33 おすそ分け
33 おすそ分け
式を二日後に控えた日の午後、わたしは窓辺から中庭を眺めていた。
庭では、ソフィーとローランが結婚式のために運び込まれた花を見ている。
ソフィーが一輪の花に顔を近づけると、ローランは花ではなく、ソフィーの横顔を見つめていた。
やがて彼女が何かを言い、二人は顔を見合わせて笑った。
「幸せそうねえ」
わたしは何度目か分からない同じ言葉を口にした。
「そうですね」
背後からキーランの腕が伸び、わたしの腰を抱き寄せる。
「ミーナも幸せですか?」
「ええ。とても」
わたしはキーランの腕に手を重ねた。
ソフィーたちを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。
胸の中に満ちた温かなものが、少しあふれてしまいそうだった。
だから、ほんの少しだけ――その幸せを、誰かに分けてあげてもよいような気がした。
「キーラン」
「はい」
「王妃殿下のお見舞いに行きましょう」
キーランの腕から、わずかに力が抜けた。
「……今からですか?」
「ええ。今なら、いつもより慈悲深くなれそうだもの」
「なるほど」
キーランは中庭の二人を見下ろし、それから面白そうに目を細めた。
「では、そのお気持ちが消えないうちに参りましょう」
王妃の部屋を訪ねると、侍女が驚いた顔でわたしたちを迎えた。
「ミーナ様。いかがなさいました?」
「王妃殿下のお見舞いに来たの」
「それは、ありがとうございます。王妃殿下もさぞお喜びに――」
「喜ぶかしら?」
「それはもちろん」と少し自信がなさそうに彼女は答えた。
以前訪れた時とは違い、王妃の部屋には日差しが入り、新鮮な空気が流れていた。傷んでいた髪も短く整えられている。
寝台に横たわる王妃は相変わらずやせ細っていたが、顔色は少しよくなっていた。
わたしが治した口だけは元気らしい。
「ミーナ!」
わたしの姿を見るなり、王妃は声を張り上げた。
「お久しぶりでございます、王妃殿下。ずいぶんお元気そうですこと」
「どこが元気なのよ! ソフィーの結婚式は明後日なのに、わたくしは寝台から起き上がることもできないのよ!」
「そのようですわね」
「あなた、わたくしを笑いに来たの?」
「いいえ。今日はとても幸せな気分ですので、少しだけおすそ分けをして差し上げようと思いまして」
「おすそ分け?」
わたしは寝台のそばへ進み、王妃の腕を取った。
王妃は疑うような目でわたしを見ていたが、手を振り払おうとはしなかった。
「治療をいたします。動かないでくださいませ」
「本当に?」
「お気に召さないのでしたら、帰りますけれど」
「誰も嫌だとは言っていないでしょう! 早くなさい!」
相変わらず、お願いするということを知らないらしい。
けれど、今日は腹が立たなかった。
淡い光がわたしの手からこぼれ、王妃の体を包み込んだ。
滞っていた力の流れを整え、弱っている内臓を癒やしていく。長く寝ついていたために衰えた筋肉にも、少しずつ力を与えた。
青白かった頬に血の色が戻り、浅かった呼吸が深くなる。
「……温かい」
王妃は驚いたように自分の手を見つめた。
やがて肘をつき、自分の力でゆっくりと上半身を起こす。
「起きられるわ!」
「急に立ってはいけません」
「でも、体が動くのよ。靴を持ってきなさい」
「駄目です」
思ったより大きな声を出してしまった。
「どうしてよ!」
「長く寝ていたのです。病そのものは癒やしましたが、いきなり以前のように歩けるわけではありません。転んで骨を折っても、わたくしは知りませんわよ」
「では、結婚式には出られないの?」
「車椅子を使えばよろしいでしょう。明日一日しっかり休み、侍女たちに手伝ってもらえば、明後日の式には出席できます」
王妃の顔がぱっと明るくなった。
「ソフィーの花嫁姿を見られるのね?」
「ええ。礼拝堂への移動方法や座る場所は、エリーゼ様と相談なさってください。疲れたら途中で部屋へ戻ること。最後まで無理に残ろうとしてはいけません」
「分かったわ」
珍しく素直な返事をしたかと思えば、王妃はすぐにわたしを睨んだ。
「それなら、もっと早く来ればよかったのに!」
「あら」
「前に王宮へ着いていたのでしょう? すぐに治してくれれば、明後日までに歩けるようになっていたかもしれないではないの!」
お礼より先に文句が出てくる。
これだけ勢いよく怒鳴れるのなら、治療はうまくいったようだ。
「もっと早く治してほしかったのでしたら、わたくしを呼んでお願いすればよかったでしょう?」
「わたくしが、あなたにお願いするの?」
「ええ。『ミーナお姉様、どうか治してください』と」
「誰がそんなことを言うものですか!」
「でしたら、今日まで治らなかったのも仕方がありませんわね」
王妃が言葉を失う。
壁際に立っていたキーランが、堪えきれないように小さく笑った。
「何がおかしいの!」
「王妃殿下がお元気になられて、何よりだと思いまして」
「笑っていたでしょう!」
「いいえ。気のせいでございます」
キーランは涼しい顔で答え、わたしの肩を抱き寄せた。
「ミーナ。そろそろ戻りましょう。ソフィー様たちと夕食のお約束があるのでしょう?」
「そうだったわね」
「待ちなさい。まだ全部治っていないわ!」
そこに侍女長のイボンヌが駆けつけてきた。
「ミーナ様、ありがとうございます」
わたしはイボンヌに向かって
「病は治しました。あとは食事と運動で体力を戻してくださいませ」と言った。
「歩けるようになるまで治しなさいよ!」と王妃が負けずに言い立てる。
「今日は幸せのおすそ分けですもの。わたくしの幸せを全部差し上げるつもりはありませんわ」
「ミーナ!」
元気いっぱいの声が返って来た。
部屋を出る前に、わたしはイボンヌへ念を押した。
「明日は無理をさせず、少しずつ座る練習をなさって。結婚式では必ず車椅子を使ってください」
「かしこまりました。本当にありがとうございます、ミーナ様」
イボンヌは深々と頭を下げた。
廊下へ出ると、キーランが楽しそうにわたしの顔を覗き込んだ。
「ずいぶん気前よく、おすそ分けなさいましたね」
「ソフィーにとっては、たった一度の結婚式だもの。王妃にも花嫁姿を見てもらいたいでしょう」
「王妃殿下のためではなく、ソフィー様のためですか?」
「さて、どうかしら」
王妃の口が治ってから、イボンヌたちは以前よりずっと苦労しているに違いない。
けれど、あれほど元気よく文句を言えるのなら、もう心配はいらないだろう。
窓の外から、ソフィーの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
その声につられるように、わたしも笑った。
明後日は、きっとよい日になる。
今日くらいは、その幸せを待つ輪の中へ、王妃も入れてあげてもよいと思った。




