24 アーデルの謝罪
24 アーデルの謝罪
アーデルは、ミーナの前まで来ると、何も言わずに膝をついた。
以前と同じ姿勢だった。
けれど、あの時とは違う。
あの時のアーデルは、息子を助けてもらうために頭を下げていた。望みをかなえるためなら、どんな言葉でも口にするつもりだった。
ミーナは椅子に腰かけたまま、黙って彼女を見下ろした。
「お久しぶりですね、ハウアー侯爵夫人」
「……はい」
アーデルの声はかすれていた。
「今日は何を治してほしいのですか。息子さんですか。それとも、その耳?」
アーデルの肩が震えた。
それでも、顔を上げることはなかった。
「何も治していただくつもりはございません」
「では、何をしに来たの?」
「謝罪に参りました」
ミーナはわずかに眉を上げた。
「謝罪なら、前にも聞きました。悪かったけれど仕方がなかった。自分は脅されていた――そういうお話でしたね」
「違います」
アーデルは床に両手をついた。
「いいえ……違うと申し上げる資格も、わたくしにはございません。あの時のわたくしは、謝罪などしておりませんでした。息子を助けていただくために、謝ったふりをしただけです」
部屋の隅に立つキーランの目が、冷たく細められた。
ミーナは何も言わない。
アーデルは震える息を吐いてから、続けた。
「わたくしは、あなたを裏切りました」
声が震えている。それでも、今度は言葉を濁さなかった。
「あなたに信頼されていると知りながら、その信頼を利用しました。あなたの部屋に偽の証拠を置き、それを自分で見つけたように装いました。そして大勢の前で、あなたが罪を犯したと証言しました」
「脅されていたのでしょう?」
ミーナが静かに尋ねた。
アーデルは目を閉じた。
「それは、わたくしが自分を守るために使った言い訳です」
しばらく沈黙したあと、床へ額をつけた。
「脅されたとしても、わたくしには断る道がありました。あなたに打ち明けることも、逃げることもできました。それをしなかったのは、わたくしが自分の立場と子供を守りたかったからです」
「自分の子供を守るために、わたしを差し出したのね」
「はい」
アーデルの答えは小さかったが、はっきりしていた。
「あなたなら耐えられると思っていました。聖女なのだから、王女なのだから、どれほど傷つけても最後には誰かが助けてくれると……そう思い込もうとしました」
アーデルの手が固く握られる。
「けれど、本当は分かっていました。あなたが追放されたら、どんな目に遭うか。それでも、わたくしは自分と息子を選びました」
「……そう」
「それだけではございません。再会した時にも、わたくしはあなたを脅しました。自分のしたことを償いもせず、またあなたから奪おうとしました」
アーデルは顔を上げた。
涙で濡れていたが、以前のように憎しみは浮かんでいなかった。
「申し訳ございませんでした、ミーナ様」
ミーナの表情は変わらない。
「許してほしいの?」
「いいえ」
アーデルは首を横に振った。
「許していただけるとは思っておりません。許してほしいと願うことさえ、あなたに新たな負担を押しつけることになります」
「では、どうして来たの?」
「あなたが許さなくても、わたくしが犯した罪を、わたくし自身の口で認めなければならないと思ったからです」
アーデルは懐から一通の書面を取り出し、床へ置いた。
「当時の証言が虚偽だったこと、証拠を仕込んだのがわたくしであることを記しました。国王陛下と貴族院にも同じものを提出いたします。必要であれば、民の前でも証言いたします」
ミーナは書面に目を落としたものの、手を伸ばさなかった。
「そうすれば、あなたは侯爵夫人としての立場も失うかもしれませんね」
「承知しております」
「息子さんにも、罪人の母を持つという汚名が残るでしょうし、あなたは母でいられないかもしれませんね」
その言葉に、アーデルの顔が歪んだ。
だが、逃げなかった。
「それも、わたくしが背負わせるものです。あの子を理由に、もう一度あなたへ嘘をつくことはいたしません」
「息子さんを治してほしくはないの?」
長い沈黙が落ちた。
アーデルの唇が震えた。
母親として「治してほしい」と叫びたいのだろう。床を這ってでも、ミーナの裾にすがりたいのだろう。
それでも、アーデルは静かに答えた。
「治していただきたいです」
正直な答えだった。
「ですが、その願いと謝罪を取り引きにはいたしません。息子を治していただけなくても、証言は撤回しません。今日の謝罪も、なかったことにはいたしません」
ミーナはしばらく彼女を見つめていた。
やがて、静かに告げた。
「あなたを許すつもりはありません」
アーデルの瞳から涙がこぼれた。
「はい」
「昔のように、友人として接することもありません」
「はい」
「あなたが何を失っても、それをかわいそうだとは思いません」
「……はい」
それでもアーデルは、逃げずに受け止めた。
「でも、謝罪はなされました」
その一言に、アーデルは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことではありません」
「それでも……最後まで聞いてくださったことに、お礼を申し上げます」
ミーナは返事をしなかった。
アーデルはもう一度、床へ額がつくほど深く頭を下げると、ゆっくり立ち上がった。
息子の治療を頼むことも、失った耳を見せて同情を誘うこともなく、扉へ向かう。
その背中に、ミーナが声をかけた。
「アーデル」
アーデルが立ち止まった。
侯爵夫人ではなく、昔と同じ名で呼ばれた。しかし、振り返る勇気はないようだった。
「書面を提出したあと、息子さんと一緒にいらっしゃい」
アーデルが息を呑む。
「勘違いしないで。あなたを許したからではありません」
ミーナは淡々と言った。
「息子さんは、あなたの犯した罪とは関係がない。それだけです」
アーデルは振り返らなかった。
ただ両手で顔を覆い、声を殺して泣きながら、何度も頭を下げた。
壁際に立っていたキーランがやれやれと両手を天井へ向けた。




