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REGRET。  作者: ひととせ
第4章︰氷の国“ヴェルグラード”

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崩れゆく仮面と絶望の胎動

挿絵(By みてみん)

「がっ……あ、あぁぁッ……!!」


玉座の間に、苦痛に満ちた絶叫が響き渡った。


腹部を無数の異形の触手に貫かれ、鮮血《せんけつ》を吐きながら崩れ落ちるローレン。その背後には、愉悦《ゆえつ》に顔を歪めたギブンが立っていた。


「くくくっ……はははははっ!」


耳障りな笑い声が、冷え切った空間に反響《はんきょう》する。


ギブンの背中から伸びる触手は、まるで生き物のように脈打っていた。さらに、その周囲には晶氷《しょうひょう》のように透き通った不気味な波動が渦巻き、内側には苦悶《くもん》の表情を浮かべる無数の人々の顔が浮かび上がっている。


声にならない悲鳴。助けを求めるように伸ばされた手。それらは現れては消え、互いに絡み合いながら、ギブンの背後で蠢き(うごめき)続けていた。


「っ……!」


玉座の間へ踏み込んだビオッシャ、凪谷《なぎや》、ラピスラズリの三人は、その光景を前に完全に足を止めた。


ビオッシャは青い瞳を大きく見開き、言葉を失う。凪谷《なぎや》もまた、目の前で繰り広げられる惨劇《さんげき》を理解できずにいた。


「ハッ……? なんだよ、これ……」


掠《かす》れた声が漏れる。


「なんで……仲間同士で殺し合ってんだよ……?」


ローレンは、ギブンと同じ側に立っていたはずだ。それなのに、ギブンは何の躊躇《ためら》いもなく、その腹部を貫いている。しかも、まるでその苦痛を楽しんでいるかのように。


「ギ、ブン……ッ! 貴様……ッ!」


ローレンが血に濡れた手を伸ばす。しかし、ギブンはその手を一瞥《いちべつ》しただけで、さらに口角を吊り上げた。


「何をそんなに驚いている? お前はもう、十分に役目を果たしただろう?」


「っ……ふざ、けるな……ッ!」


そのやり取りを聞きながら、ラピスラズリはギブンの背中に目を凝らしていた。


骨のように硬質な表面。生きた肉のように脈打つ触手。そして、その背後に渦巻く無数の魂。


「……まさか……」


ラピスラズリの顔から、すっと血の気が引いた。


「……あれは、デルマ……なのでしょうか……?」


「……え?」


凪谷《なぎや》が振り返る。


「デルマって……あのデルマか!?」


「ええ……。デルマは人間の魂を取り込み、成長する存在です。進化を重ねれば、人間に近い姿になることもあるとされていますが……」


ラピスラズリは、目の前のギブンを静かに見据えた。


「……あそこまで完全に人間の姿を再現する個体は、私も見たことがありません。少なくとも、これまでの記録には……」


その声には、普段の穏やかさの奥に隠しきれない動揺が滲《にじ》んでいた。


その言葉を遮《さえぎ》るように、ビオッシャが静かに口を開いた。


「……凪谷《なぎや》くん」


「っ……なんだよ……?」


「貴方も、ここに入った時から見えていたでしょう?」


ビオッシャの視線は、ギブンの背後に向けられていた。


「あいつの背後に……無数の魂が溢れているのを」


「……っ!」


凪谷《なぎや》は息を呑んだ。


確かに、見えていた。あの男の背後で蠢く(うごめく)、無数の顔。それらが人間の魂なのだと、頭のどこかでは理解していた。


しかし、認めたくなかった。あまりにも、おぞましかったからだ。


「……あれ、全部……人なのか……?」


「えぇ……」


ビオッシャは唇を噛みしめた。


「デルマは人間の魂を取り込み、その力を増していく。取り込んだ魂が多いほど、より人間に近づく個体もいると聞いていたけれど……」


そこで言葉を切る。


「……こんなもの、想像もしていなかったわ」


凪谷《なぎや》は再びギブンを見た。


あの男は王として振る舞い、言葉を話し、笑い、怒り、人々を欺《あざむ》いていた。だが、もしその正体がデルマなのだとしたら。


「……じゃあ、あいつは……」


その先を口にすることができなかった。


本物のギブンはどうなったのか。いつから、あの姿だったのか。そして――あれほど多くの魂を、一体どこで取り込んだのか。


疑問ばかりが頭を駆け巡る。


「――あははははっ!!」


突如《とつじょ》、ギブンが大きく笑い出した。


「やはり見えていたか……! くくくっ、忌々《いまいま》しいフィアンマどもめ……!」


先ほどまで人間らしく整っていた表情が、醜《みにく》く歪んでいく。その瞳には、もはや人間らしい理性など感じられなかった。


「……貴方……」


ビオッシャの声が低くなる。


「お母さまを殺したギブンは……本当に、貴方なの……?」


その問いに、ギブンは答えなかった。ただ、ひどく愉快そうに笑った。


「さあなぁ……? お前には、どう見える?」


「……ッ!」


ビオッシャの指先が震える。


怒りか、恐怖か。それとも、長年信じてきた過去が揺らぐことへの戸惑いか。自分でも分からなかった。


だが、その視界の端で、ローレンの身体が大きく痙攣《けいれん》した。


「ぐっ……がはっ……!」


口から鮮血《せんけつ》が溢れる。触手は今も腹部に突き刺さったままだ。このままでは、確実に死ぬ。


「――凪谷《なぎや》くん!」


ビオッシャが叫んだ。その手には、すでに銃剣が握られている。


「っ……!」


凪谷《なぎや》が顔を上げた瞬間、銃声が轟《とどろ》いた。


――ダンッ! ダンッ! ダンッ!!


放たれた弾丸が、ローレンを貫く触手へ次々と命中する。硬質な表面が砕け、黒ずんだ破片が飛び散った。


「なっ……!?」


ギブンが顔を歪める。


「お前たち……何を……!」


「決まってるでしょう! 目の前で人が殺されそうになっているのよ!」


「――そういうことだッ!!」


凪谷《なぎや》が床を蹴った。黒い刀身が月光を受け、桜の意匠《いしょう》が一瞬だけ煌《きら》めく。


「ふざけやがって……ッ!」


一閃《いっせん》。続けざまに二閃《にせん》。


凪谷《なぎや》の刀が、銃撃で脆《もろ》くなった触手を次々と断ち切っていく。


――バキィッ!!


最後の一本が砕けた。


支えを失ったローレンの身体が、石畳へと投げ出される。


「――ローレン!」


ラピスラズリが駆け出した。倒れ込む身体を受け止め、そのまま引きずるようにして後方へ退く。


「っ……ぐ、あ……」


ローレンの顔は青白く、呼吸は浅い。腹部からは今も大量の血が流れ続けていた。


「……動かないでください。今、傷を塞ぎますから」


ラピスラズリは穏やかに告げると、傷口へ掌《てのひら》をかざした。


次の瞬間、柔らかな光が溢れ出す。


「……っ!?」


裂けた皮膚が、ゆっくりと閉じていく。抉《えぐ》られた肉が再生し、流れ出ていた血が次第に止まっていった。


ラピスラズリが持つ、回復のギフト。


しかし、傷が深すぎる。一度にすべてを治しきることはできない。


「……これは、随分《ずいぶん》と深い傷ですね……」


ラピスラズリの額に汗が滲《にじ》む。それでも、その掌《てのひら》から溢れる光が途切れることはなかった。


「な……ぜ……」


ローレンが掠《かす》れた声を漏らす。


「……なぜ、俺を……助ける……?」


ラピスラズリは一瞬だけ彼を見た。


「……今は無理に話さないでください」


「だが……俺は……」


「貴方が何をしてきたのかは、私も承知しています」


静かな声だった。


「ですが、それと目の前で命を落とそうとしている貴方を見捨てることは、別の話でしょう?」


「…………」


「……話は、傷が治ってからにしましょう」


ラピスラズリは柔らかく微笑み、再び治療に意識を集中させた。


ローレンは何も言えなくなった。ただ、信じられないものを見るようにラピスラズリを見つめていた。


その時だった。


「――小賢《こざか》しい人間どもがァッ!!」


ギブンの咆哮《ほうこう》が玉座の間を揺らした。


背中から新たな触手が生え、凄《すさ》まじい勢いで凪谷《なぎや》たちへ襲い掛かる。


「――来るよ、凪谷《なぎや》くん!」


「おうッ!!」


二人は同時に動いた。


凪谷《なぎや》が前へ。ビオッシャが斜め後方へ。


無数の触手が床を叩き砕く中、凪谷《なぎや》はその隙間を縫うように駆け抜けた。


「遅ぇんだよッ!」


振り下ろされた刀が、ギブンの脚を捉える。


――ガキィンッ!!


硬いものを斬りつけたような衝撃が、腕を駆け抜けた。


「っ……硬っ……!」


だが、ギブンの体勢がわずかに崩れた。


その瞬間を、ビオッシャは見逃さなかった。


「――そこッ!」


床を蹴り、宙へ跳ぶ。金色の髪が大きくなびいた。


銃剣を逆手に構え、ギブンの死角へ回り込む。


そして――。


――ズシュッ!!


鋭い刃が、異形の身体へ深々と突き刺さった。


「がっ……あああッ!?」


初めて、ギブンの口から苦痛に満ちた悲鳴が上がった。黒ずんだ血が飛び散り、巨体が大きくよろめく。


「……っ!」


ビオッシャはすぐさま銃剣を引き抜き、後方へ跳んだ。


その青い瞳は、ただ敵を見ているのではなかった。


ギブンの身体を取り巻く、無数の魂。その奥にある、異質な気配。そして、首元に一瞬だけ覗《のぞ》いた、小さな黒い染み。


「……見つけた……!」


ビオッシャの瞳が鋭く細められる。


デルマには必ず、核となる黒ずんだ部分が存在する。どれほど身体を変えようと、どれほど多くの魂を取り込もうと、その弱点まで完全に消すことはできない。


首元。


肉の奥深くに隠された、微《かす》かに脈打つ黒い核。


――あれが、奴の急所。


「凪谷《なぎや》くん……!」


ビオッシャが視線を送る。凪谷《なぎや》はすぐにその意図を察した。


「……あぁ、分かった」


刀を握り直す。


二人は再び構えた。狙うべき場所は、ただ一つ。ギブンの首。


「……終わらせるわ」


ビオッシャが小さく呟いた。


しかし――。


「……く……くく……」


不意に、ギブンが笑った。


「……?」


凪谷《なぎや》が眉をひそめる。


「何がおかしいんだよ……」


「くくく……はは……ははははっ!」


その笑い声は、次第に大きくなっていった。


「まさか……ここまでやるとはなぁ……!」


ギブンの身体が、不自然に震え始める。


「……だが……!」


その背後で、無数の魂が一斉に蠢いた(うごめいた)。


「お前たちは……まだ何も分かっていない……ッ!!」


――ドクンッ。


奇妙な音が響いた。心臓の鼓動に似た、重く鈍い音。


――ドクンッ、ドクンッ。


ギブンの身体が膨れ上がる。


「……っ!?」


ビオッシャが息を呑んだ。


「凪谷《なぎや》くん、離れてッ!!」


「うおっ!?」


凪谷《なぎや》が飛び退いた、その直後。


――ゴオオオオオオッ!!


凄《すさ》まじい暴風が、玉座の間を吹き荒れた。


「っ……なんだよ、これ……!!」


凪谷《なぎや》は腕で顔を覆い、必死に足を踏ん張る。床石が砕け、巨大な柱が軋《きし》み、天井からは無数の瓦礫《がれき》が降り注いだ。


「……くっ!」


ビオッシャもまた、吹き飛ばされそうになる身体を必死に支えていた。


その視線の先で――。


ギブンの身体が、変わっていく。


骨が軋《きし》み、肉が膨れ上がり、皮膚の下で無数の何かが蠢いて(うごめいて)いた。背中から伸びる触手は次々と枝分かれし、異様な速さで巨大化していく。


そして、その身体の表面には――。


「……あ……」


ビオッシャの唇が震えた。


人の顔が、浮かび上がっていた。


一つ。二つ。十。百。


数えることすらできないほどの顔が、苦悶《くもん》の表情を浮かべながら、その肉体に現れては呑み込まれていく。


「……そんな……」


無数の魂が、渦を巻くように怪物の身体へ吸い込まれていった。


「……いったい……」


ビオッシャは、目の前の光景から視線を逸《そ》らせなかった。


「いったい何人の人を……取り込んだの……?」


答える者はいない。ただ、異形の肉体が膨れ上がる音だけが響いていた。


――メキメキメキッ!!


「っ……!」


巨大な亀裂《きれつ》が天井を走る。柱が折れ、壁が崩れ、玉座が瓦礫《がれき》の下へと呑み込まれていった。


「ビオッシャさん! 危ねぇッ!!」


凪谷《なぎや》が叫ぶ。


次の瞬間――。


――ドゴォォォォォンッ!!!


玉座の間の天井が、内側から爆ぜる(はぜる)ように砕け散った。


冷たい夜風が吹き込み、無数の瓦礫《がれき》が宙を舞う。


月明かりの下に現れたのは、もはや人間の面影すら残していない、巨大な異形の怪物だった。その身体には無数の顔が浮かび、幾本《いくほん》もの触手が夜空へと伸びている。


凪谷《なぎや》は、その姿を見上げたまま動けなかった。


「……嘘……だろ……」


これまで倒してきたデルマとは、何もかもが違う。


大きさも。気配も。そして、その内側に取り込まれた魂の数も。


ビオッシャは唇を強く噛みしめた。


母が愛したヴェルグラード。その国の中心で、これほどおぞましいものが育っていたというのか。


「……絶対に……」


震える手で、銃剣を握り直す。


「……絶対に、ここで止める……!」


その声に応えるように、凪谷《なぎや》もまた刀を構えた。


二人の前にそびえ立つ、巨大なデルマ。


月光の下で、その無数の瞳がゆっくりと開かれていく。


そして――。


ヴェルグラード城を揺るがす、絶望の咆哮《ほうこう》が響き渡った。


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