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REGRET。  作者: ひととせ
第4章︰氷の国“ヴェルグラード”

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最後の一撃

――バキバキバキッ!!


巨大な氷に亀裂《きれつ》が走り、凍りついていた触手が次々と砕け散った。


「グオオオオオオッ!!」


ギブンの姿をしたデルマが、怒り狂ったように咆哮《ほうこう》を上げる。無数の触手が暴れ回り、周囲の瓦礫《がれき》を薙ぎ払った(なぎはらった)。


しかし、先ほどまでとは違っていた。


「――凪谷《なぎや》くん! 右から来るわ!」 「了解です!!」


ビオッシャの声に反応し、凪谷《なぎや》が刀を振り抜く。迫ってきた触手を斬り払い、その背後から伸びてきた二本目を、アルヴァスの炎が焼き尽くした。


「……いいぞ。そのまま押し込め」 「ええ!」


ビオッシャが片手を掲げると、足元から鋭い氷柱《ひょうちゅう》が次々と突き出した。氷は彼女の意思に従い、凪谷《なぎや》とアルヴァスを避けながらデルマの身体へと突き刺さっていく。


――ズガガガガッ!!


「グギャアアアッ!!」


怪物が苦悶《くもん》の声を上げた。


「……すげぇ」


凪谷《なぎや》は思わず呟いた。つい先ほどまで、ビオッシャの氷はまともに形を保つことさえできなかった。それが今では、まるで彼女の手足のように自在に動いている。


ビオッシャは巨大なデルマを見上げた。


その視線の先には、黒く脈打つ核があった。デルマの首元に埋まった、唯一の弱点。いくら身体を傷つけても、あの核を破壊しない限り、怪物は再生し続ける。


「……あそこを狙うしかない」


アルヴァスが呟く。


「キリがないですもんね!!!……くそっ!」


凪谷《なぎや》が地面を蹴り、崩れた柱を足場に跳び上がった。


「――おらぁぁぁっ!!」


刀を振り上げ、首元の核へと斬りかかる。


しかし、その瞬間。


――ドゴォッ!!


巨大な触手が横から叩きつけられた。


「ぐっ……!」


凪谷《なぎや》は咄嗟《とっさ》に刀で受け止めたものの、凄《すさ》まじい衝撃に吹き飛ばされる。


「凪谷《なぎや》くん!」


ビオッシャが片手を振るうと、地面から氷の柱が伸び、落下する凪谷《なぎや》の足場を作り出した。


「っ……助かりました!」


凪谷《なぎや》は柱の上に着地し、すぐさま刀を構え直す。


「くそっ……! あと少しなのに……!」


核は見えている。だが、そこへ近づこうとするたびに、無数の触手が行く手を阻《はば》んでいた。


◇


「……っ、しつこいなぁ!」


少し離れた場所では、優珠《ゆうじゅ》が双剣を振るいながら叫んでいた。


「蛍《けい》! そっち行ったよ!」


「うん! 任せて!」


――ダダダダンッ!!


蛍《けい》の二丁拳銃が火を噴き、迫る触手を撃ち落とす。二人の背後では、ラピスラズリがローレンの治療を終えようとしていた。


「……ふぅ」


ラピスラズリはゆっくりと手を離した。


「……これで、ひとまず傷は塞がったよ」


「す、すごい」


オニキスが身を乗り出す。


「うん。ただし、まだ動ける状態じゃない。失った血も体力も、すぐには戻らないからね」


ラピスラズリは穏やかに答えながら、ローレンの顔を覗《のぞ》き込んだ。


「……聞こえているかい、ローレン?」


「……ああ……」


掠《かす》れた声が返ってきた。ローレンは瓦礫《がれき》にもたれかかり、荒い息を繰り返していた。腹部の傷は塞がっているものの、顔色はひどく悪い。


「……ったく……」


彼はゆっくりと目を開けた。視線の先には、巨大なデルマが聳え立って(そびえたって)いる。


「……まだ……生きてやがんのか……」


「無理に動かないで。今は休むといい」


ラピスラズリが声をかける。しかし、ローレンは答えなかった。ただ、じっと怪物を睨《にら》みつけていた。


あの時、ギブンは自分を躊躇《ちゅうちょ》なく貫いた。フィアンマをおびき寄せるための餌《えさ》として。


「……ふざけやがって……」


ローレンは小さく吐き捨てた。利用されることには慣れている。自分だって、これまで散々人を利用してきた。だが、だからといって、黙って食い物にされてやるほどお人好しでもない。


ローレンはゆっくりと拳を握りしめた。


「……この借りは……きっちり返してやる……」


◇


――ゴオオオオオッ!!


玉座の間に、再び凄《すさ》まじい咆哮《ほうこう》が響いた。


「っ……!」


ビオッシャは氷の壁を作り出し、迫る触手を防いだ。


――ドゴォォンッ!!


巨大な衝撃が氷壁を揺らす。 長引く戦闘にビオッシャ達の体力は徐々《じょじょ》に削られていく。 アルヴァスは、脇腹の傷を押さえながら剣を振るっている。凪谷《なぎや》の動きも、少しずつ鈍くなっていた。


「……このままじゃ、また押し切られる……!」


凪谷《なぎや》が呟く。その時、ビオッシャが静かに口を開いた。


「……凪谷《なぎや》くん、アルヴァス」


二人が振り返る。


「私が、あの核を砕くわ」


「……できるのか?」


アルヴァスが問いかけた。ビオッシャは小さく頷《うなず》く。


「ええ。今なら、きっと」


彼女の周囲に、青白い氷の結晶が浮かび上がった。それらはゆっくりと集まり、一本の巨大な氷の刃へと姿を変えていく。


透き通るような青い刀身。その表面には、雪の結晶を思わせる美しい模様が刻まれていた。


「……これを、首元まで届かせればいいの」


ビオッシャは巨大なデルマを見据えた。


「……でも、問題は……」


「……動き、か」


アルヴァスが呟く。


そう。デルマは絶えず身体を動かし、無数の触手で核を守っている。どれほど強力な刃を作り出しても、狙いが定まらなければ意味がない。


「……俺たちで隙を作るしかねぇな」


凪谷《なぎや》が刀を握り直す。


だが、その時だった。


「……だったらよ……」


背後から、掠《かす》れた声が聞こえた。


「……動きを……止めりゃあ……いいんだろ……?」


「……え?」


ビオッシャが振り返る。そこには、ラピスラズリに肩を支えられながら、ゆっくりと立ち上がるローレンの姿があった。


「ローレン……!?」


凪谷《なぎや》が驚きの声を上げる。


「おい! 何やってんだよ! まだ動いちゃ駄目だろ!!」


「……うるせぇ……」


ローレンは苦しそうに顔を歪めた。


「……ガキが……偉そうに……」


「なんだと!?」


「凪谷《なぎや》くん、今は喧嘩してる場合じゃないよ」


ラピスラズリが苦笑する。しかし、その表情には明らかな不安が浮かんでいた。


「ローレン、本当に無理はしないで。傷は塞がったけれど、君の身体はまだ……」


「……分かってる……」


ローレンはラピスラズリの肩から手を離した。一歩、前へ出る。その足元はふらついていた。額には、大粒の汗が浮かんでいる。


「……俺のギフトなら……」


ローレンはゆっくりと右手を持ち上げた。


「……あいつを……一瞬だけ……止められる……」


ビオッシャが目を見開く。


「……あなたのギフトで?」


「……ああ……」


ローレンは口元を歪めた。


「……長くは……もたねぇぞ……」


その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。それでも、彼の目には強い怒りが宿っていた。


「……一瞬で……決めろ……」


ビオッシャはローレンを見つめた。かつて自分たちを襲い、オニキスを狙った男。敵であることに変わりはない。


それでも今、彼は自分たちに力を貸そうとしている。


「……分かったわ」


ビオッシャは静かに頷《うなず》いた。


「その一瞬、必ず仕留《しと》める」


ローレンは小さく鼻で笑った。


「……はっ……頼むぜ……」


◇


「――行くぞ!!」


凪谷《なぎや》の叫びとともに、三人が動き出した。まず飛び出したのはアルヴァスだった。


「――燃え尽きろ!!」


――ゴオオオオオッ!!


剣から放たれた炎が、デルマの周囲に広がる。無数の触手が炎に包まれ、激しくのたうち回った。


「グオオオオオッ!!」


怪物が咆哮《ほうこう》を上げる。その隙に、凪谷《なぎや》が地面を蹴った。


「――おらぁぁぁっ!!」


――ズバァァンッ!!


刀が触手を斬り裂き、ビオッシャへ続く道を切り開く。


「ビオッシャさん!! 今です!!」


「ええ!!」


ビオッシャが両手を掲げた。周囲の冷気が一気に集まり、巨大な氷の刃が青白く輝き始める。


「……これで……!」


彼女は真っ直ぐにデルマを見据えた。首元の黒い核。そこへ狙いを定める。


しかし、その瞬間。


「――グギャアアアアッ!!」


デルマが激しく身を捩《よじ》った。巨大な触手が一斉に持ち上がり、ビオッシャめがけて襲い掛かる。


「っ……!!」


凪谷《なぎや》が叫ぶ。


「まずい!! 避けてください!!」


だが、ビオッシャは動かなかった。その瞳は、ただ一点。黒い核だけを見つめていた。


そして――。


「……今だ……!」


ローレンが、震える右手を突き出した。


「――止まりやがれ!!!」


――キィィィィンッ!!


甲高《かんだか》い音が響いた。


次の瞬間、世界が止まった。


正確には、デルマの巨体を取り巻く空間だけが、完全に固定されていた。


振り下ろされる寸前の触手。激しく蠢く(うごめく)無数の顔。首元を守ろうと動いていた巨大な腕。


そのすべてが、まるで時間を止められたかのように静止していた。


「……っ、ぐ……!」


ローレンの顔が苦痛に歪む。額から大粒の汗が流れ落ち、足元が大きくふらついた。


「……っ、はや……く……!」


その声に、ビオッシャが応えた。


「――よくやったわ、ローレン!!」


彼女は両手を前へと突き出す。


「――貫きなさい!!」


――ズガァァァァァンッ!!!!


巨大な氷の刃が、一直線に放たれた。青白い閃光《せんこう》が玉座の間を駆け抜け、デルマの首元へと突き進む。


そして――。


――パキィィィィィンッ!!!!


黒い核が、砕け散った。


「――――ッ!!?」


デルマの巨体が大きく震えた。固定されていた空間が解放され、無数の触手が力なく垂れ下がる。


「……やった……?」


オニキスが呟いた。


巨大なデルマの身体に、無数の亀裂《きれつ》が走り始める。黒い外殻《がいかく》が崩れ、内側から灰色の光が漏れ出した。


「グ……オ……オオ……」


怪物が苦しげな呻《うめ》き声を上げる。身体に浮かんでいた無数の顔が次々と形を失い、巨大な触手も先端から灰へと変わっていった。


「……終わった……?」


蛍《けい》が銃口を下ろす。


「……うん。みたいだね」


優珠《ゆうじゅ》も双剣を下ろし、ほっと息を吐いた。凪谷《なぎや》は刀を握ったまま、その場に膝をついた。


「はぁ……はぁ……っ! やっと……倒した……!」


アルヴァスも静かに剣を下ろす。脇腹の傷を押さえながら、崩れゆくデルマを見つめていた。その隣で、ビオッシャはじっと立ち尽くしていた。


「……お母さま……」


五年前、母の命を奪った怪物。ずっと自分を苦しめてきた、あの日の真実。


そのすべてが、今、目の前で灰になろうとしている。


「……終わったわ」


ビオッシャの頬を、一筋《ひとすじ》の涙が伝った。


その時だった。


「……っ、ぐ……!」


背後から、苦しげな呻《うめ》き声が聞こえた。


「ローレン!?」


ラピスラズリが慌てて振り返る。


ローレンはその場に膝をつき、荒い息を繰り返していた。腹部の傷こそ塞がっているものの、額には大粒の汗が浮かび、顔色はひどく悪い。


「……はぁ……っ、はぁ……!」


「はぁ、君って子は……。今は動かないで」


ラピスラズリが再び治療を施《ほどこ》そうとした、その瞬間。


――ボフッ。


ローレンの足元から、黒い煙が立ち上った。


「……え?」


オニキスが目を見開く。煙は瞬《またた》く間に広がり、ローレンの身体を包み込んでいった。


「……っ!」


煙の中からは聞き覚えのある声が響いた。


「……いやはや。実に見事な戦いでしたねぇ」


「……その声……!」


オニキスの表情が強張《こわば》った。


黒い煙の中から、一人の男が姿を現す。大きな黒い帽子。紫色の装飾が施《ほどこ》された衣装。そして、手にした杖。


「……ヴェルナー!!」


優珠《ゆうじゅ》が双剣を構え直した。


ヴェルナー・アイゼンベルク。城の書庫で優珠《ゆうじゅ》たちと交戦し、姿を消したはずの男だった。オニキスは咄嗟《とっさ》にメモリーブックを胸に抱き寄せた。


「まさか!……まだ、この本を狙ってるの……?」


「オニキス! あたしの後ろに!」


優珠《ゆうじゅ》が素早くオニキスの前へ立つ。蛍《けい》も二丁の銃を構え、ヴェルナーへ銃口を向けた。


「……またオニキスを連れていくつもり?」


ヴェルナーは三人を見渡すと、小さく笑った。


「……今は、そのつもりはありませんよ」


「……今は?」


蛍《けい》が眉をひそめる。しかし、ヴェルナーはそれ以上答えなかった。彼の視線は、すでにローレンへ向けられていた。


「……まったく。無茶をする人ですねぇ」


ヴェルナーはローレンの傍ら(かたわら)に膝をつき、その身体を慎重に支えた。


「……てめぇ……見てたんなら……助けろよ……」


「……すみませんねぇ、うっかり巻き込まれそうだったので」


言葉とは裏腹に、ヴェルナーの表情からいつもの笑みが消える。ローレンの腹部へ一度だけ視線を落とし、それからラピスラズリを見た。


「……治療、感謝します」


ラピスラズリは小さく頷《うなず》いた。


「うん。でも、まだ安心できる状態じゃないよ。ちゃんと休ませてあげてね」


「……ええ」


ヴェルナーはローレンの腕を自分の肩へ回した。その仕草《しぐさ》は、傷に触れないよう慎重だった。


「……待てよ!」


足元から黒い煙が立ち上り、二人の身体を包み始める。


「……それでは」


その時だった。


「……おい……」


ローレンが掠《かす》れた声を漏らした。


「……ちょっと……待て……」


ヴェルナーは動きを止めた。


ローレンは苦しげに顔を上げる。その視線の先には、崩れゆくギブンの姿があった。巨大だった肉体はすでに半分以上が灰となり、無数の触手も次々と消え失せている。


「……グ……オ……」


ギブンだった怪物が、最後の呻《うめ》き声を上げた。


ローレンはその姿をじっと見つめた。


自分を利用し、裏切り、腹を貫いた男。フィアンマをおびき寄せるための餌《えさ》にされ、あのまま死んでいたとしても、ギブンは何とも思わなかっただろう。


あれほど偉そうに振る舞っていた奴が、今では何もできずに崩れ落ちている。


「……はっ……」


ローレンの口元が、わずかに歪んだ。額から大粒の汗が流れ落ちる。呼吸するだけでも苦しい。それでも、彼は最後までギブンから目を逸《そ》らさなかった。


そして、消えゆく怪物に向かって、苦し紛《まぎ》れに吐き捨てた。


「……ざまぁ……見やがれ……」


ヴェルナーは何も言わなかった。ただ、ローレンの身体を支え直すと、静かに杖を振った。


――ボフッ。


黒い煙が二人を包み込み、その姿を消し去った。


「……消えた……」


オニキスが呟く。


ラピスラズリは、先ほどまでローレンが倒れていた場所を見つめていた。


「……無事に帰れるといいんだけどね」


その時、最後の触手が音もなく崩れ落ちた。


――サァァァァ……。


ギブンの巨体は完全に灰となり、冷たい風にさらわれていく。


五年前、女王の命を奪った怪物は、もうどこにもいなかった。


「……ビオッシャ」


アルヴァスが静かに声をかける。


ビオッシャはしばらく灰の舞う空を見つめていたが、やがて小さく頷《うなず》いた。


「……ええ」


彼女は胸元に手を当てた。そこには、母から受け継いだフィアンマの力が、確かに息づいている。


「……お母さま。私、これからもこの国を守っていくわ」


崩れた天井の向こうから、静かに雪が舞い降りてくる。


ビオッシャは涙を拭《ぬぐ》うと、仲間たちの方へ振り返った。


その表情には、もう迷いはなかった。


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