28 選ばれた男の笑み
28 選ばれた男の笑み
「君は昔からそうだった。わたしが無茶をすると、決まってその顔で叱ってくれた」
「治したばかりの足を傷めていただきたくないだけでございます」
「それでも同じだ」
オセロンはもう一歩、ミーナへ近づいた。
侍従たちは国王が歩いたことに感激し、目頭を押さえている。そのため、彼がミーナへ向ける眼差しに込められたものまでは気づかなかった。
「君はわたしを治してくれた」
「治せる傷でございましたから」
「二十年前、わたしは君を見捨てた。それでも、君はわたしを見捨てなかった」
「目の前に治せる怪我人がおりましたので、治療しただけです」
「そうではない」
オセロンは首を振った。
歩けるようになった喜びが、都合のよい希望へ姿を変えていく。
「王妃に頼まれて王宮へ来たとき、君はわたしを治さなかった。けれど今は違う。こうして自分から見舞いに来て、わたしの足を治してくれた」
「あのときとは事情が違います」
「君の心が変わったのではないのか?」
「いいえ」
ミーナはきっぱりと否定した。
しかし、オセロンは聞こうとしなかった。
「わたしはずっと後悔していた。君を乗せた馬車が王宮を出ていった、あの瞬間からだ。追いかければよかった。すべてを止めて、君を連れ戻せばよかった」
「けれど、なさらなかった」
静かなひと言だった。
オセロンは息を詰まらせた。
「わたくしが王宮を去ってから、二十年が過ぎました。陛下がどれほど後悔なさっていたとしても、その二十年がなくなることはございません」
「分かっている。だからこそ、これから償わせてほしい」
足元を確かめるようにしながら、オセロンはさらに近づいてくる。
「わたしは今でも君を愛している」
「陛下には、王妃殿下がいらっしゃいます」
「あれは君を陥れた女だ。君を追い出し、わたしの妻を奪った。そんな女を愛しているものか」
「その王妃殿下と二十年を過ごしてるのでは?」
「わたしが愛していたのは、君だけだ」
オセロンは縋るように手を伸ばした。
「ルミー、もう一度わたしのそばにいてくれ。今度こそ大切にする。君が望むものなら、何でも与えよう。地位も、財産も、離宮も――」
「わたくしは望むものは、すでに手にしております」
「何を?」
ミーナの返事に、オセロンの手が止まった。
そのとき、壁際に立っていた影が動いた。
キーランが、ゆっくりとミーナのもとへ歩み寄る。
静かな足取りだった。それなのに、彼が一歩進むごとに、部屋の空気が張り詰めていった。
オセロンはそこで初めて、キーランの存在に気がついたようだった。
「その男は……」
キーランは答えず、ミーナの背後へ立った。
そして片腕を彼女の腰へ回し、もう一方の腕で肩を包み込む。
まるでオセロンの手から守るように。
同時に、ミーナの帰る場所はここなのだと示すように。
ミーナはその腕を拒まなかった。
むしろ、ほっとしたように肩の力を抜き、キーランの胸へわずかに体を預けた。
それは意識して見せつけたものではない。
二人にとって、ごく自然な仕草だった。
だからこそ、オセロンには残酷だった。
「その男が……君の望んだものだというのか」
「人をもののようにおっしゃらないでくださいませ」
ミーナはわずかに眉を寄せた。
「キーランは、わたくしの過去を知っても哀れまず、聖女の力を知っても利用しようとせず、ただのミーナとして大切にしてくれた方です」
キーランの腕に、少しだけ力がこもる。
「わたしも君を大切にできる」と王がなおも言った。
「いいえ」
ミーナの答えには、迷いがなかった。
「陛下が大切になさるべきなのは、二十年前に手放したわたくしではございません。今、陛下のおそばにいらっしゃる方々です」
「ルミー……」
「その名で呼ばないでくださいませ」
厳しい声音ではなかった。
けれど、二十年前へ通じる道を閉ざすには十分だった。
ミーナはキーランの腕からそっと離れると、ドレスの裾をつまみ、国王へ優雅な一礼を捧げた。
「治療したばかりですから、今日はお休みください。明日から医師の指示に従い、少しずつ歩く練習をなさってくださいませ」
「待ってくれ。わたしはまだ――」
「どうか、これからも息災でいてくださいませ」
ミーナは穏やかに微笑んだ。
「そして、王妃殿下を大切に」
それは見舞いの言葉であると同時に、別れの言葉でもあった。
ミーナは踵を返した。
キーランがすぐにその隣へ並び、肩を抱いて扉へ向かう。
「待ってくれ!」
オセロンが追いかけようとした。
けれど、二十年間使われなかった足は、治ったからといってすぐに自由に動くわけではない。
わずか二歩で膝が震え、その場に崩れかける。
「陛下!」
侍従たちが慌てて駆け寄り、その体を支えた。
「離せ! わたしはルミーと話を」
ミーナは振り返らなかった。
二人はゆっくりと、開かれた扉に向かった。
キーランは扉をくぐる直前で足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。
侍従に支えられたオセロンと目が合った。
キーランは何も言わなかった。
ただ、静かに笑った。
勝ち誇るような激しさも、あからさまに嘲るような醜さもない。
オセロンがどれほど過去の愛を語ろうと、どれほどの地位や財産を差し出そうと、ミーナが戻ることはない。
そのことを疑いもしない者の笑みだった。
ミーナの隣に立ち、ミーナから選ばれ、その心を所有している者だけが見せられる、余裕に満ちた笑み。
やがて、扉が静かに閉まった。
オセロンは侍従に支えられたまま、二人の消えた扉を見つめ続けた。
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