共に歩む理由
「……ドラグヴェイン王国?」
凪谷は、聞き慣れない国の名前を繰り返した。
「ええ。そこに、私が以前会ったフィアンマがいるはずよ」
ビオッシャは穏やかに頷いた。大図書館のテラスには、柔らかな日差しが降り注いでいる。
ヴェルグラードを覆っていた異常な寒さは消え、窓の向こうには雪化粧をした街並みが広がっていた。
「もしかして、前にアジトで言ってた…」
「えぇ、覚えてくれてたのね」
「それで、どんな人なの?」
優珠が身を乗り出すと、ビオッシャは懐かしそうに微笑んだ。
「確か、ドラグヴェイン王国の伯爵家に生まれた男の子よ」
「伯爵家って……貴族ってことか?」
「そうね。でも、話してみると普通の男の子だったわ」
ビオッシャは当時のことを思い出すように、少しだけ目を細めた。
「とてもお姉さんが大好きみたいでね。話している間も、何度もお姉さんのことを嬉しそうに話してくれたの」
「へぇー! なんか、蛍みたいですね」
凪谷が笑う。
「ふふっ。そうかもしれないわね」
ビオッシャもつられて微笑んだ。
「それで、その子は今もドラグヴェイン王国にいるの?」
「……それは分からないわ。私が会ったのは以前のことだから」
「そっかぁ……」
優珠はだよねぇ、と呟いた。伯爵家の子供なら、そう簡単に会える相手ではないのかもしれない。
「……ただね、凪谷くん」
ビオッシャの表情が、少しだけ曇った。
「一つ、気になることがあるの」
「……気になること?」
「その子、自分がフィアンマだという自覚がなさそうだったの」
「……!」
凪谷は目を丸くした。
「俺と同じですね……」
「ええ。少なくとも、私が会ったときはそう見えたわ」
ビオッシャは静かに頷いた。
「私もその時直接そのことを伝えたわけではないから、今はどうなのか分からないけれど……」
「……そっか」
凪谷は少し考え込んだ。
そういえば、自分だってつい最近までフィアンマという存在を知らなかった。
何を司るのかも分からなければ、力の使い方すら知らない。
自分がそうなのだから、他にも同じような者がいたとしても不思議ではなかった。
ビオッシャはテラスの向こうへ視線を向けた。
街の外へと続くロゼオ・トレイルには、青々とした桜の木々が並んでいる。
「私も、自分の力を受け入れられなかったことで、ヴェルグラードに異変を起こしてしまったでしょう?」
「……はい」
凪谷の表情が引き締まる。
五年前から続いていた異常な寒さ。
生命力を失っていった桜。
そして、守りを失った道へ入り込んできたデルマたち。
この国で起きていたことは、決して忘れられるものではなかった。
「もし、その男の子が今も自分の力に気づいていないのなら……」
ビオッシャは小さく息を吸った。
「ドラグヴェイン王国でも、何か異変が起きているかもしれない」
「そう。桜の守りが弱まって、デルマの影響を受けている可能性もあるわ」
「同じことが……」
ビオッシャは静かに頷いた。
「もしあの子が困っているのなら、力になってあげてほしいの」
「……はい。任せてください」
凪谷は少し考え込んだ。
自分たちがヴェルグラードへ来たときも、最初は何も知らなかった。
ビオッシャが抱えていた苦しみも、ギブンの正体も、デルマが城の地下で増やされていたことも。一つずつ知っていく中で、ようやく自分たちにできることが見えてきた。
「俺は困ってる人は絶対助けますから!」「おー!」
2人の元気の良いやり取りにビオッシャはふふっと微笑んだ。
「それに、俺たちもヴェルグラードでビオッシャさんと出会えてフィアンマやデルマの事沢山教えてもらったので!」
凪谷は笑った。
「今度は俺たちが、誰かを助ける番です」
「ふふっ、……ありがとう、凪谷くん」
「あっ、いや、まだなんにもしてないので」
凪谷は照れくさそうに頭を掻いた。
「でもこれから先、世界はもっと知らない事ばかりだと思うんです」
「ええ。きっと、想像している以上にね」
「だから、全部見てみたい」
その言葉に、ビオッシャは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ。本当に、冒険が好きなのね」
「もちろんです」
凪谷は胸を張った。
「だって、ロゼオみたいな冒険者になるのが俺の夢ですから」
「……ロゼオ」
ビオッシャは静かにその名を繰り返した。
かつて世界を旅し、人々を助け、各地のフィアンマたちに力の使い方を伝えたという伝説の冒険者。
「……きっと、ロゼオもそうだったのでしょうね」
「……ん?」
「知らない世界へ足を踏み出して、そこで出会った人々に手を差し伸べて……」
ビオッシャは微笑んだ。
「あなたたちのように、旅を続けていたのね」
「……はい!」
凪谷は嬉しそうに笑った。
◇
「にいちゃーん!」
図書館の奥から、聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、蛍がこちらへ駆け寄ってきていた。
その後ろには、オニキスの姿もある。
「おっ、蛍!」
「もう! 探したんだよ!」
蛍は少し頬を膨らませた。
「ごめんごめん!」
「……何のお話してたの?」
「次に行く場所の話だよ!」
「……次?」
蛍が首を傾げる。
「ドラグヴェイン王国ってところに行こうと思ってるんだ!」
「ドラグヴェイン王国?」
「あぁ、ビオッシャさんが、そこにフィアンマがいるかもしれないって教えてくれたんだ」
「……フィアンマ!」
蛍の目が輝いた。
「じゃあ、また新しい人に会えるんだね!」
「ああ」
凪谷は笑顔で頷いた。
「それに、デルマに困ってる人がいるかもしれない」
「……そっか!」
蛍も嬉しそうに笑った。
「楽しみだね!」
そんな二人を、オニキスは少し離れた場所から見つめていた。
「……ドラグヴェイン王国、かぁ」
小さく呟いた声に、凪谷が振り返る。
「ん? どうした、オニキス?」
「……ううん」
オニキスは慌てて首を振った。
けれど、その表情はどこか寂しそうだった。
◇
「……あのさ、凪谷」
「ん?」
オニキスは少し迷った後、ゆっくりと口を開いた。
「……僕、みんなに言っておきたいことがあるんだ」
「……何だ?」
「……その、今まで本当にありがとう」
「……へ?」
凪谷が目を瞬かせた。
「みんなと一緒に旅ができて、すごく楽しかった」
オニキスは俯いた。
「デルマに襲われたときも、クォーツでのことも、ヴェルグラードでのことも……」
小さく息を吸う。
「僕、一人じゃ何もできなかったから」
「……オニキス?」
蛍が心配そうに顔を覗き込む。
「でも、みんなのおかげで、いろんなものを見ることができたんだ」
オニキスは胸元のメモリーブックを握りしめた。
「……だから、ほんとにありがとう!」
オニキスは目に涙を滲ませながら笑顔を作った。
ーー「え!? 一緒に行かないの!?」
一瞬の静寂の後、優珠が立ち上がって言った。
「……え?」
オニキスが目を丸くした。
「……い、一緒に?」
「うん!」
優珠は不思議そうに首を傾げた。
「だって、オニキスも一緒に旅するんじゃないの?」
「……で、でも……」
「でも?」
優珠はますます不思議そうな顔になった。
「……あのね、優珠」
オニキスは困ったように笑った。
「僕、戦えないんだよ?」
「うん、知ってるよ?」
「……え?」
「だから、あたしたちが守ればいいんでしょ?」
あまりにも当たり前のように言われて、オニキスは言葉を失った。
「つうか……」
凪谷が口を開いた。
「もうアゲートさんには許可もらってるぞ?」
「……え?!母さんに!?いつの間に!」
「もちろん、オニキスが嫌だって言うなら、無理に連れていくつもりはないけどさ……」
凪谷はまっすぐにオニキスを見つめた。
「俺は、お前と旅がしたいよ」
「……っ」
オニキスの瞳が揺れた。
「僕も!」
蛍が笑顔で手を挙げる。
「オニキスと一緒に、もっといろんなところに行きたい!」
「……でも、僕は……アイドクレースやラピスラズリさんみたいな才能はなくて……みんなの冒険を少ししか残せない……」
「ねえ、オニキス」
蛍が優しく声をかけた。
「べつに全部を記録しなくてもいいんじゃないかな?」
「……え?」
「だって、オニキスが大切だと思ったことを書けばいいんでしょ?」
蛍はオニキスのメモリーブックを見つめた。
「楽しかったこととか、嬉しかったこととか……忘れたくない思い出をさ!」
「……忘れたくない、思い出……」
オニキスは小さく繰り返した。
「それに、僕たちがSTART。を取り返せたのはオニキスのおかげでしょ?」
「……それは……」
「苦手なことは僕達に任せてよ」
オニキスは俯いた。
ずっと、自分には何もできないと思っていた。
憧れのアイドクレースには遠く及ばず、仲間たちのように戦うこともできない。
それでも。
「……僕も、一緒に行っていいの?」
震える声で尋ねた。
「当たり前だろ!」
凪谷が笑った。
「うん!」
蛍も頷く。
「あはー! もちろん!」
優珠が元気よく答えた。
「危ないときは、あたしが守ってあげるから!」
「……っ!」
オニキスの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「……ありがとう……!」
慌てて目元を拭う。
「……僕も、みんなと一緒に行きたい……!」
「おう!」
凪谷が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、決まりだな!」
「うん!」
蛍も笑顔を浮かべる。
「これからもよろしくね、オニキス!」
「……うん!」
オニキスは涙を拭いながら、大きく頷いた。
◇
少し離れた場所で、その様子を見守っていたビオッシャは、柔らかく微笑んでいた。
「……いい仲間たちね」
「……ああ」
隣に立つアルヴァスが短く答える。
その少し後ろでは、ラピスラズリも穏やかな表情を浮かべていた。
「ふふっ。オニキスも、いい友達に出会えたみたいだね」
「……そうね」
ビオッシャは頷いた。
「私も、あの子たちに出会えてよかったわ」
ラピスラズリは楽しそうに笑った。
「これから、どんな記録を残していくのか楽しみだよ」
「……ええ」
ビオッシャはテラスの向こうへ視線を向けた。
穏やかな日差しの下、雪に覆われた街が輝いている。かつて、悲しみと後悔に囚われていた自分。
けれど、今は違う。
もう一度、前へ進もうと思えるようになった。
そして、あの少年たちもまた、新たな旅へと向かおうとしている。
「……どうか、無事で」
ビオッシャは小さく呟いた。
その声は、穏やかな風に乗って消えていった。
◇
「よーし!」
凪谷が大きく伸びをした。
「じゃあ、次の目的地はドラグヴェイン王国だ!」
「おー!」
蛍が元気よく拳を上げる。
「あはー! 楽しみだね!」
優珠も笑顔で続いた。
「……うん!」
オニキスは胸元のメモリーブックを抱きしめた。
まだ見ぬ景色。
これから出会う人々。
そして、仲間たちと過ごす新しい日々。
きっと、楽しいことばかりではないだろう。
恐ろしいデルマと戦うことも、悲しい出来事に出会うこともあるかもしれない。
それでも。
今のオニキスには、共に歩んでくれる仲間がいる。
「すごい、ちょっと震えてるや」
「武者震いってやつ?」
「いや、緊張で……」
「あはー、大丈夫大丈夫!何とかなるから」
「いや、お前は少しは考えろよ」
「まぁまぁ、にいちゃん…」
こうして、四人の新たな旅が始まろうとしていた。
目指すは、南方に位置するドラグヴェイン王国。
そこに暮らすという、フィアンマ。
まだ誰も知らない、その国の異変。
そして、彼らを待ち受ける新たな出会い。
少年たちは、それぞれの想いを胸に、次なる目的地へと歩み始めるのだった。




