メモリスト
オニキスに案内されてたどり着いた家は、石造りの壁に温かみのある木製の扉がしつらえられた、こぢんまりとした一軒家だった。
突然の来客、しかも一文無し《いちもんなし》の双子と優珠を連れて帰ってきた息子に、母親のアゲートは目を丸くしたものの、「あら、お友達?」と、とびきり穏やかな笑みを浮かべて暖かく迎え入れてくれた。
「まあ、外はすっかり冷え込んでいるでしょう。急なことで何も用意できないけれど、ゆっくりしていってね。今、温かいスープを作るから、夕食ができるまで2階の部屋で休んでいてちょうだい」
母親の優しい声に朗らかに促され、3人はオニキスの案内で2階の部屋へと上がったのだった。
木造の温もりが漂うオニキスの部屋。窓の外では静かに雪が舞い散っている。
部屋の中の柔らかな温もりにほっと息を吐きながら、凪谷と蛍、そして優珠はソファやベッドの縁に腰掛けた。部屋の棚には使い込まれた古書やインク壺が並び、その一角に大切そうに置かれた一冊の本――オニキスのメモリーブックが目に入る。
ふと、蛍がそのメモリーブックを指差して首を傾げた。
「ねえオニキス。さっきから気になってたんだけどさ、そのメモリーブックって、具体的にどういうものなの?」
蛍の言葉に、オニキスは少し気恥ずかしそうに頬をかきながらも、自分の宝物である本にそっと視線を落とした。
「……うん。メモリーブックっていうのは、僕たちメモリストが人生で記録した記憶のこと。本の形だからそう呼んでるんだ。メモリストの才能によって、残せる情報量に差があるんだよ」
「情報量って言うと?」と、凪谷が身を乗り出す。
「ほとんどのメモリストは生涯にたった1冊だけしかメモリーブックを残すことはできないんだ。その代わり、力が強いほど本は驚くほど分厚くなるし、文字だけじゃなく映像まで記録できるようになる。一番上の『黒』のメモリストともなれば、残せる情報に制限がないから複数のメモリーブックを書くことができるんだ。……母さんも『赤』のメモリストで、両手で抱えるくらいには立派な厚みのある本を持ってる」
「へえ、なるほど。瞳の色でわかるのか……」と感心する凪谷に、オニキスは苦笑いを返す。
「亡くなったメモリストのメモリーブックは、だいたい各地の大図書館に寄贈されるんだ。中でもヴェルグラードやアストライアの大図書館には、『赤』以上の著書しか置かれてない。歴史的な一級品しか収蔵されない場所なんだよ……僕たちみたいな力の無い人間には、一生縁のない場所だけど」
静かに話を聞いていた優珠が、ふと腕を組んでオニキスの瞳をじっと見つめた。
「ねえ、オニキス。そもそもメモリストって、どうやったらなれるの?」
その問いに、オニキスは少しだけ視線を泳がせた。
「……メモリストになれるかどうかは、ほとんど遺伝で決まるって言われてる。先祖代々から受け継がれる血が濃いほど、力の強いメモリストになるみたい。大体10歳くらいまでに才能が開花して、その強さで瞳の色が変化するんだよ。」
言い淀むオニキスを見て、優珠は首を傾げた。
「ちなみにその色って、どれくらいの種類があるの?」
「……色は全部で6つ。一番力が強い『黒』から、『白』、『赤』、『青』、『黄』……そして、一番下の『緑』かな」
その説明を聞き、優珠はふとオニキスの顔をじっと見つめた。
――瞳の色は穏やかな緑。
「……あ」
優珠は自分の言葉にハッと気づき、それから少し言いづらそうに尋ねた。
「……ってことは、オニキスのランクって……」
その質問を避けられず、オニキスはぎゅっと拳を握りしめた。
「……僕は、『緑』のメモリストだ」
ぽつりと告げられたその言葉に、部屋の空気がわずかにピリッと引き締まる。
「『緑』のメモリストは……文字として記録を残すことしかできない。それに、メモリーブックだって手帳みたいにペラペラで……。僕の人生のすべてを捧げても、このちっぽけな1冊しか後世に残せない。それが、僕の現実だよ」
オニキスの自嘲するような声に、凪谷と蛍は息を呑んだ。たった1冊の、あまりにも薄い本。
人生のすべてをそこに書き残すしかないという悔しさからか、オニキスはぎゅっと拳を握りしめた。
部屋に一瞬、重苦しい静寂が落ちた。
だが、その沈黙を破るように、蛍がまっすぐな瞳で首を傾げた。
「ねえオニキス。それならさ、なんで昼間はあの嫌なおっさんのメモリストになってたの? 『緑』なら、そんな人のために大切な容量を使っちゃうのもったいなくない?」
蛍の素朴で鋭い疑問に、オニキスの心の中で何かがプツリと切れた。
「……っそりゃ、わかってるよ!」
オニキスは思わず声を荒らげ、ガバッと立ち上がった。
その瞳の緑色が、悔しさと熱を帯びて揺れている。
「僕みたいな落ちこぼれのメモリストは、自分の限界を知って、主を持たずにおとなしく生涯を平穏に暮らすやつが大半なんだ! その方が安全だし、苦労もしないからって……!」
荒い息をつきながら、オニキスは両手で自分の頭を抱え込んだ。
「でも……! 僕は、祖母ちゃんから聞かされたんだ。僕たちはあのアイドクレースの子孫だって! ロゼオみたいな英雄と一緒に旅をして、その偉大な冒険譚を自分の手で後世に残したい……! いつか胸を張って誰かの背中を押せるような、そんな最高の記録を――っ!」
言い募り、熱っぽく声を張り上げていたオニキスの動きが、ふとピタリと止まった。
――ハッと正気に返る。
自分がどれほど熱くなって、恥ずかしい本音をぶちまけてしまったかに気づいた瞬間、オニキスの顔から耳の先までがみるみる真っ赤に染まった。
「あっ……! ごめっ……な、なんでもないっ!!」
耐えきれなくなったように叫ぶと、オニキスは自分のメモリーブックを慌てて胸に抱え込み、そのままバタンと激しい音を立てて部屋を飛び出していってしまった。
閉まったドアの向こうから、慌ただしく階段を駆け下りる足音が遠ざかっていく。
取り残された凪谷と優珠がぽかんとする中、蛍は反射的に「あ、まっ、待って!」と声を上げ、その後を追うようにすぐさま部屋を飛び出した。
そのまま勢いよく2階から1階へと降りていった蛍は、階段の下で――ちょうどスープの準備をしていたアゲートとバッタリ鉢合わせになった。
「あら? どうしたの?」




