フィアンマ
「じゃあ、さっそくだけどオニキス、これを読んでみて」
ビオッシャは妖艶な笑みを浮かべたまま、机の上に置かれた一冊の本――表紙に【FROST。】と刻まれたメモリーブックを指でとん、と軽く突いた。
「え……?」
突然の指名に、オニキスは思わず間の抜けた声を漏らし、背筋を凍らせたように固まった。
(緑の瞳をもつ自分には、自分が書いたもの以外のメモリーブックは読めないはずじゃ……)
とんだ無茶振りをされていると頭では分かっていながらも、目の前にいるのは他ならぬビオッシャだ。まともに否定の言葉を返すことなどできなかった。
困惑に彩られた顔で、オニキスは傍らに静かに佇む深い青髪の男性へと視線を向けた。
――ラピスラズリの方へと。
「……えっと、何故僕が……?」
言葉にならぬ問いかけを宿したオニキスの視線を受け、ラピスラズリは静かにうなずいて見せた。その穏やかな、だが拒絶を許さない含みを持った瞳に促され、オニキスはごくりと喉を鳴らす。
逃げるわけにはいかない。そう悟ったオニキスは、意を決して震える手を伸ばし、重厚な机の上から【FROST。】のメモリーブックをそっと手に取った。
表紙の冷たい質感が指先から伝わってくる。
意を決して、オニキスはゆっくりとその表紙を開いた――。
その瞬間。
パラリ、と最初のページが捲られたのと同時に、オニキスの瞳に異変が起きた。
彼の持つ緑の瞳が、まるで内側から灯火をともしたように、ふわりと淡く、神秘的な光を放ち始めたのだ。
(――幻、を見ているのか……?)
今まで自分が手掛けたメモリーブック以外で、こんな現象が起きたことなど一度たりともなかった。
白紙だったはずの古いページの上に、まるで誰かが目に見えないペンでなぞっているかのように、次々と鮮やかな文字が浮かび上がっていくのだ。
パラパラと文字が紡がれていくページから目を離せずにいるオニキスの正面で、その様子をじっと見つめていたラピスラズリが、ふと息を呑むような小さな声を零した。
「……やっぱり、彼は……」
穏やかな声音の裏に隠された、確信めいた呟き。
オニキスの様子を静かに見守っていたビオッシャは、美しい青い瞳を細めると、やおら静かに口を開いた。
「素晴らしいわね……。それで、オニキス」
ビオッシャは組んだ指を軽く外し、テーブルに身体を少し傾けて問いかける。
「そこに、『フィアンマ』についての記述はあるかしら?」
「えっと、その質問、いいですか?」
室内の張り詰めた空気を切り裂くように、蛍がそっと手を挙げながら尋ねた。隣にいた凪谷や優珠も、聞き慣れないその単語に小首を傾げている。
「その、『フィアンマ』って……いったい、何のことですか?」
蛍のまっすぐな問いかけに、ビオッシャは視線をオニキスから彼女へと移し、ふっと小さく息を吐き出した。
「無理もないわね。あなたたちにとっては、まだ馴染みのない名前だもの。『フィアンマ』――それはね、デルマを退ける力を持つ魂のことよ。そして……そのフィアンマの力は、私がお母様から継承された力のはずなの」
ビオッシャの言葉に促されるように、オニキスは本から視線を外さぬまま、乾いた喉を鳴らして答えた。
「……見つかりました。『FROST。』の冒頭に……雪の国にある、フィアンマの気配を探しに行くと記述があります」
オニキスの緑の光を宿した瞳が、さらにページに浮かび上がる新たな文字を追いかけていく。
「――500年前に世界を襲った大飢饉……。その時、ロゼオは神の天啓を受け、……冒頭にこう記されています。目的は二つ。一つは『東の大地の果てを目指すこと』。そしてもう一つは、『道中でフィアンマ達に力の使い方を教える事』……」
紡ぎ出される神話の記述に、一同は息を呑んで聞き入る。オニキスはさらにページを読み進めながら、そこに記された「フィアンマ」の正体を言葉にしていく。
「フィアンマとは……ギフトとは別の、世界と感情を形作る力を持った人間のこと、だそうです。
世界を司るフィアンマを『デリヴァンテ』。
感情を司るフィアンマを『エモツィオーネ』と呼ぶ、と……。
彼らの多くは、自分に特別な力があることを自覚せずに過ごしている。だけど、その力は大地を豊かにし、デルマから人々を守る力を持つ……そう書かれています」
「それで、具体的な力の使い方は書いてある?」
ビオッシャの問いに、オニキスはページをめくりながら首を横に振った。
「ううん……具体的な使い方の詳細までは、ここにはまだ書かれていないみたい。この時点ではロゼオ達もフィアンマの事をあまりわかっていないから、冒険で少しずつ解明しよう……そう記されていますね」
「すげぇ、雪の国ってまるでヴェルグラードのことみたいだな」
凪谷がぼそっと呟いた。
「あら、凪谷くん。そこに書かれている雪の国、そしてフィアンマは――私の祖先のことよ」
「「えっ……!」」
誰かの驚愕の声が部屋に響く。しかし、これまでの因縁や経緯を振り返れば、そうであってもおかしくないと思わせるだけの空気がそこにはあった。
「うーーん?……じゃあさ、フィアンマがデルマから人々を守るってことは、今こんなにデルマで溢れかえってるのは、フィアンマたちがその力の使い方をわかってないってこと?」
優珠が首をかしげながら素朴な疑問を口にする。
「優珠……お前、たまに核心を突くような鋭いこと言うよな」
「ははっ、にいちゃん、それは優珠ちゃんに失礼だよ」
凪谷の呆れ混じりのツッコミと、ラピスラズリの穏やかな笑い声のなか、ビオッシャは静かに首を横に振った。
「えぇ。他のフィアンマのことは分からないけれど……私はお母様から力を継承したはずなの。でも、その力の使い方どころか、自分のギフトすら暴走して制御ができない。だからこそ、そのメモリーブックになにか手がかりがあるかもしれないと思って、メモリストを探していたのよ」
ビオッシャは腕を組み、冷ややかな美貌に思索の色を浮かべる。
そして、じっと凪谷の姿を見据えると、不敵な笑みを浮かべて告げた。
「そして――凪谷くん。貴方もおそらく、『フィアンマ』よ」




