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REGRET。  作者: ひととせ
第4章︰氷の国“ヴェルグラード”

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拒絶の氷壁

――ドゴォォォォンッ!!!!


凄《すさ》まじい轟音《ごうおん》とともに、巨大な触手が石畳を叩き割った。砕け散った瓦礫《がれき》が四方へ飛び散り、崩壊した玉座の間に砂煙が立ち込める。


「うわぁぁっ!? こっち来たぁ!!」


オニキスが悲鳴を上げる。その頭上から降り注ぐ無数の瓦礫《がれき》を、優珠《ゆうじゅ》が双剣で次々と弾き飛ばした。


「よいしょっ! ほいっ! あはー! 危ない危ない!」


「全然危なくなさそうに言わないでよぉ!!」


「大丈夫だって! あたしがいるんだから!」


優珠《ゆうじゅ》はいつもの調子で笑うと、迫ってきた触手を勢いよく斬り払った。


その背後では、ラピスラズリがローレンの腹部に両手をかざし、懸命《けんめい》に治療を続けていた。淡い光が傷口を包み込み、裂けた肉体を少しずつ修復していく。しかし、傷はあまりにも深く、ローレンの顔色は依然《いぜん》として青白いままだった。


「……ふぅ。もう少しだね。オニキスくん、そこの布を取ってくれるかな?」


「えっ!? あ、うん! これだね!」


「ありがとう。……ローレン、もう少しだけ頑張ってね」


「……ぐっ……」


ローレンは苦しげに呻《うめ》くばかりで、返事をする余裕もない。


「ラピスさん! こっちは僕たちに任せて!」


蛍《けい》が二丁の白い銃を構え、次々と引き金を引いた。


――ダダダダダンッ!!


迫り来る触手に銃弾が命中し、その軌道《きどう》がわずかに逸《そ》れる。そこへ優珠《ゆうじゅ》が飛び込み、勢いよく双剣を振り抜いた。


「――せぇぇぇいっ!!」


――ズバァァンッ!!


巨大な触手が真っ二つに裂け、黒い液体を撒《ま》き散らしながら地面へと落下した。


「やったぁ! 蛍《けい》、ナイス!」


「えへへ! 優珠《ゆうじゅ》もね!」


二人は軽く笑い合う。しかし、その笑顔とは裏腹に、状況は決して良いものではなかった。


切り落とされた触手は、地面に落ちる前から再生を始めていた。巨大なデルマの身体からは次々と新しい触手が生え、まるで終わりのない波のように押し寄せてくる。


「……っ、もう! キリがないよ!」


蛍《けい》が悔しそうに声を上げる。


「んー……そうだねぇ」


優珠《ゆうじゅ》もまた、珍しく困ったように眉を寄せた。いくら斬っても、いくら撃っても、相手は止まらない。


それでも二人は、背後にいる三人を守るため、一歩も退《ひ》くことはなかった。


◇


一方、巨大なデルマの正面では、凪谷《なぎや》、ビオッシャ、アルヴァスの三人が激しい戦闘を繰り広げていた。


「――おらぁぁぁっ!!」


凪谷《なぎや》が地面を蹴り、デルマの身体へ斬りかかる。


――ガキィンッ!!


硬質《こうしつ》な外殻《がいかく》に刃が食い込み、黒い破片が飛び散った。しかし、その傷は瞬《またた》く間に塞がっていく。


「っ……くそ! またかよ!!」


凪谷《なぎや》が着地した瞬間、頭上から巨大な触手が振り下ろされた。


「――伏せろ!」


アルヴァスの声が響く。次の瞬間、凄《すさ》まじい炎が触手を包み込んだ。


――ゴオオオオオッ!!


焼け焦げた触手が崩れ落ち、凪谷《なぎや》のすぐ横へと落下する。


「っ……助かった!」


「礼はいい。次が来るぞ」


アルヴァスは短く告げると、再び炎を纏わせた(まとわせた)剣を構えた。


その隣では、ビオッシャが銃剣を手に、巨大なデルマを睨《にら》みつけていた。


「……っ、これなら……!」


彼女が片手を突き出す。


――パキパキパキッ!!


地面から無数の氷柱《ひょうちゅう》が突き出し、デルマの脚へと絡みついた。


しかし――。


――ピシッ。


「……え?」


氷柱《ひょうちゅう》の表面に亀裂《きれつ》が走る。次の瞬間、氷は内側から弾けるように粉砕《ふんさい》された。


「っ……また……!」


ビオッシャが歯を食いしばる。


氷を生み出すことはできる。だが、思い描いた通りに動かすことができない。


巨大な氷柱《ひょうちゅう》を生み出したかと思えば、次の瞬間には跡形もなく崩れ去る。逆に、ほんの少しの氷を作ろうとしただけで、周囲を巻き込むほどの冷気が溢れ出すこともあった。


「……どうして……!」


ビオッシャは震える手を見つめた。


その時、デルマの身体が大きく揺れた。


「――グオオオオオッ!!」


無数の触手が一斉に持ち上がり、三人へと襲い掛かる。


「ビオッシャさん!!」


凪谷《なぎや》が叫び、迫ってきた一本を斬り払った。しかし、触手はそれだけではなかった。


左右から、さらに二本。


「っ……!」


ビオッシャが咄嗟《とっさ》に氷の壁を作ろうとする。だが、指先から生まれた氷は、薄い結晶となって砕け散った。


「……嘘……!」


避けられない。


そう思った瞬間――。


「――ビオッシャ!!」


アルヴァスが彼女の前へ飛び込んだ。


――ガキィィンッ!!


炎を纏《まと》った剣が、一本目の触手を弾き返す。しかし、もう一本が死角から迫っていた。


「――っ!!」


――ドゴォッ!!


鈍《にぶ》い衝撃音が響いた。


「……アルヴァス……?」


ビオッシャの目が、大きく見開かれる。


アルヴァスの身体が、横殴りに吹き飛ばされていた。


「ぐっ……!」


崩れた石柱《せきちゅう》へ背中から叩きつけられ、アルヴァスはその場に膝をつく。黒い軍服の脇腹が裂け、赤い血が滲《にじ》んでいた。


「アルヴァス!!」


ビオッシャが駆け寄ろうとする。だが、アルヴァスは片手を上げてそれを制した。


「……来るな」


「でも、貴方……!」


「この程度、問題ない」


そう言いながら立ち上がるものの、その動きは明らかに鈍かった。脇腹を押さえる手の隙間から、血が滴《したた》り落ちている。


ビオッシャは言葉を失った。


自分のせいだ。


自分が、あの程度の攻撃すら防げなかったから。


「――二人とも! 下がってください!!」


その時、凪谷《なぎや》の叫びが響いた。


振り返ると、巨大な触手が再び二人へと迫っていた。


「くそっ……! させるかよ!!」


凪谷《なぎや》は地面を蹴り、二人の前へ飛び込む。


――ガキンッ! ガキィンッ!!


一本、二本。


迫り来る触手を次々と斬り払う。しかし、三本目を受け止めた瞬間、凄《すさ》まじい衝撃が腕を駆け抜けた。


「ぐっ……あああっ!!」


踏ん張っていた足が石畳を削り、身体が後方へ押し込まれる。


「……っ、負けるかよ……!」


凪谷《なぎや》は歯を食いしばり、全身の力を込めて刀を振り抜いた。


――バキィィンッ!!


触手が弾かれ、ようやく三人の周囲にわずかな隙間が生まれる。


「はぁ……はぁ……っ!」


凪谷《なぎや》は肩で息をしながら、刀を構え直した。手のひらは痺《しび》れ、腕には鈍い痛みが走っている。


それでも、後ろにいる二人を守るため、決してその場を離れようとはしなかった。


「……ビオッシャさん、アルヴァスさん……! 大丈夫ですか……?」


「……ああ」


アルヴァスが短く答える。


ビオッシャも小さく頷《うなず》いた。


「……ええ。ごめんなさい、凪谷《なぎや》くん……」


その声は、ひどく弱々しかった。


◇


――ドクンッ。


ビオッシャの胸の奥で、何かが大きく脈打った。


目の前では、凪谷《なぎや》が必死に刀を振るっている。その背後では、傷を負ったアルヴァスが再び立ち上がろうとしていた。


二人とも、自分を守るために傷ついている。


ビオッシャは、ゆっくりと自分の手を見つめた。白く細い指先には、淡い青白い光が揺らめいていた。


フィアンマ。


母から受け継いだ、特別な力。


この力があれば、国を守れるはずだった。この力があれば、誰かを救えるはずだった。


なのに――。


「……どうして……」


ビオッシャの唇が震える。


「……どうして、こんな時に限って……!」


指先に力を込める。青白い光が一瞬だけ強く輝いた。しかし、次の瞬間には霧のように消えてしまう。


「……っ!!」


ビオッシャは、思わず拳を握りしめた。


何度も、何度も。


この五年間、必死に力を制御しようとしてきた。母から受け継いだ力を、いつか自分の意思で使いこなせるように。いつか、この国を守れるように。


それなのに、いざという時には何一つ思い通りにならない。


「……こんな……!」


ビオッシャは唇を噛みしめた。


目の前では、凪谷《なぎや》が再び触手を受け止めていた。


「ぐっ……くそぉっ!!」


その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


「……こんな力……!!」


ビオッシャは、震える拳を強く握りしめた。


特別な力なんて、今使えなきゃ何の意味もないじゃない!!


心の中で、そう叫んだ。


その瞬間――。


――ドクンッ。


胸の奥で、再び大きな鼓動が響いた。


「……え……?」


ビオッシャの視界が、わずかに揺らぐ。


目の前の瓦礫《がれき》も、巨大なデルマも、凪谷《なぎや》たちの姿も。すべてが、遠ざかっていくような感覚。


そして、不意に五年前の記憶が蘇《よみがえ》った。


◇


――五年前。


ヴェルグラード城。


「……急いで、アルヴァス!」


薄暗い城内の廊下に、ラピスラズリの声が響いた。


その腕には、一人の少女が抱えられていた。


十二歳のビオッシャ。


もともと病弱だった彼女の身体はひどく衰弱《すいじゃく》しており、意識も朦朧《もうろう》としていた。


「……分かっている」


アルヴァスは短く答え、背後を警戒しながら走り続ける。


遠くから、怒号《どごう》と金属音が聞こえていた。何かが壊れる音。誰かが叫ぶ声。


城の中では、恐ろしい何かが起こっていた。けれど、ビオッシャにはそれを確かめる力さえ残っていなかった。


「……ラピス……?」


か細い声が漏れる。


「……ん? どうしたんだい、ビオッシャ」


ラピスラズリは走りながら、腕の中の少女へ優しく声をかけた。


「……お母……さま……は……?」


その問いに、ラピスラズリの表情が一瞬だけ強張《こわば》った。


答えられなかった。


隣を走るアルヴァスも、何も言わない。


「……ねぇ……」


ビオッシャは重たい瞼《まぶた》を持ち上げようとした。


「……お母さま……も……一緒……?」


「……ビオッシャ。今は何も考えなくていいよ」


ラピスラズリは、彼女を抱く腕に少しだけ力を込めた。


「大丈夫。僕たちが必ず君を守るから」


その声は、いつもと変わらず穏やかだった。けれど、どこか震えていた。


ビオッシャは、それ以上何も聞けなかった。


身体が重い。息をすることさえ苦しい。視界はぼやけ、周囲の景色がゆっくりと暗くなっていく。


そして――。


――ドクンッ。


突然、胸の奥で何かが脈打った。


「……っ……?」


不思議な感覚だった。


身体の奥底から、今まで感じたことのない力が流れ込んでくる。


冷たく、澄んだ、けれどどこか懐かしい感覚。まるで、誰かの温《ぬく》もりが自分の中へ溶け込んでくるような。


「……なに……これ……?」


ビオッシャの唇が、かすかに動いた。


その瞬間、なぜだろう。


突然、母の顔が浮かんだ。


優しく微笑む顔。自分の頭を撫《な》でてくれた手。病に苦しむ夜、ずっと傍《そば》にいてくれた温かな声。


「……お母……さま……?」


胸が、ひどく苦しくなった。


理由なんて分からない。何が起こったのかも、知らない。


それなのに――。


もう二度と、母には会えない。


そんな確信だけが、心の奥底へと落ちてきた。


「……いや……」


ビオッシャの瞳から、一筋《ひとすじ》の涙が零《こぼ》れた。


「……お母さま……」


ラピスラズリが、その異変に気づく。


「……ビオッシャ?」


腕の中の少女が、微《かす》かに震えていた。


「……いや……だ……」


「……どうしたんだい? 苦しいのかい?」


しかし、ビオッシャにはその声さえ遠く感じられた。


胸の奥から溢れ出す、得体の知れない力。


それが、母の死によって自分へ受け継がれたものなのだと、薄れゆく意識の中で本能的に感じ取っていた。


「……こんな……の……」


少女の小さな手が、ラピスラズリの服を弱々しく握りしめる。


「……いら……ない……」


ぽたり。


涙が零《こぼ》れ落ちる。


――お母さまがいなくなるくらいなら、こんな力いらないのに。


心の底から、そう思った。


その瞬間だった。


――パキッ。


「……っ!?」


ラピスラズリが足を止めた。


腕の中の少女から、凄《すさ》まじい冷気が溢れ出していた。


「……ビオッシャ……?」


彼女の金色の髪に、白い霜《しも》が降り始める。周囲の空気が急激に冷え込み、廊下の壁が次々と凍りついていった。


「アルヴァス! これは……!」


「……っ、何だ!?」


アルヴァスが振り返る。


――パキパキパキパキッ!!


石畳を這《は》うように氷が広がり、壁も柱も、瞬《またた》く間に白く染まっていく。


ラピスラズリはビオッシャを抱き直し、必死にその顔を覗《のぞ》き込んだ。


「……まさか……!」


彼は理解した。


ビオッシャの母が持っていた、フィアンマの力。その力が今、彼女へと受け継がれたのだと。


「……アルヴァス! 急ごう!」


「……ああ!」


二人は再び走り出した。


しかし、冷気は止まらなかった。


城の廊下を越え、城壁を越え、街へ、森へ、雪原へ。


少女の悲しみに呼応《こおう》するように、氷は凄《すさ》まじい勢いで広がっていった。


そして――。


――ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!


ヴェルグラードの国境に沿って、巨大な氷の柱が次々と立ち上がる。


天を衝《つ》くほどの氷柱《ひょうちゅう》は互いに繋がり、やがて国全体を囲む巨大な壁へと姿を変えていった。


外の世界を拒絶《きょぜつ》するように。誰も近づけまいとするように。


まるで、母を失った少女の心を、そのまま形にしたかのように。


ヴェルグラードを閉ざす、巨大な氷壁が生まれた。


その頃には、ビオッシャの意識は完全に途絶《とだ》えていた。


ラピスラズリの腕の中で、少女はただ静かに眠っていた。


◇


「…………」


ビオッシャは、ゆっくりと目を見開いた。


目の前には、崩壊した玉座の間。巨大なデルマ。そして、自分を守るために傷つきながらも戦い続ける凪谷《なぎや》とアルヴァス。


「……私……」


五年前、母を失ったあの日。


自分は、確かにあの力を感じていた。


そして、心の底から願ったのだ。


こんな力はいらない、と。


「……あの時……」


ビオッシャは、震える手を見つめた。


指先に、淡い青白い光が灯る。


五年間、思い通りにならなかった力。その始まりにあったのは、母を失った悲しみと、受け継いだ力への拒絶《きょぜつ》。


「……この力を……」


遠くで、凪谷《なぎや》の叫び声が響いた。


「ビオッシャさん!! 危ない!!」


巨大な触手が、彼女へと迫っていた。


しかし、ビオッシャは動かなかった。


ただ、指先に灯る小さな光を見つめていた。


そして、ようやく気づく。


「……私、最初から……この力を拒《こば》んでいたの……?」


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