封じられた公開審査
公開審査の日取りが決まったのは、雨時計を管理所へ運び込んでから五日後だった。
王都から届いた通知には、審査の場所、出席者、提出すべき資料が細かく記されていた。水路組合の代表、配水局の役人、各村の立会人。そして、私たちの記録を確認するための審査官が三名。
最後の一文だけが、他と違っていた。
審査に関する資料は、当日まで非公開とする。関係者以外の傍聴を禁ずる。
「公開審査なのに、誰も見られないのですか」
私は通知を読み返した。
ノアは机に置かれた紙を見つめ、低く答えた。
「公開という言葉だけを残して、実際には閉じるつもりだ」
アーヴェルが苦い顔をした。
「審査官は配水局の推薦で選ばれている。傍聴人がいなければ、記録を取り上げられても、結果を書き換えられても分からない」
「だから、急いで公表する必要があります」
私は各村の帳面を見た。水を奪われた村の人々は、これまで何度も訴えを届けてきた。それでも返ってきたのは、記録上は問題がないという短い返事だけだった。
「審査が閉じられる前に、資料を民に読んでもらうのです」
「王都へ向かう途中で奪われる」
ノアが言った。
「なら、一部を別々の道から送ります。北の村には命令書の写しを、西の村には水時計の記録を。審査の前に、それぞれが自分の目で確かめられるように」
アーヴェルが頷いた。
「私が運ぶ。父の名を使えば、配水局の見張りも油断する」
「危険です」
「家名で人を欺くのは、もう慣れている。今度は、それを役立てたい」
彼はそう言って、封筒を三つに分けた。
その夜から、私たちは資料を複製した。ノアは水時計の目盛り板を細い紙へ写し、私は雨量と流量の差を日ごとに並べた。数字だけでは伝わらない部分には、村人たちの言葉を添えた。
いつ水が止まったか。
どの畑が枯れたか。
誰が配水局へ訴え、何を言われたか。
記録の端に、名前を書くことをためらう人もいた。名を出せば、来年の配水をさらに減らされるかもしれないからだ。
私はその不安を責めなかった。
「名前を書かなくても、言葉は消えません。あなたが見たことを、あなたのまま残しましょう」
老いた村長は、震える手で一行を書いた。
水は来なかった。だが、来なかったことだけは、誰にも忘れさせない。
その紙を見た時、胸の奥で雨の音がした。
静かな夜だった。屋根を打つ雨はなかった。それでも遠くの地下で、水が石の隙間を通り、細い管を震わせている。
「東側の水門が閉じました」
私が言うと、ノアは立ち上がった。
「今夜もか」
「先ほどから流れが変わっています。審査の資料を減らすつもりです」
管理所の外へ出ると、空は曇っていた。雨は降っていない。けれど水路の音だけが、途中で途切れている。
ノアは灯りを掲げ、東の水門へ向かった。そこには新しい鎖が掛けられていた。鍵は配水局の印がついたものだった。
鎖の足元には、濡れた紙片が落ちていた。
明朝までにすべての資料を提出せよ。従わぬ場合、管理所を閉鎖する。
私は紙を拾い上げた。
「管理所を閉鎖して、記録を持ち去るつもりです」
「明朝までに王都へ届ける方法はない」
「あります」
私は水路の先を見た。
「水を送るのです」
ノアが振り向く。
「水を?」
「この水門の先は、南の製粉所へ続いています。今ここを開けば、下流の村へ水が流れる。村人たちは朝になれば水位の変化に気づくでしょう」
「だが、管理所の命令に逆らった証拠になる」
「命令そのものが不正です。水がどこへ流れたかを、皆に見せるのです」
ノアは黙って鎖を調べた。やがて工具を取り出し、鍵の周囲を照らす。
「開けるには時間がかかる」
「私が音を聞きます。力をかける場所を指示します」
鎖の内部で金属が軋んだ。私はかすかな水の震えを追った。弁の奥に水圧が溜まっている。右の留め具は固いが、左の輪はすでに傷んでいた。
「そこです。少し上へ」
ノアが工具を差し込む。
「もう少し。今です」
鎖が外れ、水門が重く開いた。
押し留められていた水が、一気に暗い水路を走った。遠くで堰の音が響き、南へ向かって流れが戻っていく。
その音を、私ははっきり聞いた。
誰かの許しを待たずに動く水の音だった。
翌朝、管理所の前には村人たちが集まっていた。水が戻ったことを知ったのだ。彼らの手には、私たちが送った資料の写しがあった。
そして、王都から新しい使者が到着した。
「審査は中止する。資料はすべて引き渡せ」
使者は馬上から命じた。
その背後には、武装した兵が十人いる。
ノアが前へ出た。けれど私は彼の肩に手を置いた。
「私が話します」
彼は私を見た。わずかな迷いの後、静かに道を譲った。
私は使者の前で、三つの封筒を掲げた。
「資料は、もう一か所にはありません。北の村、西の村、そしてここに分けてあります。どれかを奪えば、残りがその事実を知らせるでしょう」
村人たちが一斉に帳面を開いた。
「公開審査を閉じても、記録を閉じることはできません」
使者の顔から血の気が引いた。
「これは王命だぞ」
「ならば、王命が水を奪った証拠として、皆で読みましょう」
風が吹き、紙の端が揺れた。
雨は降っていない。
それでも私は、数え切れない雨がこの場へ集まり、声を持たぬまま証言しているように感じていた。




