表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年の呪いで声が出ません。でも死んだ看護師が頭の中に転生してきたので、無言で命を救っていたら副騎士団長に溺愛されました。  作者: 花月 宙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/40

第27話「母たちの声」

眠れなかった。

天幕の中で毛布にくるまって、暗闇を見つめている。隣の天幕では兵士たちの寝息が聞こえる。遠くで見張りの兵が歩く足音。松明の火がぱちぱちと爆ぜる音。

いつもと同じ夜のはずだった。

でも、何もかもが違って聞こえる。

『イリス。起きてる?』

玲子の声。心の中で、静かに。

『……うん』

『だよね。私も眠れない』

沈黙が流れた。いつもなら玲子が何か軽口を言って、私が呆れて、それで少し楽になる。でも今夜は、玲子も黙っていた。

『ねえ、玲子』

『うん』

『呪い、って、どういうことなの』

自分でも馬鹿な質問だと思った。グレゴールの説明は聞いた。古文書の記述も見た。頭では理解している。でも、心がついていかない。

『……私の世界にはね、呪いなんてものは無かったよ。でも、似たようなことはあった』

玲子の声が、いつもより低かった。

『声を奪うっていうのはね、イリス。殴ったり、閉じ込めたりするのと同じなの。誰かの自由を奪う行為。ただ、もっとたちが悪い。外から見えないから。見えないから、「体質」で済まされてしまう。被害者自身が、自分が被害者だって気づけなくなる』

胸が、締めつけられた。

被害者。

その言葉が、重い。

『お母さんも、そうだったんだよね』

母の顔が浮かんだ。

暗い部屋。小さな窓から差す細い光。紙と炭の棒だけが、私と母を繋いでいた。

母は笑っていた。声が出なくても、笑うことはできた。紙の上に、丸い大きな文字を書いた。

「イリス だいすき」

あの文字を、今でも覚えている。

母は不幸だったのだろうか。わからない。少なくとも、私に笑いかける時の母は、幸せそうに見えた。でも──夜、私が眠った後で、母が何を思っていたのかは、知らない。

声が出たら。

たった一度でも、私の名前を呼べたら。

母は、それを望んだことがあったのだろうか。

『……あったに決まってるよ』

玲子の声が震えていた。

『あなたのお母さんだけじゃない。そのお母さんも。その前も。何代も何代も。みんな声が出なくて、みんなそれを「仕方ない」って受け入れて。誰一人、本当の理由を知らされなかった』

知らされなかった。

その言葉で、何かが胸の奥で動いた。

仕方ない、ではなかったのだ。

体質でも、運命でも、天罰でもなかった。

誰かが──意図を持って──奪ったのだ。母の声を。祖母の声を。その前の、名前も知らない女たちの声を。千年にわたって。一人ずつ。生まれるたびに。

許せない。

その感情が、静かに、でも確かに、腹の底から湧き上がってきた。

怒りだった。

これまで感じたことのない種類の怒り。ヘルマンに蔑まれた時のような悔しさではない。アデスの言葉に傷ついた時のような悲しみでもない。もっと深い場所から来る、冷たくて、硬い怒り。

母は、怒ることすらできなかった。

奪われたことを知らなかったから。怒る理由があることすら、知らなかったから。

なら、私が怒る。

母の分も。祖母の分も。その前の、千年分の沈黙の分も。

『玲子』

『うん』

『私、怒ってる』

『……うん。知ってる。ずっと待ってた、その言葉』

玲子の声が温かかった。泣いているような声だった。

『怒っていいんだよ、イリス。怒れるのは、あなたが強くなったからだよ』

    *

天幕の布が揺れた。

外に、気配があった。人の気配。見張りの巡回ではない。動かずにそこに立っている。

布の隙間から、月明かりに照らされた銀灰の髪が見えた。

ゼクスだった。

天幕の入口の前に立っている。中に入ってこない。ただ、そこにいる。

どれくらい前からいたのだろう。

毛布をはねのけて、外に出た。夜気が冷たい。裸足の足に、石畳の冷たさが伝わる。

ゼクスが振り向いた。蒼い瞳に月光が映っている。

「……起きていたか」

低い声。いつもの短い言葉。

頷いた。

「眠れんだろうな」

また頷いた。

沈黙が落ちた。この人との沈黙は、いつだって苦しくない。ただ静かなだけだ。夜空には星が散っていて、城壁の向こうから風が吹いている。

ゼクスが何かを言おうとした。口を開いて、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。

不器用な人だ。

「俺は」

三度目に、声が出た。

「お前の血がどうとか、そういうことはわからん。グレゴールのように古い書物を読む力もない」

拳を握った。開いた。

「だが、お前の母親が声を奪われていたということは、わかる。お前も。その前も」

その目が、まっすぐに私を見た。

「許せん」

短い言葉だった。でも、その二文字に、この人の全部が詰まっていた。弱きを助け、強きをくじけ。父から叩き込まれた家訓を、この人は本気で生きている。

紙を出した。月明かりの下で、炭の棒を握る。

手が震えていた。怒りではない。この人の前で、初めて自分の意志を書こうとしていることへの、緊張だった。

『私 もう 黙ってるだけじゃ いや』

ゼクスが紙を受け取った。月光の下で読み、顔を上げた。

その時、蒼い瞳がわずかに揺れた。

何を見たのだろう。私の目に、何か変わったものが映っていたのだろうか。

「……いい目だ」

それだけ言って、ゼクスは夜空を見上げた。

その横顔を見ていた。何も言わずに。言えずに。でもそれでよかった。

この人がいる。玲子がいる。グレゴールがいる。

一人じゃない。もう、一人じゃない。

天幕に戻ろうとした時、別の方角から足音がした。

トビアスだった。見張りの時間帯でもないのに、剣を腰に差して、私の天幕の方に歩いてきていた。ゼクスを見て足を止める。気まずそうに頭を掻いた。

「……あ、すみません。その、なんか、眠れなくて。なんとなくこっちに」

ゼクスが黙ってトビアスを見た。数秒。それから、短く言った。

「……お前もか」

トビアスは首を傾げた。「お前も」の意味がわかっていない顔だった。

ゼクスの視線が、一瞬だけ指揮室の方角に向いた。グレゴールが言った言葉を、思い出しているのかもしれない。

守護の血族。

巫女王の傍らに常に在った一族。

「……戻って寝ろ」

ゼクスがトビアスに言った。それだけだった。

トビアスは「はい」と答えて踵を返した。数歩歩いて、振り向いた。私を見て、何か言いたそうにして、やめて、また歩き出した。

その背中が夜闇に消えるまで、ゼクスは目を離さなかった。


第27話をお読みいただきありがとうございます。

この話は、イリスが初めて「怒る」話です。

帰還命令を突きつけられた夜、彼女の中で何かが変わりました。ヘルマンに蔑まれた時の悔しさでも、アデスに傷ついた時の悲しみでもない。もっと深い場所から来る、冷たくて硬い怒り。

母も、祖母も、千年分の女たちも、奪われたことすら知らなかった。だからイリスが代わりに怒る。その決意が「私、怒ってる」の五文字に詰まっています。玲子が「ずっと待ってた」と言った理由を、受け取っていただけたなら嬉しいです。

ゼクスが夜中に天幕の外に立っていた場面。何も言わずに「許せん」の二文字だけで帰した理由は、この人が口より先に行動する人間だからです。

そしてトビアスが夜中に引き寄せられるように現れた場面、さらっと書きましたが、ここは伏線です。お気づきの方はお気づきかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ