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26 ソフィーとのお茶会

 26 ソフィーとのお茶会


 湯気がふわりと立ち上るティーカップを前に、王女ソフィーはどこか緊張した面持ちで指先を組んでいた。対面には、穏やかな笑みをたたえたミーナと、その隣で静かに控えるキーランが座っている。


「ミーナ様、わたくし……今日のお茶会でどんなお話をしようか、ずっと考えていたんです」


 ソフィーは少し頬を染め、探るようにミーナの顔を見つめた。


「ミーナ様と王妃母様のお話とか、お父様とミーナ様のこととか……お聞きしたい気持ちはありましたし、ご本人から伺えたら素敵だなとも思って……」


(あら、困ったわね……)


 ミーナは胸の中で苦笑しながらも、表には出さずに優しく微笑み返した。王室の込み入った事情に触れられるかもしれないと一瞬身構えたが、ソフィーは小さくかぶりを振った。


「ですけど、せっかくだから、ミーナ様としかできないお話をしたいと思ったのです」


「まぁ……なんでしょう?」


 ミーナは密かにほっと胸を撫でおろし、声を弾ませた。ソフィーは嬉しそうに目を輝かせ、身を乗り出す。


「王宮の外では、皆さま、どのように暮らしていらっしゃるのですか?」


 あまりにも広大で真っ直ぐな問いかけに、ミーナは思わずまばたきをした。少しの間、言葉を選んでから優しく問い返す。


「ソフィー様は、具体的にどのようなことがお知りになりたいのですか?」


「たとえば……朝、目を覚ましたあとのことです」


 ソフィーは手元のアフタヌーンティーのスタンドを指差しながら、自身の日常を思い返すように言った。


「王宮では、朝になると侍女が重いカーテンを開け、お着替えを手伝ってくれます。それから食堂へ向かって朝食をいただきますけれど……街の人々も同じように過ごされるのですか?」


「いいえ。たいていの人は、自分の力で起きて、自分で服を着ますわ」


「誰にも起こしてもらわずに、ですか?」


「そうですね。ふふ、あらためて聞かれると、なんだか不思議な気もしてきますね」


「まあ……!」


 ソフィーは感心したように丸い目をさらに大きく開いた。


「では、お朝食はどうなさるのですか?」


「自分で作る者もおりますし、家族の誰かが用意することもありますね。前の日の残りをサッと食べることもございますよ。忙しい朝なら、硬いパンとお茶だけで済ませてしまうことも」


「お抱えの料理人が作ったものではなく……?」


「街では、料理人がいるお家を探すほうが難しいくらいなのですよ」


 信じられないといった様子で口元を押さえたソフィーは、隣で静かに紅茶を口に運んでいた男性へと視線を向けた。


「キーラン様も……ご自分で朝食をお作りになるのですか?」


「ええ。ミーナより私が作ることのほうが多いですね」


 キーランが何でもないことのようにさらりと答えると、ミーナは慌てて彼の袖を引いた。


「キーラン!」


「本当のことだろう? ミーナは立派なポーションを作れるけれど、お料理はあまり……」


「す、スープは得意ですわ!」


 必死に反論するミーナを見て、キーランは愛おしそうに目を細めた。


「確かにね。君の作るスープは美味しいよ」


 二人のやり取りを微笑ましそうに見つめていたソフィーが、目を輝かせて尋ねる。


「キーラン様、お料理をするのは楽しいですか?」


「はい、とても楽しいですよ。自分の作ったものを、喜んで食べてくれる人が目の前にいると、楽しさは何倍にも増しますから」


「まあ、素敵です!」


 ソフィーは胸の前で小さな拳をギュッと握り締め、深くうなずいた。


 ひとしきり和やかな笑い声が部屋を満たした後、ソフィーは再び好奇心に満ちた瞳でミーナを見つめた。


「街では……欲しいものがあったとき、どうなさるのですか?」


「お店へ買いに行きますわ」


「ご自分で?」


「もちろんです」


「何を買うかも……ご自分の意思で決められるのですか?」


 その問いを聞いた瞬間、ミーナはすっと言葉を詰まらせた。


 王宮という庇護のもとで育ったソフィーには、何一つ不足なく最高の品が与えられている。けれど同時に、ドレスの一着、宝石の一つ、日々の食事に至るまで、すべて「王女にふさわしいもの」として周囲の大人がお膳立てしてきたのだ。自分の足で店へ向かい、自分の意思だけで欲しいものを選ぶ——そんな当たり前の自由を、彼女は一度も味わったことがないのだろう。


 ミーナは眼差しを柔らかく緩め、静かに答えた。


「ええ、自分で決めます。……ただし、持っているお金が足りなければ、諦めなくてはなりませんけれど」


「お金……? 皆さま、お金を持っていらっしゃるのではないのですか?」


「毎日働いて、その対価として受け取ったお金の中から、日々の食べ物や薪代、お家のお家賃などを払うのです。ですから、欲しいものを何でも買えるわけではありません」


「では……もし綺麗なリボンが欲しくても、パンを買わなくてはならなかったら……?」


「迷わずパンを選びますわね」


「リボンは諦めてしまうのですか?」


「ええ。ですが、毎月少しずつお金を残しておいて、次の月にあらためて買いに行くという楽しみもございます」


 ソフィーは真剣な表情になり、小さな顎に手を当てて考え込んだ。


「自分で決めることができるけれど……何でも思い通りになるわけではないのですね」


「その通りです」


「なんだか……少し不自由ですわ」


「そうですね」


 ミーナがあっさりと認めると、ソフィーは拍子抜けしたように意外そうな顔をした。ミーナはフッと微笑みを深める。


「けれど、とても楽しいことでもあるのですよ。何日も迷って、悩んで、ようやく手に入れた品には……特別な愛着が湧くものですから」


「ミーナ様にも、そのような大切なものがございますか?」


「ございますよ。たくさん」


 ミーナは立ち上がると、お茶会の席の脇、棚の上に置いてあった年季の入った革の肩掛けカバンを取ってきた。そっとテーブルの上に置く。


「これは、わたしが初めて自分の力で働いて、得たお金で買ったカバンです」


「……ずいぶん、古く見えますけれど」


「ええ、もう古いものですわ。二十年近く前になるでしょうか。薬師として駆け出しの頃、これにポーションを詰めてギルドへ納品に通ったものです。中にはお金を入れる巾着と、肌寒い時に羽織るフード、それから少しのお菓子を入れて。今ではポーションは籠に入れて運びますけれど、出かける時は今でも必ず、このカバンが一緒です」


 ソフィーは吸い寄せられるようにカバンへ手を伸ばしかけ、ハッと気づいて「触れてもよろしいですか?」と目で尋ねた。


 ミーナが温かくうなずくと、ソフィーはまるで壊れ物を扱うかのように、そっと両手でその使い込まれた革カバンを持ち上げた。角が擦り切れ、色あせたそのカバンを愛おしそうに見つめる。


「……お城にあるどんな立派な調度品よりも、大切なのですか?」


「ええ。これは……『わたしは自分の力で生きていけるんだ』と、初めて思わせてくれた大切な相棒ですから」


 ソフィーは感極まった様子で頷き、カバンを元の場所へ丁寧に戻した。


「街の人たちは、毎日そうやって働いているのですね」


「ほとんどの人はそうですわね。パンを焼く人、服を仕立てる人、重い荷物を運ぶ人。朝早くから店を開ける人もいれば、夜の街を護る警備の方もいます。ですが、お城で働く方々も同じように忙しいですから、根っこの部分はみんな一緒ですよ」


「お休みの日には、何をなさるのですか?」


「溜まったお家を片づけたり、洗濯をしたり、賑やかな市場へ出かけたり。家族で食卓を囲む者もいれば、酒場で友人たちと賑やかに騒ぐ者もおります。……お天気が良い日には、わたしたちはふらりと森へ出かけることもございますよ」


「護衛の方を連れずに……ですか?」


「ええ」


「行く道を決めずに歩いても?」


「危険な魔物が出る場所へ入らなければ、どこへ行っても自由です」


「途中で行き先を変えてしまっても?」


「誰にも叱られませんわ」


 ソフィーはしばらくの間、口を閉ざして黙り込んだ。


 その澄んだ瞳には、まだ見ぬ外の世界——賑やかな街の喧騒や、木漏れ日あふれる森の風景が映っているかのようだった。


 呼び鈴も侍女もなく、自分の足で立ち上がり、自分の手で服を選び、どこへでも歩いていける暮らし。それはきっと不便で、危険で、思い通りにいかないことばかりなのだろう。それでも、幼い王女の目には、その「思い通りにならない自由」が、たまらなく眩しく輝いて見えた。


「……わたくしも、市場へ行ってみたいです」


「市場へ、ですか?」


「はい! ご自分の足で歩いて、自分の目で品物を選んでみたいのです。お店の方とも、直接お話ししてみたい……」


 胸を躍らせるソフィーだったが、隣でキーランが静かに微笑みながら言葉を挟んだ。


「王女様のお姿のまま出かけられては、街中が大騒ぎになってしまいますね」


「あ……」


 キーランの指摘に、ソフィーの顔がすっと曇った。


「やはり……無理なお願いでしょうか」


 諦めかけた王女に、ミーナは優しく語りかけた。


「無理などと申しませんわ」


 ソフィーが勢いよく顔を上げる。


「お母様や護衛の方々にしっかりとご相談して、人目を引かない平民の服をご用意すれば良いのです。きちんと許可をいただいて、安全に出かけられる方法をみんなで考えましょう」


「本当ですか……!? ミーナ様も、一緒に来てくださいますか?」


「ええ、わたしでよろしければ喜んで」


「キーラン様も来てくださいますか?」


「もちろんです。ミーナが行く場所には、どこへでも一緒に行きますから」


 迷いなく即答したキーランに、ソフィーは「あら」と声を漏らし、ミーナに向かって悪戯っぽく微笑んで見せた。


 途端に自分の顔がカッと熱くなるのを感じ、ミーナは慌ててお茶を飲んで誤魔化そうとした。


(わたしにも……いつかキーラン様のような素敵な方が現れるといいな)


 ソフィーはミーナたちの仲睦まじい姿を見つめながら、密かにそんな願いを抱いた。けれど、王家に生まれた自分の未来を思えば、それが叶う可能性がどれほど低いかも、ソフィーはすでに幼心に理解していた。


 だからこそ、いま自分にできる精一杯の冒険をしたい。


「ミーナ様、キーラン様。わたくし、さっそくお母様にお願いして参りますわ! 今日は本当にありがとうございました」


 立ち上がったソフィーの表情は、お茶会が始まった時とは見違えるほど生き生きとしていた。


 王宮の外の暮らしには、自分の知らない世界がどこまでも広がっている。

 両方の世界を知っているミーナと話せたことは、ソフィーにとって小さな胸に灯った大きな希望だった。


 スカートの裾を軽やかになびかせながら、ソフィーは期待に胸を躍らせ、母である第二妃エリーゼの元へと駆け出していくのだった。

いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

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