緑の瞳の少年
アルドールの街を後にした凪谷、蛍、そして優珠の3人は、改めて旅立ちの最初の一歩を踏み出した。
しばらく歩いていると、ふと、優珠が立ち止まって双子を振り返った。まだ幼さの残る顔つきでありながら、その瞳にはどこか核心をつくような鋭さが宿っている。
「そういえば本格的に旅が始まる前に、二人に確認!そもそも君たち、この世界のことをどれくらい分かってるの?」
不意を突かれた質問に、凪谷と蛍は顔を見合わせた。
「世界のことって言われても……。母さんに読んでもらったロゼオ神話のこと以外さっぱりだな」
「まぁ2人ともデルマの事も知らなかったもんね~」
「ロゼオ神話も母さんが聞かせてくれた所までしか分からないしね……」
蛍が懐から取り出した一冊の古びた本――母の形見である『メモリーブック』をじっと見つめた。もっとも、凪谷と蛍が開いてみても、この本は一般人の目にはただの白紙にしか映らない。しかし、優珠にはそれがどれほどの代物か分かっていた。
「ちなみに、それただの白いノートじゃないからね。メモリストが執筆した本、『メモリーブック』だよ。絶対に嘘を書くことができないって噂だよ。一般人の目には白紙にしか見えないから市場には偽物もたくさん出回ってるけど……本物のロゼオ神話なら、世界がひっくり返るくらいの激レアものなんだからね!」
「えっ……まじかよ。母さんの形見のこれが、そんなにすげえものなのか……?」
絶句する凪谷に、優珠は真剣な表情を向けて釘を刺した。
「そう。だから、今みたいにむやみやたらに人前へ出したり、開いたりしちゃ絶対ダメ!わかった?」
「わ、わかったよ。気を付ける……」
優珠の迫力に押され、蛍は慌てて本をしっかりと懐にしまい込み、凪谷も大きく頷いた。
そのやり取りを経て、優珠は息を整える。
「よーし。じゃあ次は今からどこに行くかだね、あたしはご飯が美味しいところに行ければなんでもいいけど、2人は?」
「どこにって言うか」
「にいちゃん、やっぱりアレだよね!」
双子は目を合わせ、声を揃えた。
「「メモリストを仲間にしたい!」」
優珠は目を丸くし、なるほど~と気の抜けた返事をして考え込んだ。
「それじゃあこのまま北にある氷の国『ヴェルグラード』に行こうかな? あそこにはすごーい大図書館があって、たくさんのメモリストがいるはずだから……うーん……」
「ヴェルグラード……?そこに行けばメモリストがたくさんいるんだね!」
「どうした、優珠、なんだか煮えきらねぇな」
「噂なんだけどさ、ヴェルグラードって今封鎖されてるぽくてさ~あは~」
「閉鎖――!?」
「詳しくは分からないけど、巨大な氷の壁で国を覆ってるとかなんとか。でも、あそこ以外でメモリストが沢山いるとなると、もうアストライアくらいしか……」
「アストライア? また知らない街の名前だ……」
「そっちは遠すぎて行くまでに半年くらいはかかるんじゃないかな~あはー!」
「ぐっ、ロゼオ神話と言えばメモリストの相棒だしな……」
「僕たちの冒険譚を残したいもんね!」
「まぁ悩んでても仕方ない。行くか!ヴェルグラード!」
こうして、新たな目的地は氷の国『ヴェルグラード』へと定まったのだった。
――それからしばらくして。
北へ向かう道すがら、季節外れの冷気が辺りを包み込んでいた。街道の脇には、かつては美しく咲き誇っていたのだろう桜の木が何本も立ち並んでいるが、その枝はすっかりと乾ききり、季節とは関係なく生命力を失ったように黒ずんで枯れ果てていた。不気味なほどに葉一枚残されていないその木々が、ヴェルグラードに近づくにつれて一層寒々しい風景を作り出している。
そんな凍てつく雪深い街道の途中、古い休憩小屋の裏あたりから、激しい怒鳴り声と少年の怯えた声が聞こえてきた。
「おいオニキス! 何日待たせる気だ! 『我が君主の栄光の歴史をこのメモリーブックに記せ』と命じたはずだぞ! なんでページは真っ白なままなんだ!」
「す、すみません……! でも、僕には……書けないんです……!」
「ふざけるな! お前みたいな最底辺のメモリストを雇ってやったんだ! ごまかしてサボってるだけなんじゃないのかお前は!」
意地悪な貴族の男が、ボロボロの格好をした少年を激しく怒鳴りつけている。少年は言い返すこともできず、ただ小さくなって頭を下げていた。その瞳は鮮やかな「緑」をたたえている。
その様子を物陰から見ていた優珠が、ふと呟いた。
「……ひどいっ、ちょっと行ってくる!」
「まてまてまて!……俺が行くからお前は後ろにいてくれ」
見かねた凪谷と蛍が、そして優珠がその場に割って入る。
「おい、そこまでにしておけよ。相手が子供だからって、いい大人がいばり散らして恥ずかしくないのかよ」
貴族らしき男は忌々しげに舌打ちをし、「使えない役立たずめ、勝手に野垂れ死にやがれ!」と吐き捨てて足早に去っていった。
一人残されたオニキスは、悔しさと情けなさに震えながら、必死に自分のメモリーブックを隠そうとした。助けてもらった気まずさもあり、オドオドと俯いてしまう。
「だっ……だれ?」
その時――冷え切った雪原の風を切り裂き、不気味な咆哮が響き渡った。
「――っ! 来るぞ!」
貴族らしき男の怒鳴り声に引き寄せられたのか、枯れ果てた桜の木の影から這い出るように、異形の魔物「デルマ」が数体、音もなく現れたのだ。濁った目を光らせ、鋭い爪を掲げてオニキスめがけて飛びかかってくる。
「危ないっ!」
すかさず凪谷が愛用の刀を抜き放って踏み込み、蛍も2丁の銃を構えて連射する。しかし、デルマは体を両断されてもすぐに黒い霧を纏って再生してしまい、どれだけ斬り伏せても弾丸を撃ち込んでもキリがない。
「くそっ、何度切っても元に戻りやがる……!」
「弱点どこかわかんないよーーー!」
苦戦する双子を尻目に、優珠は双剣を軽やかに振るいながら、デルマの体が黒く変色している急所を正確に見極めていた。
「あはー、2人とも苦戦してるね~! 凪谷の方は右脇の下あたり、蛍は後ろのど真ん中を狙って撃ってみて!」
優珠は身軽な跳躍で凪谷の危機をカバーしつつ、正確な位置を指し示す。そのサポートを受け、凪谷と蛍は渾身の一閃と銃弾を黒い皮膚の核へと叩き込み、完全に粉砕した。
弱点を破壊されたデルマたちは断末魔の叫びを上げると、黒い煙を吹いてボロボロと崩れ去り、最後には跡形もない灰となって雪原に消えていった。
戦いが終わり、あたりに静けさが戻る。
オニキスは腰を抜かしたようにその場にへたり込み、荒い息を整えていた。
「っ……怪我はないか?」
凪谷が差し伸べた手を、オニキスはビクリと身体を震わせながら見つめた。助けてもらった気まずさと恥ずかしさから顔を真っ赤にしつつも、彼は意地を張るように自分で立ち上がり、ぶるぶる震える手で懐の本をぎゅっと抑え込んだ。
「ぼ、僕はオニキスだ……! ちゃんと、その……メモリスト……だし、これくらいのピンチなんて……」
しかし、強がってみせたものの、その声は小さく震え、瞳には悔し涙がにじんでいる。
そもそもメモリストの数は少なく、仮にいたとしても大部分は貴族や金持ち達に囲い込まれており、一般人が日常で出会うことはほとんどない。そのため、メモリーブックやメモリストに関する情報は噂や憶測ばかりが広がり、「真実のみを記す」とも、「書いた内容がそのまま真実になる」とも言われるなど、人によって様々な伝わり方をしていた。
さっきの貴族らしき男とのやり取りや、実力が伴わない焦りが痛いほど伝わってくるオニキスの様子に、優珠がふと歩み寄って尋ねた。
「ねえ、君。さっきのおじさん、君に『嘘の歴史を書け』って言ってたでしょ?」
「っ……!」
「メモリーブックって、絶対に嘘が書けないんじゃないの?」
図星を突かれ、オニキスはハッと息を呑み、気まずそうに俯いた。
先ほどの戦闘で震えているオニキスを見て、凪谷たちは顔を見合わせた。このまま一人にしておけば、またデルマに襲われるかもしれない。
「なぁオニキス。俺たち、この先の道に不慣れでさ……もしよかったら、この近くにある街まで俺たちのことを案内してくれないか?」
突然の頼みに、オニキスは大きく目を見張り、戸惑いの表情を浮かべる。しかし、助けてもらった恩もあり、自分を責めるような冷たい目を向けない温かな双子の眼差しと、優珠のまっすぐな視線に触れ、彼は小さくうなずいた。
「う、うん……それくらいなら……僕の知ってる街がすぐ近くにあるから、案内するよ……」
こうして、氷の国を目指す道中で、不器用な緑の瞳の少年を案内役に迎え、次の街へ向かうことになったのだった。




