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雨音を数える令嬢は、辺境技師と明日の水路をひらく  作者: 銀細工ナギ


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15/20

封じられた公開審査

 公開審査の日取りが決まったのは、雨時計を管理所へ運び込んでから五日後だった。


 王都から届いた通知には、審査の場所、出席者、提出すべき資料が細かく記されていた。水路組合の代表、配水局の役人、各村の立会人。そして、私たちの記録を確認するための審査官が三名。


 最後の一文だけが、他と違っていた。


 審査に関する資料は、当日まで非公開とする。関係者以外の傍聴を禁ずる。


「公開審査なのに、誰も見られないのですか」


 私は通知を読み返した。


 ノアは机に置かれた紙を見つめ、低く答えた。


「公開という言葉だけを残して、実際には閉じるつもりだ」


 アーヴェルが苦い顔をした。


「審査官は配水局の推薦で選ばれている。傍聴人がいなければ、記録を取り上げられても、結果を書き換えられても分からない」


「だから、急いで公表する必要があります」


 私は各村の帳面を見た。水を奪われた村の人々は、これまで何度も訴えを届けてきた。それでも返ってきたのは、記録上は問題がないという短い返事だけだった。


「審査が閉じられる前に、資料を民に読んでもらうのです」


「王都へ向かう途中で奪われる」


 ノアが言った。


「なら、一部を別々の道から送ります。北の村には命令書の写しを、西の村には水時計の記録を。審査の前に、それぞれが自分の目で確かめられるように」


 アーヴェルが頷いた。


「私が運ぶ。父の名を使えば、配水局の見張りも油断する」


「危険です」


「家名で人を欺くのは、もう慣れている。今度は、それを役立てたい」


 彼はそう言って、封筒を三つに分けた。


 その夜から、私たちは資料を複製した。ノアは水時計の目盛り板を細い紙へ写し、私は雨量と流量の差を日ごとに並べた。数字だけでは伝わらない部分には、村人たちの言葉を添えた。


 いつ水が止まったか。


 どの畑が枯れたか。


 誰が配水局へ訴え、何を言われたか。


 記録の端に、名前を書くことをためらう人もいた。名を出せば、来年の配水をさらに減らされるかもしれないからだ。


 私はその不安を責めなかった。


「名前を書かなくても、言葉は消えません。あなたが見たことを、あなたのまま残しましょう」


 老いた村長は、震える手で一行を書いた。


 水は来なかった。だが、来なかったことだけは、誰にも忘れさせない。


 その紙を見た時、胸の奥で雨の音がした。


 静かな夜だった。屋根を打つ雨はなかった。それでも遠くの地下で、水が石の隙間を通り、細い管を震わせている。


「東側の水門が閉じました」


 私が言うと、ノアは立ち上がった。


「今夜もか」


「先ほどから流れが変わっています。審査の資料を減らすつもりです」


 管理所の外へ出ると、空は曇っていた。雨は降っていない。けれど水路の音だけが、途中で途切れている。


 ノアは灯りを掲げ、東の水門へ向かった。そこには新しい鎖が掛けられていた。鍵は配水局の印がついたものだった。


 鎖の足元には、濡れた紙片が落ちていた。


 明朝までにすべての資料を提出せよ。従わぬ場合、管理所を閉鎖する。


 私は紙を拾い上げた。


「管理所を閉鎖して、記録を持ち去るつもりです」


「明朝までに王都へ届ける方法はない」


「あります」


 私は水路の先を見た。


「水を送るのです」


 ノアが振り向く。


「水を?」


「この水門の先は、南の製粉所へ続いています。今ここを開けば、下流の村へ水が流れる。村人たちは朝になれば水位の変化に気づくでしょう」


「だが、管理所の命令に逆らった証拠になる」


「命令そのものが不正です。水がどこへ流れたかを、皆に見せるのです」


 ノアは黙って鎖を調べた。やがて工具を取り出し、鍵の周囲を照らす。


「開けるには時間がかかる」


「私が音を聞きます。力をかける場所を指示します」


 鎖の内部で金属が軋んだ。私はかすかな水の震えを追った。弁の奥に水圧が溜まっている。右の留め具は固いが、左の輪はすでに傷んでいた。


「そこです。少し上へ」


 ノアが工具を差し込む。


「もう少し。今です」


 鎖が外れ、水門が重く開いた。


 押し留められていた水が、一気に暗い水路を走った。遠くで堰の音が響き、南へ向かって流れが戻っていく。


 その音を、私ははっきり聞いた。


 誰かの許しを待たずに動く水の音だった。


 翌朝、管理所の前には村人たちが集まっていた。水が戻ったことを知ったのだ。彼らの手には、私たちが送った資料の写しがあった。


 そして、王都から新しい使者が到着した。


「審査は中止する。資料はすべて引き渡せ」


 使者は馬上から命じた。


 その背後には、武装した兵が十人いる。


 ノアが前へ出た。けれど私は彼の肩に手を置いた。


「私が話します」


 彼は私を見た。わずかな迷いの後、静かに道を譲った。


 私は使者の前で、三つの封筒を掲げた。


「資料は、もう一か所にはありません。北の村、西の村、そしてここに分けてあります。どれかを奪えば、残りがその事実を知らせるでしょう」


 村人たちが一斉に帳面を開いた。


「公開審査を閉じても、記録を閉じることはできません」


 使者の顔から血の気が引いた。


「これは王命だぞ」


「ならば、王命が水を奪った証拠として、皆で読みましょう」


 風が吹き、紙の端が揺れた。


 雨は降っていない。


 それでも私は、数え切れない雨がこの場へ集まり、声を持たぬまま証言しているように感じていた。

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