最後の一撃
――バキバキバキッ!!
巨大な氷に亀裂が走り、凍りついていた触手が次々と砕け散った。
「グオオオオオオッ!!」
ギブンの姿をしたデルマが、怒り狂ったように咆哮を上げる。無数の触手が暴れ回り、周囲の瓦礫を薙ぎ払った。
しかし、先ほどまでとは違っていた。
「――凪谷くん! 右から来るわ!」 「了解です!!」
ビオッシャの声に反応し、凪谷が刀を振り抜く。迫ってきた触手を斬り払い、その背後から伸びてきた二本目を、アルヴァスの炎が焼き尽くした。
「……いいぞ。そのまま押し込め」 「ええ!」
ビオッシャが片手を掲げると、足元から鋭い氷柱が次々と突き出した。氷は彼女の意思に従い、凪谷とアルヴァスを避けながらデルマの身体へと突き刺さっていく。
――ズガガガガッ!!
「グギャアアアッ!!」
怪物が苦悶の声を上げた。
「……すげぇ」
凪谷は思わず呟いた。つい先ほどまで、ビオッシャの氷はまともに形を保つことさえできなかった。それが今では、まるで彼女の手足のように自在に動いている。
ビオッシャは巨大なデルマを見上げた。
その視線の先には、黒く脈打つ核があった。デルマの首元に埋まった、唯一の弱点。いくら身体を傷つけても、あの核を破壊しない限り、怪物は再生し続ける。
「……あそこを狙うしかない」
アルヴァスが呟く。
「キリがないですもんね!!!……くそっ!」
凪谷が地面を蹴り、崩れた柱を足場に跳び上がった。
「――おらぁぁぁっ!!」
刀を振り上げ、首元の核へと斬りかかる。
しかし、その瞬間。
――ドゴォッ!!
巨大な触手が横から叩きつけられた。
「ぐっ……!」
凪谷は咄嗟に刀で受け止めたものの、凄まじい衝撃に吹き飛ばされる。
「凪谷くん!」
ビオッシャが片手を振るうと、地面から氷の柱が伸び、落下する凪谷の足場を作り出した。
「っ……助かりました!」
凪谷は柱の上に着地し、すぐさま刀を構え直す。
「くそっ……! あと少しなのに……!」
核は見えている。だが、そこへ近づこうとするたびに、無数の触手が行く手を阻んでいた。
◇
「……っ、しつこいなぁ!」
少し離れた場所では、優珠が双剣を振るいながら叫んでいた。
「蛍! そっち行ったよ!」
「うん! 任せて!」
――ダダダダンッ!!
蛍の二丁拳銃が火を噴き、迫る触手を撃ち落とす。二人の背後では、ラピスラズリがローレンの治療を終えようとしていた。
「……ふぅ」
ラピスラズリはゆっくりと手を離した。
「……これで、ひとまず傷は塞がったよ」
「す、すごい」
オニキスが身を乗り出す。
「うん。ただし、まだ動ける状態じゃない。失った血も体力も、すぐには戻らないからね」
ラピスラズリは穏やかに答えながら、ローレンの顔を覗き込んだ。
「……聞こえているかい、ローレン?」
「……ああ……」
掠れた声が返ってきた。ローレンは瓦礫にもたれかかり、荒い息を繰り返していた。腹部の傷は塞がっているものの、顔色はひどく悪い。
「……ったく……」
彼はゆっくりと目を開けた。視線の先には、巨大なデルマが聳え立っている。
「……まだ……生きてやがんのか……」
「無理に動かないで。今は休むといい」
ラピスラズリが声をかける。しかし、ローレンは答えなかった。ただ、じっと怪物を睨みつけていた。
あの時、ギブンは自分を躊躇なく貫いた。フィアンマをおびき寄せるための餌として。
「……ふざけやがって……」
ローレンは小さく吐き捨てた。利用されることには慣れている。自分だって、これまで散々人を利用してきた。だが、だからといって、黙って食い物にされてやるほどお人好しでもない。
ローレンはゆっくりと拳を握りしめた。
「……この借りは……きっちり返してやる……」
◇
――ゴオオオオオッ!!
玉座の間に、再び凄まじい咆哮が響いた。
「っ……!」
ビオッシャは氷の壁を作り出し、迫る触手を防いだ。
――ドゴォォンッ!!
巨大な衝撃が氷壁を揺らす。 長引く戦闘にビオッシャ達の体力は徐々《じょじょ》に削られていく。 アルヴァスは、脇腹の傷を押さえながら剣を振るっている。凪谷の動きも、少しずつ鈍くなっていた。
「……このままじゃ、また押し切られる……!」
凪谷が呟く。その時、ビオッシャが静かに口を開いた。
「……凪谷くん、アルヴァス」
二人が振り返る。
「私が、あの核を砕くわ」
「……できるのか?」
アルヴァスが問いかけた。ビオッシャは小さく頷く。
「ええ。今なら、きっと」
彼女の周囲に、青白い氷の結晶が浮かび上がった。それらはゆっくりと集まり、一本の巨大な氷の刃へと姿を変えていく。
透き通るような青い刀身。その表面には、雪の結晶を思わせる美しい模様が刻まれていた。
「……これを、首元まで届かせればいいの」
ビオッシャは巨大なデルマを見据えた。
「……でも、問題は……」
「……動き、か」
アルヴァスが呟く。
そう。デルマは絶えず身体を動かし、無数の触手で核を守っている。どれほど強力な刃を作り出しても、狙いが定まらなければ意味がない。
「……俺たちで隙を作るしかねぇな」
凪谷が刀を握り直す。
だが、その時だった。
「……だったらよ……」
背後から、掠れた声が聞こえた。
「……動きを……止めりゃあ……いいんだろ……?」
「……え?」
ビオッシャが振り返る。そこには、ラピスラズリに肩を支えられながら、ゆっくりと立ち上がるローレンの姿があった。
「ローレン……!?」
凪谷が驚きの声を上げる。
「おい! 何やってんだよ! まだ動いちゃ駄目だろ!!」
「……うるせぇ……」
ローレンは苦しそうに顔を歪めた。
「……ガキが……偉そうに……」
「なんだと!?」
「凪谷くん、今は喧嘩してる場合じゃないよ」
ラピスラズリが苦笑する。しかし、その表情には明らかな不安が浮かんでいた。
「ローレン、本当に無理はしないで。傷は塞がったけれど、君の身体はまだ……」
「……分かってる……」
ローレンはラピスラズリの肩から手を離した。一歩、前へ出る。その足元はふらついていた。額には、大粒の汗が浮かんでいる。
「……俺のギフトなら……」
ローレンはゆっくりと右手を持ち上げた。
「……あいつを……一瞬だけ……止められる……」
ビオッシャが目を見開く。
「……あなたのギフトで?」
「……ああ……」
ローレンは口元を歪めた。
「……長くは……もたねぇぞ……」
その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。それでも、彼の目には強い怒りが宿っていた。
「……一瞬で……決めろ……」
ビオッシャはローレンを見つめた。かつて自分たちを襲い、オニキスを狙った男。敵であることに変わりはない。
それでも今、彼は自分たちに力を貸そうとしている。
「……分かったわ」
ビオッシャは静かに頷いた。
「その一瞬、必ず仕留める」
ローレンは小さく鼻で笑った。
「……はっ……頼むぜ……」
◇
「――行くぞ!!」
凪谷の叫びとともに、三人が動き出した。まず飛び出したのはアルヴァスだった。
「――燃え尽きろ!!」
――ゴオオオオオッ!!
剣から放たれた炎が、デルマの周囲に広がる。無数の触手が炎に包まれ、激しくのたうち回った。
「グオオオオオッ!!」
怪物が咆哮を上げる。その隙に、凪谷が地面を蹴った。
「――おらぁぁぁっ!!」
――ズバァァンッ!!
刀が触手を斬り裂き、ビオッシャへ続く道を切り開く。
「ビオッシャさん!! 今です!!」
「ええ!!」
ビオッシャが両手を掲げた。周囲の冷気が一気に集まり、巨大な氷の刃が青白く輝き始める。
「……これで……!」
彼女は真っ直ぐにデルマを見据えた。首元の黒い核。そこへ狙いを定める。
しかし、その瞬間。
「――グギャアアアアッ!!」
デルマが激しく身を捩った。巨大な触手が一斉に持ち上がり、ビオッシャめがけて襲い掛かる。
「っ……!!」
凪谷が叫ぶ。
「まずい!! 避けてください!!」
だが、ビオッシャは動かなかった。その瞳は、ただ一点。黒い核だけを見つめていた。
そして――。
「……今だ……!」
ローレンが、震える右手を突き出した。
「――止まりやがれ!!!」
――キィィィィンッ!!
甲高い音が響いた。
次の瞬間、世界が止まった。
正確には、デルマの巨体を取り巻く空間だけが、完全に固定されていた。
振り下ろされる寸前の触手。激しく蠢く無数の顔。首元を守ろうと動いていた巨大な腕。
そのすべてが、まるで時間を止められたかのように静止していた。
「……っ、ぐ……!」
ローレンの顔が苦痛に歪む。額から大粒の汗が流れ落ち、足元が大きくふらついた。
「……っ、はや……く……!」
その声に、ビオッシャが応えた。
「――よくやったわ、ローレン!!」
彼女は両手を前へと突き出す。
「――貫きなさい!!」
――ズガァァァァァンッ!!!!
巨大な氷の刃が、一直線に放たれた。青白い閃光が玉座の間を駆け抜け、デルマの首元へと突き進む。
そして――。
――パキィィィィィンッ!!!!
黒い核が、砕け散った。
「――――ッ!!?」
デルマの巨体が大きく震えた。固定されていた空間が解放され、無数の触手が力なく垂れ下がる。
「……やった……?」
オニキスが呟いた。
巨大なデルマの身体に、無数の亀裂が走り始める。黒い外殻が崩れ、内側から灰色の光が漏れ出した。
「グ……オ……オオ……」
怪物が苦しげな呻き声を上げる。身体に浮かんでいた無数の顔が次々と形を失い、巨大な触手も先端から灰へと変わっていった。
「……終わった……?」
蛍が銃口を下ろす。
「……うん。みたいだね」
優珠も双剣を下ろし、ほっと息を吐いた。凪谷は刀を握ったまま、その場に膝をついた。
「はぁ……はぁ……っ! やっと……倒した……!」
アルヴァスも静かに剣を下ろす。脇腹の傷を押さえながら、崩れゆくデルマを見つめていた。その隣で、ビオッシャはじっと立ち尽くしていた。
「……お母さま……」
五年前、母の命を奪った怪物。ずっと自分を苦しめてきた、あの日の真実。
そのすべてが、今、目の前で灰になろうとしている。
「……終わったわ」
ビオッシャの頬を、一筋の涙が伝った。
その時だった。
「……っ、ぐ……!」
背後から、苦しげな呻き声が聞こえた。
「ローレン!?」
ラピスラズリが慌てて振り返る。
ローレンはその場に膝をつき、荒い息を繰り返していた。腹部の傷こそ塞がっているものの、額には大粒の汗が浮かび、顔色はひどく悪い。
「……はぁ……っ、はぁ……!」
「はぁ、君って子は……。今は動かないで」
ラピスラズリが再び治療を施そうとした、その瞬間。
――ボフッ。
ローレンの足元から、黒い煙が立ち上った。
「……え?」
オニキスが目を見開く。煙は瞬く間に広がり、ローレンの身体を包み込んでいった。
「……っ!」
煙の中からは聞き覚えのある声が響いた。
「……いやはや。実に見事な戦いでしたねぇ」
「……その声……!」
オニキスの表情が強張った。
黒い煙の中から、一人の男が姿を現す。大きな黒い帽子。紫色の装飾が施された衣装。そして、手にした杖。
「……ヴェルナー!!」
優珠が双剣を構え直した。
ヴェルナー・アイゼンベルク。城の書庫で優珠たちと交戦し、姿を消したはずの男だった。オニキスは咄嗟にメモリーブックを胸に抱き寄せた。
「まさか!……まだ、この本を狙ってるの……?」
「オニキス! あたしの後ろに!」
優珠が素早くオニキスの前へ立つ。蛍も二丁の銃を構え、ヴェルナーへ銃口を向けた。
「……またオニキスを連れていくつもり?」
ヴェルナーは三人を見渡すと、小さく笑った。
「……今は、そのつもりはありませんよ」
「……今は?」
蛍が眉をひそめる。しかし、ヴェルナーはそれ以上答えなかった。彼の視線は、すでにローレンへ向けられていた。
「……まったく。無茶をする人ですねぇ」
ヴェルナーはローレンの傍らに膝をつき、その身体を慎重に支えた。
「……てめぇ……見てたんなら……助けろよ……」
「……すみませんねぇ、うっかり巻き込まれそうだったので」
言葉とは裏腹に、ヴェルナーの表情からいつもの笑みが消える。ローレンの腹部へ一度だけ視線を落とし、それからラピスラズリを見た。
「……治療、感謝します」
ラピスラズリは小さく頷いた。
「うん。でも、まだ安心できる状態じゃないよ。ちゃんと休ませてあげてね」
「……ええ」
ヴェルナーはローレンの腕を自分の肩へ回した。その仕草は、傷に触れないよう慎重だった。
「……待てよ!」
足元から黒い煙が立ち上り、二人の身体を包み始める。
「……それでは」
その時だった。
「……おい……」
ローレンが掠れた声を漏らした。
「……ちょっと……待て……」
ヴェルナーは動きを止めた。
ローレンは苦しげに顔を上げる。その視線の先には、崩れゆくギブンの姿があった。巨大だった肉体はすでに半分以上が灰となり、無数の触手も次々と消え失せている。
「……グ……オ……」
ギブンだった怪物が、最後の呻き声を上げた。
ローレンはその姿をじっと見つめた。
自分を利用し、裏切り、腹を貫いた男。フィアンマをおびき寄せるための餌にされ、あのまま死んでいたとしても、ギブンは何とも思わなかっただろう。
あれほど偉そうに振る舞っていた奴が、今では何もできずに崩れ落ちている。
「……はっ……」
ローレンの口元が、わずかに歪んだ。額から大粒の汗が流れ落ちる。呼吸するだけでも苦しい。それでも、彼は最後までギブンから目を逸らさなかった。
そして、消えゆく怪物に向かって、苦し紛れに吐き捨てた。
「……ざまぁ……見やがれ……」
ヴェルナーは何も言わなかった。ただ、ローレンの身体を支え直すと、静かに杖を振った。
――ボフッ。
黒い煙が二人を包み込み、その姿を消し去った。
「……消えた……」
オニキスが呟く。
ラピスラズリは、先ほどまでローレンが倒れていた場所を見つめていた。
「……無事に帰れるといいんだけどね」
その時、最後の触手が音もなく崩れ落ちた。
――サァァァァ……。
ギブンの巨体は完全に灰となり、冷たい風にさらわれていく。
五年前、女王の命を奪った怪物は、もうどこにもいなかった。
「……ビオッシャ」
アルヴァスが静かに声をかける。
ビオッシャはしばらく灰の舞う空を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……ええ」
彼女は胸元に手を当てた。そこには、母から受け継いだフィアンマの力が、確かに息づいている。
「……お母さま。私、これからもこの国を守っていくわ」
崩れた天井の向こうから、静かに雪が舞い降りてくる。
ビオッシャは涙を拭うと、仲間たちの方へ振り返った。
その表情には、もう迷いはなかった。




