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雨音を数える令嬢は、辺境技師と明日の水路をひらく  作者: 銀細工ナギ


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18/20

王都審査会の席で

 夜の王都は、昼間よりも水の気配が濃かった。


 私たちは審査院へ向かう大通りを避け、古い倉庫街の裏を抜けた。石畳の下から、低い振動が伝わってくる。水が流れているのではない。押し込められ、行き場を失った水が、閉じた扉の向こうで壁を叩いている。


「この先に地下水路の入口がある」


 ノアが小声で言った。


「昔の配水図には、使われていないと記されています」


「使われていないことにされている、の間違いだろう」


 路地の奥には、鉄の蓋があった。錆びた鎖がかかっているが、錠は新しい。ノアが工具を取り出したとき、背後で靴音がした。


「誰か来ます」


 私は灯りを消した。


 角を曲がって現れたのは、二人の男だった。配水局の紋章をつけ、手には長い鉄棒を持っている。男たちは周囲を見回したあと、蓋の前で立ち止まった。


「審査院へ運ぶ前に、地下の分岐を開ける」


「水圧で古い記録を流せば、証拠は残らない」


「帳簿だけなら燃やせばいい。問題はあの娘の耳だ」


 胸の奥が冷たくなった。


 私の能力を知っている。偶然の妨害ではない。水路管理所での行動も、王都へ向かう道も、すべて見張られていたのだ。


 ノアが私の腕に触れた。動くな、という合図だった。


 男の一人が錠を外し、鉄の蓋を持ち上げる。地下から、濁った水の匂いが立ちのぼった。


 その瞬間、私は耳を澄ませた。


 聞こえる。


 水の音の底に、かすかな異音がある。水門の向こうからではない。分岐した細い管の中で、空気が押し出される音。誰かが別の場所から弁を開けている。


「今です」


 私はノアに囁いた。


 彼は迷わず路地の反対側へ走った。石を蹴る音に、男たちが振り向く。


「誰だ!」


 その隙に私は鉄棒を掴んだ。男が腕を伸ばしてくる。力では敵わない。けれど、彼の足元には薄い水が流れていた。


「そこは滑ります」


 警告した直後、男の靴が滑った。体勢を崩したところへ、私は鉄棒を押し返した。もう一人が怒鳴り声を上げたが、倉庫の陰からアーヴェルが現れた。


「記録します。王都配水局員二名、夜間に無許可で地下水門を操作。時刻、鐘が三つ鳴った直後」


 彼の後ろには、旅籠にいた証人たちもいた。石工の老人が震える手で松明を掲げている。


「俺たちは見たぞ」


「水を止めたのは、お前たちだ」


 男たちの顔から血の気が引いた。


 ノアは地下へ降り、水門の操作盤を調べた。私は続いて梯子を下りた。地下水路は狭く、天井から滴る水が肩を濡らす。正面の大水門は閉じたままだったが、横の小さな弁が半分開いている。


「この弁を開けば、旧水路へ流れます」


「旧水路は審査院の下を通っている」


 ノアが言った。


「書類を提出する時間に合わせて、地下を水浸しにするつもりだったのですね」


「違う。審査院に着く前に、水門を閉じれば間に合う」


「閉じるだけでは駄目です」


 私は首を振った。


「音が変です。管の中に土砂が詰まっている。このまま閉じれば圧力が逃げず、水路そのものが崩れます」


 ノアは弁に手を伸ばした。


「なら、少しずつ開けて圧を逃がす」


「その判断は私がします」


 彼は手を止めた。


 以前の彼なら、危険だからと命令していただろう。けれど今は、黙って私の声を待っている。


 私は水の響きを一つずつ聞き分けた。大水門の左、旧水路の奥、さらにその先にある細い排水管。流れは複雑に絡み合い、どこか一か所を急に開ければ、別の場所が破裂する。


「今、三分の一だけ」


 ノアが弁を回す。


 轟音が地下を走った。足元が揺れ、天井から石片が落ちる。私は息を止め、音の変化を探した。


「止めて!」


 ノアがすぐに手を離す。


 水の音が一度高くなり、それからゆっくり下がった。詰まっていた土砂が動き、濁流が細い管へ抜けていく。


「次は、半分」


 何度も確認しながら弁を動かす。夜明け前、最後の振動が消えた。


 地下水路に、静けさが戻った。


 地上へ出ると、東の空が白んでいた。配水局員たちはアーヴェルの記録と証人たちの目の前で拘束され、操作盤の鍵も押収された。


 ノアは濡れた外套を脱ぎ、私の肩にかけた。


「君の判断がなければ、崩れていた」


「あなたが止まってくれたからです」


「俺は、君を信じた」


 その言葉は、冷たい朝の空気よりも深く胸に届いた。


 鐘が鳴った。


 審査院へ資料を届ける時刻だった。


 私たちは急いで旅籠へ戻り、証拠を分けた箱を抱えた。焼却用の油瓶、地下水門の鍵、夜間操作の記録、そして濡れたままの配水図。


 公開審査の扉が開く。


 王都の役人たちが並ぶ大広間の中央で、かつて私の婚約を一方的に破棄したセドリックがこちらを見た。彼は配水局の高官の隣に立ち、勝ち誇ったように笑っている。


 けれど、その笑顔は長く続かなかった。


 私は証拠の箱を審査官の前に置いた。


「夜明け前、王都地下水路で行われた改竄工作の記録です。審査を始めてください」


 広間の空気が変わる。


 ノアが私の隣に立った。


 今度は、誰にも隠れずに。

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