ねた。
「どこまで行く予定なんですか?」
「ん? ああ。この先の街まで荷物を届けるところさ」
男は道の向こうを指差した。
「もう少し南に行ったところに、商人たちが立ち寄る街があるんだ」
「へぇ!」
「ただ、またデルマに襲われるかと思うと……」
男は不安そうに肩を落とした。 凪谷は仲間たちを振り返った。
「……なあみんな、せっかくだし、このおじさんたちを街まで送っていかないか?」
蛍はすぐに頷いた。
「うん! 僕もそう思ってた!」
「あはー! いいね! 馬車と一緒に旅するのも楽しそう!」
「ぼ、僕も賛成だよ」
オニキスも頷く。 凪谷は男へ向き直った。
「……えっ!?」
男が目を見開く。
「ほ、本当かい!?」
「はい! 俺たちも南に向かう途中なんで!」
「おおお……!」
男は感激したように両手を合わせた。
「ありがたい! 本当にありがたいよ!」
ガーディアンの二人も、ほっとした表情を浮かべる。
「……正直、助かる」
「これだけ腕の立つ連中が一緒なら、心強いな」
こうして凪谷たちは、荷馬車の護衛に加わることになった。 枯れた桜並木の向こうには、まだ見ぬドラグヴェイン王国へと続く道が伸びている。
その先に何が待っているのか、今はまだ分からない。
それでも四人は、新たな出会いを胸に、再び南へと歩き始めた。




