拒絶の氷壁
――ドゴォォォォンッ!!!!
凄まじい轟音とともに、巨大な触手が石畳を叩き割った。砕け散った瓦礫が四方へ飛び散り、崩壊した玉座の間に砂煙が立ち込める。
「うわぁぁっ!? こっち来たぁ!!」
オニキスが悲鳴を上げる。その頭上から降り注ぐ無数の瓦礫を、優珠が双剣で次々と弾き飛ばした。
「よいしょっ! ほいっ! あはー! 危ない危ない!」
「全然危なくなさそうに言わないでよぉ!!」
「大丈夫だって! あたしがいるんだから!」
優珠はいつもの調子で笑うと、迫ってきた触手を勢いよく斬り払った。
その背後では、ラピスラズリがローレンの腹部に両手をかざし、懸命に治療を続けていた。淡い光が傷口を包み込み、裂けた肉体を少しずつ修復していく。しかし、傷はあまりにも深く、ローレンの顔色は依然として青白いままだった。
「……ふぅ。もう少しだね。オニキスくん、そこの布を取ってくれるかな?」
「えっ!? あ、うん! これだね!」
「ありがとう。……ローレン、もう少しだけ頑張ってね」
「……ぐっ……」
ローレンは苦しげに呻くばかりで、返事をする余裕もない。
「ラピスさん! こっちは僕たちに任せて!」
蛍が二丁の白い銃を構え、次々と引き金を引いた。
――ダダダダダンッ!!
迫り来る触手に銃弾が命中し、その軌道がわずかに逸れる。そこへ優珠が飛び込み、勢いよく双剣を振り抜いた。
「――せぇぇぇいっ!!」
――ズバァァンッ!!
巨大な触手が真っ二つに裂け、黒い液体を撒き散らしながら地面へと落下した。
「やったぁ! 蛍、ナイス!」
「えへへ! 優珠もね!」
二人は軽く笑い合う。しかし、その笑顔とは裏腹に、状況は決して良いものではなかった。
切り落とされた触手は、地面に落ちる前から再生を始めていた。巨大なデルマの身体からは次々と新しい触手が生え、まるで終わりのない波のように押し寄せてくる。
「……っ、もう! キリがないよ!」
蛍が悔しそうに声を上げる。
「んー……そうだねぇ」
優珠もまた、珍しく困ったように眉を寄せた。いくら斬っても、いくら撃っても、相手は止まらない。
それでも二人は、背後にいる三人を守るため、一歩も退くことはなかった。
◇
一方、巨大なデルマの正面では、凪谷、ビオッシャ、アルヴァスの三人が激しい戦闘を繰り広げていた。
「――おらぁぁぁっ!!」
凪谷が地面を蹴り、デルマの身体へ斬りかかる。
――ガキィンッ!!
硬質な外殻に刃が食い込み、黒い破片が飛び散った。しかし、その傷は瞬く間に塞がっていく。
「っ……くそ! またかよ!!」
凪谷が着地した瞬間、頭上から巨大な触手が振り下ろされた。
「――伏せろ!」
アルヴァスの声が響く。次の瞬間、凄まじい炎が触手を包み込んだ。
――ゴオオオオオッ!!
焼け焦げた触手が崩れ落ち、凪谷のすぐ横へと落下する。
「っ……助かった!」
「礼はいい。次が来るぞ」
アルヴァスは短く告げると、再び炎を纏わせた剣を構えた。
その隣では、ビオッシャが銃剣を手に、巨大なデルマを睨みつけていた。
「……っ、これなら……!」
彼女が片手を突き出す。
――パキパキパキッ!!
地面から無数の氷柱が突き出し、デルマの脚へと絡みついた。
しかし――。
――ピシッ。
「……え?」
氷柱の表面に亀裂が走る。次の瞬間、氷は内側から弾けるように粉砕された。
「っ……また……!」
ビオッシャが歯を食いしばる。
氷を生み出すことはできる。だが、思い描いた通りに動かすことができない。
巨大な氷柱を生み出したかと思えば、次の瞬間には跡形もなく崩れ去る。逆に、ほんの少しの氷を作ろうとしただけで、周囲を巻き込むほどの冷気が溢れ出すこともあった。
「……どうして……!」
ビオッシャは震える手を見つめた。
その時、デルマの身体が大きく揺れた。
「――グオオオオオッ!!」
無数の触手が一斉に持ち上がり、三人へと襲い掛かる。
「ビオッシャさん!!」
凪谷が叫び、迫ってきた一本を斬り払った。しかし、触手はそれだけではなかった。
左右から、さらに二本。
「っ……!」
ビオッシャが咄嗟に氷の壁を作ろうとする。だが、指先から生まれた氷は、薄い結晶となって砕け散った。
「……嘘……!」
避けられない。
そう思った瞬間――。
「――ビオッシャ!!」
アルヴァスが彼女の前へ飛び込んだ。
――ガキィィンッ!!
炎を纏った剣が、一本目の触手を弾き返す。しかし、もう一本が死角から迫っていた。
「――っ!!」
――ドゴォッ!!
鈍い衝撃音が響いた。
「……アルヴァス……?」
ビオッシャの目が、大きく見開かれる。
アルヴァスの身体が、横殴りに吹き飛ばされていた。
「ぐっ……!」
崩れた石柱へ背中から叩きつけられ、アルヴァスはその場に膝をつく。黒い軍服の脇腹が裂け、赤い血が滲んでいた。
「アルヴァス!!」
ビオッシャが駆け寄ろうとする。だが、アルヴァスは片手を上げてそれを制した。
「……来るな」
「でも、貴方……!」
「この程度、問題ない」
そう言いながら立ち上がるものの、その動きは明らかに鈍かった。脇腹を押さえる手の隙間から、血が滴り落ちている。
ビオッシャは言葉を失った。
自分のせいだ。
自分が、あの程度の攻撃すら防げなかったから。
「――二人とも! 下がってください!!」
その時、凪谷の叫びが響いた。
振り返ると、巨大な触手が再び二人へと迫っていた。
「くそっ……! させるかよ!!」
凪谷は地面を蹴り、二人の前へ飛び込む。
――ガキンッ! ガキィンッ!!
一本、二本。
迫り来る触手を次々と斬り払う。しかし、三本目を受け止めた瞬間、凄まじい衝撃が腕を駆け抜けた。
「ぐっ……あああっ!!」
踏ん張っていた足が石畳を削り、身体が後方へ押し込まれる。
「……っ、負けるかよ……!」
凪谷は歯を食いしばり、全身の力を込めて刀を振り抜いた。
――バキィィンッ!!
触手が弾かれ、ようやく三人の周囲にわずかな隙間が生まれる。
「はぁ……はぁ……っ!」
凪谷は肩で息をしながら、刀を構え直した。手のひらは痺れ、腕には鈍い痛みが走っている。
それでも、後ろにいる二人を守るため、決してその場を離れようとはしなかった。
「……ビオッシャさん、アルヴァスさん……! 大丈夫ですか……?」
「……ああ」
アルヴァスが短く答える。
ビオッシャも小さく頷いた。
「……ええ。ごめんなさい、凪谷くん……」
その声は、ひどく弱々しかった。
◇
――ドクンッ。
ビオッシャの胸の奥で、何かが大きく脈打った。
目の前では、凪谷が必死に刀を振るっている。その背後では、傷を負ったアルヴァスが再び立ち上がろうとしていた。
二人とも、自分を守るために傷ついている。
ビオッシャは、ゆっくりと自分の手を見つめた。白く細い指先には、淡い青白い光が揺らめいていた。
フィアンマ。
母から受け継いだ、特別な力。
この力があれば、国を守れるはずだった。この力があれば、誰かを救えるはずだった。
なのに――。
「……どうして……」
ビオッシャの唇が震える。
「……どうして、こんな時に限って……!」
指先に力を込める。青白い光が一瞬だけ強く輝いた。しかし、次の瞬間には霧のように消えてしまう。
「……っ!!」
ビオッシャは、思わず拳を握りしめた。
何度も、何度も。
この五年間、必死に力を制御しようとしてきた。母から受け継いだ力を、いつか自分の意思で使いこなせるように。いつか、この国を守れるように。
それなのに、いざという時には何一つ思い通りにならない。
「……こんな……!」
ビオッシャは唇を噛みしめた。
目の前では、凪谷が再び触手を受け止めていた。
「ぐっ……くそぉっ!!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「……こんな力……!!」
ビオッシャは、震える拳を強く握りしめた。
特別な力なんて、今使えなきゃ何の意味もないじゃない!!
心の中で、そう叫んだ。
その瞬間――。
――ドクンッ。
胸の奥で、再び大きな鼓動が響いた。
「……え……?」
ビオッシャの視界が、わずかに揺らぐ。
目の前の瓦礫も、巨大なデルマも、凪谷たちの姿も。すべてが、遠ざかっていくような感覚。
そして、不意に五年前の記憶が蘇った。
◇
――五年前。
ヴェルグラード城。
「……急いで、アルヴァス!」
薄暗い城内の廊下に、ラピスラズリの声が響いた。
その腕には、一人の少女が抱えられていた。
十二歳のビオッシャ。
もともと病弱だった彼女の身体はひどく衰弱しており、意識も朦朧としていた。
「……分かっている」
アルヴァスは短く答え、背後を警戒しながら走り続ける。
遠くから、怒号と金属音が聞こえていた。何かが壊れる音。誰かが叫ぶ声。
城の中では、恐ろしい何かが起こっていた。けれど、ビオッシャにはそれを確かめる力さえ残っていなかった。
「……ラピス……?」
か細い声が漏れる。
「……ん? どうしたんだい、ビオッシャ」
ラピスラズリは走りながら、腕の中の少女へ優しく声をかけた。
「……お母……さま……は……?」
その問いに、ラピスラズリの表情が一瞬だけ強張った。
答えられなかった。
隣を走るアルヴァスも、何も言わない。
「……ねぇ……」
ビオッシャは重たい瞼を持ち上げようとした。
「……お母さま……も……一緒……?」
「……ビオッシャ。今は何も考えなくていいよ」
ラピスラズリは、彼女を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「大丈夫。僕たちが必ず君を守るから」
その声は、いつもと変わらず穏やかだった。けれど、どこか震えていた。
ビオッシャは、それ以上何も聞けなかった。
身体が重い。息をすることさえ苦しい。視界はぼやけ、周囲の景色がゆっくりと暗くなっていく。
そして――。
――ドクンッ。
突然、胸の奥で何かが脈打った。
「……っ……?」
不思議な感覚だった。
身体の奥底から、今まで感じたことのない力が流れ込んでくる。
冷たく、澄んだ、けれどどこか懐かしい感覚。まるで、誰かの温もりが自分の中へ溶け込んでくるような。
「……なに……これ……?」
ビオッシャの唇が、かすかに動いた。
その瞬間、なぜだろう。
突然、母の顔が浮かんだ。
優しく微笑む顔。自分の頭を撫でてくれた手。病に苦しむ夜、ずっと傍にいてくれた温かな声。
「……お母……さま……?」
胸が、ひどく苦しくなった。
理由なんて分からない。何が起こったのかも、知らない。
それなのに――。
もう二度と、母には会えない。
そんな確信だけが、心の奥底へと落ちてきた。
「……いや……」
ビオッシャの瞳から、一筋の涙が零れた。
「……お母さま……」
ラピスラズリが、その異変に気づく。
「……ビオッシャ?」
腕の中の少女が、微かに震えていた。
「……いや……だ……」
「……どうしたんだい? 苦しいのかい?」
しかし、ビオッシャにはその声さえ遠く感じられた。
胸の奥から溢れ出す、得体の知れない力。
それが、母の死によって自分へ受け継がれたものなのだと、薄れゆく意識の中で本能的に感じ取っていた。
「……こんな……の……」
少女の小さな手が、ラピスラズリの服を弱々しく握りしめる。
「……いら……ない……」
ぽたり。
涙が零れ落ちる。
――お母さまがいなくなるくらいなら、こんな力いらないのに。
心の底から、そう思った。
その瞬間だった。
――パキッ。
「……っ!?」
ラピスラズリが足を止めた。
腕の中の少女から、凄まじい冷気が溢れ出していた。
「……ビオッシャ……?」
彼女の金色の髪に、白い霜が降り始める。周囲の空気が急激に冷え込み、廊下の壁が次々と凍りついていった。
「アルヴァス! これは……!」
「……っ、何だ!?」
アルヴァスが振り返る。
――パキパキパキパキッ!!
石畳を這うように氷が広がり、壁も柱も、瞬く間に白く染まっていく。
ラピスラズリはビオッシャを抱き直し、必死にその顔を覗き込んだ。
「……まさか……!」
彼は理解した。
ビオッシャの母が持っていた、フィアンマの力。その力が今、彼女へと受け継がれたのだと。
「……アルヴァス! 急ごう!」
「……ああ!」
二人は再び走り出した。
しかし、冷気は止まらなかった。
城の廊下を越え、城壁を越え、街へ、森へ、雪原へ。
少女の悲しみに呼応するように、氷は凄まじい勢いで広がっていった。
そして――。
――ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!
ヴェルグラードの国境に沿って、巨大な氷の柱が次々と立ち上がる。
天を衝くほどの氷柱は互いに繋がり、やがて国全体を囲む巨大な壁へと姿を変えていった。
外の世界を拒絶するように。誰も近づけまいとするように。
まるで、母を失った少女の心を、そのまま形にしたかのように。
ヴェルグラードを閉ざす、巨大な氷壁が生まれた。
その頃には、ビオッシャの意識は完全に途絶えていた。
ラピスラズリの腕の中で、少女はただ静かに眠っていた。
◇
「…………」
ビオッシャは、ゆっくりと目を見開いた。
目の前には、崩壊した玉座の間。巨大なデルマ。そして、自分を守るために傷つきながらも戦い続ける凪谷とアルヴァス。
「……私……」
五年前、母を失ったあの日。
自分は、確かにあの力を感じていた。
そして、心の底から願ったのだ。
こんな力はいらない、と。
「……あの時……」
ビオッシャは、震える手を見つめた。
指先に、淡い青白い光が灯る。
五年間、思い通りにならなかった力。その始まりにあったのは、母を失った悲しみと、受け継いだ力への拒絶。
「……この力を……」
遠くで、凪谷の叫び声が響いた。
「ビオッシャさん!! 危ない!!」
巨大な触手が、彼女へと迫っていた。
しかし、ビオッシャは動かなかった。
ただ、指先に灯る小さな光を見つめていた。
そして、ようやく気づく。
「……私、最初から……この力を拒んでいたの……?」




