07 エミリーの嫌がらせ
07 エミリーの嫌がらせ
「こんにちは」
「おう、ミーナさん。今日も助かる」
受付の職員が笑顔でキーランからポーションを受け取った。奥からギルドマスターも姿を見せる。
「相変わらず人気だな。キーランも一緒か、納品量が増えて助かるよ」
積み上げられたポーションを見て、マスターが苦笑する。
「最近は納品してもすぐ売り切れちまうんだ」
「ありがとうございます。最近は薬草の育ちが良くて助かっているんです」
「品質のほうも、細心の注意を払っていますから」
わたしが笑って頭を下げると、ギルドマスターは深くうなずいた。彼は、この言葉の本当の意味――わたしがわざと力を落としたものを納品していることを――を、よく分かってくれている。
「本当に助かっているよ」
穏やかな空気が流れる。その時だった。
入口の扉が勢いよく開いた。
「マスター!」
甲高い声がギルド中に響く。
振り返ると、祭りの日に会った領主の令嬢――エミリーさんだった。今日は同じくらいの年頃のお嬢さんを二人連れている。
そしてその後ろには、あの日も一緒だった青年が、困り果てた顔で立っていた。
「あ……」
青年はわたしを見るなり、気まずそうに目を伏せる。嫌な予感がした。
エミリーさんは真っすぐ受付まで歩いてくると、積み上げられたポーションを鋭く指差した。
「そのポーションは信用できません! 何が入っているか分からないんですよ!」
ギルド中が水を打ったように静まり返った。青年が慌ててエミリーの腕を掴む。
「エミリー、やめろ!」
「やめません!」
彼女はその腕を激しく振り払った。
「あのおばさんが作るものなんですよ! キーランまで騙している人の薬なんて、危険ですわ!」
その一言で、周囲にいた何人かの冒険者が眉をひそめた。
「そうよ!」
隣の令嬢も勢いよく同調する。
「こんな人を信用するなんて信じられない!」
「本当よ! このギルド、おかしいわ!」
ざわり、と不穏に空気が揺れた。
わたしが隣を見ると、キーランの手がぎゅっと握りしめられていた。笑顔は完全に消え、目だけが冷たく細くなっている。
まずい、本気で怒っている。
わたしはそっと彼の袖を引いた。そして助けを求めるようにギルドマスターを見る。マスターはほんのわずかに眉を動かしただけだった。
だが、マスターが口を開くより前に、別の声が響いた。
「信用できないって、どういう意味だ?」
奥のテーブル席から、冒険者が立ち上がる。
「ちゃんと説明してもらおうか。根拠があるんだろうな?」
「いい加減なことを言うんじゃねえぞ」
別の男も腕を組んで睨みつける。
「俺たちが何年、このポーションに助けられてると思ってるんだ」
「大事な命綱だ。根拠もなく薬師を侮辱するんじゃねえ」
次々と怒りの声が上がる。酒場のようだったギルドが、一瞬で鋭い尋問の場へ変わった。
それでもエミリーは怯まなかった。
「失礼ね!」
彼女はぷいと胸を張る。
「わたしは領主の娘よ! お父様に言いつけて、こんなギルド潰してもらうわ!」
「そうよ! 今さら謝っても遅いんだから!」
令嬢たちも口々に叫ぶが、冒険者たちの冷ややかな視線に、連れの青年は完全に青ざめていた。
「お願いだからやめてくれ!」
青年は必死に三人の前へ立ちはだかる。
「そんなことを言うな! 君たち、自分が何を言っているか分かっているのか!」
しかし、誰も聞かない。空気は張りつめ、今にも誰かが掴みかかりそうだった。
その時、ギルドマスターがわたしを見て、ほんのわずかに顎を動かした。
――ここは任せて、行け。
そういう合図だった。
わたしは何も言わず、キーランの手を握った。
「行きましょう」
キーランは一瞬だけ驚いたように繋がれた手を見たが、何も言わずにうなずいた。わたしたちはそのまま、裏口から静かに外へ出た。
外へ出た途端、張りつめていた空気がふっと緩んだ。
すると、わたしの手を握っていたキーランの手に、ぐっと力がこもる。さっきまで怒りで固くなっていた手が、今度は大事なものを逃がすまいとするように、そっと、でもしっかりと握り返してきた。
「あら」
思わず笑ってしまう。さっきまで怒りに染まっていた彼の顔が、もう照れたように緩んでいるのだ。こうなると、今さら手を放すタイミングがない。
「今日はどの屋台に寄りましょうか」
「はい!」
返事が、とても嬉しそうだった。わたしたちは手をつないだまま、屋台が並ぶ通りへ向かって歩き始めた。
「どれもいい匂いね」
通りを歩くだけで、お腹が空いてくる。炭火で焼いた肉の香ばしい匂い、焼き菓子の甘い香り、香辛料の刺激的な香りまで混ざり合って、どこを見ても美味しそうだった。
「迷ってしまうわ」
「あれにしましょう」
キーランが指差したのは、香ばしい煙を上げるソーセージの屋台だった。炭火でこんがり焼いた太いソーセージに粒マスタードを添え、切り目を入れた焼きたてのパンに挟んでくれるらしい。
「あら、美味しそう」
「二つお願いします」
キーランが注文すると、屋台の主人が手際よくパンへソーセージを挟み、たっぷりのマスタードを添えてくれた。果実水も買って、近くの空いたテーブルへ腰を下ろす。
一口かじる。ぱりっと皮が弾け、じゅわっと肉汁が口いっぱいに広がった。そこへマスタードのほどよい辛みが重なる。
「美味しい!」
「よかった」
キーランは、わたしが食べる様子を見て、ほっとしたように笑った。好きな人と、美味しいものを食べる。こんな幸せなことはないと思った。
でも、その幸せには、もっと上があった。
「少し待っていてください」
キーランは立ち上がると、人混みの中へ歩いていく。何を買いに行ったのだろうと思っていると、すぐに戻ってきた。その両手には、湯気の立つ焼きりんご。甘い香りがふわりと漂う。
「シナモンを多めにしてもらいました」
「まあ」
思わず笑顔になる。
「ありがとう。これもすごく美味しいわ」
木の匙ですくうと、柔らかく煮えた焼きりんごがとろりと崩れた。甘酸っぱい果汁に、たっぷりのシナモン。口の中いっぱいに幸せな香りが広がる。
「本当に美味しい」
満足して言うと、キーランは自分の焼きりんごにはまだ手もつけず、ただわたしを見て微笑んでいた。
「……食べないの?」
「ミーナが美味しそうに食べるのを見るのが、好きなんです」
「あなたって……」
途端に、頬に血がのぼるのが分かった。
「あなたって? ……なんですか?」
キーランが少し意地悪な口調で覗き込んでくる。
何も言えなくなったわたしは、逃げるように、温かい焼きりんごをもう一口、慌てて口に放り込んだ。




