表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年の呪いで声が出ません。でも死んだ看護師が頭の中に転生してきたので、無言で命を救っていたら副騎士団長に溺愛されました。  作者: 花月 宙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/40

第22話「告白」

グレゴールの部屋を出た後、ゼクスは何も言わなかった。

石畳の廊下を並んで歩く。

ゼクスの歩幅は大きい。

いつもなら置いていかれるのに、今日は歩調を合わせてくれている。

無言のまま。

行き先は、医療所ではなかった。

行政庁舎の屋上。

石造りの見張り台に出ると、夜風が頬を撫でた。

ルーゲンの街が眼下に広がっている。

崩れた城壁。

瓦礫の散らばる大通り。その向こうに、星を映す暗い山地の稜線。

ゼクスが欄干に背を預けた。

大剣を壁に立てかけ、腕を組む。

星明かりの中で、銀灰の髪が風に揺れている。

「グレゴールの話を聞いて、何を考えている」

静かな問いだった。

命令でも尋問でもない。

ただ、聞いている。

紙を出した。

炭筆を握る。

──わからない こわい

短い二語。

でも嘘はない。

ゼクスが読んだ。蒼い瞳が、紙から私の顔に移った。

「何が怖い」

──自分が何者かわからないのがこわい

書いた手が震えた。

巫女王の末裔かもしれない。

千年前の力を封じられた血筋かもしれない。

百年前に粛清された一族の生き残りかもしれない。

そのどれも、昨日までの私にはなかったものだ。

声が出ない下働きの少女。

それだけだった私が、突然、千年の歴史の末端に立たされている。

ゼクスが腕を解いた。

欄干から背を離し、一歩近づいた。

「聞け」

低い声。

でも硬くない。

「最初に気になったのは、お前の動きだった」

え。

「錯乱した兵士の剣を避けた時──あの動きは、下働きの小娘のそれではなかった。何者かと思った」

あの日。初めて出会った日。

玲子の反射で剣を避けた、あの一瞬。

「次に気になったのは、お前の知識だ。

毒を見抜き、傷を縫い、ヘルマンが見捨てた兵士を助けた。

どこで学んだのかわからん。

聞いても答えられない。

だが確かに、お前の手は人を救っていた」

ゼクスの声が、少しだけ柔らかくなった。

「そして今は」

ゼクスの声が、ほんの一瞬、途切れた。

この人が言葉に詰まるのを、初めて見た。

戦場で命令を叫ぶ時も、上層部と対立する時も、一度も言葉に詰まったことのない男が。

蒼い瞳が、まっすぐに私を見た。

逸らさない。

逃げない。

覚悟を決めた目だった。

「お前自身が気になる」

心臓が止まった。

「声が出なくても構わん。

出生がわからなくても構わん。

巫女王の末裔だろうと、千年の血統だろうと、手が光ろうと──関係ない」

ゼクスが一歩、近づいた。

星明かりの中で、蒼い瞳が揺れている。

揺れているのだ。

この鉄のような男の目が。

「お前が何者でも関係ない。俺はお前を守る」

風が止んだ。

星が瞬いている。

世界が黙っている。

この人は今、何を言ったのだろう。

『イリス。これ、告白だよ』

玲子の声が震えている。

告白。

この不器用な男の、これが告白なのだ。

花も指輪もない。甘い言葉もない。

ただ「関係ない」と「守る」と。

それだけ。

でもそれが、この人の全てだった。

言葉が足りない人なのだ。

感情に名前をつけられない人なのだ。

だから「好きだ」とは言えない。代わりに「守る」と言う。「

気になる」と言う。

それが、ゼクス・ブレンナーという男の精一杯。

涙が溢れた。

声を出したい。

今だけは、本当に、声を出したい。

「ありがとう」と言いたい。「嬉しい」と言いたい。

「私もあなたのことが」と──

唇が動いた。

声は出ない。

いつも通り。

喉は震えるだけで、何の音にもならない。

でも唇が形を作った。

──ありがとう。

ゼクスの瞳が、私の唇に留まった。「……ありがとう、か」

読めた。

この人には、読めるのだ。

声がなくても。

音がなくても。

「感謝されたいわけではない」

ぶっきらぼうな声。

でもその目は──笑っていないのに、温かかった。

冷たいだけだと思っていたあの目に、灯火のような色が浮かんでいる。

もう一度、唇が動いた。

今度は別の言葉。

ゼクスの目が、少しだけ見開かれた。

読めたのだろう。読めてしまったのだろう。

何と言ったかは、書かない。

紙にも書かない。声にもならなかった言葉。

でも確かに唇が形作った、「ありがとう」。

ゼクスは何も言わなかった。

ただ、大きな手が伸びてきて──今度は止めなかった。

あの日のように途中で引っ込めたりしなかった。

指先の感触が伝わってくる。

イリスの頬を通して。でもこれは私の涙じゃない。私の頬じゃない。

荒い指。

傷だらけの指。

剣を握るための指が、涙を拭うために使われている。

一滴だけ拭って、手を引いた。

荒い指の感触が、頬に残っている。

温かい。

この人の手はいつも温かい。

剣を振るう手も、肩に置く手も、涙を拭う手も。

この手に守られている。

でも──守られるだけでいたくない。

いつか、この手を握り返したい。

声で名前を呼びたい。

ゼクス、と。ゼクス様ではなく、ゼクス、と。


ふと、階下に灯りが動いた。

行政庁舎の窓を、蝋燭の明かりが横切っていく。

文官の部屋だ。あの男は、まだ起きている。

「……戻るぞ。体が冷える」

声が掠れていた。

この人も、動揺している。

鉄のような男が、指先が触れただけで声が掠れている。

背を向けて歩き出すゼクスの後ろ姿。

銀灰の髪。広い肩。欄干の向こうに星が落ちていく。

その背中に向かって、もう一度だけ唇が動いた。

今度は、ゼクスには見えていない。

でもいい。いつか声になった時に、もう一度言うから。

『──イリス』

玲子の声がした。

震えていた。泣いていた。

頭の中で、声を上げて泣いていた。

『よかったね。よかったね、イリス。──ごめん、私が泣いてどうすんの。でも、よかった。本当に、よかった……』

泣いているのは私だけじゃなかった。

この体の中にいるもう一人の女も、一緒に泣いていた。

星空の下で、声のない二人が、声を上げて泣いていた。


お読みいただきありがとうございます。

この人の告白に花も指輪もありません。

「関係ない」と「守る」だけ。

それがこの人の全部です。

ここから先、穏やかではいられなくなります。

二人の時間を、もう少しだけ覚えていてください。

感想・ブックマーク・評価、お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ