5 意地悪な推しが尊すぎる!!
やっと抱き締めていた腕を離してくれた魔王様の次の言葉で、愛理の意識は現実に戻ってくる。
「アイリーン。君も俺の名前を呼んでくれないか? 魔王様だなんて堅苦しすぎる。
知ってるだろう、君なら」
「うっ……推しが尊い……はい、
――カイン、様」
まるで甘えるみたいな目配せをされて、愛理には断るなんてできなかった。
悪役令嬢ルートでだけ判明する、彼の本名を唇に乗せる。
するとカイン様は実に満足そうに、ニィと笑った。それが何だか悪戯っぽくて子供っぽくて可愛い。
スチルで見ていた彼の整った顔とは違う、生きた表情。愛理の情緒はさっきから、ジェットコースター並に翻弄されっぱなしだった。
「えっ……と、カイン様。どうして私が“ジャクリーン”じゃないって気付いたの?」
「嗚呼、実はアイリーンがこの世界に来てからずっと見てた」
「へぁ?! エッ、ずっとって、最初から?!」
「そう。最初から」
彼は実に魔王らしく、邪悪な笑みを浮かべた。その笑みも大変破壊力抜群なのだが、愛理は己の失態を思い返すのに必死すぎた。
なんか変な事口走った気しかしないんだけど――!!
あわあわとしながらこの数日間の記憶を探る。
すると、カイン様がサラリと、
「結婚したら、俺と一緒に魔界に引きこもってくれるんだろう? “愛しいアイリーン”」
と言ったのだ。
「ギャー?! めちゃくちゃ口走った記憶がございましてよ?!」
「“口走った”? てっきり俺は君の本心だと思っていたのだが――残念だ」
しおらしく眉根を下げられては、恥ずかしがっている気持ちも吹き飛ぶ。愛理は慌てて両手を振って否定する。
「ちが、違います違います、口走ってません! 本心です!」
「嗚呼良かった。あまりの悲しさにうっかり世界を滅ぼすところだったよ」
愛理の言葉へ間髪入れず答えたカイン様の声は、余りにもわざとらしく棒読みだ。
「……かまかけましたね?!」
「……さぁ? なんの事だろうな」
カラリと笑う、意地悪なカイン様の服をギュッと掴む。でもそんな些細な反抗など、彼は気にもしていないようで。
楽しそうに目を細めたカイン様は、優しげに愛理を見詰めてくる。
――推しがこんなに意地悪だなんて知らなかったんですけど?!
愛理は、ゲームの中で切なそうに笑う魔王様が好きだった。処刑された悪役令嬢の前に現れて、寂しそうに笑って、それから花嫁のために世界を滅ぼすことで復讐しようとする。
不憫な彼が、いつかジャクリーンと本当に結ばれて幸せになる日を願ってやまなかった。
でも、ゲームの魔王様と違って、目の前にいるカイン様はもっとずっと表情豊かで、愛理をからかっては楽しそうに笑う。
画面の外の彼と出会ったのはついさっきだけど、2次元の推しとして眺めていた時とは違う――なんだか思春期に戻ったみたいに心がざわざわして落ち着かない。
うっ、オタクとして人生の過半数をすごしてきた私には余りにも、恥ずかしすぎるッッ!!
残念ながら、彼氏いない歴=年齢なの、こっちは!!
悶え苦しむ愛理に、カイン様の声が頭上から降ってきた。落ち着いた低い声は、今度は真剣な音に響く。
「……アイリーン。聞け。
これからここに、王太子と男爵令嬢が来る。聡明なアイリーンなら分かるな?
お前の黒魔術覚醒のいいきっかけになる」
「……なるほど。物語が変わっても、本筋に戻す強制力があるのね。王太子とヒロインの断罪イベントが来るんだ」
本来のルートなら、ジャクリーンはまだ自宅で監禁中。そこへお見舞いと称してヒロインたちが来て、ジャクリーンがブチ切れるんだけど……
どうやら場所が変わっても『イベント』は変わらず起きるみたい。
魔王様と魔界で楽しくいちゃラブスローライフするなら、黒魔術の力は覚醒してた方がいいよね!
それなら! とまた、“ジャクリーン”の仮面を被ることを決意する。
すぅ、と大きく息を吸った。パンパン、とドレスについた埃を払って胸を張る。
私は、悪役令嬢ジャクリーン・ラ・フォンテーヌ。
推しと魔界でいちゃラブスローライフを送るため、破滅街道を走る女!
愛理は、ゆっくりと目を閉じた。
次に目を開けた時には、意識して冷たい瞳を作り、すっと前方を見据える。
濃紺の瞳が、愛理の明るく暖かい色から、ジャクリーンの冷えきった色へと変わる。
首元へ零れ落ちてきた赤い長い髪を、手の甲でバサッと払った。
すると、隣でそれを見ていたカイン様が愉悦の表情を浮かべた。
「……美しいよ、アイリーン。君は悪い顔が上手だな」
「まぁ、それって褒めてらっしゃるの? “魔王ジョーク”かしら」
愛理は、実に“ジャクリーン”らしく艶やかに微笑んだ。




