《瘴気》の果てに
朝の日光を透かした、
霧のような人影がひとつ。
「ありゃあ、こないだの?」
「そうみたいですね。ひと月ほど前に、
君に処理を頼んだ相手と同種のもののようです」
一切の音をもらさない代わりに、
その全身から《障気》を放つ厄介な相手だ。
幸い、僕の術式とは相性が
良いので苦戦することはないだろう。
「一度戦った相手ですし、
要領も心得ています。
ホタルは下がっててください」
「いや、俺も試したいことがだな」
片手でぎこちなく小太刀を
構えるホタルの前に手を伸ばして、
「あ、正直邪魔なんですよ。
じっとしていてくれません?
君じゃ《障気》に当てられて終わりですし」
魔力も持たない身体で、
思念の放つ《障気》を浴びれば、
良くて気絶、最悪の場合精神崩壊につながる。
それ以上彼に付き合うつもりもない。
今すべきことは、僕の仕事場に踏み込めば、
どうなるのかを奴に教えこむことだけだろう。
すでに攻勢をかける準備は終えた。
未だ直立不動で沈黙を保つ《魔物》へ、
金ボタンをまいて《結界》を張るために手を動かす。
「あぁ?なんだよ、うるせーなぁ!」
「うるさいのは君です!
いい加減黙ってください!」
口数の減らないホタルの声。
先ほどより近かったために、
思わず振り返って叫んだ。
「ちげぇって、なんか、こいつらが」
困惑顔のホタルの足元には、
にーにーと鳴きながら彼の
ニッカを噛む猫たちの姿があった。
彼は状況が分かっているのだろうか。
(もう僕は知りません……。
勝手に倒れるなり発狂するなりしてください)
人外の《魔物》に相対し、
金ボタンを投げて周囲にばらまく。
避ける素振りもないが、まだ油断はできない。
ここから先は、奴の放つ《障気》を《結界》で
押さえ込めるかどうかの純粋な力比べ。
が、想定に反して、何の抵抗もなく
あっさりと《結界》は安定し、《魔物》を拘束できた。
(まだ初期なのでしょうか?
何にせよ、これで終わりですね)
そのまま手帳を広げ、
羽ペンでその姿を描く。
見開きを突き付けて、
思念を取り込み封印する。
いつになくスムーズにいったのは、
ここの場所のおかげか、成長の証か。
「ふー。終わりましたよ?
この先は君のしご……
って、どうしました?」
《封魔原典》への綴じ込みと、
複写を頼もうとしたが、当のホタルは、
いつも以上に鋭い目つきで何処かを凝視している。
彼の目線の先では、猫たちが
振り返っては歩くを繰り返している。
促すようなその動きを追ってスッと
視線を上げると、開け放たれたプレハブの扉が目に入った。
「あそこは……」
「あぁ、俺の部屋だ。
勝手に部屋に入ってくるおめぇの
ような仲の相手に他に心当たりはねぇし、
《魔物》も気にせずドアを開けっ放すたぁ、
よっぽど肝がすわった侵入者だな」
あのタイプの実体を持たない《魔物》には
扉を閉めたところで無意味であるし、
逃げ道を考えたなら開けっ放す方が
合理的と言えるのだが、それは置いておく。
「今まで発生したことのない学内での《魔物》の確認。
このタイミングであれば、もしかすると
先日の《式神》の術者かも知れませんね」
今の《魔物》は、《障気》を垂れ流すだけだった。
そういう性質しか与えられなかった《式神》
だと考えれば、自ずと侵入者の狙いは見えてくる。
「式神使いだぁ?聞いてねぇぞそんなの」
「今はそれどころじゃないですよ。
おそらく今の《魔物》の狙いは、単なる時間稼ぎです!」
金ボタンにはチヒロさんを見習って 回収用の凧糸を巻き付けてある。
ポケットに入れていた板に巻き付けながら、
先に駆け出したホタルに続いて部屋へと急ぐ。
「うぁ」
一足先に扉へ手をかけたホタルの身体が揺らいだ。
「これは……《障気》ですか!?」
ホタルの身体を支えて、扉から引き離す。
この頭に響く嫌な感じは、《魔物》の放つ《障気》そのもの。
しかし《魔物》は倒したはずだが……
まさか、彼の部屋にヤタカ先生さえ
感知できなかったような《魔物》がいるとでも?
「だ、いじょうぶ!
もう慣れたぜ。ほれ」
手を添えて2、3回頭を振ると、
勢い良く立ち上がるホタルが走り出す。
驚いたことに、《障気》への耐性は高いらしい。
止める暇もなく再び扉に手をかけて、
中を覗き込んだ彼に倒れそうな気配はない。
が、中に何を見たのか、彼は金縛りにでも
なったかのようにその場に突っ立って動かない。
ようやく金ボタンを回収して、
もっと糸を短くしようと反省しながら
硬直したホタルの脇から中の様子を窺う。
「なっ……!?」
予想を超えた光景に驚いたが、
身体は習慣で適切な判断を下してくれた。
帽子を脱ぎ捨てて、ホタルをかわすと、
薄暗い部屋の中へ飛び込み腕をかざして……
「こんな、ところで、何を、してるん……ですか!?」
頭上から振り下ろされた一撃を防いで、そう問いかけた。




