第二十六話「没落の顛末」
数週間が過ぎた頃、ローゼンヴァルトの王都から人の声が減った。
怒号が収まったわけではない。
ただ、叫ぶ者たちの多くがすでに王都を離れていた。
城門の前に押し寄せていた民衆は、雪の気配が濃くなるにつれて、一人、また一人と故郷の村や親類のいる町へ散っていった。
残ったのは、行き場のない者と、まだ何かを期待している者だけだった。
財政の破綻は、もはや誰の目にも明らかだった。
国庫は空になり、兵の俸給は滞り、地方の代官たちは王都への納税を止めた。
いくつかの領地では、領主が私兵を集めて城に籠もり、小規模な反乱が相次いだ。
幸い、大きな戦になる前にその多くは鎮まった。
誰にも、戦うだけの力が残っていなかったのだ。
エーリヒとミリアベルは、あの謁見の間の一件以来、完全に求心力を失っていた。
王の号令に従う者はなく、寵姫の頼みを聞く者もなかった。
勅命は書かれても読まれることなく、机の隅に積まれていく。
玉座はあっても、統治はそこになかった。
悲惨な光景はいくらでも語れた。
だがゲオルクは、それを語ることを自分に許さなかった。
ただ事実として受け止める。
そうするしかない者たちが、この国には多すぎたのだから。
☆
貴族たちの合議によって新たな統治体制への移行が決まったのは、初雪の降った日のことだった。
誰かが叫んだわけでも、剣を抜いたわけでもない。
ただ、諸侯が円卓を囲み、淡々といくつかの書面に署名をしていっただけだった。
まるで他人事の帳簿を締めるように。
エーリヒは、王都から離れた離宮へ移されることが決まった。
ミリアベルの処遇は、エーリヒのそれよりはるかに簡素に決まった。
隣国への工作は、伯爵家の印璽と資金によって行われた。
その事実が、アルダーシュから届いた原本によって動かぬものとなっていたからだ。
伯爵家は、爵位の降格と領地の半分の返上を命じられた。
賠償の大半は、その領地から支払われる。
当のミリアベルは、実家の屋敷へ戻された。
ただし、そこに彼女を迎える者はいなかった。
社交界への出入りを禁じられ、衣装も装飾品も、賠償のために売り払われた。
依頼状の原本は、ローゼンヴァルトの新体制に引き渡された。
アルダーシュは、それ以上の追及を求めなかった。
引き渡しに訪れた使者が、ゲオルクに口頭でこう伝えた。
「大公閣下のお言葉です。『これ以上は、あの国の仕事だ』と」
二人は、こうして表舞台から音もなく退けられていった。
離宮に移ったあとも、エーリヒは訪れる使いの者たちを罵り続けていた。
「俺は何も悪くない」
「あの女が悪い」
「ゲオルクが悪い」
ミリアベルもまた、実家の一室に閉じこもり、手鏡ばかりを覗き込んでは「わたくしのせいではない」と繰り返していた。
以前なら、彼女が部屋から出れば誰かが振り返った。
愛らしい声をかければ、誰かが手を貸した。
今、訪ねてくる者はいない。
侍女の一人も、長くは居つかなかった。
かつて金で人の心を買えると思っていた女の周りから、金が尽きた途端、人が引いていった。
鏡の中の顔は、以前と変わらず愛らしいままなのだろう。
ただ、それを見てくれる者が、もう誰もいなかった。
最後まで、二人は自分の非を認めなかった。
王が離宮へ向かう馬車に乗る日、ゲオルクは遠くからその出立を見送った。
窓越しにちらりと見えた横顔は、ひどく痩せていた。
指には、父王から受け継いだ指輪だけが変わらずに光っていた。
☆
合議の議題は、続いて、旧体制に関わった文官たちの処遇へと移った。
長い名簿が、円卓の上を回されていく。
財務、内務、外務。
かつて王の側に仕えていた者たちの名が一つひとつ読み上げられ、去就が議論されていった。
ある者は職を解かれ、ある者は領地の返上を命じられ、ある者は不問とされる。
ゲオルクの名は、当然のようにその中にあった。
宰相。
長年にわたり王の側近くにあって、国政の中枢を担ってきた男。
責任を問われるべき者の筆頭にその名が挙がるのは、自然なことだった。
彼は円卓の端に座り、背筋を伸ばして待っていた。
自分もまた、これで終わりだろう。
そう覚悟していた。
それが当然の報いだとさえ思っていた。
あの人が一人で国を支えていた間、自分はただ見て見ぬふりをしてきたのだから。
直言に踏み切ったのは、決して遅くなかったとは言えない。
「宰相の処遇についてですが――」
議長を務める貴族が、名簿を見下ろしながら口を開いた時だった。
「少し、よろしいか」
落ち着いた声が、円卓の反対側から上がった。
立ち上がったのは、あの老侯爵だった。
先日の謁見の間で最初に席を立った人物。
改革派の重鎮として知られ、新体制の中心になることがすでに囁かれている。
☆
老侯爵はしばらく口を開かなかった。
円卓の面々をゆっくりと見渡す。
それから、ゲオルクへ視線を向けた。
「この国の内情を、彼ほど知る者は他にいない」
低く、よく通る声だった。
「財政の裏側も、各地の蔵の位置も、官吏たちの癖も。それを新体制が一から学び直すには、あまりにも時間がなさすぎる」
円卓に、ざわめきが起こった。
「それに」
侯爵は言葉を継いだ。
「土壇場で陛下に真実を告げる勇気を持てた者が、この宮廷に他に何人いたでしょうか。あの朝のことは、取り次ぎの侍従から聞きました。扉の外で、彼の声を聞いていたそうです」
ゲオルクは思わず顔を上げた。
侯爵の目は彼を見ていた。
責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ事実を述べる者の目で。
「彼は、地位も命さえも失いかねないと知りながら、あえて言った。それを、この場で見なかったことにするのは、公正ではありますまい」
議長が何か言おうとして口を開きかけた。
侯爵はそれを制するように続ける。
「ただし、無罪放免とは申しません。宰相の位は解く。俸給は返上させ、北部の救済に回す。そのうえで、北部の被害を、一村ずつ、彼自身の手で調べさせる。名簿を作らせ、遺族への謝罪も彼の仕事とする。……それが、彼の償いです」
沈黙が円卓に落ちた。
反対の声は上がらなかった。
誰かが小さく頷く気配があった。
誰かがそっと視線を落とした。
数人の貴族が互いに顔を見合わせている。
ゲオルクは反論しようとした。
私は、そのような処遇に値する者ではない、と。
あの朝の直言は遅すぎた償いに過ぎず、それ以前の長い沈黙は決して赦されるものではない、と。
だがその声は喉の奥で止まった。
赦されるとは思っていなかった。
それでも、この機会を無下にすることがかえって不誠実であることも、彼には分かっていた。
断れば、それは謙虚さではなく、また一つの逃避になってしまう。
眼鏡の奥で、目の縁が熱くなった。
「……お引き受けいたします」
やがて、ゲオルクはそう口にしていた。
「裏方で構いません。肩書きも、いりません。一から、やり直させていただきたい」
老侯爵が短く頷いた。
☆
数日後。
ゲオルクは、王城の隅にある、以前より遥かに小さな部屋に通された。
かつて宰相の執務室だった広い部屋は、新体制の議事堂として使われることになった。
彼に与えられたのは、書類棚が一つと机が一つ。
窓は北向きで、朝の光もあまり差し込まない。
華々しい役職ではなかった。
名も肩書きも、与えられていない。
合議の最初の日、彼は北部の蔵番宛の追認書に署名していた。
あの返書に対する、遅すぎる返事だった。
新体制が諸侯の備蓄を動かし、遅ればせながら北部の村々に穀物が届いたのは、それから二十日後のことだ。
間に合わなかった村があることも、彼は知っている。
その名簿を、彼は自分の手で作るつもりでいた。
忘れないために。
これから始まるのは、地道な仕事だ。
この国の綻びを、一つずつ繕い直していく。
派手な成果も称賛もない。
おそらく誰にも気づかれないままに終わる日々になるだろう。
もっと早く動いていれば、と悔いても遅いけれど、今できることをする。
彼は机の上に、真新しい帳面を置いた。
まだ一文字も書かれていない。
革の表紙がまだ硬く、指に馴染まなかった。
真っ白な帳面を前に、ゲオルクはしばし手を止めた。
ふと、あの筆跡を思い出す。
数字の「7」に入れられた、迷いのない横棒。
誰にも知られないままこの国の綻びを繕い続けていた、あの人の手。
あの人のようにはいかないだろう。
彼女は誰に頼まれたわけでも、誰に感謝されるわけでもなく、ただ黙ってそれを続けていた。
自分にそこまでの強さはないけれど。
――今度こそ、目を逸らさずにいよう。
ゲオルクはペンを取り、インクに浸した。
北向きの窓から差し込む淡い光の中で、ペン先が白紙に触れる。




