↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/34

29 帰郷

  29 帰郷


 見慣れた辺境の街並みが見えてくると、ミーナは馬車の窓から身を乗り出した。


 王都のような高い城壁も、立派な石造りの建物もない。土埃の舞う道の両側には、古びた店や小さな家々が並んでいる。


 けれど、ミーナにとってはどんな美しい王宮よりも心の安らぐ景色だった。


「帰ってきたのね」


 その声に、キーランが柔らかく微笑む。


「ええ。ようやく帰ってきました」


 馬車は最初にギルドの前で止まった。


 二人の帰還については、王都からすでに連絡が届いていた。それでもギルド長は朝から何度も入口を出たり入ったりして、落ち着かない様子で二人を待っていた。


 馬車の音を聞きつけると、仕事を放り出すように外へ飛び出してくる。


 先にキーランが馬車を降り、続いてミーナへ手を差し伸べた。


「ミーナ」


「ありがとう、キーラン」


 その手を取ってミーナが地面へ降り立つ。


 二人が揃って無事な姿を見せた途端、ギルド長の顔から張り詰めていたものが消えた。


「……よかった」


 小さく漏れた声に、ミーナが笑う。


「ただいま戻りました、ギルド長」


「おかえりなさい。王都から無事に出発したとは聞いていましたが、実際に顔を見るまでは安心できませんよ」


 ギルド長は二人を頭の先から足元まで確かめた。怪我がないと分かっても、まだ疑うようにキーランを見る。


「本当に、何もありませんでしたか?」


「ありませんよ」


「王宮で騒ぎを起こしていませんね?」


「起こしていません」


 キーランは涼しい顔で答えた。


「……本当ですか?」


「俺はずっと、ミーナのそばにいました」


 それは答えになっているようで、なっていない。


 ギルド長が何かを察したように眉間を押さえると、ミーナが慌てて間へ入った。


「本当に大丈夫ですよ。いろいろな方にお会いしましたけれど、こうして無事に帰ってこられました」


「ミーナさんがそう言うなら、これ以上は聞きません」


 ギルド長は深く息を吐いた。


「ともかく、おかえりなさい。二人とも」


「はい。ただいま」


 王都での出来事は、あまりにも多かった。


 けれど今、聞き慣れた声で「おかえり」と迎えられたことで、ようやく本当に帰ってきたのだと実感できた。


 ギルドへの挨拶を終えると、二人は自宅へ向かった。


 家の扉を開ければ、出かけた日とほとんど変わらない部屋が待っていた。薄く積もった埃も、少し冷えた空気も、ミーナには懐かしい。


「やはり、家が一番ね」


「俺もそう思います」


 荷物を置くより先に、キーランは窓を開けた。新しい風が入り、閉め切っていた部屋の空気を入れ替えていく。


 ミーナも袖をまくった。


「まずはお掃除ね」


「長旅のあとくらい、休んでいてください」


「二人でやれば、すぐに終わるわ」


「では、重いものは俺が持ちます」


「ふふ。いつも持ってくれているでしょう?」


 掃除を済ませ、荷物を片づけると、二人は近所へ挨拶に回った。


 最初の家の扉を叩くと、顔なじみの婦人が出てきた。ミーナの姿を認めた途端、目を丸くする。


「まあ! ミーナじゃないの!」


「ただいま戻りました」


「帰ってきたのね。王都へ行ったと聞いて、皆で心配していたのよ」


 婦人はミーナの両手を取り、無事を確かめるように握った。その後ろから夫や子どもたちまで顔を出す。


「王宮に泊まったって本当か?」


「王女様にも会ったの?」


「王都はどんなところだった?」


 次々と浴びせられる質問に、ミーナは困ったように笑った。


「そのお話は、またゆっくりいたします。それより、明日うちへいらっしゃいませんか?」


「何かあるの?」


「王都で新しいお菓子の作り方を習ったのです。キーランが作りますから、皆さんで食べに来てください」


「キーランが?」


 全員の目が、ミーナの後ろに立つキーランへ集まった。


 キーランは少し照れながらも頷く。


「うまくできるか分かりませんが、たくさん作ります」


「それなら絶対に行くわ!」


「俺も行く!」


「わたしも!」


 返事を聞くまでもなかった。


 そうして何軒か回るうちに話は広まり、翌日には近所の者だけでなく、ギルド長や顔なじみの冒険者までやって来ることになった。


 翌朝、キーランは早くから厨房に立っていた。


 今日作るのは王都で習ったケーキの一つだ。キーランはミーナが図書館やソフィーの部屋にいる間、厨房に入り浸っていたのだ。

 薄く焼いた生地を何枚も重ね、間に甘いクリームを挟んで作る菓子だった。


 ミーナは卓の上に並べたケーキを見て驚く。


「ずいぶんたくさん焼いたのね」


「人が増えましたから」


「昨日より、招待した人数が倍になっているわ」


「ミーナが皆に声をかけたからでしょう?」


「だって、皆さん食べたそうにしていたのですもの」


 キーランは笑いながら、焼き上がった生地を冷ましていく。


 やがて、甘い香りに誘われるように人々が集まってきた。


 家の中だけでは入りきらず、庭にも椅子や箱を並べ、即席の卓を作った。近所の者たちも茶や果物、焼いた肉などを持ち寄ったため、いつの間にか小さな宴会のようになっている。


 キーランが完成した菓子を卓へ運ぶと、歓声が上がった。


 何層にも重なった生地の断面に、子どもたちが目を輝かせる。


「これが王都の菓子か?」


「切るのがもったいないわねえ」


「でも、切らなければ食べられないぞ」


 キーランが一人分ずつ切り分け、皿へ載せていった。


 最初の一口を食べたのは、近所の年配の男性だった。


 皆が見守るなか、彼はゆっくりと噛みしめる。やがて目を見開き、大きく頷いた。


「さすが、王都の菓子だ。うまい!」


 その言葉に、あちこちから笑い声が上がった。


 隣に座っていた婦人が、もう一口食べて首を傾げる。


「さすが王都なのか、さすがキーランではないか?」


「確かにそうだ!」


「王都から持って帰ってきたわけじゃないものね」


「作ったのはキーランだ。なら、キーランがすごい!」


 次々と褒められ、キーランは珍しく困った顔をした。


「作り方を教えてもらっただけですよ」


「教えてもらったって、作れなければ同じ味にはならないだろう」


「そうよ。うちの人に作らせたら、きっと真っ黒な塊になるわ」


「なぜ俺が作ることになっているんだ」


 夫婦のやり取りに、また笑いが起こる。


 ギルド長も菓子を一口食べ、感心したように頷いた。


「これは売れますね」


「ギルド長、すぐ商売の話にするのはやめてください」


「職業柄です」


「今日は皆で楽しむために作ったのですよ」


 ミーナがたしなめると、ギルド長は笑った。


「分かっています。それにしても、本当に美味しい。無事に帰ってきただけでなく、こんな土産まであるとは思いませんでした」


「お土産はお菓子だけではありませんよ。王都のお話も、たくさんあります」


「では、聞かせてもらいましょうか」


「どこから話しましょう?」


 ミーナは少し考え、王都までの道中や、初めて見た華やかな街並みについて話し始めた。


 王妃や国王との間に何があったのかは語らなかった。それはもう、辺境の人々に背負わせる必要のない過去だった。


 代わりに、王女ソフィーが市場へ行きたがったことや、王宮の立派な食事、王都で見つけた珍しい品々の話をした。


「王女様が、ミーナの古いカバンを気に入ったの?」


「ええ。お城の宝石より大切なのかと聞かれました」


「それで、なんと答えたんだ?」


「もちろん、大切ですと答えました。あのカバンには、わたしが自分の力で生き始めた頃の思い出が詰まっていますから」


 しみじみと語るミーナの横で、キーランは新しい茶を淹れた。


「ミーナ、どうぞ」


「ありがとう、キーラン」


 自然に差し出されたカップを受け取り、ミーナは微笑む。


 その様子を見ていた婦人が、にやにやしながら言った。


「王都には、これより立派な暮らしがあったのでしょう?」


「ええ。寝台も食事も、それは見事でした」


「それでも戻ってきたのね」


「もちろんです」


 ミーナは迷いなく答えた。


「わたしの家は、ここですもの」


 キーランが彼女を見つめた。


 ミーナもその視線に気づき、静かに見つめ返す。


「それに、わたしの大切な人も、ここにおりますから」


 一瞬の静寂のあと、庭いっぱいに囃し立てる声が響いた。


「ごちそうさま!」


「菓子を食べに来たのに、もっと甘いものを見せられたぞ!」


 キーランは照れもせず、どこか誇らしそうにミーナの隣へ座った。


「まだ菓子はあります。甘さが足りない方は、どうぞ」


 その堂々とした返しに、皆がいっそう笑った。


 王都でどれほど華やかな人々に囲まれても、ミーナが欲しいと思うものはなかった。


 土埃の舞う道。


 小さな家。


 気兼ねなく笑い合える人々。


 そして、自分の隣にいるキーラン。


 それらはすべて、二十年前には想像もできなかった、自分で選び、自分の手で築いた暮らしだった。


 日が傾くまで、庭から笑い声が絶えることはなかった。


いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくおねがいします。


書籍を出すことができました。

挿絵(By みてみん)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。