雪国の大図書館
ギブンとの戦いから、およそ一週間が経過した。
ヴェルグラード城は、今もなお再建作業の真っ只中にあった。
崩れ落ちた城壁、砕けた柱、瓦礫に埋もれた廊下。特に玉座の間の被害は深刻で、元の姿を取り戻すまでには、まだまだ長い時間がかかりそうだった。
それでも、城下町には少しずつ活気が戻り始めていた。 長年ヴェルグラードを支配していたギブンの正体が明らかになり、城では新たな体制を整えるため、人々が慌ただしく働いている。
そして何より、この一週間で国の景色は大きく変わっていた。
「……うわぁ」
城下町を歩いていた蛍が、思わず足を止めた。 その視線の先には、青々と葉を茂らせた桜の木が立っていた。
雪の積もった枝の間から、鮮やかな緑が顔を覗かせている。
「すっごい……! 前はあんなに枯れてたのに!」
優珠が嬉しそうに駆け寄った。 ヴェルグラードの周辺に生えていた桜の木々は、以前とは比べものにならないほど生命力に満ちていた。
それは、クォーツの街へと続くロゼオ・トレイルも同じだった。
かつて枯れ枝ばかりが目立っていた桜並木は、今では青々とした葉を生い茂らせ、雪道を覆うように枝を広げているという。
白銀の大地と、鮮やかな緑。 本来なら相反するような二つの色が、不思議なほど美しく調和していた。
「……綺麗だね」
オニキスが小さく呟く。
「ああ。初めてここを通った時とは、全然違うな」
凪谷も感心したように頷いた。
「きっと、ビオッシャさんのフィアンマの力が正常に働くようになったからですよね!」
「ふふ、そうだね」
蛍の問いかけにラピスラズリは穏やかに微笑む。蛍はもう一度、桜を見上げた。風に揺れる緑の葉。その隙間を、白い雪がゆっくりと舞い落ちていく。
「……なんか、雪国なのに春みたいだね!」
「あはー! 確かに!」
優珠が笑った。
「でも、まだまだ寒いよねぇ! あたし、早くあったかいもの食べたい!」
「お前、さっき朝飯食ったばっかだろ……」
凪谷が呆れたように言う。
「だって寒いとお腹空くんだもん!」 「……それ、いつも言ってない?」
蛍が笑うと、優珠は頬を膨らませた。そんなやり取りをしながら、一行は城下町の大通りを進んでいった。
◇
「……それにしても、でっけぇな」
凪谷が思わず呟いた。目の前には、巨大な建物がそびえ立っていた。白い石造りの壁に、青みがかった屋根。幾つもの尖塔が空へと伸び、正面の大きな扉には、雪の結晶と開かれた本を組み合わせた装飾が施されている。
ここは、ヴェルグラードの大図書館。雪国最大級の蔵書数を誇る、歴史ある図書館だった。
「わぁぁ……!」
蛍が目を輝かせる。
「すごい! お城みたい!」
「本当に大きいね……」
オニキスも感嘆の声を漏らした。
「ここに、そんなにたくさんの本があるの?」
「うん。古い歴史書から各地の神話、魔法やギフトに関する研究書まで、いろんな本が保管されているんだよ」
ラピスラズリが説明する。
「それに、歴代のメモリストたちが書き残したメモリーブックも、数多く収蔵されているんだ」
「……メモリーブックも!?」
オニキスの表情が、一瞬で明るくなった。
「うん。今では手に入らない貴重な記録も、ここなら読むことができるかもしれないね」
「……すごい……!」
オニキスは、興奮した様子で図書館を見上げた。
「へぇー! じゃあ、お宝みたいな本もいっぱいあるのかな?」
優珠が尋ねる。
「……お前、本に興味あったのか?」
凪谷が不思議そうに聞く。
「ううん! 全然!」
「ないのかよ!」
そのやり取りに、蛍が吹き出した。
「……でも、まさか本当に来られるとはな」
凪谷は改めて図書館を見上げた。
もともと彼らがヴェルグラードを訪れた目的は、ロゼオ神話に関するメモリーブックを探すことだった。しかし、城での一件によって、その目的の本はすでに発見できている。
つまり、今さら大図書館へ来る必要はなかった。
それでも――。
「せっかくここまで来たんだし、一度くらい見ておきたいじゃん!」
優珠が笑う。
「そうだね! 僕も楽しみ!」
蛍も嬉しそうに頷いた。
「……僕も、すごく楽しみだよ」
オニキスは胸元のメモリーブックを抱きしめながら、少し興奮した様子で言った。
「こんなに大きな図書館、初めてだから……!」
「ははっ。オニキスが一番楽しみにしてたもんな」
凪谷が笑う。
「……う、うん!」
オニキスは照れくさそうに頷いた。
「じゃあ、入ろうぜ!」
凪谷が先頭に立ち、大きな扉へと手を伸ばした。
◇
――ギィィ……。
重厚な扉が開かれる。
その瞬間、一行の目の前に広がったのは、想像を遥かに超える光景だった。
「……うわぁぁぁ!!」
蛍が歓声を上げた。高い天井まで伸びる無数の本棚。幾重にも重なった回廊と、上階へ続く螺旋階段。天井から吊り下げられた大きな魔法灯が、館内を柔らかな光で照らしている。壁一面を埋め尽くす本の数は、到底数え切れるものではなかった。
「……すごい……」
オニキスは、その場に立ち尽くした。
「……こんなに、たくさんの本が……」
その瞳が、きらきらと輝いている。
「……オニキス?」
蛍が声をかける。
しかし、返事はなかった。
「……あの本、すごく古そう……。こっちは魔法史……? あっ、あそこにあるのは、もしかして……!」
オニキスは興奮した様子で、次々と本棚へ視線を移していく。
「……おーい?」
凪谷が手を振る。
「……聞こえてねぇな」
「ふふっ。仕方ないよ」
ラピスラズリが楽しそうに笑った。
「メモリストにとって、ここは宝の山みたいな場所だからね」
「……なるほどな」
凪谷は苦笑した。
「じゃあ、しばらく戻ってこなさそうだな」
「……あっ!」
その時、オニキスが我に返った。
「ご、ごめん! 僕、つい……!」
「ははっ、いいって!」
凪谷が笑う。
「せっかく来たんだし、好きなだけ見ていいからね」
「……いいの?」
「もちろんさ」
ラピスラズリが優しく微笑む。
「僕も一緒に見たいな!」
「……うん!」
蛍とオニキスは並んで、本棚の並ぶ通路へと歩き出した。
「……さて」
凪谷は周囲を見回した。
「俺たちはどうする?」
「あたしは……」
優珠が腕を組み、真剣な顔で考え込む。
「……お腹空いた!」
「……図書館に来てまでそれかよ!」
凪谷の突っ込みが、静かな館内に響き渡った。
「……しーっ!」
近くにいた司書が、人差し指を口元に当てる。
「……あ」
凪谷は慌てて口を押さえた。優珠は肩を震わせながら、声を殺して笑っている。
「……お前のせいだろ……!」
凪谷が小声で抗議すると、優珠はさらに笑いを堪えきれなくなった。
◇
図書館の奥へと進んでいたオニキスと蛍は、ある一角で足を止めていた。
「……すごい……!」
オニキスは、目の前に並ぶ本棚を見上げていた。そこには、普通の書物とは少し違う装丁の本が、数え切れないほど並んでいる。
「……これ、全部……メモリーブック?」
「うん! そうみたいだね!」
隣にいた蛍も、興味津々《きょうみしんしん》といった様子で本棚を見上げる。
革張り《かわばり》のもの、金属の装飾が施されたもの、長い年月を経て色褪せたもの。表紙の色も大きさも、一冊一冊異なっていた。
「……こんなに、たくさん……」
オニキスは胸元の緑色のメモリーブックを、そっと抱きしめた。ここに並んでいるのは、かつて生きたメモリストたちが書き残した記録だ。旅の記憶。誰かとの出会い。長い年月をかけて調べた知識。それぞれの人生が、一冊の本となって残されている。
「……すごいなぁ」
オニキスは嬉しそうに微笑んだ。
「僕もいつか、こんなふうに……誰かが読んでくれるメモリーブックを書けたらいいな」
「きっと書けるよ!」
蛍が笑顔で答えた。
「オニキスなら絶対!」
「……えへへ。ありがとう、蛍」
オニキスは照れくさそうに笑うと、再び本棚へ視線を戻した。
「……あっ、こっちにもある!」
「本当だ! 見てみよう!」
二人は楽しそうに、メモリーブックが並ぶ書架の奥へと歩いていった。
◇
一方、その頃。
大図書館の外に設けられたテラスでは、凪谷と優珠、ラピスラズリの三人が休憩していた。白い石造りの手すりの向こうには、ヴェルグラードの街並みが広がっている。雪を被った屋根が幾重にも連なり、その間を縫うように、青々とした桜の木々が枝を伸ばしていた。
「……いやぁ、すげぇ景色だな」
凪谷は手すりに肘をつき、街を見下ろした。
「うん。前に来た時とは、まるで別の国みたいだね」
ラピスラズリが穏やかに微笑む。
「それにしても、あの桜って本当に綺麗だよねぇ!」
優珠は手すりから身を乗り出した。
「雪の中に緑がいっぱいあるのって、なんか不思議!」
「おい、落ちるなよ」
「落ちないってば!」
そう言いながら、優珠は手すりから離れた。
「……あーあ。それにしても、お腹空いたなぁ」
「お前、さっきも言ってただろ……」
凪谷が呆れたように笑う。
「だって、図書館の中じゃ食べられないんだもん!」
「ふふっ。優珠ちゃんらしいね」
ラピスラズリが小さく笑った。
その時だった。
「……あら、皆ここにいたのね」
背後から、聞き慣れた声がした。振り返ると、そこにはビオッシャとアルヴァスの姿があった。
「ビオッシャさん! アルヴァスさん!」
凪谷が顔を上げる。
「こんにちは、凪谷くん。図書館は楽しめているかしら?」
「はい! 想像してたよりずっと広くて、びっくりしました!」
「ふふっ。それはよかったわ」
ビオッシャは嬉しそうに微笑んだ。
「……蛍とオニキスは?」
アルヴァスが尋ねる。
「あの二人なら、メモリーブックの棚を見に行ってますよ」
凪谷が答えた。
「オニキスなんか、目ぇ輝かせてましたからね。しばらく戻ってこないと思います」
「……そうか」
アルヴァスは短く頷いた。ビオッシャは二人の様子を想像したのか、くすりと笑った。
「それなら、ちょうどよかったわ。少し、皆に聞きたいことがあったの」
「……聞きたいこと?」
凪谷が首を傾げる。
「ええ。皆の、これからの旅についてよ」
その言葉に、三人の表情が少し変わった。
「……ああ、そっか」
凪谷は小さく呟いた。ヴェルグラードへ来た目的は、すでに果たしている。ギブンとの戦いも終わり、城や街も少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
ーーそろそろ、次の目的地を考える頃だった。
「……そういえば、まだ決めてなかったな」
「えーっ! もう出発するの!?」
優珠が驚いたように声を上げる。
「まだ美味しいもの、全部食べてないのに!」
「……お前の基準、そればっかだな」
凪谷が苦笑する。
「ふふっ。別に、今すぐ出発してほしいというわけではないのよ」
ビオッシャが微笑んだ。
「ただ、皆がこれからどこへ向かうつもりなのか、聞いておきたくて」
「……なるほど」
ラピスラズリが静かに頷く。
「確かに、次の行き先は考えておいた方がいいね」
「……でも、どこに行こうかなぁ」
凪谷は腕を組んだ。
「俺たち、もともとはロゼオみたいな冒険者になりたくて旅に出たんだよな」
「そうだったね!」
優珠が頷く。
「いろんなところに行って、いろんなものを見たいんだよね!」
「……ああ」
凪谷は街の向こうへ視線を向けた。
雪に覆われた山々。その麓を縫うように続く道は、さらに遠い土地へとつながっている。
「できればロゼオのメモリーブックがある場所かフィアンマがいる場所がいいな」
凪谷の答えにビオッシャはにっこりと笑った。
「良かった。……それなら、一つ提案があるのだけれど」
「……提案?」
凪谷が顔を上げる。雪を運ぶ風が、テラスを静かに吹き抜けた。
「ドラグヴェイン王国へ行ってみてはどうかしら?」




