冬の終わり
――サァァァ……。
崩れ落ちた玉座の間に、冷たい風が吹き込んでいた。
天井に開いた大きな穴から雪が舞い降り、先ほどまでギブンだった怪物の灰を、静かに運んでいく。
あれほど巨大だった怪物は、もうどこにもいない。 残されたのは、砕けた玉座と無数の瓦礫。そして、激しい戦いの爪痕だけだった。
「……本当に、終わったんだね」
「うん。もう動く気配もないよ」
オニキスの呟きに、蛍が答える。二丁の拳銃を下ろした蛍は、ようやく安堵の息を吐いた。
「はぁぁ……! もう、疲れたぁ!」
優珠がその場に座り込む。凪谷も刀を鞘に収めると、近くの瓦礫に腰を下ろした。
「……さすがに、今回は死ぬかと思ったぜ」
「にいちゃん、怪我は大丈夫?」
「かすり傷ばっかだよ。それよりアルヴァスさん、脇腹は……」
「……問題ない」
アルヴァスは短く答えたが、傷口を押さえる手には、まだ血が滲んでいた。
「問題なくないよ、アルヴァス」
ラピスラズリが苦笑しながら近づく。
「君も治療が必要だね。ちょっと見せてごらん」
「……後でいい」
「ふふっ、そう言うと思ったよ。でも、後回しにはできないかな」
ラピスラズリが傷口へ手をかざすと、淡い光が広がった。アルヴァスは小さく息を吐き、それ以上は抵抗しなかった。
その様子を見ていたビオッシャが、ふっと微笑む。
「……皆、本当にありがとう」
全員の視線が彼女へ向けられた。
「皆がいなければ、私は今もお母さまの死から目を背けていたと思うわ。……こうして、もう一度前を向けるのは、皆のおかげよ」
「……何を言っている」
アルヴァスが静かに口を開いた。
「やるべきことをしただけだ」
「ふふっ。そうね」
ビオッシャは小さく笑った。その表情には、五年前から彼女を苦しめ続けていた影が、もう見えなかった。
「……あれ?」
その時、蛍がふと天井を見上げた。
「……どうした?」
「雪……少し弱くなってない?」
その言葉に、全員が顔を上げた。
崩れた天井から舞い込む雪は、確かに先ほどより少なくなっていた。それだけではない。肌を刺すような冷気も、どこか和らいでいる。
「……そういえば、さっきより寒くないかも!」
優珠が両手を広げた。
「……気のせいじゃ、ないのかな?」
オニキスが首を傾げる。
「……いや」
アルヴァスが静かに口を開いた。
「……え?」
凪谷が振り返る。
アルヴァスはビオッシャへ視線を向けた。
「……ビオッシャの力が、正常に働き始めたからだろうな」
「……私の力……」
ビオッシャは自分の手のひらを見つめた。
五年前から降り続けていた雪。それが今、少しずつ弱まり始めている。
彼女はそっと手を握りしめ、天井を見上げた。
「……そうね。きっと、そうだわ。 今思えば…ロゼオ・トレイルの桜の木が枯れ始めたのもあの日からだったのね」
「全部……私のせい……」
◇
「……そういえば、1つ気になることがあるのだけれど……」
アルヴァスの治療を終えたラピスラズリが、崩れた玉座へ視線を向けた。
「……気になること?」
オニキスが首を傾げる。
「うん。今回のギブンのことさ」
その名前を聞き、ビオッシャの表情がわずかに強張った。
「……あの男が、デルマだったこと?」
「そう。それも、ただのデルマじゃない」
ラピスラズリは静かに頷いた。
「僕たちが知っているデルマは、死者の魂が集まって生まれる怪物だ。人間の魂を取り込むほど強くなり、少しずつ人に近い姿へと変わっていく」
うんうんと優珠が頷く。
「でも、あんなに大きくなるなんて思わなかったよ!」
「……問題は、大きさだけじゃないんだ」
ラピスラズリの表情が真剣なものへと変わる。
「初めに玉座の間に姿を現したギブンは、完全に人間の姿をしていたんだよ」
「……え?」
蛍が目を丸くした。
「人間の姿……?」
「……本当ですか?」
オニキスが驚いたように尋ねる。
「本当だよ、ビオッシャと凪谷くんには別のなにかに見えてた見たいだけどね」
「彼の後ろに蠢く魂が見えていたわ」
「……なるほど」
ラピスラズリが納得したように頷いた。
「フィアンマには、普通の人には見えない力を捉える能力がある。最初凪谷くんをフィアンマだと見破ったように。」
「ええ。私はこれまで、人の力を炎として見ることができたわ。ギブンの背後に蠢いていた魂も、フィアンマだからこそ見えたのでしょうね」
「……そういうことか」
凪谷は自分の手を見つめた。
「俺にも、ちゃんとフィアンマの力があるんだな……」
「ふふっ。ええ、そうよ」
ビオッシャは優しく微笑んだ。
「……でも」
オニキスが小さく呟いた。
「そんなにたくさんの魂が集まっていたなんて……」
「……そうだね」
ラピスラズリの表情が再び真剣なものへと変わる。
「ギブンが普通のデルマではなかったことは、間違いなさそうだ」
◇
「……そうだ」
ビオッシャの言葉を聞いて、蛍が何かを思い出したように顔を上げた。
「アルヴァスさん、地下で見たあれ……みんなにも話した方がいいですよね?」
「……ああ」
アルヴァスが頷く。
「……地下?」
凪谷が眉をひそめた。
「そういえば、蛍たちは城の地下を調べてたんだよな。何か見つけたのか?」
蛍は少しだけ表情を曇らせた。
「……うん。地下牢で、デルマを見つけたんだ」
「デルマ?」
「それだけじゃない」
アルヴァスが言葉を引き継いだ。
「……人間が、餌にされていた」
「……え?」
オニキスの顔から血の気が引いた。
「牢の中にデルマがいて、そこへ人間が与えられていた。俺たちが見た限り、ただ襲われたという状況ではなかった」
「……そんな……」
ビオッシャが口元を押さえる。
「つまり……ギブンが、わざと人を食べさせていたってこと?」
優珠が尋ねる。
「……そう考えるのが自然だ」
アルヴァスが頷いた。
蛍も続ける。
「それに、あそこにいたデルマ……なんだか、今まで見てきたものと違ったんだ。とにかくでかかったし……」
「……なるほどね」
ラピスラズリが小さく呟いた。
「ギブンは、別のデルマを進化させようとしていたのかもしれない」
「……進化?」
「うん。デルマは取り込んだ魂の数によって強くなる。人間を餌として与え続ければ、より人間に近い個体へと成長するんじゃないかな」
「……じゃあ」
凪谷が顔を上げた。
「あいつは、自分と同じようなデルマを作ろうとしてたってことか?」
「断定はできないけれど、その可能性は高いと思うよ」
ラピスラズリは静かに頷いた。
「……人を襲うだけじゃなく、自分たちで仲間を増やそうとしていた」
オニキスが震える声で呟く。
「……そんなの、今までのデルマと全然違うよ……」
「そうだね」
ラピスラズリの声が低くなる。
「今までのデルマは、個々《ここ》に人間を襲う怪物だった。でも、ギブンには明確な目的があった。自分の正体を隠し、人間を利用して、別のデルマを育てていたんだ」
それは、デルマが単なる怪物ではなくなりつつあることを意味していた。
「……もし、ギブンと同じようなデルマが、他にもいたら……」
オニキスが小さく呟いた。
◇
「……でもさ、」
重苦しい空気のなか、優珠がいつもの調子で話はじめる。
「なんでそんなに強いデルマが生まれたんだろ? 今までだって、デルマ自体はずっといたでしょ?」
「……それはおそらくだけど、」
ラピスラズリが答えた。
「近年、デルマの報告数が異常なほど増えていることと、桜の木が枯れていることに関係してるんじゃないかな」
「各地で目撃される数も増えているし、以前ならほとんど現れなかった場所でも、被害が報告されるようになっている」
「……ロゼオ・トレイルとかですか?」
蛍が尋ねる。
「うん、さっきビオッシャが言ったことが本当なら……フィアンマの力を使いこなせないとロゼオ・トレイルの桜の木にまで影響してしまう、ロゼオ・トレイルには道だけじゃなく小さな村も点在しているから……」
「……っ、人が襲われている…」
オニキスは思わず自分のメモリーブックを強く抱きしめた。
◇
「……そういえば、ビオッシャさん」
凪谷が声をかけた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「ええ。何かしら?」
「さっきの氷……急に自由に動かせるようになりましたよね。あれ、どうやったんですか?」
ビオッシャは少しだけ目を伏せ、自分の手のひらを見つめた。
「……私は、ずっとフィアンマの力を拒絶していたの」
「……拒絶?」
「ええ。五年前、お母さまが亡くなった時……私は、こんな力なんていらないと思ったわ。お母さまがいなくなるくらいなら、フィアンマになんてなりたくなかった……と」
彼女は静かに言葉を続けた。
「私は温度を司るフィアンマ。そして、おそらくギフトも同じ力を源としているの。だから、フィアンマの力を拒絶したことで、ギフトまで正常に制御できなくなってしまったのよ」
ビオッシャは天井から舞い込む雪を見上げた。
「この力はお母さまを奪ったものじゃない。お母さまが私に残してくれた、大切な贈り物なんだって」
「そう思えた瞬間、今まで暴れていた氷が、初めて私の意思に応えてくれたわ」
「……なるほどね」
ラピスラズリが穏やかに頷いた。
「フィアンマの力を受け入れたことで、同じ力を源とするギフトも制御できるようになったんだね」
「……ええ。それに、温度を司る力も正常に働き始めたわ。だから、ヴェルグラードの異常な寒さも、周辺のロゼオ・トレイルも少しずつ元に戻っていくはずよ」
「……そっか!」
蛍が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、この国にも春が来るんだね!」
「ふふっ。そうね」
ビオッシャは静かに微笑んだ。
「……きっと、もうすぐよ」
凪谷はアジトでビオッシャからフィアンマだと伝えたれた時のことを思い出していた。 あの時は、よく分からなかった。しかし、自分もフィアンマであることは、もう確かだった。
(……俺がこの力を使いこなせていないせいで…、今も誰かが……)
凪谷は静かに自分の手を見つめた。
◇
やがて、一行は崩れた玉座の間を後にすることにした。
冷たい雪が降り続く城内を、ゆっくりと歩き始める。
その最後尾で、ラピスラズリがふと足を止めた。
「……ラピスラズリ?」
ビオッシャが振り返る。
「……ううん。何でもないよ」
ラピスラズリは穏やかに微笑んだ。しかし、その視線は、崩れた玉座の間へと向けられていた。
(……フィアンマの力が弱まれば、桜の力も弱まり、人を襲う。そしてデルマが強くなる……)
一つ一つの出来事が、まるで鎖のようにつながっていた。
(……もし、このまま各地のフィアンマが力を取り戻せなかったら……)
その先に待っている未来を想像し、ラピスラズリは静かに目を細めた。
しかし、すぐに仲間たちへと視線を戻す。
凪谷は蛍と笑い合い、優珠は相変わらずお腹が空いたと騒いでいる。オニキスはその様子を楽しそうに眺め、アルヴァスは呆れたように歩いていた。
そして、その中心には、もう自分の力を恐れなくなったビオッシャがいた。
(……それでも、希望はある)
ラピスラズリは小さく微笑んだ。
(……まだ見ぬ彼等が自分の力を受け入れれば、きっと何かが変わるはずだから)
彼は静かに歩き出した。
崩れた天井から舞い込む雪が、誰もいなくなった玉座の間に降り積もっていく。
五年前から続いていた、一つの悲劇は終わった。
そして、長い冬に閉ざされていたヴェルグラードにも、少しずつ変化が訪れ始めていた。
しかし、それは同時に――。
新たな脅威と、それに立ち向かう者たちの物語の始まりでもあった。




