メモリストの瞳
「――やっぱりおかしいわ。いくらなんでも、外に出てから時間が経ちすぎね……」
窓の外の激しく降る雪を見つめながら、アゲートは険しい表情で呟いた。
家に残された凪谷と優珠も、ただならぬ気配を感じ取って立ち上がる。
「オニキスを追いかけたきり、蛍の奴も全然戻ってこない……。探しに行こう」
「うん! そうだね、アゲートさんは待ってて、あたし達でばびゅーん!と連れ戻してくるから!」
アゲートに留守を頼み、凪谷と優珠の二人は慌ただしく家を飛び出した。
オニキスたちが飛び出していった裏路地へと急ぎ、雪を踏みしめながら足跡をたどる。しかし、先ほどからの吹雪ですでに足跡は消えかけており、二人は焦燥感を募らせていった。
「くそっ、どこに行ったんだ……!」
周囲を見回しながら進む凪谷の足元に、ふと、白く染まった路地の中で異質な色を放つ小さな引っかかりがあった。
「……ん? これ……」
凪谷がしゃがみ込み、雪を払いながら拾い上げる。それは、蛍がいつも身につけていた桜模様の服の装飾だった。
「これ、蛍の……!」
「この跡……。ここで揉み合ったみたい??」
優珠が鋭い視線で周囲の雪面を睨みつける。そこには、新しい雪にうっすらと覆われかけながらも、明らかに不自然に引きずられた足跡が遠くへ続いていた。
ただの迷子ではない。二人は何者かに襲われ、連れ去られたのだ。
「くそっ! あいつら何かに巻き込まれたっていうのか……っ!」
凪谷が唇を噛みしめ、拳を震わせる。その背中に、優珠が強い口調で発パーをかけた。
「凪谷! 今は早くふたりを追いかけよう!」
二人は足跡を頼りに、吹雪の中へと走り出した。
◇
同じ頃――。
冷え切った暗い空気と、埃っぽいカビの匂いの中で、オニキスは意識を浮上させた。
「ん……っ……」
頭が割れるように痛む。手足は太い縄で幾重にもぐるぐる巻きにされ、身動き一つ取れない状態で冷たい床に転がされていた。
隣を見ると、同じように縄で縛り上げられた蛍が、ぐったりと意識を手放したまま転がっている。
「蛍……っ! 蛍、おい……っ!」
オニキスの必死の呼びかけに、蛍がうすうすとうめき声を上げながらまぶたを開けた。
「……っ、ここ……どこだ……?」
蛍が混乱した様子で周囲を見回す。そこは、すきま風が吹き込む朽ち果てた古いボロ小屋だった。
「目が覚めたか、ガキども」
冷淡な声が響き、薄暗い小屋の入り口から足音が近づいてきた。
顔を上げると、灰色のローブをまとった男たちが、冷ややかな笑みを浮かべて二人を見下ろしている。
「な、なんだよお前ら! 僕たちをどうする気だ!」
オニキスが恐怖を押し殺して怒鳴ると、下っ端の男は鼻で笑った。
「お前、あのアイドクレースの血を引いているんだろう? その目があればどんなメモリーブックも読める」
「は……? 何言ってんだ、そんなの僕には……!」
「とぼけるな。お前がアイドクレースの子孫だということがわかってんだよ!!」
下っ端の男が冷酷に笑いながら手を伸ばそうとした――その時。
「おい、誰が手を出せと言った」
底冷えするような、だがどこか艶のある静かな声が、ボロ小屋の入口から響き渡った。
下っ端の男たちが慌てて手を止め、ぴしっと直立不動の姿勢をとる。
暗がりの戸口から、ゆっくりと足音が近づいてきた。
そこに現れたのは、闇夜を纏うかのような黒ずくめのコートに身を包んだ男だった。燃えるような鮮やかな赤い長髪を無造作に垂らし、その端正な顔立ちには狂気と冷酷さが同居している。耳元や首元、そして衣装のあちこちには星や十字架を模した精巧な装飾が飾られ、冷ややかに光る紅玉のような瞳が、縛られたオニキスと蛍をねっとりと見据えていた。
幹部らしき男は冷徹な笑みを浮かべながら、血の滲むような赤い唇を開いた。
「……報告とは違うな。こいつはなんだ?」
男の冷たい視線を受け、下っ端の男たちは冷や汗を流しながら頭を下げた。
「は、っ! 申し訳ありません! ターゲットを拉致する際、このガキも現場を目撃してしまったため、口封じも含めて一緒に……」
男は面倒くさそうに息を吐き、足音を立てずに蛍の前へと歩み寄った。
ぐったりとしている蛍の顎に冷たい手袋をはめた指を添え、ぐいと顔を持ち上げる。
「……ふん。まあいい」
男は紅色の瞳を細め、値踏みするようなねっとりとした笑みを浮かべた。
「……こういう端正な顔立ちは、高値で売れるからな」
「くっ……! 離せよっ!」
虚勢を張る蛍に、その男は満足げに鼻を鳴らす。
「くっくっ、冗談だよ。用が済んだら離してやるさ。だがアイドクレースの子孫よ、お前は俺たちと共に来てもらう」
「待てよ、僕にロゼオ神話が読めるとほんとに思ってるのか?!」
「ん……? ……それはどういうことだ?」
「そのままの意味だよ! 僕は『緑』のメモリストだ! ロゼオのメモリーブックどころか、ほとんどのメモリーブックすら読めない!」
「なるほどな、それは困った。……だが俺たちも手ぶらで帰るわけにはいかないしな」
男が不敵に考える素振りを見せる。
「……お前、母親がいたよな?」
「はっ……!?」
「ふざけるなっ……! 僕の家族を脅しにする気かよ……っ!」
オニキスが血走った目を剥き、縄に縛られた体を揺らしながら絶叫した。
「脅し、か。人聞きの悪い。交渉のカードと言ってもらおうか」
男が冷ややかな笑みを浮かべた、その時――。
――ガシャアッ!!
ボロ小屋の古びた木の扉が、凄まじい勢いで内側へと吹き飛んだ。
舞い散る木片と冷たい雪煙の向こうから、鋭い殺気を纏った一人の男が飛び込んでくる。
闇夜に映える黒のロングコートに、鮮やかな赤い長髪をなびかせた男――それは、オニキスたちが知る目の前の男とはまた違う、もう一人の不敵で妖艶な雰囲気を纏った赤髪の男だった。
男は抜き放った剣を閃かせ、そのままの勢いで幹部へと斬りかかる。
「――っ!」
下っ端たちが悲鳴を上げる中、襲撃された男は微動だにせず、紙一重の身のこなしでその斬撃をふわりと軽く躱してみせた。
「ほぉ? なんだ貴様は」
男は余裕の笑みを崩さず、攻撃の手を緩めない乱入者の刃をすり抜けるようにして一歩引いた。
追撃を狙う男をもう一度紅色の瞳で見据えると、男は楽しげに、しかし冷ややかにフッと息を漏らす。
「だが、今日のところはここまでだ。……また会おう、伝説の末裔よ。俺の名前はローレン。覚えておけ」
言い終えるやいなや、ローレンの姿が揺らめき、まるで残像を残すようにしてその場からかき消えるように姿を消した。
静まり返ったボロ小屋の中に、荒い息遣いだけが取り残されるのだった。




