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REGRET。  作者: ひととせ
第4章︰氷の国“ヴェルグラード”

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受け継がれた意志

挿絵(By みてみん)

――ドクンッ。


胸の奥で、力強い鼓動が響いた。


ビオッシャは、自分の指先に灯る青白い光を見つめていた。先ほどまで不規則に揺らめいていたそれは、今では小さな炎のように、静かに形を保っている。


「……私、最初から……この力を拒《こば》んでいたの……?」


五年前、母を失ったあの日。薄れゆく意識の中で感じた、母から受け継がれたフィアンマの力。あの時、自分は確かに願ったのだ。


――お母さまがいなくなるくらいなら、こんな力いらないのに。


母が残してくれたものを、母を失った証としてしか見ていなかった。そのことに、今になってようやく気づいた。


「……そう、だったのね」


ビオッシャはゆっくりと顔を上げた。


目の前には、かつて叔父《おじ》と呼んでいた男の成れの果て(なれのはて)が聳え立って(そびえたって)いる。無数の顔が浮かぶ醜悪《しゅうあく》な肉体。黒く蠢く(うごめく)触手。そして、その首元に埋まった黒い核。


ギブン。


いや、もはやその名で呼ぶべきなのかさえ分からない。


けれど、今なら分かる。五年前、母を殺したのは、目の前にいるこのデルマだ。


その確信とともに、ビオッシャの脳裏に、かつてアルヴァスから聞いた話が蘇《よみがえ》った。


◇


それは、ヴェルグラードを脱出してからしばらく経った頃のことだった。雪の降り積もる小さな隠れ家で、ビオッシャはアルヴァスに尋ねた。


「……アルヴァス。お母さまが亡くなった日のこと、教えてくれる?」


暖炉《だんろ》の火が、ぱちぱちと小さな音を立てていた。アルヴァスはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「……あの日、ギブンはデルマの討伐《とうばつ》から戻った」


「……叔父《おじ》さまが?」


「ああ。城の外で発生したデルマの討伐《とうばつ》に向かい、帰還した。だが、その直後、女王陛下がギブンを呼び出したんだ」


「お母さまが……?」


ビオッシャは首を傾げた。


「どうして?」


「……分からない」


アルヴァスは、当時の光景を思い返すように目を伏せた。


「帰還したギブンを見た瞬間、女王陛下の表情が変わった。すぐに人払い(ひとばらい)を命じ、ギブンと二人きりになったんだ」


「……二人きり?」


「ああ。俺たちも近づくことを許されなかった」


ビオッシャは膝の上で、ぎゅっと手を握りしめた。


「……それで?」


「……しばらくして、異変が起きた」


アルヴァスの声が低くなる。


「物音がした。俺たちが駆けつけた時には、すでに女王陛下は……」


そこで言葉が途切れた。ビオッシャは俯《うつむ》いたまま、続きを待った。しかし、アルヴァスはそれ以上何も言わなかった。


「……お母さまは、叔父《おじ》さまに殺されたの?」


小さな問いだった。アルヴァスはすぐには答えなかった。


「……証拠はない。俺はすぐにお前とラピスラズリの元に向かったからな。だが、あの部屋にいたのは二人だけだ」


「…………」


ビオッシャは、黙って暖炉《だんろ》の炎を見つめた。アルヴァスもまた、それ以上は語らなかった。


あの日、二人の間で何が起こったのか。その真相を知る者は、もういないのだと思っていた。


◇


「……そういうことだったのね」


崩壊した玉座の間で、ビオッシャは小さく呟いた。あの日、ギブンはデルマの討伐《とうばつ》に向かった。そして、帰ってきた。母は帰還したギブンを見て、すぐに二人きりになることを選んだ。


ずっと不思議だった。なぜ母は、わざわざ人払い(ひとばらい)をしたのか。なぜ護衛を遠ざけ、ギブンと二人だけになったのか。


けれど、今ならその理由が分かる。


母もまた、フィアンマだった。人の持つ力を、炎として見ることのできる存在。


帰還したギブンを見た瞬間、母は気づいたのだ。目の前にいる弟が、すでに人間ではなくなっていることに。


「……お母さまは、貴方を止めようとしたのね」


ビオッシャの視線が、巨大なデルマへと向けられる。


「デルマを討伐《とうばつ》しに行ったはずの貴方が、デルマになって帰ってきた。……だから、お母さまは貴方を呼び出した」


フィアンマの力を持つ母ならば、異変を見抜けたはずだ。そして、城の人々を巻き込まないために、誰にも知らせず自ら倒そうとした。


しかし――。


「……お母さまは、負けてしまった」


その言葉を口にした瞬間、胸が締めつけられた。


五年前の悲しみが、再び押し寄せてくる。優しく笑ってくれた母。病に伏せる自分の手を、いつも握っていてくれた母。もう二度と会えない、大切な人。


「……っ」


ビオッシャは唇を噛みしめた。けれど、不思議と涙は零《こぼ》れなかった。代わりに、胸の奥から静かな熱が込み上げて(こみあげて)くる。


「……ずっと、分からなかった」


彼女は、自分の手を見つめた。


「どうしてお母さまが亡くなったのか。どうして私に、この力が残されたのか……」


指先に、青白い光が灯る。今度は消えない。それどころか、彼女の意思に応えるように、ゆっくりと輝きを増していった。


「……でも、ようやく分かったわ」


ビオッシャは静かに息を吸った。


「お母さまが私に残してくれたのは、悲しみだけじゃなかったのね」


――パキッ。


足元の石畳に、小さな氷の結晶が生まれた。しかし、以前のように無秩序《むちつじょ》に広がることはなかった。


結晶は彼女の足元で静かに形を変え、まるで花が咲くように、美しい六角形《ろっかくけい》の模様を描いていく。


「……この力は、お母さまが生きていた証……」


ビオッシャは、そっと胸元に手を当てた。


「……そして、お母さまが守ろうとしたものを、私も守るための力なのね」


その瞬間だった。


――ゴオオオオオッ!!


巨大なデルマが、凄《すさ》まじい咆哮《ほうこう》を上げた。無数の触手が一斉に持ち上がり、ビオッシャめがけて襲い掛かる。


「――ビオッシャさん!!」


凪谷《なぎや》が叫んだ。


すでに彼は満身創痍《まんしんそうい》だった。刀を握る腕は震え、肩で荒い息を繰り返している。それでも、ビオッシャを守ろうと駆け出した。


「くそっ……! 間に合え……!!」


だが、その必要はなかった。


「……大丈夫よ、凪谷《なぎや》くん」


ビオッシャが静かに告げる。そして、迫り来る触手へ向かって片手をかざした。


「――止まりなさい」


――パキィィィィンッ!!!!


次の瞬間、空中を覆い尽くすほどの巨大な氷の結晶が、一斉に花開いた。


迫っていた無数の触手が、瞬《またた》く間に凍りついていく。


「……なっ!?」


凪谷《なぎや》が目を見開く。


凍結《とうけつ》は触手の先端から根元へと広がり、巨大なデルマの動きを完全に封じ込めた。


しかし、驚くべきことはそれだけではなかった。


氷は、ビオッシャの周囲にいる凪谷《なぎや》やアルヴァスを一切巻き込んでいなかった。まるで、彼女の意思を正確に理解しているかのように。


「……ビオッシャ……?」


アルヴァスが呆然《ぼうぜん》と呟く。ビオッシャは、ゆっくりと自分の手を見つめた。


「……できた……」


小さな声が漏れる。


「……私、ちゃんと……」


その指先で、青白い氷の結晶が静かに輝いていた。


今まで何度も暴走し、何度も自分を苦しめてきた力。それが今、初めて自分の意思に従っている。


「……ふふっ」


ビオッシャの口元に、小さな笑みが浮かんだ。


「……ようやく、言うことを聞いてくれたのね」


凪谷《なぎや》はしばらく呆然《ぼうぜん》としていたが、やがて嬉しそうに笑った。


「……すげぇ……! すげぇじゃないですか、ビオッシャさん!!」


「……ありがとう、凪谷《なぎや》くん」


ビオッシャは穏やかに微笑んだ。その隣で、アルヴァスもまた、静かに息を吐いた。


だが、その瞬間。


――バキッ!!


凍りついたデルマの身体に、大きな亀裂《きれつ》が走った。


「……っ!?」


――バキバキバキバキッ!!!!


巨大な氷が、内側から激しく軋《きし》み始める。


「……まだ、動けるのかよ……!?」


凪谷《なぎや》が刀を構え直す。しかし、ビオッシャは慌てなかった。静かにデルマを見上げる。


「……当然よね」


その瞳には、先ほどまでの迷いはなかった。


「貴方が、そんな簡単に倒れてくれるとは思っていないわ」


ビオッシャの足元から青白い冷気が立ち上り、彼女の金色の髪を静かに揺らす。


「……でも、もう大丈夫」


彼女は、真っ直ぐに怪物を見据えた。


「今度こそ、私が貴方を止める」


五年前、母が果たせなかったこと。


母が守ろうとした、この国。そして、今も自分のために戦ってくれる仲間たち。


そのすべてを守るために、ビオッシャは静かに宣言した。


「――お母さまの代わりに、私が貴方を倒すわ」


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