第24話「賭け」
公開治療は、三日後に行われることになった。
グレゴールが決めた日取りだった。根拠はある。三日あれば、使者が王都に早馬を出す時間はない。ルーゲンから王都まで馬で七日。往復で十四日。つまり三日後に結果を出せば、王の追加命令が届く前に既成事実が作れる。
「勝てばいい。それだけだ」
グレゴールの言葉は簡潔だった。
勝つ、とは何か。公開治療の場でイリスの力が本物であることを、騎士団の全員の前で証明すること。文官が連れてきた護衛騎兵にも見せること。「この娘は騎士団に不可欠な戦力である」と、誰にも否定できない形で示すこと。
『……でもイリス、あなたの力は制御できない。助けたいと思った時に光ることもあれば、何も起きないこともある。三日後に確実に発動する保証はどこにもない』
玲子の声が硬い。
わかっている。
わかっているから、怖い。
*
準備は、翌朝から始まった。
グレゴールが騎士団に布告を出した。「医療班による公開処置の実演を行う。全隊参加を命じる」。名目はイリスの力を見せることではなく、前線医療の技術共有。巧い建前だった。
問題は、患者だった。
公開治療の場に、十分な重傷者がいなければならない。軽い切り傷を治しても証明にはならない。かといって、わざと兵士を傷つけるわけにはいかない。
「足りなければ、俺が斬られてくる」
ゼクスが言った。本気の顔だった。
紙片に炭で二文字だけ書いて、突きつけた。
『ダメ ぜったい』
「だが──」
紙片を突きつけたまま、首を横に振った。何度も。
ゼクスの眉間に皺が寄った。蒼い瞳が、走り書きの二文字を見ている。それから、長い息を吐いた。
「……わかった」
玲子が心の中で笑った。
『あなた、ゼクスに対してだけはすごく強いよね』
うるさい。
結局、患者の問題は別の形で解決した。三日前の小規模な遭遇戦で負傷した兵士が四人、回復途上にある。傷口の経過を見せるだけでも、イリスの処置と従来の処置の差は歴然だった。
それに加えて、ルッツがいた。
あの日、腹を割かれて死にかけた兵士。ヘルマンが「楽にしてやれ」と言った男。今は自分の足で歩いている。イリスの手が光った後に。
「俺が証人になる」
ルッツは自分からグレゴールの天幕を訪れたらしい。ゼクスが教えてくれた。
「あいつは、お前が命を救ったことを忘れていない」
筆談で返した。
『ルッツが 生きてるのは ルッツ自身が強かったから』
ゼクスが紙片を読み、わずかに目を細めた。何かを言いかけて、やめた。
代わりに、大きな手が私の頭の上に置かれた。乱暴でも丁寧でもない。ただ、重い。温かい。
『……ッ……!』
イリスの思考が白く飛ぶ。頬の温度が一瞬で上がる。
ゼクスはすでに背を向けていた。
『ねえ、あの人、自分のやってることわかってるのかな。わかってないよね。天然だよね』
……知らない。
*
二日目。
公開治療の具体的な手順を、グレゴールと詰めた。
まずルッツの傷跡を見せる。次に、回復途上の兵士四人の処置をイリスが行う。煮沸消毒、清潔な布での洗浄、薬草の選別。前世の知識に基づいた手順を、全員の前で実演する。
そして最後に──手の光を求められる可能性がある。
『あれは狙って出せるものじゃない』
筆談で伝えると、グレゴールは頷いた。
「わかっておる。だが、出なくてもいい。手順だけで十分に価値がある。ヘルマンの患者と、お前の患者の回復率の差が、すべてを語る」
重厚な声が、少しだけ柔らかくなった。
「案じるな。お前がこれまでやってきたことを、そのままやればいい」
横でゼクスが腕を組んでいた。何も言わない。でも、蒼い瞳がまっすぐこちらを見ている。
お前を信じている、と。そう言っているのだと思いたかった。
指揮天幕を出ると、入口の脇に文官が立っていた。
灰色の長衣。胸元の銀の徽章。痩せた顔に、薄い笑みを貼りつけている。中の会話を聞いていたのか。
「公開治療、ですか」
声が甘い。丁寧すぎる口調は、刃物の切っ先を布で包んだような危うさがある。
「騎士団長殿のご提案に異論はございません。ただ──」
文官がこちらを見た。目が笑っていない。
「治療の場に、宮内省の立会人を置かせていただく。公正を期すために」
グレゴールが天幕から出てきた。
「好きにせよ」
「それと、もうひとつ」
文官の声が低くなった。
「万が一──この実演で十分な成果が示されなかった場合。先日の身柄移送命令は、即時執行とさせていただく。それが王命を保留した条件ですので」
沈黙が落ちた。
成功すれば残れる。失敗すれば、その場で連れて行かれる。
賭けの代償が、今はっきりした。
文官が一礼して去った。その背中を見送りながら、ゼクスが低く呟いた。
「あの男、負けることを望んでいる」
『当たり前だよ。あの人にとって、イリスの公開治療が成功したら面目丸潰れだもの。王命を跳ね返されたことになる』
玲子の声が鋭い。
『妨害してくる可能性は?』
『……ある。薬草にまた何か混ぜるとか、患者に手を回すとか。注意しないと』
ゼクスに筆談を見せた。
『明日から 薬草と水は 私が管理する 誰にも触らせない』
蒼い瞳が紙片を読み、頷いた。
「俺が見張る」
三文字。それだけで十分だった。
*
三日目の夜。公開治療の前夜。
眠れなかった。
天幕の中で寝返りを打つ。隣の衛生兵たちは、とっくに寝息を立てている。
明日、失敗したらどうなる。
光が出なかったら。処置がうまくいかなかったら。文官が何か仕掛けてきたら。
『イリス。大丈夫。今まで通りにやるだけだよ』
玲子の声が、いつもより近い。
『……うん。でも、怖い』
『怖くていい。怖い方がいい。怖いってことは、本気だってことだから』
その言葉に少し楽になって、目を閉じた。
閉じた、瞬間──。
体の奥で、何かが軋んだ。
喉ではない。胸でもない。もっと深い場所。骨の中、血の中、この体を形作っているものの根っこのような場所が、ぎしりと音を立てた。
息が詰まる。
手を見た。震えている。でも、光はない。いつもなら感じる、助けたい時にじわりと温かくなる感覚がない。代わりにあるのは──冷たさ。
指先から、冷たさが這い上がってくる。
『……玲子、なにこれ……!』
『わからない。でもこれ、前にも感じたことがある。あの日──暗い部屋の記憶が溢れてきた時と、同じ冷たさ──』
幼い頃の記憶。捕らえられた時のフラッシュバック。暗い部屋。鎖。呪文。
あの時と、同じ冷たさが、今、体の中を走っている。
呪い──?
わからない。わからないけれど、何かが──何かが、私の中の力を押さえ込もうとしている。明日、光らせてはならないとでもいうように。
震える手を胸に押し当てた。心臓は動いている。息はできる。でも、体の芯が、凍りつくように冷たい。
『イリス。落ち着いて。朝になったら──』
朝になったら、公開治療が始まる。
力が使えない状態で。




