9 アイリーンの処刑
初めは、面白い女だから退屈しないで済みそうだと思っただけだった。
今回も、予定調和に行われたジャクリーン・ラ・フォンテーヌ公爵令嬢の婚約破棄。
カインがこの世界のループに気付いてから、今回の“ジャクリーン”は何人目だったか。もう、とうに数えるのはやめてしまったが、見つけてすぐ興味を惹かれたのは初めてのことだった。
魔王として産まれ落ち、花嫁を手に入れて、花嫁と共に世界を滅ぼそうと動く。
それが、“魔王カイン”に与えられた物語。
この世界のループに気付いてからこの物語を変えようと動いたのは、1度や2度じゃない。
でも、魔王カインである自分は物語に逆らうことが出来なかった。魔王以外になることも出来ず、“ジャクリーン”以外を花嫁に選ぶことも出来ない。
初めのうちは、本当に自分がジャクリーンを愛しているのだと思っていた。だからこそ、彼女のために世界を壊し、復讐したのだと。
だが、何人ものジャクリーンと出会い、共に死ぬうちに、心が麻痺してしまったのか、もうよく分からなくなった。愛しさも、喪う哀しみも、とっくに味がしなくなっていた。
そんな中、――アイリーンと出会った。
味の分からない料理を食べさせられる感覚だったカインの世界で、彼女だけがあまりに鮮烈だった。
見付けたその瞬間、彼女は今まで通り婚約破棄されたが、なんとアイリーンだけは大変喜んでいたのだ。
しかも理由が、『処刑されたら魔王様に会える!』から。
アイリーンはその後も、爆速で処刑されに動き出すものだから、しばらく見守ろうと考えていたカインが、予定を変更してすぐに接触をしたほど。
本当に、困るくらい愛おしくて――愉快な女だよ。
カインは、苦笑しながら彼女の乗る馬車を見詰める。
アイリーンは、その誓い通りに“処刑場”への道を進んでいた。彼女を乗せた馬車は無情にも、彼女を処刑台へと連れていく。
最初は、このループする永い人生の中のちょっとした退屈しのぎに調度良いと思って、監視しただけだった。
爆速で地下牢に囚われた彼女は、悲しみに沈んだ顔をしていた。怯えながら呟いていたひとりごとは、でも自分の境遇を嘆くものじゃなかった。
“出会った瞬間に愛してもらえることなんてあるの?”
アイリーンは、あんな環境でもただひたすらに俺のことを恋い慕ってくれていたんだ。
物語から逃れられない俺とは違って、“ジャクリーン”は女帝にだってなれるのに。自分の意思で、俺を選ぼうとしてくれている――そのために処刑されると知っていて。
彼女を見ているうちに、知りたいと思った。
“ジャクリーン”じゃない、本当の彼女のことを――
「出会ってまだ1週間しか経っていないのに、もう死んでしまうのか……」
カインは無意識に呟いていた。
アイリーンは、ころころと表情がよく変わる。愛情表現も大きくて、喜怒哀楽の激しい彼女を見るのが、いつの間にか当たり前に感じるようになっていた。
そんな彼女の――首が落ちるのを見なきゃならない。
「俺なら蘇らせられると知っていても、好きな女の首が飛ぶのは嬉しくはないな」
それも、初めての感情だった。
“ジャクリーン”の処刑は何度も見てきたというのに。
アイリーンを乗せた馬車は、舗装されていないでこぼこ道を跳ねながら進んでいく。
そして、ついに“処刑台”のある、王都の外れの広間に辿り着いてしまう。
王宮の処刑人の耳障りな大声が広間に響いた。
「これより、国家反逆の大罪人、ジャクリーンの処刑を執り行う!」
嗚呼、アイリーンの名前を聞いておいて、本当によかった。役名を聞いても、動揺せずにいられる。
カインは、姿を消しながら広間の上空に飛び上がった。魔界の眷属の証の、黒い6枚の翼で羽ばたく。頭上には黒く大きな2対の角が現れていた。
処刑人に付き添われて、処刑台に上がるアイリーンの姿を見下ろす。
ジャクリーンは、本来は罪人の着る白いボロきれのようなワンピースを着るはずだった。だが、アイリーンはカインの瞳とおなじ、血のように真っ赤なドレスを身につけている。
『最期の時くらい、好きな服を着たっていいでしょ。だって、カイン様の色を纏っていれば、死ぬのも怖くない』
そう笑っていた顔が脳裏に浮かぶ。
きっと、処刑人の前でもあの美しい悪ぶった顔で、何かと文句を言ってドレスを着てきたんだろう。
あの癇に障る処刑人の声が聞こえて、カインの物思いは中断される。忌々しい思いで、眼下の様子を見下ろした。
「最期に言い残すことはあるか?」
「いいえ。皆さんにお伝えすることなど、ありませんわ」
高級な猫みたいな、ツンとした顔でアイリーンは顎を上げる。カインは、彼女のこの機嫌の悪い猫みたいな悪女の顔が好きだ。
すると、彼女がふと顔を上げた。
そして、とびきり艶やかな悪女の笑顔をカインに向ける。そして一言、呟いた。
「カイン様――今、御もとに参ります」
彼女は、赤い長い髪を左右に分けて、白いうなじをギロチンの刃の下へ晒す。上からでは彼女の表情はもう見えなかった。
処刑人が、ギロチンの稼働部へ手を添える。
観衆から、彼女が一切悪びれていないことに対する盛大なブーイングが飛び交う。その喧騒の中に、王太子と男爵令嬢が寄り添い会う姿もあった。
だがそんなざわめきは、アイリーンとカインの間を割くことなど出来ない。
……嗚呼、アイリーン……愛しい花嫁。
とてもじゃないが、彼女の首をあんな薄汚い刃に切り落とさせるのは、許し難いな。
そう考えた瞬間、カインはその魔王の姿を顕現させ、ギロチンの刃がアイリーンの首へ降りる寸前に、彼女を腕の中へひったくっていた。
「恐れるが良い、民衆よ。私はこの世界の裏側、魔界の主、魔王カインである!
我が花嫁を貰い受けに来た。殺そうとした命なら、私が貰い受けても構わぬであろう?
――私に反するものは、この世界を失う覚悟をせよ」
カインは、アイリーンを抱き抱えたまま空中へ舞いあがった。民衆も、処刑人も、見物に来ていたあの王太子と男爵令嬢、王も、誰も彼も全員が空を見上げている。
雲が落ちる重たく暗い空に、魔界の漆黒を纏った異形の王がその6枚の翼を広げていた。
誰も、カインに反論するものなどいない。
静寂が、その場を支配していた。
カインは、アイリーンを抱えたままそのまま天高くへと舞い上がっていく。ふと下を見れば、もう処刑台のあるあの広場は米粒ほどに小さく、遠くなっていた。
「……カイン様……良かったんですか、私が処刑されなくても……」
傍らに抱いた愛しいアイリーンの声がする。酸素の薄い高度へ来てしまったからか、彼女の顔はいつにもまして白い。呼吸も浅く、苦しそうに見える。
「俺が嫌だったんだ。例え、ギロチンだとしても君の首筋に触れるなんて許し難い」
そうして、アイリーンの白い首筋に黒い手袋をはめた指先で触れた。
「ふふ、嫉妬されて……嬉しい。でも……私魔界で一緒に暮らしたい……」
「嗚呼。それなんだが……
――俺に殺されてくれないか?」
「……え、?」




